第48話 地球に帰れないなら


 マリーが出ていった後、行き違いでレオナルドが戻ってきた。

 ロイが入ってくるなり私のベッド脇にお座りして、寂しそうにこちらを見上げてくる。

 寝ている分には可愛いなぁと思う位の余裕があるんだけど――立ち上がると体が震えてしまう状況が辛い。


「……アスカ様、先程マリーから聞きました。すみません、感情が乱れている時に魔法の精度が下がる事は知っていましたが、魔力の体感まで変わるとは知らなくて……心を落ち着かせて、もう一度補充してきます」


 レオナルドはそう言って私に深く頭を下げた後、サイドテーブルに置かれたマナボトルを手にとって部屋を出ていこうとする。


「ねぇ……それって自分が飲んだら魔力回復しないの……? 魔力回復促進薬よりは体にいいんじゃない? それも卑猥な扱いだったら変な事言ってごめんだけど……」

「……その発想は無かったです。確かに私の魔力が枯渇している時にこれを飲めば魔力回復につながるかも知れません。ただ……自分で自分の魔力を補給する位なら魔力回復促進薬に頼りたいですね……」


 なるほど、自分の物でも一回出した物を再び取り入れるのは抵抗感がある――この世界の人達のとって魔力がどんな物なのか何となく分かってきた。


「そう……貴方に負担がかからない方法なら、貴方も長生きできてマリーも喜ぶかなと思ったんだけど……ごめんなさい……」

「……いえ、アスカ様のその斬新な発想や言動に助けられる事もありますので、言いたい事があれば何でもおっしゃってください。マナボトルは昼に持ってきます。ああ、今の時点で何か欲しい物や食べたい物があればその時に持ってきますが……」

「ありがとう。でも今は何もいらないわ……」


 レオナルドの背中を見送った後、私とロイ以外いなくなった広い部屋――ベッドのきらびやかな天蓋をぼんやり見つめる。


(魔力たまったら私、レオナルドと、するのよね……)


 体調が悪くて魔力飲めない、と断り続ける手もあるけれど――何かしらの魔力でこの不安や酷い倦怠感を抑えない事には身動き1つ取れない。


 意図的に食事を取らない事で脳を刺激せず、不安を生じさせないという手段は今の所効いている気もするけれど、この手段で不安から逃げるのはそう長く持たない気がする。

 今抱えている不安がまたいつ暴れだすか分からない。


 不安に飲まれたら、またみっともなく誰かにしがみついてしまう――これまで何度も恥晒してて今更感あるけど、他人の前でそう何度も恥を晒したくない。

 やっぱり他人の前ではできるだけ自分を取り繕いたい。心配もかけたくないし。


(魔力を取り込んで今の精神状態からマシになったとして、脱出できる方法も思いつかないし……黄の魔力で亜空間から物を取り出せるようになったとしても、脱走に有効そうな物は持ってないし……)


 エドワード卿から貰った銃は海に落ちた時に落としてしまったみたいで、気づいた時にはもう私の手元になかった。

 あれ使った後に捕まったらエドワード卿が罪に問われそうだから、そもそも使えないけど――


 はぁ、と今日になってから何度目かの重い溜息を零しながら、もう少し考えてみる。


 この館の騎士の数を見る限り、ロイに乗ってバルコニーから外に降りて初級魔法で門を――と思えるような薄い警備じゃない。

 この館、セレンディバイト邸やダンビュライト邸と雰囲気がまるで違う。豪邸というより要塞というイメージに近い。


(……皇家も私にコンタクト取ろうとしても取れない状態なのかもしれない。だとしたら、もう……助けが来る事も期待しない方がいい……)


 何だかんだでここに来てから一ヶ月近く耐えている。幸運に救われた所はあるけど、大分頑張った方だと思う。


 もう地球に帰る事を諦めて、大人しく刑を受け入れた方がいいんじゃないだろうか――地球に戻ったとしてもし謝る相手がもうそこにいなかったらと思うと、2ヶ月強も行方不明だったら流石にもう解雇されてるだろうと思うと、心がズシリと重くなる。


