第67話 白の暗躍・3(※クラウス視点)


 娘の記憶を消されたウィリアムの呟きには怒りがこもっていた。

 ここは濁しても仕方がない――素直に伝えよう。


「……エレンの記憶を消したのはアスカに謝らなかったからだ。アスカに謝れなかったのはエレンがツヴェルフ嫌いだったからだ。だからそうなってしまった原因の記憶を消した……それだけの話だよ。お陰で自由になれたんなら良かったんじゃない? お前の言う通り、エレンは罪さえなければ僕から逃げ出したかったんだ。それがエレンの答えなんだよ」


 そう言い返すと再び白と薄灰の応接間に沈黙が漂う。ウィリアムの苦い表情からは心境を察する事が出来ない。


「……必要ならウィリアムの記憶も消してあげようか? 楽になれると思うけど」

「結構です。私はこの罪の意識があってこその私ですので」

「……くだらないね。罪の意識が無くてもエレンはエレンだと思うよ?」


 アスカの真っ直ぐな瞳と重なるウィリアムの目に対して、アスカには言えなかった言葉を投げつけるとウィリアムの眼差しはより一層厳しいものになる。


「罪を犯した人間が罪を悔いて生きるのと、罪を忘れて生きるのは違います。あの子は自分の罪を忘れるべきではありませんでした。加害者が犯した罪を忘れて幸せに生きれば、被害者はどう思うでしょうか? 貴方がした事は被害者を冒涜する傲慢な行為に他ならない……!!」


 辛辣な言葉の中に違和感を覚える。確かに、被害者やその被害者を想う人達が言うのならばその道理も成立するだろう。だけど――


「……被害者って父様の事? それならもう死んでるしその遺書にもある通り、父様自身が責めているのは自分自身だ。遺書にはエレンやお前に対する恨み言なんて一言も書いてないだろう?」


 何より父様は自業自得で壊れた。それが分かっているのに何故ウィリアムが『被害者』という言葉を口に出したのか――改めて考えて、一つの可能性に思い当たった。


「ああ……自分の娘が主の妻を死なせてしまった、つまりお前自身が被害者だと言いたいんだ? 自分を不幸にした本人が罪を忘れてしまったら、そりゃあ確かに面白くないだろうね。だからお前はエレンの記憶を消した僕に怒っているんだ」

「私は、そういうつもりで言った訳では……!!」

「だったらもう許してあげなよ。君も親なら親らしく子どもの健やかな幸せを願ったら? その遺書にも書いてある通り、臆病で卑怯な最低だった父様ですら、僕の幸せを願う父親だったんだよ?」


 自業自得の父様と、娘の罪に縛られたウィリアムを同列に語るのは違う気もするけれど、それでも言わずにはいられなかった。


「……簡単に家を捨てられるような貴方には、私の気持ちなど……家を、部下を、名誉を重んじる人間の気持ちなど、分からないのでしょうな……」


 そうだね。でも分からなくたって生きていける。


 僕も君やエレンにもっと頼られていたら、もっと周りと絆を深められていたら悩んだかもしれない。

 アスカにもここまで強く惹かれなかったかもしれない。


 色んな言葉が浮かび上がる。だけどそれを伝えた所で余計に拗れるだけだ。


 嫌いな人間や嫌いじゃない程度の人間と話し合って相容れないと分かったら、拘るんじゃなくて離れてしまうのが一番だと、改めて分かる。

 わざわざ相手が傷つくだろう言葉を突きつけて心を抉る必要ない。


「……そうだね」


 ウィリアムの、今にも崩れ落ちそうてしまいそうな声で紡ぎだされた言葉に対して肯定だけ残して、僕はシュネー邸を後にした。



 重苦しい気持ちと、どこか清々しい気持ち――中途半端にしていた部分が消えた爽快感と寂しさの中で、その日はあまりよく眠れなかった。




 翌日の夕方、セレンディバイト邸に行くと応接間ではなく客室に通された。


 違和感を覚えつつ客室に入ると、一人がけのソファに腰掛けるダグラスとベッドに腰掛ける薄桃色の髪と目を持つ淑女、その周囲にメイドや騎士達が何やら言い争っている。


「マリー様、こんな誘拐まがいの事をする人間の甘言など受け入れてはなりません……!!」

「でも……この説明書に書いてある通りなら……」

「人工ツヴェルフなんて、これまで誰もなし得る事ができなかったではありませんか!! それをこんな簡単に書かれても全く信憑性がありません……! もし失敗してマリー様の器が破損するような事があれば……!!」

