第66話 白の暗躍・2(※クラウス視点)
しまった、機嫌を悪くさせている場合じゃないのに――と内心反省した僕にダグラスは気に障る嘲笑を向けてくる。
「私は一度は飛鳥の想いを向けられたのだ。だから謝って償えば、またきっと想いを向けてくれる……最初から全く相手にされていないお前や青の娘とは違う」
その勝ち誇ったかのような言い方に無性に腹が立って、苛立ちのままに言い返す。
「はあ? ペイシュヴァルツから聞いてないの? アスカはお前に物凄く怒ってたよ。『強引に襲うの良くない、私に対して何か変な魔法まで使おうとしたでしょ……!? 本当に、本ッ当に怖かったんだから!』って……性的な呪術まで使おうとして、この変態!!」
「飛鳥を怖がらせてしまった事はお前に言われなくても重々反省している。しかし番の呪術は被術者に心地よい快楽ももたらすらしいぞ……? 一概に悪いとは言えんだろう?」
本当に反省しているのか分からない物言いに引いて言葉を詰まらせていると、ダグラスはふと何か思い出したように視線を上にずらし、怒りの感情を込めて再び僕を睨んできた。
「……そう言えばお前、飛鳥がこの世界の結婚指輪のルールを知らないのを良い事に、勝手に同じ指に指輪を嵌めていたな? お前のせいで周囲はお前と飛鳥が契ったものだと思っている……お前の方が余程飛鳥に迷惑をかけているだろうが! 恥を知れ、外道!!」
「うるさいな……!! アスカが嵌めてくれた物を他の指に嵌め直す必要なんてないだろう!? いちいち説教するんならもう協力しないけど……!?」
そう言い捨てると、ダグラスは何か苦い物でも噛み潰したような顔で黙り込む。数秒後、小さくため息を付いて言葉を続けた。
「チッ……後一人ツヴェルフ化させたい人間がいるから、今日はこの程度にしておいてやる。だからもう少しだけ協力しろ。それとお前はもう黒の塊が無くなったのだからいい加減シュネー卿を黙らせてこい。これ以上あの
「シュネー……? ああ、ウィリアムか。そう言えば何処に行ったんだろう? ダンビュライト邸にはもう誰もいないし」
僕の言葉にダグラスは目を丸くして信じられない、と言わんばかりの声を上げる。
「お前……自分の部下の家の場所も知らんのか? 皇城の近くのペール通りの……何だその顔は……分かった分かった。私の説明を聞くのが嫌なら地図を書いてやる」
指を鳴らして現れた羽根ペンと紙を器用に宙で動かし、乱雑に位置を記された地図が僕の手に降りてくる。
「いいか、次にあの男が飛鳥の名誉を汚すような真似をすれば私はシュネー家ごと叩き潰すぞ。それが嫌ならとっとと行って黙らせて来い!」
ダグラスの不機嫌な声を背に、僕は空へと浮かび上がった。
綺麗に広がる皇都の街並みを足元にそのままペール通りとやらの方角へと向かう。
(地球に行けばもうどうでもいい事だけど……)
ウィリアムもエレンもシュネー家も、白の騎士団にいた人達ももうどうでもいい。向こうだってもう僕の事なんてどうでもいいと思っているだろう。
でも、それは僕の憶測にすぎない。確かにウィリアムが今何を考えているのかハッキリ分からないのは不安だ。
万一予想外の事をしでかされるよりは、黒の塊が抜けた事を伝えて黙らせておいた方がいい。
どんな言葉を吐き捨てられるのか、黒の塊が抜けた僕にどう取り繕おうとするのか、それとも――取り繕う気すら起きない程に冷めた目を向けられるのか。
どう動かれても僕の心には響かないだろう。
そんな中、薄い色合いの館が並ぶ貴族街――その中の一角に僅かに青みがかったシュネー邸を見つける。
門戸を叩くと執事らしい人間が現れた。驚いた表情を向けられたがさして辛辣な言葉を投げかけられるでもなく、淡々と応接間へと通され、間もなくウィリアムが現れる。
