第50話 黒の愚行(※ダグラス視点)


 リビアングラス邸は皇都にある公爵家の館の中でも特に大きい、ロの字型の要塞に近い豪邸――その中庭の騎士達が私を驚愕の表情で私を見上げ、私を警戒する天馬騎士が一定の距離を保ってこちらの様子を伺っている。


 警笛が鳴り響く音も聞こえる。まだ結界も越えていないというのに警戒心の強い奴らだ。まあ、その判断はけして間違っていないが。


 一旦強制睡眠スリープで眠らせた弱小令息の妻を浮かせ、黒の槍を出現させ、結界に突き刺す。槍の先端が数人程入れそうな黒い輪を作り出して結界の穴を強引に押し広げる。


(やはり……黒一色の器は自分の思うように魔力が扱えて気分が良い……!)


 午前だというのに、何の不快も感じない。これからは調子が悪い時に符術に頼らずともいつでも好きなように魔法が扱える。


 そんな高揚感で満たされながら結界の中に侵入すると、結界はすぐに塞がった。

 こうして一時的に穴を作って入る分には大元の結界石を破壊せずに済む。

 最近の魔物討伐で多少余裕を持てたものの、まだまだ余計な出費には気をつけなければならない。


 再び浮いた女を引き寄せて抱える。

 向こうも次期公爵夫人を抱える人間を迂闊に攻撃できないだろうし黄色に近い人間は遠距離操作魔法テレキネシスを得意とする。

 集団でそれを使われてこの女を奪われては元も子もない。


(早く出てこい、弱小令息……)


 あの弱小令息には感謝している。飛鳥の我儘にも根気よく付き合い、悪態着く事無く保護してくれていたのだから。

 その精神力は悔しいが称賛に値する――が、それと同時に飛鳥を辱めた弱小令息には私と同じ気持ちを味合わせないと気が済まない。


 黄が飛鳥の罪を看過出来なかったように、私もあの男の罪を看過する事は出来ない。

 そもそも奴は以前にも飛鳥が囮にされた際、飛鳥の下着を掠め取るという破廉恥な行いもしでかしている。


 黒騎士の報告を読む限りあの男に悪意が無いのは分かるが、方法が不味い上に詰めも甘い。

 不味い方法を繰り返すような人間には釘を刺しておかないといつか取り返しがつかない事になる。


 だから、私が色々教えてやらなければ――というのは黄に難癖つけられた際に使う建前で、私は単純にあの男が気に入らない。


 あの男のせいで大金はたいて小生意気なメイドを助ける事になってしまった事への恨みや、飛鳥に対し卑猥な行いをした事への怒りもあるが――


(何よりあの時……私が助けられなかった飛鳥を助けたあの男が……そして今も、私が助けられなかった飛鳥を助けているあの男が、本気で、気に入らない……!!)


 恩人だからと自らの立場を悪いものにしてでも飛鳥を庇う、まるで飛鳥の騎士気取りの男と飛鳥を引き剥がさなければ――そんな怒りや焦燥感が上空から結界を強引にねじ伏せて侵入するという侵略者さながらの行いをさせている。



「マリー!!」



 怒りがピークに差し掛かった所で建物の中から弱小令息が飛び出し、こちらを見上げて私が抱える女の名を叫ぶ。

 その必死な声に多少溜飲が下がり、心が震える――が、まだまだ足りない。


『セレンディバイト公……これは一体どういうつもりですか……!?』


 ここまで念話を飛ばすだけの力もないのか、拡声術を使ってこちらに向かって叫ぶ。憎たらしい相手の静かな怒りに満ちた言葉が私の心を酷く躍らせる。


『どういうつもり、だと……? 法と秩序にうるさいリビアングラスと取引するにはそれ相応の対価が必要だと思ってわざわざ用意して来てやったというのに酷い言い草だな……まあいい、私は忙しい。早々に話を付けたい……この女を返してほしければ飛鳥と交換だ』


 私の発言に沈黙が流れた末に弱小令息は大きく首を横に振った。


『……聞けません。私が塔で気を失った後、貴方が塔でアスカ様を襲った事は聞いています……それでもアスカ様の恩赦の嘆願書を書いてもらって回っている貴方であればいつかアスカ様を託せるのでは、と思っていましたが……こんな下卑た方法でアスカ様を手に入れようとする傲慢な人間に、彼女を差し出す訳にはいきません……!!』


