第5話 ○○の首飾り・1


 アイドクレース邸から帰る際、お父様がアズーブラウに乗って何処かに行ってしまってから数日後――私はまだアーサー様に手紙を出せずにいました。


(アレクシスの意見を参考に、書きたい部分を極力削り落としてみたのですけれど……)


 <アーサー様、既にご存知かと思いますが私先日ツヴェルフになりました。そしてお父様に二人の男と子づくり婚する事を条件にアーサー様との結婚のお許しももらえましたの。最初の殿方はヒューイ卿になる予定です>


(後は締めの言葉なのですけれど……短い言葉でないと3行にまとまりませんわ……)


 数日かけて極力切り詰めたせいか何だかおかしな文章に感じますし、もしこれで何の返事も来なかったら私、本当に凹みますわ。


「ルクレツィア様」


 ラインハルトの声とともにノック音が響きます。入るように促しましたが、そこで止まったまま動きません。


「ラインハルト……夕食も食べ終えたこの時間に一体何の用ですの?」

「すみません、ヴィクトール様が執務室に来るようにと」

「……分かりました。ですが、その前に一つ。アーサー様への手紙、アレクシスの意見を参考に3行に収めようと思うのですけれど、どう締め括れば良いと思います?」


 手紙を持って立ち上がり、彼に突きつけるとラインハルトは目を細めて手紙を見据えます。

 眉間のシワが寄っている様子を見るとやはり珍妙な文章になってしまっているのかも知れません。

 何だか恥ずかしくなってきましたわ。


「……主の息子アレクシスの発想だから馬鹿にしてはいけないと思っているなら微塵も気にしなくてよろしくてよ? やはりアレクシスに殿方の意見を聞いたのがまちが……」

「いえ、普段何枚もの便箋をしたためるルクレツィア様から突然こんな短い手紙が届いたら頭を打ったのか病気にかかったのか……間違いなく気になるでしょう。普段のルクレツィア様の行いを逆手に取った、実に良い発想かと」

「そ、そう? でも締めの言葉が思いつかなくて……返事を催促するような言葉で締めてもし返事が来なかったらと思うと……」


 いつも私のする事を冷めた目で見ているラインハルトから珍しく肯定的な意見が出て戸惑ってしまいます。


「それならば『もしご都合悪ければ連絡ください』はいかがでしょう? ヒューイ卿はアーサー卿の友人ですから、もしかしたら『ヒューイ卿はやめてほしい』という連絡が来るかも知れません。連絡がなければ何も問題ない、という事で婚活に集中できます」

「まあ……都合が悪い場合のみに連絡を求める……何という素晴らしい言い回しですの……!? 確かにアーサー様のお気持ちを伺うのは大事ですし、それなら返事が来なくても凹みませんわ……!! 流石お父様とエリザベート様を補佐するホライズン伯の息子なだけありますわね! 褒めて遣わしますわ!」


 ささっと書き足そうとすると、微妙に文字が入りきりそうにありません。ああもう、『ご都合悪ければ連絡を』で伝わりますわよね?


 可愛げがありませんけれど、エリザベート様もよく使う文体ですし。そこまで失礼ではないはずですわ。

 ええ、これで何とか3行に収まりました――ところで新たな悩みのタネが出来てしまいました。


「でも……もし本当にアーサー様にやめてほしい、と言われたらどうしましょう? 既にツヴェルフが子を宿しているアシュレーや、愛妻がツヴェルフになったレオナルド卿は厳しいでしょうし……お父様を説得するのは大変そうですわ」

宿と縁を結びたい、という事であれば宿でも問題ないのでは? セレンディバイト公とダンビュライト侯、灰色の魔女にとなら僅かに希望があるかも知れません」


 ああ、ラインハルトは知らないのです――どちらもねちっこい人達だという事を。


(でも、アスカさんは一夫一妻にこだわってらっしゃいましたし……ダグラス卿は子どもを重視していますし、もしアスカさんが地球にいる間に心変わりされて失恋された際の可能性は0では無いかも知れませんわね……)


 クラウス卿も失恋中に酒でも飲ませて酔わせた後、変化の術でアスカさんに化ければ――ああ、そこはお父様の協力が必要ですわね。


「決めましたわ、もしアーサー様から『ヒューイ卿はやめてほしい』ってお返事が来たらお父様にヒューイ卿はやめてダグラス卿かクラウス卿を落としましょうと勧めてみましょう」


 ツヴェルフにしてもらった借りはアスカさんの出産ノルマを肩代わりする事でちゃんと返していますし。

 選ばれなかった方と契るのですから、道徳的にも何も問題ありませんわ――と思った時、再びノック音が響きます。


「ああ、アレクシスですわ。手紙を見てもらおうと思って呼んだのです……入りなさい」


 やはり、恐る恐る遠慮がちに開かれる扉。ただ、そこから見えたのは長身からサラリと落ちる艶やかな橙色の髪――



 それを知覚した瞬間、私の体はドアを掴んでいました。



 驚いたように私を見下ろす、夕陽のように鮮やかな橙色の瞳――


「あ、あ、アーサー様……!? どうなさいましたの、一体!!」

「あ、ル……ルクレツィア、落ち着」


 大きく動揺するアーサー様なんて初めて見ますわ、マントに身を包む姿なんて珍しい――でも今はそれどころじゃありませんわ!!


