第8話 痛恨のミス
放課後――雨が降る中、校門に並ぶ迎えの馬車。
その中の、ラリマー家の家紋が入った馬車の前までしっかり三人の令嬢達に雨よけの防御壁を張られながら護衛されてきた私をラインハルトが目を細めて見据えてきます。
「ルクレツィア様、今日はこのまま帰りますか?」
確かめるように聞いてくるラインハルトの言葉にいくつかの思考が過ります。
予定通り家に帰ってヒューイ卿に手紙を書くか、それとも――
(ネクセラリア様の言葉も一理あるのです……下手に情を持たれてしまったり事を終えた後で「また姿を変えて欲しい」などと言われてお父様に負担をかける事になる位なら、一夜限りの幻で終わらせたいですわ……)
何より私自身、どうでもいい男と何度もデートしたくありませんし――
「……帰る前にアイドクレース邸に寄ります。ヒューイ卿があの件を受け入れるかどうか、手紙で知らせるより直接見て知ってもらった方がいいと思いますの」
「分かりました」
ラインハルトはそう言うと一礼して馬車のドアを開けます。令嬢達は私の意味深な言葉を勘ぐる事もなく、
「「「それではルクレツィア様、また明日」」」
と別れの挨拶もキッチリ揃えながら頭を下げます。
そんな見事な連携を披露する令嬢達に挨拶した後馬車に乗り、ガタガタと響きだす車輪の音と雨音を聞きながら朝ぶりの開放感を堪能します。
彼女らの忠誠心が高いのは良い事ですけれど、あくまでそれは学院内。
馬車に乗って以降の、プライベートのお付き合いは一切無し、という状況は正直寂しいものがあります。
彼女達は休日は3人揃って街に出たりしてる事を知っているから、尚更。
(……まあ、我儘言って困らせるつもりはありませんけれど)
私はウェスト地方を統括するラリマー公爵家の娘。彼女らとは生まれながらに立場が違うのです。
プライベートまで一緒にいて、もし私の身に何かあれば、自分が足手纏いになったり不快な思いをさせるような事があっては自分の家が潰れてしまう――そう考えれば極力無難なお付き合いになってしまうのは仕方ない事。
私が橙の魔力を持つアーサー様を想う事も心のうちではよく思っていないのでしょう。
私がアーサー様の話をすると皆、凍りついたような笑みを浮かべるので話す気も削がれますわ。
中等部の頃は一人だけ『苦難だらけの恋、私は応援しますわ』と微笑みを浮かべながら苦言一つ言わずに付き合ってくれた子がいたのですけれど。
彼女はおいたが過ぎたばかりに中等部卒業と同時に親子ほどに年が離れている方に嫁がされて疎遠になってしまいました。
まあその方と余程相性が良かったのか、彼女は今2人の子どもに恵まれ島長にベッタリ張り付いて夫婦ともに仲睦まじく暮らしているとか。
それは良かったのですけれど気軽に恋の話ができる相手がいなくなってこっちはストレスが溜まる一方ですわ。
今私を護衛してくれている子達は何も悪くない、悪くないのですけれど――
(真面目であればあるほど、ラリマー家への忠誠心が高ければ高いほど、友情というものから遠ざかってしまうのは本当、寂しいですわね……)
ああ、住む世界が違う子達にあれこれ思うより新しい友人――家の事など全く気にせず、私に対して何の責任を負わない――
(まあ、もうすぐその願いは叶いそうですけれど……)
私とほぼほぼ対等な立場であるクラウス卿と恋について語らったり私と対等に話してくださるアスカさんの奇想天外な発想に対して突っ込んだり……彼らと過ごした時間は本当に楽しかったですわ。
(アスカさんが戻ってきたらそれぞれお茶に招待しなければ。もしアスカさんがクラウス卿を選ばれたらお二人一緒に招待するのも良いですわね)
その前にこの婚活を成功させて茶会の話題の一つにしたい所です。
私は誉高きラリマー家の娘――例え魔力無きツヴェルフと化そうとも、家に恥じぬ人間でいなければなりません。
この首飾りも意図はどうであれ、お父様が私の為に作ってくれた物――ギュッと首飾りのチャームを握って静かに目を閉じてこの婚活の成功を祈ります。
『ルクレツィア様すみません、揺れます!』
ラインハルトのテレパシーが響いて咄嗟に身構えた瞬間、ガタン、と大きく馬車が揺れました。
何か石でも落ちていたのでしょうか? ラインハルトが事前に声をかけてくれたお陰で転倒こそ防げましたけれど、防御壁も張れないのは本当に不便ですわ。
アーサー様と一日でも早く結婚したい、という気持ちの他に早く役目を終えて再び核を宿したい、また自由に魔法が使えるようになりたいという気持ちが強まります。
常に誰かに守られていなければならない立場というのは、私が思っていたより窮屈なのかも知れません。
大きく揺れたのはその一回きりで、それ以降は何事もなかったかのように馬車は穏やかに進み、少し雨脚が強まる中そう時間もかからずにアイドクレース邸に到着しました。
ラインハルトが門の前で馬車を止めて門番と話しているのを馬車の窓から眺めていると門番が舘の中に入って数分後――意外な人物が出迎えに来ました。
「ようこそ、ルクレツィア嬢。生憎だがヒューイは今、客人の相手をしていてね。私がそこまで案内しよう」
(まさか、公爵自ら出迎えに現れるなんて……!?)