 弱小令息が指を鳴らして黄の大剣を出現させて構えるのと同時に、騎士達がこちらに向けて槍や手を向ける。

 いちいち全員に狙いを定めて行動停止ストップをかけるのも面倒だ。


「……大気よ、我の魔力を吸い、我の意に沿わぬものを圧せよ……重力による圧迫魔法グラビティ・プレス


 弱小令息とこちらに向かって襲いかかる騎士達全員に重圧グラビティをかけて動きを封じる。

 天馬騎士や鎧を着ている者は重圧に負けてひれ伏していく中、弱小令息は身動きが取れなさそうだがその姿勢を保っている。


 まあ、この程度の魔法で屈するような人間に<公爵>など務まるはずもないから当然だとも言えるが――


『落ち着け……私の話を最後まで聞け。これは脅迫ではない、取引だ。私はただこの女を誘拐した訳ではない……先日、この女をツヴェルフにしてやった』

『は……!?』

『細かな説明は後だ。まず自分の目で確認した方が早いだろう』


 眠らせた弱小令息の妻を宙に浮かばせると微かに魔力探知の気配を感じる。

 弱々しい探知だがそれでも十分この女が今一切魔力も保有していない状態である事が分かるだろう。

 それを悟った弱小令息の愕然とした表情に、思わず口元が緩む。


『先節のツヴェルフの転送によって、お前が飛鳥しか選べなくなった事情は私も承知している……だからお前の為にこの女をツヴェルフにしてやった。この女を護衛していた騎士やメイド達も無事だ。いいか? もう一度言うがこれは脅迫ではなく、取引だ。お前が首を縦に振ればそれで全てが上手くいく……分かったらさっさとその目障りな大剣を置け!』


 中々答えを出さない弱小令息に苛立ちを覚え、つい声を荒らげる。

 黒騎士の報告によればこいつはこの女を常に大切にし、お互い深く愛しあっているのが見て取れるとあった。

 だから喜ばれこそすれ、そんな困惑の表情をされる筋合いはないのだが――何故だ?

 

(まさか……私が知らない間にこの男も、飛鳥を……!?)


 いや――仮に飛鳥に惹かれていたとして、この女への愛が失せたという事はないだろう。先程の狼狽える様子を見てもそれは明らかだ。


 こいつがこの女を愛しているのは間違いない、ただ、それ以上にこの男は法と秩序と――飛鳥を重んじている。


 困惑の表情から一転、キッとこちらを睨む弱小令息の姿にそれを確信する。


『断ります……貴方がいかに私にとって都合が良い条件を提示しようと、リビアングラスに生を受けた者として、私欲に塗れた薄汚い脅迫に屈する訳にはいかない……!!』


 面倒な――お前が頭を下げて飛鳥を返せば女を返してやると言っているのに、それで全てが丸く収まるのに何故納得しない? 首を縦に振って礼を言わない? 何故そんな反抗的な目で見られなければならない?


 弱いくせに信念とプライドだけは頑ななこの男の眼差しが、かつて私に歯向かった時の飛鳥の眼差しと重なって――より一層、怒りの感情が煽られる。


(素直に感謝して受け入れれば良いものを……!!)


 何の為に私がわざわざアレに頭を二回も下げて、わざわざアレと協力してこの女をツヴェルフにしたと思っているのか――

 大きな核を抜き出す際、かなり器に負担がかかっただろうからと貴重な幽体修復薬ユリルリペアの残っている2本の内1本まで消費して。


 この女を護衛していた騎士やメイド達も傷一つ付ける事無く館でこの女同様丁重に客人の扱いをしてやっているというのに。


 いくら飛鳥が辱められようと飛鳥の関心を奪おうと、それでも飛鳥を助けてくれた事には変わりない――と思ってわざわざ愛する女と結ばれる事が出来るようにここまでしてやったというのに。

