第69話 白の暗躍・5(※クラウス視点)
不安に思ってアスカの部屋の前で先回りすると、やっぱりそいつがやってきた。
アスカの部屋は建物の突き当たりで、僕が立っている場所から先に道はない。
「あ、あの……どちら様ですか……?」
怪訝な目を向けられて恐る恐る、といった感じで声をかけられる。
その声はやっぱり僕と同じ声だと言われると違和感があった。
「アスカの……まあ、友達みたいなものかな。ねぇ君、アスカの元彼だよね? ……何しに来たの?」
質問に答えた上で問い返すと何で、と言った感じで驚いたように口を開かれる。
僕より少しだけ背が高く、素朴で誠実そうな印象を受ける黒髪の青年は苦しそうな表情で重々しい声を紡ぎ出した。
「……確かに、俺は3ヶ月前に飛鳥と別れました……けど、俺、飛鳥がいなくなってからずっと気がかりで……! 俺、やっぱり飛鳥の事が」
元彼が言い終える前に、
周りに人がいない事を確認して元彼に触れた状態で転移を使い、さっきの場所へと戻る。
空が赤く染まって陽が沈むのはこの世界も同じみたいだ。
ただ
『ねぇ、ラインヴァイス……アスカはル・ティベルに帰るんだ。邪魔者の邪魔な記憶は消しておいた方が良いと思わない?』
『……記憶消す、アスカ可哀想』
横向けに寝転がる元彼を見下ろすラインヴァイスに問いかけると、乗り気じゃない声が帰ってくる。
『大丈夫だよ。こいつの記憶を消した事をアスカに知られなければいいんだ』
アスカの言い方だと、アスカからはこいつに連絡しないはずだ。アスカの頑固な所はよく知ってる。
『アスカは情に物凄く弱い。だからこいつに説得されて「やっぱり地球に残る!」ってなるかもしれない。それにこいつがアスカを想い続けて後悔し続ける限り、こいつと次に付き合う子はアスカの影に怯えて不安になる……その子も可哀想だと思わない?』
『……分かった』
ラインヴァイスの了解を得て膝をついて目を閉じ、男の額に手を添えると頭の中にぼんやりと映像が流れ込んでくる。
ラインヴァイスが選別しているのだろう、その映像が早送りで進んで――突然、止まった。
5歳位、だろうか? いっぱい子ども達がいる中で、アスカによく似た女の子が走っている。
(えっ、もしかしてこいつ、こんな小さな頃から……?)
驚きを感じつつ、アスカによく似た少女に意識を集中する。
赤いリボンを頭に巻きつけて一生懸命走るアスカが盛大に転んで――周りから「アスカちゃん!」って声が上がった。間違いない、アスカだ。
立ち上がったアスカは(負けるもんか!)って顔してて、もう一度走り出して人に筒のような物を渡した。
そして心配する周囲に『だいじょうぶ!』って言った後、大丈夫どころの出血じゃなくて手当される為に大人に連れていかれた。
ああ、アスカって子どもの時からアスカなんだ。
そんな当たり前な感想を抱いた所でまた映像が早送りになる。
どうやらこの男とは幼馴染、と言うほど馴染んだ関係じゃなかったみたいだ。
残念なような、ホッとしたような不思議な気持ちになる。
この男がアスカと接点を持ち始めたのはアスカのお父さんが死んでから。
事故で親を亡くしたアスカが心配になったみたいで記憶の中にアスカが出てくる事がちょっと増えてきた。
この男がアスカと仲良くなったのはアスカのお母さんが亡くなってから。
そうだね、この頃のアスカは凄く危うい。心配になるよね。
――それで、3年前にこいつの方から告白して――
ああ、ああ、愛しい――この男に色んな表情を見せるアスカが愛しい。
好きな人に対してこんな表情を見せるんだ思うと、僕にこれまで見せてくれたアスカもより一層美しく尊いものに感じる。
同時にこいつに向けた表情と僕に向けてきた表情の差を思い知らされて、辛く、寂しい。
苦しい。
僕は、アスカに親しい存在だと思われてないんだって知らしめられるようで、苦しい。
『お父さんが
『そうかな、俺は凄く良い名前だと思うよ? 空を羽ばたく鳥って凄く自由でカッコいい……って女の子に言う台詞じゃないかもしれないけど』
そう言われた時のアスカの、嬉しそうな顔――の所で途絶える。
『……ラインヴァイス、どうして? どうして消したの……!?』
『今、お前、精神崩壊しそうだった。だから消した。もう映像お前に見せない。危険過ぎる。後、お前の力借りて我が処理する』
何を、勝手に――その言葉に思い余って手を振り上げるとその手はラインヴァイスのフカフカの羽毛にすっぽり包まれる。
『何で……! こんな可愛いアスカを他にもいっぱい見られるはずなのに、見ずに消してしまうなんてもったいない……!!』
『クラウス、こいつの中のアスカ、お前愛してる訳じゃない。こいつの記憶、受け入れたら駄目。お前とアスカの未来、正しいものじゃなくなる』
