第46話 とある夫人の不安・4(※マリー視点)
レオを傷つけてしまった翌日――黄色や金色を基調にした館の中でも特にきらびやかな食堂での朝食の際、ロザリーがアスカさんの状況を教えてくれた。
魔力が洗浄された事でそれまで魔力が抑えていた負の感情を抑えるのに必死、という事でアスカさんはずっとベッドに伏せっているらしい。
「横になってる分には会話できるみたいだから、本当に辛いのかどうか疑わしいけれど……灰色の魔女の本領発揮、といった所かしら?」
「ロザリンド、疑うのは良い事だがツヴェルフを見下すような言い方をするな」
不満げに言うロザリーをお義父様が嗜める。
「何よ! 私は兄さんが本当に誑かされてしまわないか心配で言ってるのに……! お父様だってツヴェルフが二人地球に帰ってからずっとイライラしてたじゃない! あの人はその首謀者でしょ!?」
「例え首謀者でもレオナルドを助けた以上、罪人であれ恩人には変わりない。それに私もその場で見ていた限り、苦しんでいるフリをしているようには見えなかった」
「まあ……お父様まで誑かされたの!? 辛そうにしてる女を見ただけで同情するなんて甘すぎるわ!!」
ロザリーも普段なら体調の悪い人間に対してそんな事を言う子じゃないのだけど、アスカさんに対してはそんな気遣いをするつもりはないみたいでカンカンに怒っている。
ロザリーを言い聞かせるのは無理だと判断したのか、お義父様は重いため息をついた後、無言で食事を食べ終えて立ち上がって食堂を出ていく。
また怒り冷めやらないロザリーは今度はレオに狙いを定めた。
「兄さん! いくら恩人だからって私はあの人と兄さんが子を成すなんて絶対反対だわ! リアルガーのツヴェルフが空くのを待てばいいじゃない!」
その言葉でレオも食事の途中で立ち上がり、食堂を出ていく。
追いかけたかったけれど――何をどう言えばいいのかレオの機嫌が戻るのか、分からなかった。
ミモザ様と二人でロザリーの愚痴聞き役に徹した後、部屋に戻るとレオの姿はなかった。
訓練か、アスカさんの所に行ったのか――不安に駆られながらふと机に目を向けると、昨日置いた虫除けのランプがそのままになっている。
(そうだ、元々アスカさんに虫除けランプ渡しに行こうとしてたんだった……)
今ベッドから起き上がれないとは言え気分転換で窓とか開けるかもしれないし、でも、今の状態でアスカさんに会うのも、でも――とモダモダ考えているうちに虫除けランプを持って私は黄金の部屋の前に立ってしまっていた。
恐る恐るノックすると元気のない声で「どうぞ」と聞こえたので、黄金の部屋のドアをそっと開ける。
部屋の中にはアスカさんしかいないみたいだ。
「ああ、マリー……どうしたの?」
「えっと……アスカさんが虫が苦手だと聞いたので、虫除けのランプをと思って……」
「ありがとう……テーブルの上に置いてくれる?」
言われた通りにテーブルの上に置いて、改めてアスカさんの方を向くと目に力がない。
人が来ているのに起き上がる気配もない所から見ると、本当に調子が悪そうだ。
「あれ? あの大きな狼は……」
「ああ、さっきレオナルド卿が散歩に連れて行ってくれたのよ……」
「そうだったんですか……アスカさん、大丈夫ですか?」
やっぱりあの後アスカさんの所に来たんだという事実に胸が痛みつつ、このまま部屋を出る気にもなれずベッド脇の椅子に座ると、アスカさんが力なく微笑んだ。
「心配かけてごめんね……この感覚、結構慣れてきてるというか、寝て何かに包まれてるとだいぶ楽なんだけど、起き上がるとどうもフラフラしちゃって……」
しんどいのは確かなんだろうけれど、そこまで具合も機嫌も悪い訳じゃない。
ちょっと良心が咎めつつ、ずっと気になってた事を問う。
「あの、アスカさん……惚れちゃいましたか?」
「え?」
