第38話 魔物狩り・3


 隠し通路が開いたと同時に、強烈な臭いが部屋に立ち込める。

 汚物や何かが腐ったような強烈な臭いに思わず鼻を抑えて口呼吸に切り替えてしまう程、体がそれを嗅ぐ事を拒絶する程の悪臭。


 その臭いに表情を歪めるのはクラウスもセリアも同じなようで、隠し通路の奥に入る事を本能が拒否する。


 中で何か、腐っているんだろう。それはきっと、リアルに想像してはいけないモノ。


 だけどそんな私をよそにクラウスは先に入っていく。そんな危険な場所に1人行かせる訳にもいかず、おぼつかない足で後を追う。


 暗闇の中、周囲がよく見えないのは不幸中の幸いだったのかも知れない。そして魔力の光が先程よりずっと小さくなったのはクラウスやセリアの配慮かも知れない。


 ただ、チラリと見えたどす黒く変色した人の手らしきものは、私に吐き気を催させるのには十分だった。


「うぷっ……」


 今吐いたら、前を歩くクラウスにかかる。咄嗟に方向を変えてしゃがみ込み、誰にもかからないように嘔吐するのが精いっぱいだった。

 朝食に食べた物の大半は消化されていたのかさほど量は出なかったけど、口の中の何とも言えない酸味が、気持ち悪い。


「アスカ様!」

「アスカ、大丈夫……!?」


 心配したセリアが私の背中をなで、クラウスが駆け寄る。


 人前で吐いてしまった事への恥ずかしさと罪悪感はある物の、ここでその程度の汚れは大した事でもないんだろうなと思う。


「……これからここを浄化するから、2人とも僕の傍にいて」


 クラウスは立ち上がった私の手を繋いでゆっくり歩きだす。部屋に入って少し歩いた所で立ち止まると足元に白い魔法陣が出現する。

 魔法陣は段々3重、4重に広がっていく。


 その仰々しいまでに細かく刻まれた魔法陣は、あっという間に部屋全体に広がった。

 その魔法陣の上に浮かび上がるのは――恐らくここに来た冒険者達の、無残な、遺体。


 そう知覚した瞬間、脳が目を閉じるように命令する。ギュッと目を瞑り、クラウスの手を強く握り返す。


「大丈夫」


 これから何が起きるのか、何が発動するのか分からず。それでもクラウスの優しい声と強く握り返してくれたその手のお陰で、何とか叫ばずに堪える事が出来た。


「我、白き神に乞い願う――命尽きし者の名誉が、愛が、その血肉が、暗き者の鎖から解き放たれん事を――」


 凛としたクラウスの声が響き渡る。その声にも魔力が籠められているのかと思う程威圧感のある詠唱の後、目を閉じていてもなお視界が白に染まる程の輝きに包まれた。




「……もう大丈夫だよ」


 そう呼びかけるクラウスの声に恐る恐る目を見開く。


 静まり返った部屋の中、部屋には冒険者が来ていたと思われる衣服だけが散乱していた。血肉まで浄化したんだろうか? 異臭までもが消え失せている。


「これで、ここで殺された人は救われた、の……?」


 一体どの位の人がここで亡くなったんだろう? 遺体の数なんて数える余裕はなかったけど散乱している衣服や武器からは、両手を超える人の命が失われた事が容易に推測できた。


「少なくとも、これで死霊ゴースト死霊使いネクロマンサーに彼らが利用される可能性はなくなったよ……彼らが救われるかどうかは、神様次第かな」


 クラウスは息を荒くしながらそう言うと、体勢を崩してしゃがみ込んだ。


「……今ので、ちょっと魔力を使い過ぎた。一度上に戻って、後は、ダグラスを頼って……流石に、今の自分が君達を守れるとは思えないから……」


 少しでも楽になればとクラウスの背中を摩ろうとした瞬間、ぐらり、と体が揺れる。


(床が、崩れる……!?)


