第47話 とある夫人の不安・5(※マリー視点)
「マリー……大丈夫?」
心配するアスカさんの言葉で我に返る。苦々しい感情を一旦飲み込んでさっきのアスカさんの言葉で気になった文言について確認する。
「あの……レオは本当に、自分が立派な公爵になれば問題ないって言ったんですか……?」
「ええ、言ってたけど……私も言った事あるし……」
「えっ!?」
何でそんな無茶な事を――と問いかける前にアスカさんが続ける。
「私、皇城出る時にダグラスさん来なくて好奇の目に晒されてる時に彼、励ましてくれた事があるのよ……その時貴方は立派な公爵になると思う、的な事を言った気がする……」
「そんな……! 器が小さいレオは……普通の公爵として認められるだけでも大変なのに……皆から立派な公爵だと認められるなんて無理です……!」
私の言葉にアスカさんは口元に手を当てて何かを考え込むように呟く。
「え……確かに塔でアシュレーに負けちゃったけど、レオナルド卿ってかなり強くない……?
「そんな、歴史上に確実に名を残すような英雄達とレオを比べないでください……! それに魔力回復促進薬は2本以上飲むと意識喪失に繋がりますし、体への負担も大きいんです! 命が削られる可能性だってある……私はそんな物を使ってまで立派な公爵になってほしくありません……!」
ビクりと怯えるアスカさんに自分の声がかなり鬼気迫っている事を自覚する。
駄目、落ち着いて、落ち着かないと――と一つ大きく息をつく。
「ご……ごめんなさい、そういう事情があるなんて知らなかったわ……」
そう。アスカさんは何も知らないんだから。
私だって――公爵家の事情やレオがどれだけ奇異の目に晒されてきたか、努力してきたかは公爵家に来てから知ったんだから。
でも、アスカさんにはちゃんと知ってほしい。
ちゃんと知った上でもうレオに無茶な事を言わないで欲しい――そんな想いが私にもう一つの事実を告げさせる。
「……確かに色神を宿せば公爵としての最低限の魔力は保持されます。だけど……レオの魔力の器だと
「え?」
「アスカさんが来た日の夜、近くに雷槌が落ちたのを覚えていますか? あれはお義父様が感情を抑えられずにゲルプゴルトが呼応したからなんです。お義父様の魔力の器はけして小さくないのですが、色神にとってはちょっと狭いらしくて……あの……家がちょっと狭いとそこに住んでる人もちょっとイライラしやすいというか……その上家が揺れると中の人も揺れやすいというか……」
分かりやすく家に例えた結果、暗にお義父様の器の小ささを責めているような罪悪感を覚えながら説明を終えるとアスカさんは感心したように息をついた。
「へぇ……公爵家が次代を紡ぐ子の器の大きさをより大きくしたいのってそういう事情もあったのね……って、それならどうしてロベルト卿はもっと大きい器の子を作らなかったの? レオナルド卿が継いだら雷めっちゃ落ちる事にならない……?」
「……お義父様は言葉少なな方なので、その真意までは……ただ、そういう事情があるので私はレオに無理してほしくないんです……その大怪我だってアスカさんが助けてくれなかったらきっと彼は……私は彼に早死されるより……普通の公爵、いえ、最弱の公爵と皆から馬鹿にされててもいい、彼と一緒に長く生きていきたいんです……!!」
そう強く言い切って静寂が漂う。しばらくしてアスカさんが少し気まずそうにつぶやいた。
「マリーの気持ちも分かるけど……大切な人から立派な公爵になんてなれるはずないんだから大人しくしてて、って思われるレオナルド卿も結構辛いと思うわよ……?」
「えっ……そんな風に聞こえました……!?」
辛辣な言葉に解釈された事にショックを受けると、あまり力のない眼差しでぼんやりと見つめられる。
「……今の私、何でもかんでも悪く捉える状態になってるから被害妄想かも知れないけど……マリーの優しさも、レオナルド卿に期待してない感じも結構伝わってくると言うか……そんなつもりで言ってる訳じゃないのも分かるんだけど……ごめんね、マリー……」
「い、いえ……アスカさん、私、もう戻りますね。ゆっくり休んでください」
そう言って立ち上がって、逃げるように部屋を出る。
それがアスカさんに対して失礼なのは分かってた。
でも、もしレオナルドも私の気持ちを同じように受け取っていたとしたら――そう考えるといても立ってもいられなくなってしまった。
――マリー。男は好きな人に期待されたいし、その期待に答えたい、頼られたいと思うものだよ。だから、もっと僕を頼ってほしい――
何でだろう? 元婚約者と好き合っていた頃の言葉が頭をよぎった。
『私だってそうです』と、微笑みながら反論した淡く懐かしい想い出。
その気持ちは好き合う相手がレオになっても変わらない。レオが私を守ろうとするように私だってレオを支えたいし、レオの力になりたい。