 私の名前を死ぬまで一生呼ばないって言っていたアーサー様が――


「えっ、あっ、い、今、ルクレツィアと……!? ま、まさか、死ぬまで呼ばないって言ってたのに、名前で呼んでくださるなんて……!? えっ、あっ、えっと、ラインハルト!! そんな所でぼうっと立っていないで、今すぐオレンジティーの準備を!! ささっ、アーサー様、こちらにお座りになって!!」


 戸惑うラインハルトを急かすように一括した後、ソファの方に誘導しようとした私の肩をアーサー様が優しく掴んで――


 ああ、うっとりとした心地で振り返るとアーサー様の後ろ、ドアの所にお父様が立っていました。


「えっ、も、もしかしてお父様とアーサー様仲良くなられたの!? これで私の憂いはアレクシスの軟弱さ以外なくなったのですね……!? 既に夕食を終えてますが、今からでも宴を開かなくては……!!」

「落ち着きなさいルクレツィア。これはアレクシスです」


 微笑みながら部屋に入ってきたお父様の言葉に耳を疑います。

 ああ、脳の老化からくるという認知障害が、ついにお父様にも――


 ですが、お父様がアーサー様を見やり、困った様子のアーサー様がご自身の後ろに手を回した瞬間、見上げた顔がうっすらと半透明になって、そして消えていきました。


 そして真正面には――体をブルブルと震わせ私から必死に目線をそらす、アレクシスの姿。


「いかがです? これは淫魔の特性を利」

「あ、あ、アーサー様がアレクシスに……夢に出てきそうですわ。悪夢ですわ……!! というかこれは夢なのでしょう……!? いつから夢なのでしょう……!? ……神様、酷いですわ、私が何をしたというのです……!! 酷い、酷い……酷いですわ!! アレクシス、いくら姉弟の仲と言えど、夢の中と言えど許されない事があるのです……! アーサー様を利用して私を騙す非道な行いは万死に値しますわ!!」


 魔法が使えないので手にかけていた椅子を両手で持ち上げた瞬間、アレクシスは情けない声をあげてお父様――ではなくラインハルトにしがみつきました。


「ひぃぃぃぃぃ! 夢じゃない、夢じゃないです!! 父様、助けてください父様!!」

「……アズーブラウ」


 小さくため息を付いたお父様によって呼び出されたアズーブラウに、持ち上げた椅子ごとパクりと飲み込まれてしまいます。


 ああ、この生々しい感触――現実ですわ。


 アズーブラウの中でぐるりと一回転してポンっと顔だけ吐き出されます。ぐにょんぐにょんとうねり、一緒に飲み込んだ椅子に座る体勢にしてくれたアズーブラウは本当優しいですわ。でも――


「ふぅ……ルクレツィア、これは淫魔のフェロモンを込めた首飾りです。所持者が周囲にいる人間の想い人、あるいは理想の性対象に見えるような細工がしてあります」


 私が押し黙った事でお父様が再び語りだします。


 淫魔――それは人の想い人や理想の異性に姿を変え、精気や性欲を奪い枯らす実に卑猥で破廉恥な魔物。

 と言いながら、私自身はまだ淫魔と相対した事はまだ一度もないのですけれど。


 と言うのもこれまで学院の休息日や長期休みの度にお父様に色んな魔物の討伐に同行していましたけれど、淫魔討伐の時はお父様、私に全く声をかけてこないのです。


『未成年に淫魔討伐させるとあれこれうるさい人がいるので……貴方を連れて行っても足手纏いにしかならないでしょうし』


 『私の愛は淫魔の幻などに惑わされない、何で連れて行ってくれませんの?』と聞いた時、そうお父様に苦笑いで返されてしまった理由が今ハッキリ分かりましたわ。

 そして今お父様がそれを持ち出してきた理由も。そう、頭では全部分かっているのです。


 でも――でも、今はそんな事より、からかわれた事に対する怒りの感情が抑えきれませんわ。


「お父様……そんな物なら先に口頭で説明してくださいまし!! 何故私をからかうような真似をしたのです!?」

「からかった? 一体何の事ですか?」

「だから、その首飾り……! 最初から付けてこなくても説明した後に付けてくだされば良かったではありませんか……! わざわざアレクシスまで利用して……私の痴態を見て何が面白いのですか!!」


 こっちはとても怒ってますのに、微笑みを浮かべながらきょとんとしているお父様の姿が実に憎たらしいですわ。


「説明する前に見せた方が早いかと思ったのです。ですが私は橙のマントなどまといたくなかったのでアレクシスを利用しました。それに貴方の痴態はいつもの事ですし、それを面白く感じた事は一度もありませんよ。どちらかと言えばやはり貴方やアレクシスに淫魔討伐は任せられそうにない、という事を痛感して嘆かわしいという気持ちが強いです。私の話を聞き入れず怒りに沸騰している姿も実に嘆かわし」

「酷いですわ! 非道に逆らえないアレクシスも酷いですけれど弱小であるがゆえ致し方ありません! ですが、娘の恋路をからかうお父様は本当に酷いですわ、大ッ嫌いですわ……!!」

「……アレクシス、首飾りを」


 お父様がアレクシスの方に差し出した手に首飾りが乗ると、今度はお父様自身が身につけられてアーサー様の姿になられてしまいました。


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