第68話 白の暗躍・4(※クラウス視点)


『……ここ、何処?』


 ラインヴァイスが目覚めたのは、僕達が光の船から降りた直後だった。


 まだアスカに気づかれる訳にはいかない、と一旦アスカ達から距離を取って皇都の街並みとは全く違う様々な建築様式の建物が並ぶ通りに入る。


『ここ、ル・ティベル違う! おかしい、おかしい!!』


 アスカの視界に入らないだろう場所で小ぶりな鷲の姿で出現したラインヴァイスがキィキィと喚きながら僕の頭を突きまくってくる。

 手で抑えてもその手を突いてきて、その痛みに透明化の魔法が解ける。


『お前、何故! 地球来る、禁忌!! 何で! 何で!! 何で!!!』

『ラインヴァイス、落ち着いて! 説明するから、とりあえず鳥のフリして……!!』


 僕の静止も聞かずキィキィと鳴くラインヴァイスの声が甲高く辺りに響き渡る。


 まずい、このままじゃ――と思った所ですぐ近くの建物から年配の女性が現れるやいなやラインヴァイスは何故か僕の頭の上に収まった。


「……あの、大丈夫?」

「だ、大丈夫です! ご心配をおかけしてすみません!」

「キィ!」


 微笑んだ後、頭にラインヴァイスを乗せたまま早足でその場を立ち去る。近くで喋ったら翻訳魔法に気づかれてしまう。


『気づかれたら駄目! 異世界人だとバレる、ル・ティベルの存在知られる、駄目!!』

『分かってる、分かってるから大人しくしててよ……!』


 ただでさえ怪しい僕達なのにラインヴァイスが女性に対して変な愛想振りまいたから、余計に印象に残ってしまったかもしれない。


 また人気のない道に出た所で辺りを見回す。とりあえず誰かが追ってくる気配もこっちを見ている様子もない。

 さっき透明化が解けた瞬間に関しては気にしなくても良さそうだ。


『……我、ちょっと出かけてくる』


 そう言うとラインヴァイスは姿を消した。

 転移防止の結界がないこの場所は好き放題転移できるのは分かるけど、一体何処に行ったんだろう?

 意識を集中させてラインヴァイスの気配を探ると、かなり離れた上空にいる――って事位は分かるけれど、正確な位置が掴めない。


(まあいいや……アスカ探そう)


 この世界で魔力を宿してるのはアスカだけだから、見失っても追跡するのは簡単だ。案の定軽く魔力探知してみたらすぐに居場所が掴めた。


 魔法大全に載っていた転移の魔法を再確認して透明化と魔力隠しを再度使った後転移を試みると、思ったより簡単に発動した。ああ、楽だな転移って。


 アスカがいたのは屋内――お父さんとお母さんは亡くなってるから、多分親族だろうか?

 見るからに優しそうな雰囲気の人達と話しているアスカの顔は少し緩んでいた。


 アスカの記憶の中にもあった<スマホ>とかいう小さな板に流れる映像にはビックリしていたみたいだけど、故郷に戻れて少しは心落ち着いているなら良かったと思う。


(ああ、やっぱり僕のした事は間違いじゃないんだ……)


 そう思いながらアスカが元彼の連絡に動揺してるのを見た時は一抹の不安が過った。


 でもアスカはまたル・ティベルに戻る。復縁なんてするはずがないと頭では分かっていながらもどかしさと焦燥感に駆られる。

 アスカは本当に困ってる様子だったけど、動揺している辺り不安が拭えない。


 ただ――記憶喪失という体でこの場を乗り切ろうとしているアスカの事を考えると、アスカの親族の前で姿を表す訳にはいかない。


(アスカが一人になった時に姿を表して……元彼をどうするかはその後……)