「私、昨日、見ちゃったんです……アスカさんがレオにしがみついてる所……触れたら惚れるって言ってたから……凄く心配で……」
「あ、ああ……ごめんなさい。大丈夫よ。何が何だかよく分からなくてしがみついただけだから……説得力無いかもしれないけど……って、マリー、どうしたの?」
涙が込み上がってくるのを抑えていると、アスカさんが驚いたように目を見開く。
「私……レオに嫌われちゃったかも知れません……」
「な……何で……?」
「レオがアスカさんに優しいから、アスカさんがレオに惚れたらレオはアスカさんの方にいっちゃうんじゃないかって不安になって……レオが器小さいの気にしてるの分かってたのに『器小さいんだからリアルガーのツヴェルフにした方が良いんじゃないか』って言っちゃって……そうしたらレオが気を悪くしちゃって……アスカさんがこんな辛そうなのに、私、自分の事しか考えてなくて……」
今しんどい思いをしている人相手に重い感情を吐露する自分に嫌悪感を抱きながら思っている事を吐き出すと、アスカさんから予想外の言葉が返ってきた。
「ああ……だからか……」
「えっ?」
アスカさんが納得したような呟きが理解できず疑問の声が上がると、アスカさんは私から視線を少しズラす。
その先を目で追うとベッドサイドのテーブルに置かれたマナボトルが視界に入った。
「さっきレオナルド卿が来た時に持ってきた、そのマナボトル……魔力が物凄くビリビリきてまだ一口しか飲めてないのよ」
「ビリビリ……? 私もちょっと飲んでみてもいいですか?」
今まで誰も作った事がない魔道具――故障でもしてしまったのかしら?
製造者として確認しなくては、という思いから出た言葉にアスカさんが小さく頷いたので、マナボトルを手にとってみる。
蓋を開いてストロー部分を洗浄、浄化してレオの魔力を吸い上げる恥ずかしさを堪えてちょっとだけ吸ってみた。
ちょっとだけ、と思ったけど魔力が入ってきた瞬間、反射的にストローから口を離した。
流れ込んできた魔力は舌が酷く痺れて、いつものまろやかな感じが全くしなかったから。
ツヴェルフに自分以外の魔力を混ぜる訳にはいかないから――という理由でアスカさんが来てからレオと魔力が混ざるような行為はしてないけど、レオからこんな攻撃的な魔力を注がれた事は今まで一度もない。
「いつもはもうちょっとマシなんだけど、今日のは特にビリビリだわ……」
「もうちょっとマシって……あ、あの、ア、アスカさんはいつも痺れるような魔力を飲んでたんですか……!? 私がレオから注がれる魔力はもっと、こう……綺麗で、まろやかな感じです。痺れたりなんてしません……!!」
驚きに言葉を詰まらせながらそう返すと、アスカさんは何を驚いてるのか分からないといった顔で言葉を紡ぐ。
「えっと……私もよく分からないけど多分、魔力の感覚って本人の機嫌が関係してるんじゃないの……? 同じ人でも痛みを感じたかと思えば、急に穏やかになったりした事あるもの……」
そういう物なのだろうか? 今まで攻撃的な魔力を注がれた経験がないから、いまいちアスカさんが言っている意味が分からない。
だけど、このマナボトルに入っている魔力は間違いなくレオの物で――
「こういう状況だし不安になるのは分かるけど、レオナルド卿の魔力はずっとビリビリしてるって事はレオナルド卿の私に対する気持ちは一切変わってないっていうか、抵抗感が強まってるって事だろうからマリーは安心していいと思う……」
アスカさんに込める魔力は痺れていて、私に触れた時の魔力は優しい――確かにそう考えれば私の心配なんて杞憂なのかもしれない。
その事実が不安を溶かしていくのを感じる。試しにもうちょっとだけ吸ってみたけれど、やはり体の中に取り入れるのを拒否するほどビリビリする。
マナボトルの故障を疑ったけれどその可能性も無さそうだ。
