第49話 人妻を抱えた英雄


 マリーが出ていってから3日後――前回貯めた位の魔力が溜まってきた日の朝食時、暗い表情でレオナルドに呟かれた。


「……マリーが行方不明になりました」


 詳しい話を聞くとマリーがここを出たのと同時にイースト地方の別邸にいるロベルト卿に<マリーをそちらに向かわせたのでよろしくお願いします>と綴った手紙を出したところ、今朝ロベルト卿からまだ来ていない旨書かれた手紙が返ってきたらしい。


 マリーが行方不明――背筋に悪寒が走る。この世界が消して安全な世界じゃないのは私も身を持って知ってる。

 大丈夫だろうか? マリーは可愛いし、公爵令息夫人。人質としての価値はかなり高いと私でも分かる。


 こういう時、メールやメッセージアプリが使えていればすぐに分かるのに――と言っても実際にないのだからあれこれ考えても仕方ない。

 悪用を防ぐ為に転移魔法を封じている結界もこういう時凄く不便だなと思う。


「今はマリー達が通るだろう道を辿って情報を集めながら別邸に向かうよう準備させている所です。それで……私もそれに同行したいのですが……」


 私の中で色んな思考が飛び交う中、レオナルドが続ける言葉で我に返る。

 そうよね、マリーがいなくなったんだもの、絶対自分で探しに行きたいわよね。


「それで、アスカ様、あの……こういう状況で大変失礼なのですが……これから貴方を抱かせて頂いても宜しいでしょうか?」


 ――ん?


「別邸まで行ってマリーが見つからなければ、探索範囲を広げる事になります。周囲の聞き取りや怪しい人間の確保まで考えると数日では帰って来れず、数週間かかるかもしれません……いつ戻ってこれるか分からない以上、先に済ませられる事は済ませておきたい」


「え……え、い、今!? 今から、するの……!?」

「ああ、すみません。朝食を取ってからの話です」


 少し慌てたようにレオナルドは言うけれど、もう半分ほど食べ終えた朝食は後数分もあれば十分食べ終えられるので「今」であることに変わりはない。


(どうしよう……抱かれるのは完全に夜を想定していただけに、朝は盲点だったわ……)


 恐る恐るレオナルドを見据える。真顔の目力が強い。冗談で言ってる訳じゃないのは分かる。でもどう考えてもいつものレオナルドとは違う。


「れ……レオナルド、大丈夫?」

「大丈夫です……私も公爵家の跡継ぎとして覚悟はしていました。傷を負わせる事が無いよう丁重に扱わせていただきます。その後アスカ様はゆっくり体を休めながらこの館で好きなようにお過ごしください。それと身重の体でメイドがつかないのは何かと不自由かと思いますので、後でアスカ様付きのメイドも……」


 そっちの大丈夫かじゃなくて頭が大丈夫か聞いたつもりなんだけど、レオナルドのそれ以上にぶっ飛んだ発言に思わず突っ込む。


「ちょっ、ちょっと待って……! そりゃあする事したら1回でも妊娠する可能性はあるけど……!! その1回したら絶対妊娠するかのような自信は何……!?」

「ああ……そちらの心配でしたか。ご安心ください。皇家及び公侯爵家、一部の有力貴族に伝わる受胎魔法を使えば余程の問題がない限り一度の契りで済みます。アスカ様が目覚める頃には受胎していますのでアスカ様は何も心配する事はありません」


 いや、だからそっちの心配じゃなかったんだけど――でも、なるほど、受胎魔法――だからこれまで自信満々だったのか。

 ずっと気になっていた疑問が解決してちょっとスッキリする。


(で、でも……行方不明のマリーを自分が探しに行きたいって気持ちは凄く分かるけど、そんな状態で私とできるの、かしら……!?)


 分からない――男の人の事は分からない。でも、ああ、いや、そこの心配は私がする事じゃないわよね?

 うん、私はただ目を閉じてレオナルドに眠らせてもらうだけ――


(でも、記憶に残らないとは言え流石にこの状況は……って、いいえ、もう決めたんだから。レオナルドだって、こんな状態になったらとにかくさっさと私を妊娠させてマリーを探して保護したいはず……!)


 行方不明という状況もあるだろうけど――マリーが出ていってからレオナルドは何処か憂いを纏わせるようになった。

 いつもの自信に満ちた姿はマリーがいるからこその余裕の輝きだったのかもしれない。


 そんな愛し合う2人を遠ざけている罪悪感が今の私の気持ちを後押しする。

 食事の最後にとっておいたレモネードを喉に流して一息ついて――覚悟を決めて立ち上がると、


「バウッ!!」


 突然の吠えに振り返ると、しっかりご飯を食べ終えたロイが尻尾をパタパタと振っている。ああ、そうだ、お散歩の時間だ。


「あ、あの……レオナルド、ロイのお、お散歩……」

「ああ……そうですね、ロイの散歩を失念していました……」


「レオナルド様! いらっしゃいますか!?」


 ノック音と呼びかけが響いてレオナルドがドアを開けると騎士が入ってきた。

 どうやらマリー探索についてどういうルートで探すかの話らしい。

 話しあう2人の真剣な表情に罪悪感と居心地の悪さを感じる。


「何だか立て込んでるみたいだし私、ロイの散歩行ってくるわ」

「お一人で……大丈夫ですか?」

「ええ。レオナルドの魔力のお陰で大分動けるようになってきたわ。食欲も湧いてきたし……黄色の魔力って凄いわね。元気が出るというか……」


 薄桃色の魔力があった頃はあまり意識しなかったけれど、黄色の魔力は活力を与えてくれる。食事も久々に食べきる事が出来た。

 それに不用意にドキドキしなくなった分、薄桃色の魔力よりこっちの方が楽かもしれない。


「……分かりました。では、戻ってきたらよろしくお願いします」


 レオナルドと兵士がドアの前を開けてくれたので、お散歩セットを持ってロイと通路に出る。

 中庭までの道ですれ違う騎士やメイドの表情は皆暗かった。皆私に微妙な視線を向ける余裕もない位に。


(マリー……この館の人達に好かれてるのね)