 そんな事を考えているうちにアスカの私物を取り戻す話になって。金属でできた乗り物に乗っていく。

 4人か5人乗ったらいっぱいになりそうなその空間に入り込むのは厳しいなと考えながらそれを見送っていると、その方向からラインヴァイスが戻ってきた。


 酷く元気のない姿が気になったけどラインヴァイスにも透明化トランスパレント魔力隠しマナハイドをかけた後、僕一人乗れる位に大きくなってもらってアスカの後を追う。


 アスカが乗っている金属の乗り物の他、馬のように跨って乗る乗り物とか、――アスカの記憶の中でも見たけれど、それよりもっと多くの驚きが目の前に広がっている。

 この辺り一帯を覆う濃灰の固い道も、それに沿うように大小高低様々な色の建物も。


 アスカと再会したら色々聞いてみよう――なんて思う中、ラインヴァイスはずっと落ち込んだままこちらに一言も発さない。


『……ラインヴァイス、どうしたの?』

『……戻れなかった』

『え?』


 酷く落ち込んだ声で紡がれた言葉の意味が分からなくて問い返すと、フスゥ、と小さく息を付かれて言葉が続いた。


『……魂ある星、天界と扉で繋がってる。天界の扉、常に生を終えた魂受け入れるから開けっぱなし。だから我、この世界の扉から天界行ってル・ティベルに戻れないか確認しようとした。そしたら我、お前と繋がってるから通せないって天使達に止められた』

『天界……?』


 生きとし生ける者はその生涯を終えた際、魂は天に登り、天界で神に裁かれた後、冥界に送られる。


 その中での徳を積んだ人間は天界に留まる事を許され、極悪人は冥界ではなく魔界に落とされる――なんていうのは子どもでも知ってる教会の教え。


 魔界は悪しき心を持つ者に召喚された悪魔や魔物が暴れて事件を起こす事からその存在が公に知られているけど、天界や冥界については誰も天使や冥界の生物に召喚に成功したという話を聞かない。

 そういう世界があるという証拠もないから正直半信半疑だった。


『元々我の役目、ル・ティベルと天界を繋ぐ扉の門番。非常時に門を守る為の存在。なのに神、我が戻るの認めなかった。お前に宿って灰色の雛になってしまった時も誰も助けに来てくれなかった。きっと我、もう天界に必要とされてない。我、いらない子』


 いらない子、という言い方に胸がズキンと痛む。


『……あの、ラインヴァイス、言いそびれてたけど』

『……我、今、お前から何も聞きたくない。我、怒ってる』


 2節すればル・ティベルに戻れるよ、と言いたかったけど、これまで何だかんだ付き合ってくれたラインヴァイスからの冷たい言葉が心に刺さって、言葉が押し込められる。




 重い沈黙の中、5階建ての、金属製のドアがいっぱい並んでいる古びた建物の前でアスカ達の乗り物が止まった。


 アスカが話している間に僕も近くに降り立つ。ラインヴァイスがまた小さくなって僕の頭の上に収まった。


 そんな所にいないで僕の中に入ってくれればいいのに、と思ったけど中に入りたくない位僕の事が嫌になったんだろう。何も言えない。


 叔母さんと話し終えたアスカの後をついていく。自動で昇降する入れ物から出て真っ直ぐにドアを開けて中に入る。


 危うく挟まれそうになる所を上手く滑り込むと、アスカが靴を脱ぎだした。


 さっきの家でもアスカは靴を脱いでいた。この世界では室内に入った時点で靴を脱ぐルールなんだろう。

 だからさっきと同じように靴を亜空間に収納する。


(あ、ここがアスカの家なら誰もいないはずだし、そろそろ姿を表してもいいかな……?)


 透明化を解いてアスカの後を追う。ツルツルとした木目の床からザラッとした不思議な感触に変わる。薄緑の床は絨毯の感触とも違う、独特の感触だ。


 よく見れば壁もちょっと違う。天井も――見慣れない空間に驚いているうちにアスカに気づかれた。


「え、あ、なん、で……!?」


 そう驚くアスカは見るからに動揺していて、落ち着かせてあげようと思って差し出した甘いロゼトマトを一粒摘み、浄化魔法をかけた上で口に押し当てる。


 受け入れられた後に微かに触れる唇の感触に、胸がトクン、と緩やかに高鳴る。


 ようやく――ようやく、邪魔者がいない世界に来られた。

 明確に言えば一羽いるけど、今は邪魔するつもりもない位落ち込んでいるみたいだから、数に入らない。


 このままアスカとずっと二人でいられたらどれだけ幸せだろう? 無理だと分かっているけれど望まずにはいられない。


「まだいっぱいあるから、座って食べよう? 話したい事いっぱいあるんだ」


 そう言って座ると、アスカはロゼトマトをお皿に入れてくれた。また一粒摘んで食べる辺り気に入ってくれたみたいだ。



 良かった――と思えたのはそこまでだった。



 アスカはずっと僕を不安そうな目で見つめる。

 ラインヴァイスを連れてきた事でル・ティベルが大変な事になってないか心配しているから、心配ないよと言ってあげたら次は僕に「どうして来たの」と困った顔で言う。


 アスカが心配だったから。アスカを不安にしたくなかったからだと言ってもその顔が喜びに変わる事はなかった。


 そしてアスカの暴言を受けて自殺した女性が生きていた、という事を知らされる。


 なんだ、死んでてくれたらアスカは僕に縋ってくれたのに――なんて、人間失格の烙印を押されそうな思考を直ぐ様切り替え、アスカが苦しんでないのならそれが一番じゃないか、と何度も頭で繰り返して必死で言葉と表情を取り繕う。