『僕とアスカの未来なんて、正しいも間違いも無いよ……! 僕が手に入れられない表情をこいつは持ってるんだ。どうせ消すなら僕がもらってもいいじゃないか!!』
ラインヴァイスの言葉に反発するように叫ぶと沈黙が漂う。なんでこんな素敵な記憶をただ消すだなんてもったいない。
『……そうだ! ラインヴァイス、僕にこいつが持ってるアスカの記憶を植え付けてよ!? 小さな頃のアスカとかさっき告白された時のアスカとか凄く可愛かった……いつでも鮮明に思い出したいから!!』
『クラウス』
『そうだよ、こいつの中にいるアスカは全部僕が、僕だけが持ってれば良い。こいつが持ってても辛い記憶にしかならないだろう? 僕なら大切に扱える。こんなに一杯のアスカ包まれたなら、きっと僕はアスカからいらないって言われても耐えられる……!!』
『クラウス!!』
ラインヴァイスの怒声に言葉が詰まる。ラインヴァイスを睨むとラインヴァイスは目を細めて、小さく首を横に振った。
『……記憶の植え付け、できる。でも、できない。お前、この笑顔自分に向けられた物じゃないと知ってる。他人の記憶に縋っても虚しいだけ。辛くなるだけ。アスカ諦めたいなら我、お前の記憶消すの手伝う……!』
『そういう事じゃないんだよ……!! アスカを忘れるなんて、そんなの絶対に嫌だ……!!』
『でもお前今、同じ事こいつにしてる!』
違う――同じじゃない。絶対に同じじゃない!!
『こいつはもう二度とアスカに会う事無い!! アスカの記憶は幸せの邪魔になる! だから消すんだ、同じ事じゃない!!』
本物のアスカが良い、良いけど――アスカを傷つけたくないからこいつの中のアスカで我慢しようっていうのに。
何で、何で僕のやる事なす事いつも誰かに否定されてしまうんだろう?
『……アスカはダグラスを選んだ。もう無理矢理こっちに振り向かせたいとは思ってないよ……アスカを困らせたくないから。だから、これ位良いじゃないか……!! 僕はまた暴走してしまいたくないんだ……アスカを傷つけたくないし、捨てられても平気でいられるようにしておきたいのに、どうして……!!』
『……クラウス、お前壊れるの我、嫌。悲しい。アスカも、悲しい』
『……悲しい? 何で……何でお前がアスカの気持ちを語れるんだよ……!? お前だってあの時のアスカの顔見ただろう!? 困って、どう言おうか悩んで、すごく辛そうな顔で……怒ってて……!!』
『……アスカ、怒ってた。でもアスカハッキリ怒らなかったのは、お前傷つけたくないから。壊れてほしくないから。アスカの心の奥、我には見えない。けどアスカお前心配してるの間違いない。我とアスカだけじゃない。クラレンスもセラヴィも、皆、皆お前が壊れる事望んでない!!』
目に涙を滲ませて訴えてくるラインヴァイスに何も言えないでいるうちにフワリと体が浮かんで背中に乗せられる。すぐに動こうとすると動きを止められてしまう。
『……こいつの記憶消すの、やっぱり駄目!! この力、私利私欲で使ったからクラレンス不幸になった! だから駄目!』
『何で!? こいつの記憶を消さないと、アスカが……!!』
『それはアスカの試練! アスカが決める事!! 我ら勝手にあれこれしてアスカ知ったら、アスカまた悲しむ! 我、アスカ悲しむの、もう嫌!! それに、万が一、こいつの記憶を消した事知られたら、お前、アスカに完全に嫌われる! そんなリスク有る事、させられない!!』
『バレなきゃ良いって言ってるじゃないか!』
『でもお前、それでアスカの記憶の封印解いてアスカ傷つけた!! お前いっつも選択間違える!! 自分でも言ってた!!』
ラインヴァイスの言葉がグサリと刺さる。大丈夫だと思ってたら、その選択は全部裏目に出てきた。だから今こうして苦しんでる。
その上もしこの事までアスカにバレたら――想像しただけで血の気が引いていく。
『復縁要請されたらどうしようって思ってた。記憶を消してくれてありがとう』
――なんて、アスカはそんな事絶対言わない。
僕に気を使って心を押し殺して悲しそうな顔で言うか、それどころか僕を見限って冷めた視線を向けられてしまうかもしれない。
『アスカ、ル・ティベル帰るって言った! 我、アスカの言葉、信じる! クラウスも、信じる!』
明るいラインヴァイスの言葉が眩しくて、辛い。信じていない自分を突きつけられて、痛い。
『クラウス、とにかく落ち着く! ガス抜きする! 青の娘言ってた! ガス抜き大事!! そんなお前見たらまたアスカ落ち込む、悩む! 我、クラウスもアスカも幸せがいい!』
ラインヴァイスの気迫に押されて言い返す気力もなくなって、ただただ背中の肌触りのいいフカフカの羽毛に顔を埋める。
――何で、こんなに冷たくて愚かな僕に、ラインヴァイスはここまで明るく言ってくれるんだろう?
