第6話 ○○の首飾り・2


「うくっ……!」


 眼の前のアーサー様に向かって声を荒げる事が出来ず、言葉が詰まってしまいます。


 青のスーツを着たアーサー様――ヤバいですわ。頭の中で結婚式の鐘の音が高らかに鳴り響いてますわ。

 そういう想像をしてしまう、目の前のアーサー様の中身がお父様、という事実も心に辛辣に突き刺さります。


 何故神は残酷な試練を私に与え給うのでしょう? 青を纏うアーサー様を見るのは結婚式であってほしかったのに。


「ラリマー嬢……私は親に向かって大嫌いと言うような娘は好きになれない。恋に浮かされて暴走し、人の話を聞かない娘も苦手だ」


 ああ、お父様特有の笑みすら消してそんな冷めた目線で淡々とした話し方をされたら、ますますアーサー様と区別が――


「分かりましたわ……お父様、分かりましたから、その首飾り外してくださいまし……! 大嫌いの言葉は取り消しますし謝りますので、どうかその姿で私を責めるのはやめてくださいまし……!!」


 私の完全な降伏に満足したらしいお父様は首飾りを外して元の姿に戻ります。

 そしてアズーブラウに私を椅子ごと吐き出させた後、フワリとその場に着地させました。


「それではこの首飾りについて詳しく説明しますね」


 そう微笑うお父様はいつもの通り穏やかで――本当に、異じょ……いいえ、勝てる気がしませんわ。


「先程も言いましたがこれは成体の淫魔が持つ2つの分泌物質フェロモンのうちの1つ、相手の脳を著しく刺激し嗅覚、聴覚、視覚、触覚を惑わす、人魔共に最も強力な幻覚作用を持つ物をそのまま使用しています」


 魔術の類いではなく、分泌物質――確かに、変化の術では変えられないはずの目や魔力の色すら橙に見えましたわ。

 分泌物質から幻覚作用を抽出するのではなく、分泌物質そのものを使うという、かなりの荒業――


「まさか、ここ数日不在にしていたのは……」

「淫魔を狩る為です。彼らは警戒心が強く繁殖時期でもありませんので探すのに手間取りましたが、運良く一体捕まえる事ができました」

「……この首飾りを身に着けてヒューイ卿の所に行けば、彼が好みを明かさずとも自動的に好みに当てはまる、という事ですのね?」

「そうです。彼の愛情の度合いにもよりますが、好みを隠そうとする位ですからね。効果はかなり期待できるでしょう」


 好みを教えてくれない人間の懐に入り込む手段として淫魔を利用しようと思い立つなんて――流石お父様、道徳の欠片もないえげつない発想ですわ。


「……でもこんな物を身に付けて大丈夫ですの? 淫魔の体液には強い催淫作用がある、と魔物学の授業で習いましたわ。私、あちらこちらの男を惹きつけて襲われてしまったりしませんの?」


 ツヴェルフになった今の私は魔力が全く無く、魔法は一切使えません。

 魔法は使えなくても護身術や武術は学んでいますから、その辺の野蛮な族どもには負けませんけれど――武芸の腕が立ち、魔法も使いこなすような方々に襲われるのは心配ですわ。


「大丈夫ですよ。人を惹きつけたり性的に興奮させる作用は淫魔のもう一つのフェロモンによるものです。この首飾りに使用しているフェロモンには幻覚作用しかありません。想い人や理想の異性に見える、というだけで襲う人間はそういないはずです。ただ、声をかけられる率は格段にあがるので混乱を避ける為に使う場所には気をつける必要があります」


 私の疑問にお父様は穏やかな声で答えます。確かに町中で使うと騒ぎになってしまいそうですわ。

 知らない人に声をかけられても応じられませんし、使う場所は限られますわね。


「では次に……これは長時間身に付けてて健康に影響があったりとかしませんの?」

「こちらのフェロモンには中毒性も毒性もありません。まあこれは実際に付けてみた方が分かりやすいでしょう」


 ニコニコと語るお父様から差し出される首飾りを受け取る。


 ダークピンクの糸で細い三つ編み状に編み込まれた紐には親指大ほどのティアドロップ型の少しピンクがかった石がはめ込まれたチャームがついています。

 そのチャームの上部には握ったら親指で押しやすそうな位置に小さなボタンがついていました。そしてよく見ると石にはほんの小さな気泡が浮かんでいます。


(……石の中は、液体?)