 その光景がまるでスローモーションのようで、頭では落ちると分かっているのに体が動かなくて。

 それでも無理矢理を伸ばした手は、床を僅かに削る事しかできなかった。




 転落した衝撃で全身が軋み、上手く起き上がる事が出来ない。


 不幸中の幸いか、そこまで高い位置から転落した訳じゃないみたいだ。

 肩の上にいたピィちゃんがすぐ近くで一生懸命鳴いているのを確認した後、セリアとクラウスの名前を叫びながら辺りを見回す。


「アスカ様! 大丈夫ですか!?」


 青い光と共にセリアがすぐに駆け寄ってくる。どうやらセリアは上手く着地したようだ。そしてクラウスはすぐ近くでうずくまっている。


「クラウス、大丈夫!?」

「……逃げて……」


 肩を抱き起こすと、クラウスは目を閉じて辛そうな表情で息を上げながらも、弱弱しく呟く。

 それができたならいいんだけど――辺りに感じる気配がそれを許してくれそうにない。

 これはこの遺跡に入ってから何度も感じた、魔物特有の気配。ゴブリン達に囲まれているのはすぐに分かった。


「アスカ様、今、動けますか?」

「……何とか、少しずつなら」


 セリアは2刀を構えて、ゴブリン達と対峙している。

 体の痛みもピークを越えたのか、身を起こせる位には動けるようになった。走れと言われたら無理だけど。


「では、私はあの辺りの魔物を追い払います。魔護具で身を守られながら、そこまで移動してください」


 割と近い部屋の隅を刀で示したセリアの声に従い、ナイフを構えて念じる。


「大丈夫です。私がお二人を守ります」


 微笑んだ、と思った瞬間セリアは部屋の隅に向けて2刀を振りかざした。

 その動きは機敏で、躊躇の無い斬撃がゴブリン達を追い払っていく。


 防御壁が消えてしまわないように念じながら、痛む足とクラウスを引きずり少しずつセリアが切り開いてくれた隅へと移動し始める。


 途中何度か火球が飛んできてヒヤッとしたものの、防御壁がはじいてくれた。

 昨日びしょ濡れになりながらも防御壁を張る練習をした甲斐があった。


 火球が駄目だと判断した魔物達が、今度は石を投げてくる。いくつかははじき返したものの、一つの石がガツッと頭に当たる。


「ピィ! ピィ!!」


 再び肩に乗ってきたピィちゃんはもう見るからに慌てている。


 頭から何かが肌を伝って垂れてくる感覚がある。状況からして血、だろうか?

 まるで冷たくない水が肌を落ちてくるようで、それが血なのだというという実感が沸かない。


「大丈夫よ、セリアは強いんだから……クラウスだって、少し休めばまたさっきみたいにこの弓で魔物を吹き飛ばしてくれるわよ」


 私が引きずるクラウスの手には、白の弓が握られている。

 クラウスが目を覚ましてこの弓で魔物達を消し飛ばすまでの間、耐えればいい――そう思えば、足の痛みも、クラウスの重さも、投げられる石もいくらでも耐えられる。


「大丈夫、大丈夫……」


 その言葉を繰り返して隅まで移動すると、私達の盾になるようにセリアが魔物達と相対する。


 上を見上げれば、先程の部屋と約1階分の高低の差がある事が分かった。

 上から誰かにロープか何かを垂らしてもらえば這い上がれそうだけど、今は人もロープも望めそうにない。


(……ああ、あの騎士が付いてきてくれていたら)


 クラウスを必死に止める姿からは、かなり腕に自信がある様子だった。何故クラウスはあの騎士がくる事を拒んだのだろう?


「……ごめん……」


 まるで私の心を読んだかのように、クラウスが謝った。


「私の前では謝らないって、約束したでしょ?」


 先程の思いを振り払うように首を横に振り、心配かけないように笑ってみせる。きっとこの状況を、今一番悔いているのはクラウスだろう。


「大丈夫よ。大丈夫」


 もう一度、その言葉を繰り返す。先程クラウスが私にそう言ったように。セリアが私にそう言ったように――私も、そう言うしかない。


 セリアが時折使う魔法の青い光を頼りに周囲を見回すと、丁度向かい側に通路がある。そこからぞろ、ぞろとゴブリンや死霊が出てきているのが見えた。

 セリアは周囲の魔物の攻防に集中していて、まだ気づいてないようだ。


「クラウス……あっちの通路から魔物来てる。その弓で一掃できない?」


 私の言葉に応えるようにクラウスは震える手で弓を構えたけど、その弦が引かれる気配はない。

 床が崩れ落ちる前から体調が悪そうだとは思っていた。その上床に落ちた衝撃で上手く体が動かないのかも知れない。

 立つ事すら難しい状況で弓を引けという方が酷か。

 


 何故か魔物達は石を投げてくるばかりで、こちらに向けて直接攻撃をしてこない。

 その手に持つ棒や剣で攻撃するのは、前衛のセリアにだけだ。


 セリアに守られているとはいえ、その折れた剣の1つでも投げつけて来られたら……と思ったら丁度投げつけて来られて、セリアがそれを叩き落す。


(何か……何か私に出来る事はないの!?)


 セリアの表情は必死でいつもの余裕が無い。いつ疲れ切ってしまってもおかしくない。セリアが倒れてしまったら、ゲームオーバー。


(セリアが倒れてしまう前に、私にできる事は……)


 防御壁を張りながら魔護具のナイフをギュッと握りしめてうつむいた先にはこの場に場違いな位、白い――弓。


「……クラウス、弓が引けないなら無理しなくていい」


 クラウスの震える手を包み込むように握ってから、クラウスの顔をじっと見つめる。


「その代わり、私に魔力を注いで。私がその弓であいつら一掃するから」

「アスカ……!?」


 辛そうなクラウスがずっと閉じていた目を開けて、驚いた声を上げる。


「ツヴェルフは相手の魔力をそのまま保てるんでしょう? 神器は魔力の色に反応するんでしょう? それなら――私が貴方から魔力を貰えば、私もこの弓を使えるようになるのよね?」


 それはもう、まさに命懸けの賭けだった。


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