父様が死んでから醜い鳥になってしまったこいつを、僕はずっとぞんざいに扱ってきたのに。
僕はその事を、ラインヴァイスに迷惑をかけ続けた事をちゃんと謝ってすらいないのに。どうして。
『こんな……こんな僕の事なんて、見捨ててしまえばいいのに』
『無理!』
即答されて一瞬呆気にとられつつ、その言葉の意味をすぐに理解して乾いた笑いが出る。
『ああ……そうだね。お前は僕が死なないと離れられないんだ……見捨てようがないよね。父様や僕みたいなのが宿主で、お前は本当に不幸だね……』
『違う! クラレンス壊れたの、クラレンス止められなかった我のせい! お前が生まれたのも、お前が不幸なのも、全部我のせい! お前見捨てる、絶対しない!!』
ラインヴァイスはラインヴァイスなりに責任を感じているのか。父様の行いを止められなかった事なんて気にしなくていいのに。
『それに我、クラレンスにお前託された! お前に誤ち犯してほしくない! 幸せであって欲しい! 生まれてきて良かった思って欲しい! でも人の人生短い、落ち込んでたらあっという間に終わる! そんなの、もったいない!』
誰からも必要とされない僕に、こうしてずっと構ってくれるラインヴァイスの言葉が優しくて、翼が暖かくて、涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「……ごめんなさい……」
自然と溢れでた言葉に、ラインヴァイスの両翼が上がる。
『わ、我もう怒ってない! 気にしない! 我、人よりずっと長生き! だからクラウスの失敗、なんでもない! 大丈夫、我、不幸じゃない! 馬鹿な子ほど可愛い! 鬼畜、嫌いじゃない!! 恥ずかしい、気にしない!! 我、クラウス、好き!』
ラインヴァイスから浴びせかけられる不器用な励ましの言葉にただただ涙を流す中、脳裏にポワッと幼い頃のアスカが浮かぶ。
自分の言葉だけじゃ励ましきれないと判断してアスカを出してきたんだろうか?
盛大に転んで痛いだろうに、やっぱりアスカは負けるもんかと立ち上がって、走る。その痛みを堪えて大丈夫だって笑う。
痛くても笑えるのは、皆に心配かけたくないから。僕だってアスカに心配かけたくなくて笑った。
そうだ――痛いのは、僕だけじゃない。
幼いアスカが消えると、次に僕の中にあるアスカの優しい笑顔が浮かぶ。
そうだ、アスカは――ちゃんと僕にも笑顔をくれた。
辛いだけじゃない。悲しいだけじゃない。可愛くて、力強い笑顔をくれた。
僕にクッキーも作ってくれた。僕を心配してくれた。僕を、許してくれた。大切な記憶。
いくら別の女性に心移りしたからってこの男の中にも、そんなアスカとの大切な記憶があるだろうに。
僕が可愛いと思ったアスカはこいつも可愛いと思ったからハッキリ記憶に残っているんだろうに。
僕だって、自分の中にある父様や母様の記憶やエレンが優しかった時の記憶を消されそうになったら嫌な気持ちになるのに。
(それなのに、僕は……)
『クラウス、どんな時でも前向く! 過去がどんなに汚くても、未来はいつだって真っ白!』
過去を思い返して再び闇に引きずられそうになった僕をラインヴァイスが引き止める。
未来――そうだね、未来はいつだって真っ白で――どんな色にも塗れる。だから、前を向けば、きっと。
でも、今は。アスカが見てない今は、自分の事しか考えられなかった自分の愚かさにただ、泣きたい。
赤い空が暗くなるまで、小さな星の影が淡黄色に輝くまで――ラインヴァイスの背で、情けない位涙をこぼした。
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