「セレンディバイト公はあのツヴェルフに誑かされているのですよ……!? あの野蛮で恥知らずなツヴェルフ欲しさに危うい術に使うつもりかも知れません……!!」


 マリーと呼ばれる淑女に浴びせかけられる散々な言い様をダグラスは黙って聞いている。


「……ねえ、お前何で黙ってるの? 意外すぎて怖いんだけど」


 アスカが馬鹿にされているのに煽ったり強引に事を進めようとしない違和感がつい口から零れ出てしまった僕に女性達の視線が集中する。

 その惚けられるような視線が嫌で、すぐダグラスに視線を移す。


「そこの女性はリビアングラス公爵令息夫人だ……飛鳥とも接点がある。無理矢理ツヴェルフ化させて飛鳥を怒らせたくはない。自力で従者を説得できない程度の決意では不安だと様子を見ているだけだ」


 それはそうだろうけど、それとアスカが馬鹿にされているのは別じゃないか? と思った所で「あの」と小さな声が聞こえた。


「貴方は、もしかして……」


 声の主は、薄桃色の髪や目の優しい色合いの印象のせいもあるけれど柔らかくて可愛らしい印象がアルマディン女侯と少し似ている気がした。


「ああ、僕はクラウス・ディル・ドライ・ダンビュライト……と言っても、もうダンビュライトは潰れちゃったけどね」


 もう家を背負っている訳でもないし丁寧な喋り方をする必要もないかな、とあえて素で名乗った後、淑女と淑女の従者達に微笑みかける。


「……ねぇ、最悪失敗したとしても絶対死なせないし、体に後遺症とか残さないからお願いできない? アスカをそんな風に言うんなら、君達だってレオナルド卿がアスカと契るのは本意じゃないはずだ」

「おい」


 明らかに不機嫌な声が聞こえてきた方向にその微笑みを貼り付けたまま振り向く。


「この人達は夫人の為を想って言ってるのもあるんだろうけど、夫人の身に何かあったら止められなかった自分達の責任にもなるから止めてるんだよ。そっちの不安は僕じゃないと取り除いてあげられないだろう?」


 実際、僕の言葉で女騎士もメイドも考え込むように沈黙している。


「……急かすのもあれだし、今日はもう帰るよ。あんまり遅くなるとリビアングラスの人達に心配かける事になると思うから、明日には返事を聞きたいな。それと、アスカの事もう二度と悪く言わないでくれる? 不愉快だから」


 今日が28日。明日29日――明後日に伸びるようならもう協力していられない。


「……そうだな、下手に長引かせてロベルト卿がこちらに戻ってくるのは避けたい。明日こいつが来るまでに良い返事が聞けなければリビアングラス邸に返してやる。私も飛鳥の悪口をもう許す気はない。言葉の使い方に気をつけろ」


 焦りから出た言葉にダグラスは予想外にも好反応を示した。アスカの悪口が不快だったならさっさと言えばいいのに。


 そのままセレンディバイト邸から出た後、リビアングラス邸の近くに立ち寄り結界の強度だけ確認して宿に戻った。


(強固な結界だったけど覆う範囲が広い分、一点集中で人一人分の通る穴は開けられるな……)


 転移防止の結界が皇国全域に張られているせいか、リビアングラスの結界に転移防止の効力がないのも幸いした。


(侵入と、そこからの転移に問題はないけど……妊娠させられていた場合の堕胎魔法の使い時が心配だな……でも妊娠1節にも満たない胎児は小指の爪よりずっと小さいって言うし、治癒魔法も同時に使用すれば……)