 試しに少し石を傾けると液こそこぼれないものの気泡が動きます。なるほど、アロマペンダントに使われるチャームに香水代わりにフェロモンを入れているのですね。


「この首飾りの紐は捕まえた淫魔の髪の毛で編んでいます。淫魔それぞれフェロモンの型が微妙に違うので、この髪の毛で編んだ首飾りを身に付けた者だけ姿形が変わって見えるようになっているのです。なのでこの首飾りはけして失くさないで下さいね。この首飾りが原因でトラブルが起きるような事があればラリマー家の恥になりますからね」


「……お父様、淫魔にお詳しかったのですね。意外ですわ」


 お父様が本を読む姿はよく見るのですけれど、社交や芸術に関する本だったり小説だったりが多いので――失礼ですけれどお父様が魔物学に強い印象はありませんでした。


「ああ、私は特別詳しいという訳ではありませんよ。先日アイドクレース邸の書庫でいくつか借りた本の中に『淫魔の生態と特性』という物がありましてね。そこに書かれている記述を元に半信半疑で作ってみたのです。ちなみにその本によると淫魔の始祖は全ての淫魔に対して有効な抗体を持っているそうですよ。そこから中和剤や予防薬のような物を作り出せれば、私のような人間でなくても淫魔を討伐できるようになるんですが――」


 ペラペラ語りだしたお父様を横目に首飾りを身に着けてチャームのボタンを押します。小さく「カチッ」と響いた箇所が先程より微かに浮いたのが分かりました。


 通常のアロマペンダントとは違って匂いもしてこないし、体感的には付ける前と全く変わりませんけれど――


「……お父様には今私は何に見えてますの?」

「自分自身です。自分がドレスを纏って女性の言葉を使っているのを見るのは虫唾が走りますね」


 そう言ってお父様は背を向けられてしまいました。確かに殿方が自分の女装姿を見るのはダメージが大きそうですわね。


「……ラインハルトとアレクシスは?」

「まさか、この状況で素直に言うとお思いですか? 絶対に言いません」


 ラインハルトは淡々とそう言って顔を背け、アレクシスも顔を背けないまでも目を真っ白にせんばかりに背けています。


(痴態を晒したのは私だけなんて、本当面白くないですわ……)


 怒りがまだ収まらないのを感じつつ、お父様の不快感をこれ以上刺激しないように首飾りを外すとお父様は青色のネックレスケースを差し出してきました。


 開くとネックレスを置くスペースの中央に首飾りについている物と全く同じチャームが嵌まっています。


「既に察しているかと思いますが、蓋を開けている間フェロモンは常に拡散します。なので徐々に液は少なくなっていきます。その首飾りに込めた淫魔のフェロモンは持って後5時間……替えのチャームも含めて10時間です。その間にヒューイ卿を落として下さいね。なお催淫作用のあるフェロモンを使った媚薬も作らせていますが、こちらはローパーが出す催淫液と比べて中毒性と毒性も高いので除去するのに大分時間がかかるそうです。なので今回は使えないかも知れません。それでは、お休みなさいルクレツィア」

「お待ち下さい、お父様……出て行く前に私をからかった事を一言謝ってくださいまし……!」


 喋るだけ喋ったお父様が背を向けて出ていこうとする所を咄嗟に呼び止めると、困った感じの笑みを浮かべてお父様が振り返ります。


「先程も言いましたが……私はからかったつもりなどありません。確かに貴方が取り乱す事は推測はできました。ただ、淫魔の幻を身をもって経験しておいた方がいいとも思った。それに貴方は以前、自分の愛は淫魔の幻などに惑わされないと言っていた。甘い事を言っているとは思いましたが、貴方ほどの強い想いを持つ者なら本当に淫魔の幻を見極められるかとも思った。どちらにせよ得られるものがあると判断した私が貴方を試した結果、貴方が恥をかいた……それは貴方自身の問題ではありませんか?」