内心驚きつつ、直ぐ様馬車から降り立って一礼した瞬間――シーザー卿の緑の魔力が著しく沸き立ち、木々に止まって雨宿りしていたらしい鳥達がバサバサと音を立てて飛び立っていきます。
何か気に触る事をしてしまったのか恐る恐る顔をあげると、シーザー卿は眉を下げて目を少し細めて微笑んでいました。
「ああ、すまないね……今ちょっとグリューンの機嫌が悪くてね」
外の雨音とは打って変わって静まり返った広い通路を歩く中、またシーザー卿の魔力が吹き出します。
先程よりは勢いが弱まっているようですけれど――
「……アズーブラウも機嫌が悪くなる時はあるのかな?」
魔力の高ぶりが収まった後、シーザー卿はこちらを振り返らずに問いかけてきます。
アズーブラウはいつだって穏やかで可愛いので機嫌が悪い時と言われてもいまいちピンときません。
(ああ、でも……私が群生諸島でお父様から初めて海での戦い方を教えられている時……)
あれは12歳の頃。慣れない海中で反公爵派の人間に襲われたのです。
それは自分の力で撃退できたのですけれど、その後、反公爵派が逃げ込んだ島の民とお父様がモメて――
「敵を匿う人間はこうなる、という見せしめも必要ですから」とお父様がその反公爵派と島の人間を全滅させた時、アズーブラウは私を乗せて島の上空を回遊していただけでしたわ。
『アズーブラウは自身も必要だと感じた時だけ力を貸してくれるんです。ですのでアズーブラウの力を借りたいと思った時は力を貸してもらえるかどうか、事前に聞いておいた方がいいですよ』
家に帰る際にお父様がそんな事を言っていた事まで思い出します。
(でも……これはシーザー卿には言わない方が良さそうですわね)
この方のお父様への悪意を考えると『アズーブラウは力を貸してくれない時がある』なんて余計な情報――絶対に与えない方がいいですわ。
「過去を振り返ってみたのですが……私が知る限り、アズーブラウが機嫌悪くなった事はありませんわ」
「そうか……だとすると、やはり問題は宿主の方にあるんだろうね。もう限界が近いんだろう」
無難な答えを返すと、こちらを振り返ること無くシーザー卿の意味深な答えが帰ってきます。
「……どういう意味ですの?」
「言葉のとおりだよ。少し前に彼の戦い方を見る機会があってね。鞭を器用に操って膨大な魔力で身を守ってはいたが……彼は生まれが生まれだからね。50を超えて大分ガタがきているようだ」
――ああ、やっぱり、この人はお父様の出生について知っていますのね。
チラ、とラインハルトの方に目をやると困惑した表情を浮かべています。
迂闊な発言をされる前にそっと人差し指を当てて黙るように促します。
「……今の言葉に対して何か言う事はないのかな?」
こちらを振り返るシーザー卿の目は私がどう出るか楽しみにしているように嘲笑っているように見えます。
「……この状況で私が声を荒立てればこの縁談は終わってしまいます。私は私の譲れないものを優先させて頂きますわ。今の言葉をお父様に伝えるような事もいたしません」
ごめんなさい、お父様――ラリマー家の、お父様の名誉を尊重したい気持ちもありますけれど――アーサー様との結婚がかかってますので私、そちらを優先せざるを得ません。親不孝な娘で申し訳ありません。
「ふふ……心配しなくても君が何を言おうとボクの意思でこの縁談を壊そうとは思ってないよ。言いたい事や聞きたい事があるのなら遠慮せずに言うといい」
「では……前々から聞きたかったのですけれど、シーザー卿は何故いつもお父様を煽りますの?」
率直な質問にシーザー卿は少し視線を横にずらし、再び私を見据えて嘲笑の笑みを浮かべました。
「……何故と聞かれても難しいね。いつも薄気味悪い笑顔を浮かべている彼が本気で怒る姿を見てみたくなるから、としか言えないな」
ロクでもない答えが返ってくるとは思っていましたけれど――本当にふざけた理由ですわ。
この件はアーサー様と結婚してアーサー様との愛らしい子どもを産んだ後、速やかにお父様に報告させて頂きますわ。
こういうロクでもない人間はお父様に海溝に沈められてしまえばいいのです。
「人を怒った姿を見たいだなんて……困った趣味をお持ちなのですね」
そう言いながらあからさまな作り笑顔を向けると、またシーザー卿の魔力が吹き上がります。
シーザー卿は私から背を向けてまた歩き出し――た先から何度も吹き上がる魔力に異変を感じたのでしょう、ヒューイ卿がこちらに向かって駆け寄ってくる姿が見えました。
「……父上、さっきから一体何を、って……」
私と目が合った瞬間、ヒューイ卿の足が止まります。
「お姫様……何でアンタがここにいる!?」
お姫様? まあ、そんな風に言われる事もありますけれど――でも、私はそんな風に動揺される程の存在ではないはず――と思っていると、ヒューイ卿の後ろでもう一人、駆けつけてきた人間の言葉が耳を貫きます。
「マリー!? 何故ここに……!?」
ヒューイ卿の後ろから走ってきたレオナルド卿の驚愕の言葉に私は自分が痛恨のミスをしでかしているかもしれない可能性に気づきます。
咄嗟に首飾りのチャームに触れると微かにボタンが浮いている――恐らく、先程馬車が揺れた時に誤って押してしまったのでしょう。
(迂闊でしたわ……!)
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