 他にもその時は記憶を何処まで消すべきか、とか――色々考えているうちにいつの間にか寝入ってしまった。




 翌日の夕方、その目に強い意志を宿した薄桃色の夫人は、心配そうな表情で見つめるものの何も言わない従者達に見守られる中でツヴェルフになった。


 ルクレツィア嬢の時は保護者が保護者だけに隠す訳にはいかないんだろうと思っていたけれど、従者にも見せていい物なのか尋ねると訳の分からない理屈が返ってきた。


「私がいくら猥褻わいせつな真似をしていないと言っても密室に男二人に女一人とあっては信じてもらえないかもしれん。お前も嘘をつくかも知れんからな。お互い第三者の視線は必要だろう?」


 いくらなんでも気にし過ぎじゃない? と突っ込もうとした所で言葉が重なる。


「それに、この方法は私達と同等の相反性を維持できる無彩色の人間を2人、その2人で器を破損させずに核を移動させる程度の相反力を作り出せる魔力量の計算、核を抜き出した後の器の傷んだ部分を修復する為の幽体修復薬ユリルリペアと器を綺麗にする為の洗浄機……全てが揃わなければおこなえない。例えここの従者が他国のスパイだったとしても、見られた程度で何がどうなる訳では無い……まあ、念には念を入れて後で呪術付きの誓約書を書かせるがな」


 僕が言いたかったのは「自意識過剰じゃない?」って事なんだけど――それを言ったら一昨日みたいな醜い言い争いになりかねない。


「……それで? 僕の役目はこれで終わりって事でいいんだよね?」

「そうだな……夫人は今日一日様子を見て明日の朝、飛鳥と交換する予定だ。明日の夕方ここに来れば飛鳥に会わせてやる。だから絶対に私の邪魔をするなよ?」


(明日……30日の朝か……)



 分かった、と小さく答えた上で宿に戻り、部屋のベッドに腰掛ける。


 どうするか――まだラインヴァイスが目覚める気配はない。

 できる限りギリギリを狙いたいけど、ダグラスがいつリビアングラス邸に向かうのかもわからない今、あれこれ悩むよりは少しでも万全の状態でいようと早々に眠りについた。



 そして――嫌な条件が重なってしまったと思ってたら予想外にもダグラスが変な方向に暴走して、時間ギリギリの最高のタイミングで僕はアスカを救い出す事が出来た。


 そしてアスカが妊娠していない事を確認して心から安堵するも、まだまだ油断できない。

 一緒に転移した後、すぐ姿を消して魔力を隠す。


 アスカは絶対に僕を止めようとするだろうし、ここに見届人が来ないとも限らない。

 ル・ターシュの人間がこっちの人間と連絡を取る可能性だってある。

 光の船に乗るまで、僕がいる事を誰にも気づかれちゃいけない。


 アスカが躓いた時にはつい駆け寄ろうとしてしまったけど、そうする前にネーヴェ殿下が現れたのは幸いだった。



 だけど――アスカがこの世界に戻ってくるつもりでいる事や、ダグラスに向けての愛の言葉を聞いてからの記憶が酷くおぼろげだ。



 僕はこれまで何の為に動いてきたんだろう? 何の為に何もかも捨ててきたんだろう?

 頭がそう思っていても魔法を解く事もなくただ、見た事もないような素材で出来た光の船に何の感動も感じないまま乗り込んで。


 そんな中でも星の川を見つめるアスカは綺麗だな、なんてぼんやりした感動は残っていて。


 やっぱり僕はアスカが好きなんだ、って自嘲して。


 ああ――そうだ、そうなんだよ。今僕はアスカの為に、自分の罪を償う為に動いているんだ。

 アスカが地球で絶望しないように今僕はここにいるんだ。そこに他の男は関係ない。


 そうだよ。アスカが自分の罪の重さに心折れてしまわないように、潰れてしまわないように。その為に今僕はここにいるんだ。


 だから――だから、泣くな。全部受け入れるんだ。


 アスカの想いを邪魔しない。記憶も消さない。そうすればアスカに嫌われる事はない。


 例えアスカがダグラスを愛していても、それだけの理由で僕を嫌うことはないはずだ。


 部屋の隅でしゃがみ込んでアスカとユーリの会話が耳を通り過ぎながら、何度も頭の中で言い聞かせているうちに光の船は地球に到着した。


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