守られてるばかりじゃ自分が駄目になっちゃう気がするから。
レオに対して『立派な公爵になれると思う』なんて――何も知らない異世界人だから言える言葉――私にはそんな事言えなかった。
それがどんなに酷な言葉か知っているから。
レオの人となりや、好奇の目に晒されながらも着実に積み重ねてきた人望と、血の滲むような努力。
彼と結婚してずっと傍で見てきて、それがどんなに重く辛いものかを見てきた。
そんなレオを鼓舞するような言葉は負担をかけてしまうかもしれない、無理をさせてしまうかもしれないと思って言えなかった。
そして彼の目の前にある問題を解決する為に己を顧みずに全力を尽くす姿を見れば見るほど『無理をしないでほしい』という想いは強まっていった。何度か口に出して伝えた事もある。
でも、それが全てレオにとって足枷になっていたのだとしたら――
(私は……レオに何も出来ない、何もしてあげられない)
支えにはなっていると思――いいえ、今は支えにすらなれていない。
今の私は、この家の次代を紡ぐ事を邪魔する足手纏いになって――
「あ……」
通路の向こうからアスカさんの狼を連れたレオが歩いてくるのを見て思わず足が止まる。だけどレオの方は真っすぐこちらに歩いてくる。
「マリー……昨日はすまない。酷い言い方をしてしまった」
レオが深く頭を下げる。顔を上げたその目に光はない。まだレオの心は傷付いたままだ。
「……レオ、私、別邸に行くわ。だから、アスカさんと……次代の子を紡いで……これまで貴方の配慮を無駄にして、ごめんなさい……」
「マリー……」
優しさと葛藤を込めて呼ばれる名前に、キュッと胸が締め付けられる。
「私が我儘だったわ……貴方は最初から私の事を気遣ってくれていたのに……謝るのは私の方だわ。勝手に傷付いて不安になって貴方を傷付けてしまって、本当にごめんなさい」
「……アスカ様はもうすぐ魔力が溜まる。アスカ様が子を宿した後は別邸に行くように勧めてみる。恐らくアスカ様は了承してくれると思う。それまで……どうか耐えて欲しい」
「ええ……ねえ、レオ……」
私――私だって貴方に、貴方が立派な公爵になれるならなってほしいと思ってる。でもそんな言葉を言ったらプレッシャーになる。だって絶対無理だもの。
立派な公爵になる為に
そんなの嫌よ。立派な公爵になる為に無茶して早死されるより、普通の公爵として長生きしてほしい。一緒に生きてほしい。
名誉なんてどうでもいい。私は貴方と生きたいのよ、レオ。
アスカさんに吐き出せた言葉がレオには吐き出せない。この言葉はレオを傷つける。
きっと私への愛と同じ位――レオが大切にしている物を踏みにじってしまう。
「私の事は大丈夫だから……だから……」
「マリー……」
言葉をつまらせていると目の前にハンカチを差し出される。ああ、やだ。涙が止まらない。
「君が泣いている時に抱きしめる事すらできない私を許して欲しい……」
震える声と手に行き場のない彼の愛を感じながらハンカチを受け取って、目頭を押さえた。
既にお義父様がイースト地方に出発していたのもあってその日の午後、私の為に大きめの馬車が用意された。
イースト地方の別邸には何度か行った事があるけれど、馬車を使うと1日半かかる。
私の身の回りのお世話をしてくれるメイド1人と護衛の女性騎士2人を連れての急遽の馬車旅は少し気まずかったけれど皆優しくて、話しているうちに緊張がほぐれた。
そしてすっかり日が暮れた中、着いた街の宿の広めの部屋でベッドに腰掛ける。
(レオとアスカさん、いつ契るのかしら……)
ビリビリの魔力、アスカさんがレオに説明したらレオは何とか抵抗感を抑えようとするだろうし、私も受け入れた事に安心したレオナルドはあのまま飲めない魔力を注ぐ事にはならないはず。
分かってる。もう2人の関係の心配なんてしていない。ただ――ゾワゾワと名前の付かない不安だけが押し寄せる。
「マリー様、窓を開けましょうか?」
「あ、はい……お願いします」
暗い顔の私を気遣ってくれたメイドにそう言うと、メイドは直ぐ様窓を開けに行ったようで背後から生温い風が入ってくる。
そしてこちらに戻ってくるメイドは私の目の前で崩れ落ちるように倒れこんだ。
慌てて駆け寄るとメイドに怪我はなく単に眠ってるみたいで、ただそこに異質な魔力を感じて咄嗟に防御壁を張る。その瞬間、背後で大きな物音がした。
恐怖を覚えて反射的に振り返ると護衛騎士達も倒れ込んでいる。そして視線を上に上げると――
「こんばんは、リビアングラス令息夫人。貴方があの館から出てくるのをずっと待っていました」
パーティーで何度か見かけた事のある黒の公爵が私を見下ろして微笑っていた。
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