「私が話をしたいと言っている間は散々逃げ回っておいて……今更私に何の用でしょう?」
怒っているような、呆れているような声と共に現れた、白い司祭服と同じ白い髭を蓄えた老人――逞しかったはずのウィリアムが今は少し顔が痩けた印象を受ける。
甲冑を纏っていないウィリアムを見た事が無いから違和感を覚えているだけかもしれない。
向かいのソファに腰掛けたウィリアムと視線が合うと、十分に眠れていないのか目に隈まで出来ている事に少しだけ、罪悪感を感じた。
「……僕の中から黒の塊が抜けたよ。だからもう」
「先代が出来なかった事を貴方が、どうやって……?」
アスカを魔女扱いするな、と言いかけた言葉に被さるようにウィリアムの声が響く。
彼の声に驚きはない。僕が言っている事を全く信じていないのがよく分かる。
何で父様が出来なかったからって、僕にも出来るはずがないと思っているのか――と思ったけど、実際これは僕の手柄じゃない。
僕が自分で調べようとしてもきっと魔力の相反性なんて気づけなかった。あいつと協力しようとも思わなかっただろう。
僕は結局、ウィリアムにとって父様の付属品。白の魔力という多大な力を持ちつつも、僕個人に大した才がある訳じゃない。
ウィリアムにとって僕は主が残した厄介な存在でしか無かったと、内心自嘲する。
「……癪だけど、ダグラスがその方法を見つけ出した。ラインヴァイスが寝ているから神化はさせられないけど、アスカが長くリビアングラス邸にいるのに午後も僕が起きている事が証明にならないかな?」
「……貴方が皇国中にいる他のツヴェルフに黒の魔力を流して無くなったように装ってきたという可能性だってありうる。貴方の言う言葉はもう何も信じられません」
僕の予測は相手の言葉によって明確に形になって心を抉ってくる。分かっている、分かっていた――だから。
「そう……それなら……本来の主の言葉なら信じるのかな?」
「何を……」
指を鳴らして手元に白の封書を出現させ、眼の前のテーブルに置く。
「これは父様の遺書だ。ラインヴァイスに記憶を消す力がある事、それを持ってセレンディバイト邸から母様をさらった後記憶を消した事……父様の懺悔の言葉が全て書いてある」
「記憶を……!?」
初めてウィリアムの表情が驚きのものに変わった。
テーブルの上に置かれた封書から手紙を取り出して読み進めていくうちに、ウィリアムの表情が厳しいものになっていく。
わなわなと震える腕はいつ手紙を破り捨てるかもしれない、そんな緊張感の中で最後まで読み終えた後、ウィリアムは腕の力を緩めた。
僕にどう声をかけて良いのかわからないのか、しばらく覇気のない目で僕を見据えた後、静かに天井を仰いだ。
「……エレンからあの時の記憶が無くなったのは
「……そう言えば、エレンは?」
「貴方が塔へ向かった後『もう付き合っていられない』と館を飛び出し、この家から最低限の私物を持ち出して家を出て……それきりですよ。あの時の記憶がなければエレンは貴方にとっくに愛想を尽かしていたのです」
とっくに愛想を――心の奥が疼く。初恋、と呼べる物だったそれが踏み躙られる痛みを歯を食いしばって耐える。
(大丈夫、僕は一人じゃない……)
僕には大切に想ってくれる人がいる。例え世界中の誰に嫌われても、アスカが僕を想ってくれるだけで、僕は――
「そう……まあいいや。その手紙を公の場に出せばお祖母様を殺し、奪った人妻の記憶を消して子を成した父様の名誉も、それを看過していたシュネー家の名誉も潰えるだろうね」
手紙を読んでいる姿を見る限り、ウィリアムは父様の行いを本当に知らなかったのだろう。だけど真実は周りの捉え方次第で簡単に歪む。