どんどん頭が冷静になってきて、マナボトルに再び浄化魔法をかけた後サイドテーブルの上においてアスカさんに向き直った。
「……あ、ありがとうございます。でも、それならどうして今こんなにビリビリしてるんでしょう? 私に対して失望するならまだしも、アスカさんに注ぐ魔力なのに……」
「マリーに負担かけてるって気づいたからじゃない……? 昨日レオナルド卿ははっきり『消去法で私しかいなくなった』って言ってたけど、マリーが嫌がってるって知ったから私に対してより消極的になったみたいな……」
「消去法……確かに2人地球に帰ってしまいましたけど、でも、リアルガーのツヴェルフが……」
「ああ……レオナルド卿は多分、私が死ぬとかの問題が起きない限り、アンナに頼まないと思うわ……」
「えっ、ど、どうしてですか……!?」
何でそこまで言い切れるのか分からなくて、詰め寄るような形で聞いてしまう。
アスカさんはそんな私の勢いに驚きつつ説明してくれた。
「と、塔の屋上でレオナルドに大怪我させたのってアシュレー……リアルガーの公爵令息なのよ。アシュレーがその申し出を受け入れるかどうかも分からないし……もし『俺に勝ったら貸してやる!』って展開になって負け続けるのも嫌だろうし……そもそも自分が負けた相手に頭下げて女を貸してもらうって、私に子ども産ませるよりよっぽど屈辱的なんだと思う……」
知らなかった――レオが大怪我した、それをアスカさんが気にかけて治療をし始めた所をダンビュライト侯が治してくれたという話はレオから聞いていたけれど――レオは自分が誰と戦ったのかまでは言ってくれなかった。
そこまで教えてくれれば私だって、言わなかった――とは言えない。
男同士の勝負とかこだわりとか、そういうのよく分からないから。
言い辛さはあっただろうけど、やっぱり口に出して言ってしまっていたかもしれない。
「レオナルド卿って普段紳士的で真っ直ぐで優しいけど……ガチギレすると怖いし、多分勝負に関するプライドは物凄く高いと思う。器の大きさの事は私も言ってみたけど彼、自分が立派な公爵になれば子どもも認められるって引かなかったし……多分それだけ焦ってるんだと思う」
「焦ってる……?」
私の考えている事に答えるかのようなアスカさんの言葉が私の心に刺さる。
「マリー、貴方早く自分の子どもが欲しいでしょう? それはレオナルド卿も察してると思うわ。自分はリアルガーのツヴェルフと契りたくない、貴方との子どもも早く欲しい、そして恩人である私を過酷な環境から助け出せる……魔力の小さい子どもが産まれるというデメリットさえ飲み込めば、私と子作りするこの状況はレオナルド卿にとって都合が良かったのよ……」
「そんな……私、レオに子どもが欲しいって急かした事なんてないのに……」
「私も人の事言えないんだけど、マリーも結構感情が顔に出てるわよ。まだ知り合って一節も経ってないけど、マリーが子ども欲しいのは見てて分かるわ……」
私の感情が分かりやすい点はミモザ様にもよく注意される。
でも、何で――学生時代も含めれば4年間の付き合いがあるレオの気持ちが私に分からなくて、目の前の、数節前にこの世界に来たばかりの異世界人がレオの気持ちを理解できるんだろう?
どうして私は――私はレオをしっかり信じてあげられなかったんだろう?
レオはちゃんと私にも誠実に接してくれていたのに。私は不安に流されて傷つけてしまった。
彼が気にしている傷、私が知らなかった傷、どちらも抉るような真似をして彼を苦しめてしまっている。
教えてくれるアスカさんに感謝すると同時に、何の役にも立てずに足を引っ張る事しか出来ない自分が悔しく、苦しく感じた。
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