 もし戻れたとしても会社になんて言えば良い? 『異世界召喚されてました』だなんて信じてもらえないだろうし、誤魔化すにしても良い案が思いつかない。

 どちらにせよ、物凄く嫌味とか言われるんだろうな――それならここで丁重に扱われながら懺悔して過ごした方が――


(駄目だ……パニックにはならないけど、このマイナス思考からは逃れられないみたい……)


 不安を抑えてくれていた薄桃色の魔力が殆ど無くなっても、自分の中で封じ込めていたらしい記憶を思い出した時に比べて今の自分は大分冷静になってる。

 時間と白や薄桃色の魔力が心の傷からの出血を防いでくれたかのように。


 だけどまだ嫌な焦燥感が押したり引いたりして――嫌になる。

 私今、すごく暗い顔してるんだろうな。ロイがずーっと心配そうにこっちを見てる。


 結局、手を伸ばしてロイの背中を軽く撫でながらそのままぼんやりと過ごし――お昼にレオナルドが一人分の食事と一緒に持ってきてくれたマナボトルは痺れが残っていたけれど、飲めない程じゃなかった。


「すみません……マリーがもうすぐ別邸に出発しますので、見送りに行ってきます。アスカ様は自分のペースで構いませんので食べられる分だけでも食べてください」


 レオナルドはそう言って食事をサイドテーブルに置いて部屋を出ていった。謝る必要なんて無いのに。

 完全にお邪魔虫になってしまっている状況に凹みつつ、自分もバルコニーから見送りたい――と思ったけどここから見えるのは木々と壁ばかりで門が見えない。


(マリー……大丈夫かしら……)


 今朝は思ったままを言ってみただけなのだけど、今思い返せば空気読めない発言だったかもしれない。

 やっぱり傷つけちゃったかな、嫌われちゃったかなと思うと仮に見送れる場所だったとしても見送らない方がいい――そう考えを改めて食事も程々にまたベッドに横になる。


(この世界の人の価値観はまだよく分からないけど……好きな人が他の人と契って、子ども作ってその子が家の跡取りだなんて、絶対嫌よね……)


 ルクレツィアのようにツヴェルフになりたい、なんていう子だっている位なんだから。

 神官長も言ってたけど「恋愛」と「子作り」は別、だなんて価値観に苦しめられているのはツヴェルフだけじゃない。


 でも公爵家が途絶えて強い魔物と戦える家が減ったら、今のこの国の情勢のバランスが大きく崩れる。

 その上国民には知られてないけれど公爵家が絶えれば大きな災害が世界を襲う――


 きっと地球でも『この男女が子どもを作れば、世界は大きな災害や災厄から免れます!』なんて状況になったら、周囲は何としてでもその2人をくっつけようとすると思う。


 だってそれで皆が助かるから。説得だったり、恐喝だったり、お金だったり、睡眠薬だったり――あらゆる手段を使うだろう。


 仮にそこまで強引じゃなくても『死ぬ訳じゃないんだから、それで世界が救われるんだから』なんて、自分の幸せを大事そうに抱えながら2人に向けて綺麗事を言う人はきっと少なくない。


(私も、もしそんな人達と同じ立場になったら同じ事言うだろうな……)


 一時辛い思いをしたとしても死ぬ訳じゃない。体に障害を負う訳でもない。子どもを作りさえすれば解放されるのだから、その後いくらでも幸せになれる。


(そんな風に思う自分が今、必死に足掻くのはおかしいわよね……)


 いたれりつくせりの対応で、誠実な態度で接してくるレオナルドと子どもを作ることでレオナルドとマリーも自分達の子どもが持てるなら――逃げれば逃げるほど、2人が子どもを持てずにぎこちなくなってしまう位なら、もう、諦めた方がいい――脳がそう告げてくる。