白の騎士団長ともあろう者が、主の非道を見通せず止めることもしなかったと知れば、周りはどう思うか――
「……僕は別に、君達を不幸にしたい訳じゃない。僕という誤ちの存在を匿い続けた事自体には感謝してるし、父様も僕も相当駄目な主だった。お前が僕達の写真を斬りつけるのも当然だと思う。だからこの件に関して僕から積極的に行動を起こすつもりはない。ただ、これ以上僕の邪魔をしたり、アスカの名誉を汚すような噂を流すなら僕はお前と敵対する。例えダンビュライトが潰えても
「何を……
「そうだね。でもお前らの一族の記憶を全て消す魔法は使える。お前達が大切にしている想い出も名誉も人の記憶も全て消してやるよ。お前だけじゃなく、お前の家族も親戚も。ああ、お前達に関わる人達の記憶を消した方がいいのかな?」
自分でも残酷だと思う脅しがスラスラと口に出せる。
ラインヴァイスが眠ってなければ『我、そんな事しない!』とプンスカ怒りだすんだろうな――と思いつつ言い終えると、ウィリアムはガックリと項垂れた。
重い沈黙が流れる中でどういう言葉が溢れるのか耳を澄まして待っていると、震える声が聞こえてきた。
「……私は主の、クラレンス様の為を思えばこそ、娘のしでかした罪を償う為に生きてきたのです。主の幸せを私が、私の娘が奪ってしまったと思ってこの13年間……それが何故今、このように全て仇で返されなければならないのですか……?」
その悲痛な言葉に耳が痛む。確かに、ウィリアムがダンビュライト家に尽くしてきた事に対して僕は恩を仇で返している。
だけどウィリアムの忠誠はけして僕に向けられていた物ではなかった。そしてきっと、父様が望んでいた物でもなかった。
「……11歳のエレンの罪も大元を辿れば父様の罪に繋がる。父様の自業自得だったんだ。それが分かった今、お前ももう罪に囚われるのはやめなよ。僕や父様を言い訳に憎しみを抱えて茨の道を歩かれても気分悪いよ」
そう、本当にどうでもいい――どうでもいいからもう、囚われないでほしい。
「……貴方はこれからどうなさるのですか?」
「別に……僕は部下を持てるような人間じゃないのは自分がよく分かっているから、お前達が教えてくれなかった世界を知る為にも治癒師として世界中を回ってみようかな」
「治癒師ギルドや教会はどうなさるおつもりです?」
地球に行くとは言えず軽く嘘吹くとウィリアムに睨まれる。
ああ、この目――嫌だったな。僕を差し置いて一人、責任を背負うその目が。
「……気になるのならウィリアムが管理していけばいい。必要なら一筆書くけど?」
「治癒師ギルドはともかく、教会は頂点に
「嫌だね。僕はもう解放されたいんだ。どうせ今もウィリアムが管理しているんだろう? それならウィリアムから皇家にお願いすれば? 僕には荷が重いよ」
今迂闊に皇家と接点を持つとダグラスに警戒される恐れがある。
ここで言うべきことは言った。これ以上やり取りをする必要もない。そう思って立ち上がりドアの前に立つ。
(あ、父様の手紙を渡したままだ……)
チラとウィリアムの方を振り返ると彼はまた俯いたまま、その手に手紙を握りしめたままだ。その姿を見ていると返して欲しいという気が失せていく。
ダンビュライト家を、父様の罪を裁くのは家の責務から遠ざかっていた僕より真っ向から尽くしてきたウィリアムがふさわしい――そんな気もした。
「……その手紙の処分は君に任せる。自分達は悪くなかったのだと言い張ってもいいし、その手紙を破り捨てて無かった事にしてもいい」
それだけ言ってドアノブに手をかけた時、ウィリアムの声が響いた。
「……何故エレンの記憶を消したのですか?」
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