 ――悲しそうな顔をするアスカに僕が凄く嫌な事を考えてるのを気づかれるのが怖くて、内心ヒヤヒヤしながら。


 ああ、僕は――僕はこんな汚く残酷な思考を持つような人間だっただろうか? ずっとアスカが苦しんでいたのに。


 今だって、アスカは辛そうな表情で僕を見つめている。

 嫌だよ。そんな目で見つめないでよ。そんな声で僕にとどめを刺すような事を言わないでよ。


 アスカが困ってる。僕がアスカを困らせてる――そう考えると何度も言い聞かせていた言葉も支えにしていた物も崩れ去ってしまって、醜い慕情だけどんどん吹き上がる。


 アスカは今僕の眼の前にいるのに。僕の手から届かない距離に行ってしまうような、徐々に遠ざかってしまうような、すごく寂しい感覚を覚えてボロボロと情けない言葉がこぼれる。


 『他の男を想っていてもいいから、好きでいさせて』なんて。

 アスカがそんな言葉、絶対喜ばないのも分かっているのに。


 いかないで。すぐ傍にいたいなんて言わないから、僕だけを見て、なんて言わないから。僕の手の届く範囲にいてよ。


 君の声が聞こえる範囲に、君の姿が見える範囲にいさせてよ。


 泣き叫びたくなる位の暗い感情が(彼女に見苦しい姿を見せたくない)っていうプライドを越えようとしているのを感じて、この場から立ち去ろうとするとアスカに引き止められる。


(僕は、こんな時ですら、アスカに迷惑をかけてしまってる)


 それでも頭を冷やしたくてお願いしたら渋々了承してくれたから、透明化を使ってラインヴァイスに乗って部屋から逃げる。



 そう、逃げる――今の僕はアスカに向き合える気がしないから。どんな言葉をかけられるのか怖いから。だからみっともなく逃げてしまう。

 探索してくる、だなんて言って、結局その建物の屋上でボンヤリと景色を眺める僕は、本当に嘘つきだと思う。


 好意があるのに好意がないだなんて言って。

 アスカに愛してもらえなくてもいいって思っておきながら、心の何処かで愛されたいっていう気持ちがあって。


 中途半端で、嘘つきで――自己嫌悪で一杯になる。


『……元気出せ。お前、ちょっと成長した。感情のままにぶつかる、危険。皆不幸になる。頭冷やす、大事』


 戻れると分かったお陰かラインヴァイスはちょっと元気を取り戻したみたいだ。

 僕のすぐ横で寄り添うようにして伏せている。


『……我、クラレンスの為にセラヴィの記憶を消した。けど頭冷やしてたら、記憶消す前にセラヴィの話聞いてたら、きっと未来、違った』


 そうだね。ダグラスと違って僕は父様が母様の記憶を消さなければ生まれてなかった。

 僕は、いらない子どころか、生まれてきちゃいけない子だった。


『……我、いらない言われるの、寂しい。必要とされなくなるの、悲しい。だからお前に拒否されてる時ずっと寂しかった。だから受け入れられた時、嬉しかった。だからはしゃいだ。今のお前の気持ち、痛い位分かる』


 本当にわかっているとは思えない鳥にポフポフと翼で背を叩かれる。

 プンスカと怒っていた鳥にまで同情されて――惨めだなぁと思いながら言い返す気持ちにもなれず、どれだけ時間が立っただろう?

 ぼんやり地上を眺めているとカチャン、と下の方で微かに音がした。


 何の音だろう? と音の出処を探る為に塀から身を乗り出すと、2つの車輪が前後についた細長い乗り物がたくさん止まっている場所に男が立っているのが目に入った。


「……あれ?」


 あの男――見覚えがある。この世界には今日初めてきたのに見覚えがあるなんておかしいけれど、1つだけ心当たりがある。

 アスカの記憶の中で僕と声が同じ、って事を確認しようとした元彼の姿だ。


 視力調整の魔法で一時的に視力を上げる。

 間違いない――アスカをフッた男だ。マンションに入っていく。



 すごく、嫌な予感がした。


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