 だって自力で何とかできる状況じゃないし、助けも求められない。

 この一ヶ月間頑張って何も出来なかったんだから。これ以上足掻いてもきっと誰も助けになんて来ない。私の事なんて、誰も――


(って……いやいや、ダグラスさんもクラウスも助けに来れる状況なら来てるはず……来ないって事は私を助けられるような状況じゃないってだけよ……)


 咄嗟に自分の思考に反抗するも、2人が助けに来ないのは事実で。不安がズッシリとのしかかる。


 彼らが私を助けてくれるって思うのは自意識過剰かもしれない。

 それなのにこんな発想をする自分に惨めさすら込み上がってくる。


(……ダグラスさんには思いっきり怒ったし、フォローも入れそびれたし。あんな風に言われたら怒って『あんな疫病神、リビアングラス家と敵対する事になる位ならもういい!』って見限られてるかもしれない……)


 心がキュウっと収縮するような感覚に襲われて、どんどん悪い発想が湧いてくる。

 公爵家と対立するような事は避けたいって言ってたし、怒ると怖いし、家臣だって刺せる人だし――咄嗟に首を横に振る。


(……何にせよ、自力で脱出できず助けも来ないこの状況でお邪魔虫じゃなくなる為には……)


 もう一度ゆっくり身を起こして、マナボトルを手に取る。ストロー部分に口をつけるとピリピリと強炭酸の感覚が喉を通っていく。

 痛みに何度か口を離して体を休めながら、夕食前には何とか飲み終えた。




 夕食を運んできたレオナルドにマナボトルを渡すと少し驚いた顔で見つめられた。


「アスカ様……大丈夫ですか? 体の負担にならないよう無理なさらずとも……」

「マリーが覚悟決めたのに私がモタモタしてられないわ。これまで散々我儘言った挙げ句魔力放出しちゃった私が言える事でもないけど、私と子ども作った後は貴方は早くマリーと子作りして幸せな家庭築いてほしいのよ」

「アスカ様……ありがとうございます……!」


 胸に当てた拳をギュッと握りながらホッとしたような、安堵の表情のレオナルドを見てこの決断で良かったのだと思わされる。


 薄桃色の魔力が抜けたせいか、レオナルドの笑顔にもあまりドキドキしない。これは不幸中の幸いかもしれない。ああ、でも――


「で、でも、分かってると思うけど……くれぐれも子作りは私を眠らせてからね!? そこは譲れないわ……!!」


 ドロドロした感情を懐きたくない。マリーともレオナルドとも険悪になりたくない。仮に惚れてしまったとして望みのない恋なんてしたくない。


 何より――初めての、初体験の記憶はやっぱり――罪悪感のない素敵なものであって欲しい。


(ダグラスさんともギリギリまでしたみたいだけど、マナアレルギーで記憶吹き飛んで音石で聞こえた感じじゃ実際どんな感じだったのかまでは分からないし……)


 初体験と言って良いのかどうか分からない初体験の記憶は吹き飛び、初めての記憶がレオナルドになるのは女として物凄く抵抗がある。


 『記憶がないから初めてなの』なんて、ぶりっ子もドン引きするような台詞を他人に対して言うつもりはないけど――自分の記憶に残る初体験は、やっぱりそれなりに大切にしたい訳で。


「徹底してますね、アスカ様は。ですが……その配慮はとてもありがたい。私も気が楽になります」


 これでいい、これで――レオナルドもマリーも救われるのなら。

 地球で人を不幸にしてしまった私がこの世界で人の幸せの役に立てるのなら、この世界で私は自分の罪を償おう。


 人を追い詰めてしまった分、自分のできる範囲で人を助ける――そんな償いの仕方もありでしょう?

 しょぼいツヴェルフでも、需要はあるみたいだし。人の役に立てれば、私の心も少しは軽くなる気がする。


 レオナルドの優しい眼差しに救われながら、私も微笑んでみせた。


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