「……確かに、常日頃から声高らかにアーサー様への愛を語っている私が淫魔の幻覚を見抜けなかったのは恥じるべき事ですわ……ですが、その恥を複数人に見られてしまって平気でいられるほど私のメンタルは強くありませんの。試すのはともかく、わざわざ晒し物にする必要はありましたの……? 家族に騙されるなんて、あんまりですわ……!」


 お父様に全く分かってもらえない怒りが拳をふるふると震わせます。


「晒す? ここにいるのはラインハルト君とアレクシスと私しかいませんが……」

「お父様……一人に見られるのと三人に見られるのは大違いですわ。何とも思っていない男相手でも、恥ずかしい所を見られたら女性はそれなりに傷つきますのよ」

「……なるほど。貴方が彼にのぼせ上がるのはいつもの事でしたので貴方が傷付くという発想は全くありませんでしたが……確かに、今の貴方は確かに恥ずかしさと悲しみに満ちていますね」


 口に手を当てて困った顔をするお父様。こんな時、他人に自分の感情を言い当てられるのは仕方ないとは言え凄く不快ですわ。


「……淫魔の幻覚は相手への想いが強ければ強い程、精巧に作用します。貴方が幻覚を見抜けなかったのは貴方の愛が弱いからでも、偽りだからでもない。ですからけして恥じるような事ではありませんよ。ただ、ラリマー家の人間ならば例え相手が淫魔であれど喋り方や仕草で見抜ける冷静さは持っていてほしいですがね」


 怒りを堪える私を気遣ったのか、励ましモードに切り替わったのはよろしいのですけれど――


「お父様……人を励ますのに最後の嫌味は余計です……」

「嫌味? 今の貴方にはとても大事な助言だと思いますよ。いくら完璧に外見を取り繕っても喋り方と仕草次第で効果は一気に落ちますから」


 確かに――アレクシスとお父様ではアーサー様らしさが全く違いましたわ。お父様の言葉は本当に助言のつもりなのでしょう。

 

 ですが私のアーサー様への想いが淫魔の幻覚に負けたショック、それを皆に見られた事の恥ずかしさ、見破れなかった事への悔しさ、そして――それらの感情をお父様に分かってもらえない悲しさ。

 この状況で何を言われても未熟な私を追い詰める嫌味にしか聞こえません。


(ああ、もう感情がグチャグチャでもう言葉も出せませんわ……)


 何を言っても余計な醜態を晒してしまう気がして、ただ俯いてこの蠢く感情を抑えていると小さなため息が聞こえました。


「……すみません、ルクレツィア。私はけして貴方を傷つけたり笑い者にしようとして貴方を試した訳ではないのです。もうこういう試し方はしませんので、どうか許して頂けませんか?」

「……分かりましたわ。私も取り乱しすぎましたわ。お父様の助言は胸にとどめておきます」


 微妙な謝罪ながらもお父様は深く頭を下げて私の言葉を聞き終えた後、背を向けて部屋を出ていかれきました。


 普通の親なら私の感情をちゃんと理解し、心から受け止めてもらえたのでしょうか?


(……なんて、言い方はどうであれ謝ってくださったのですから、高望みはいけませんわ。私が未熟であるがゆえに痴態を晒した事は事実ですし……)


 お父様に続いて私達の会話を目を細めて見ていたラインハルトと何か言いたげな目をしていたアレクシスも部屋から出ていった後、部屋に静寂が戻ります。


(……もう、アーサー様への愛を高らかに語れませんわ……)


 例え多くの人が淫魔に惑わされようと私は違うと、私の愛なら淫魔の幻など打ち破れると、そう信じていたのに――そうじゃなかったなんて、恥ずかしいですわ。


 手で顔を抑えて首を横に振る内に机の上に置かれた便箋が視界に入り、そっと手に取ります。先程手紙を完成させた時の高揚感はすっかり消え失せてしまいました。


(……でも、今の私にはこの3行の簡素な手紙こそふさわしい……自分を見つめ直し、悔い改めてもう二度と淫魔の幻覚に惑わされないようにしなくてはアーサー様に失礼ですわ……!)


 拳を握りしめてアーサー様に固く誓った後、ベッドに横になって眠ります。


 ですがその夜はお父様が演じてみせた見事なまでに冷ややかなアーサー様の幻影が脳裏に何度もチラついて、殆ど眠れませんでした。


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