 分かる。マリーは可愛いし物腰も柔らかいし嬉しそうに笑う表情も可愛いし。

 こんな私に悪態着く事無く、ちゃんと話し合おうとしてくれた。他の人が止めただろうに私を気にかけてくれる意志の強さもある。


 今の空と同じような、暖かい陽だまりのような雰囲気を纏うあの子を見てると自分も頑張ろうって気になる。

 改めて彼女の無事を祈りながら中庭を1週して戻ろうと屋内に入った時、背後から声をかけられた。


「……元気になったのね」


 振り返ると見覚えのある見事なブロンドの縦ロールの女性――卑猥だと叫んだレオナルドの異母妹――ロザリンド嬢だ。


 卑猥騒動でインパクトこそ凄いけれど特に会話する事はなかったから、この状況――どう返事すれば良いのか分からない。


 マリーみたいに気さくに話して良い感じの雰囲気は感じない。

 高貴な感じはルクレツィアにもあるけれどこっちは何というか――高飛車な印象を受ける。

 迂闊な事を言ったら無礼者! って撥ね付けられそうな気がする。


(まあ……それでも貴族の令嬢ならグリューン様みたいにヂィヂィ鳴いたり震えたりはしないだろうし……)


「お、お陰様で……心配をかけてごめんなさい」

「誰も貴方の心配なんてしてないけど、まあいいわ……歩ける位に回復したなら、ちょっと私の部屋に来なさい」


 ロザリンド嬢は私の返答を聞かないまま背を向けて歩き出す。


 この状況で『あの、これから貴方のお兄さんとする事になってますので』なんてどう考えても言えるはずもなく――レオナルドもロザリンド嬢に呼ばれたのならと納得するだろうと思って大人しくついていくと2階に上がって奥の部屋にたどり着いた。


「部屋を毛まみれにされたくないから魔犬はそこで待ってなさい」

「グルル……」

「ロイ、待ってて」


 邪魔者扱いされた事に怒っているロイを宥めてロザリンド嬢の部屋に入る。

 黄金に輝く調度品や家具に囲まれた部屋は黄金の部屋より一回り小さめで(というより黄金の部屋が広すぎるんだけど)同じようにバルコニーがある。こっちは中庭の方に向いているようだ。


 そう言えばロイの散歩してる時、何回かここからロザリンド嬢が見下ろしていたのを見た事があるな――と思っているとズイっと小さな紙袋が視界に入った。


「ご飯食べられなくても、お菓子なら食べられるでしょ?」


 ロザリンド嬢が目を合わせずに紙袋を突き出している。もしやこれは――と思いながら紙袋を受け取ると微かに香ばしい香りが漂う。


 中を開けて一つつまみ上げると、結構お値段張りそうな高級感漂うクッキーが出てきた。


「これ……」

「勘違いしないで。別に貴方に謝る為に用意した訳じゃないから。ただ、マリー義姉様がここを立つ時に、一応貴方を気にかけるように言われたから……貴方が洗浄機にかけられてから殆ど食事を取らなくなったって聞いて、とりあえず何か口に入れた方が良いと思って作らせただけだから」

「わ、分かったわ……ありがとう」


 クッキーが冷めているのはきっと昨日か一昨日か――本当に私があまり食欲が無い時に用意してくれた物だからだろう。


 やっぱり何だかんだ言ってここの人達は悪い人達じゃなくてむしろ良い人達なんだなと思う。

 内心どれだけ嫌っていたとしても辛そうな相手に対して淡々と配慮するその気遣いにちょっと温かい気持ちになる。


「……あら? 何だか中庭の方が騒がしいわね……」


 ロザリンド嬢がバルコニーへの窓を開けると、丁度騎士を乗せた天馬ペガサスが空に向かって飛ぶのが見えた。


「マリー義姉様……!?」


 ロザリンドの言葉に反射的にそちらの方へ駆け寄ると、バルコニーに出るかどうかという所で体が硬直して動かなくなった。


「やっぱり、貴方は魔女ね……黒の公爵を使ってマリー義姉様を誘拐して人質にしてここを脱出するつもりだったのね……!?」


 さっきちょっと仲良くなれるかも、と思ったロザリンド嬢の目に敵意が宿ってる、『違う!!』と声を大にして言いたいけれど声も――出せない。

 どうやらロザリンド嬢の魔法で動きを止められてしまったみたいだ。


「灰色の魔女……リビアングラスの名にかけて、貴方を逃がしはしない……!! 兄さんと騎士団が黒の公爵を追い払うまで、ここで大人しくしてもらうわ!」


 ちょっとツンデレ疑惑のある高飛車系お嬢様かと思ったけれど、しっかり魔法の心得はあるみたいで体は完全に固まり、視線を上に上げる事位しか出来ない。



 空に――確かに、黒の公爵が、ダグラスさんがマリーらしき女性を抱えて中庭を見下ろしていた。


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