 何故私がここまで腰を低くしてやらなければならないのか――何故私にあの飛鳥の眼差しを思い出させるような真似をするのか、という怒りが上乗せされる。


 怒りと軽蔑、信念――その眼差しで私を見据えるのが飛鳥ならば、まだ耳を傾けよう。

 しかし私の言葉に従わないこの弱小令息にその目で見られるとどうしようもなく不快を煽られる。


 もういい――もうこれ以上気を使う必要はない。この男はアレとは違う意味で危険だ。

 身の程知らずの精神を叩き潰して今後一切飛鳥に近寄らせないようにしなければ。


 黒騎士の報告によれば、飛鳥は日中は殆ど黄金の部屋にいる。

 その部屋は中庭に面しておらず、今の状況は飛鳥に見られてないはずだ。ならば――


『そうか……お前が妻を見捨ててまで飛鳥と子を成すと言うなら仕方ない……私は飛鳥の代わりにこの女と子を成そう。この女をツヴェルフにした責任もあるしな』


 女をグイと私の顔に引き寄せると、明らかに弱小令息の目の色が変わった。


『やめろ……!!』

『何故だ? 人の婚約者を奪うのだからお前も妻を奪われても異論あるまい? ああ、この女が懐妊した際にはパーティーに招待しよう。それとこの女には飛鳥の分の出産ノルマも肩代わりしてもらうが、いいだろう? お前はこの女を見捨てたのだからな?』


 それが決定的なスイッチを踏んだらしい。弱小令息は腰に付けたポーチから魔力回復促進薬マナポーションを取り出して立て続けに2本目煽った。

 一気に膨れ上がる魔力を認識した瞬間、黄の大剣を構えて跳躍し、こちらに突っ込んでくる。


 防御壁を張ると黄の大剣はそれを貫き、私の体に届かない中途半端な所で止まる。


「マリー!! 目を覚ませ、マリー……!!」


 防御壁の隙間から響くように弱小令息の声が聞こえる。


『その程度か……』


 その器の小ささで、色神を宿していない身で私の防御壁に黄の大剣を突き刺せたのは認めてやらなくもないが――より強度な防御壁を張り直せば容易に弾き飛ばせる。


 空中で一回転して外壁を蹴り上げ、再びこちらに向かって突進してきた相手を衝撃波で弾き返すと、壁に激突してそのまま地面に無様に倒れ込むかと思ったが弱小令息は地面に魔力をぶつけて浮き上がり、綺麗に着地する。


 それでも弱小令息の足は小さく震えている。精神の強さに体がついていかない状況にさぞ歯痒い思いをしているだろう。


 その屈辱に塗れた顔を見る為に女を抱えたまま高度を下げる。しかし弱小令息は俯いていてよく顔が見えない。


赤の馬鹿息子アシュレー卿相手に薬を3本飲んでも勝てなかった分際で……たった2本で私をどうこうできると思ったのか?』


 つい零してしまった言葉が気に触ったのか、すぐに顔を上げられ殺さんばかりの視線を向けられ、震える手でもう一本手を付けようとしている。


(チッ、まだその目で睨んでくるか……気に入らんな……この際だ、徹底的に潰してしまうか……)


 ――いや、駄目だ。飛鳥にこの男を怪我させた事がバレるのもマズい。


 こいつがまた後遺症が残るような怪我をしたらまた私がアレに頭を下げなければならない。


(……仕方がない、後は防御に徹してこの状況を見かねた誰かが飛鳥を連れてくる事を期待するか……魔力回復促進薬を複数本飲めば意識を失うのも時間の問題だしな……)


 いくらこの家と騎士団が騎士道を重んじるとはいえ、次期公爵が勝ち目のない戦いをしていれば誰かがあるじの為にこいつを裏切るだろう。

 忠誠心が強ければ強いほど、自分の中の身勝手な正義感も強いものだ。


 重圧グラビティを解くとそれは予想以上に早く訪れた。


「兄さん、やめて!! 3本目は命の危険がない限り飲まないって父様と約束したでしょう!?」


 若い女の声がする方を見上げると中庭に面したバルコニーから縦ロールの女が甲高い声をあげてこちらに向かって叫んでいる。


「セレンディバイト公!! 義姉様を解放してさっさとこの女を持って帰りなさい……!!」


 部屋の方を指差して喚く女の言葉に違和感と嫌な感覚を覚える。


(……この女? 飛鳥がそこにいるのか?)


 だが、あの場所は黄金の部屋じゃない。それに――あのバルコニーの扉は確か来る前から開いていたような――


「って……貴方何で泣いてるのよ!? あっ、こら、待ちなさい!!」


 その言葉にすべての思考が弾け飛び、なりふり構わず浮遊して女のいるバルコニーに降りたつと丁度ドアを開けた飛鳥と目があった。


 すぐに動きを止め――ようとした、が、一瞬躊躇ってしまった。


 飛鳥が――物凄く悲しそうな顔で大粒の涙を零していたから。


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