第30話 黒の情愛・3(※ダグラス視点)


 アーサーの異母弟は少しは私に遠慮して素振りや体力づくりの訓練から始めるかと思ったら、よりにもよって実戦向けの訓練を始めた。


 いかにも人を殺せません、といった気弱な顔立ちをしておきながら訓練はやや厳しく、日数を重ねる毎に飛鳥の腕や足、胴体に青痣が刻まれていく。


 青痣が増えていくのに飛鳥がなかなか治療に行かないのでここの文官長を務めているらしい女伯爵も脅して1日1回様子を見に来るようにさせたものの、訓練で怪我をする飛鳥は見ていて辛いものがある。


 例え飛鳥自身が望んだ事だとしても自分以外の誰かが飛鳥を傷付ける事が苦しい。

 体の中に入ったからといって心が読める訳ではないが、飛鳥が私の元から再び飛び立とうとしているのが感じ取れる事が悲しい。


 何より、黒の魔力から飛鳥の心を守る事しか出来ない今の自分が恨めしい。


 黒の魔力は一度暴れるのを抑えてしまえばまた心を荒ぶらせる事が起きない限り平穏だった。

 バレても仕方ないとは思ったが、けしてバレたい訳ではない。

 隙を見て飛鳥の体から出て、また嫌な予感がしたらこっそり入りこむ惨めで非力な子猫生活は日を追う毎に私の心を蝕んでいった。



 館にいる誰もが寝静まったであろう時間帯にも関わらず煌々と灯りが付いた部屋に入り込むと、机に齧りつくようにしてカチャカチャと何かをいじっている変人侯がこちらに顔も向けずに呟く。


「ああ、新しい手紙が来ているよ。いつもの所に置いてある」


 ガラクタだらけの床を歩くのにも、小ぶりなベッドサイドのテーブルの上に飛び乗るのも、封が開いてない黒い封書の封蝋を前足で剥がして紙を取り出すのも慣れた。


(今回の手紙はヨーゼフからか)


 前回まではルドルフだった。暗号化された文章で大分傷も癒えた事と、こちらを気遣う言葉が短く添えられている。無事回復した事に安堵しつつそのまま読み解いていく。


 まず白の騎士団の動きは表向きは不自然な位にいつもどおりだという。ただ、私が破壊した箇所が放置されている事、館の調度品が少しずつ売却されているようだ。


(見限られたな)


 部下を大切にせず、館すら放棄する当主などに誰が仕えるものか。となると後はいつ行動を起こされるかだが――


 続く報告に目を通す。もう半節が経とうとしているのに皇帝の容態は未だに思わしくないようだ。この状況で一度もアレが皇帝の治療を試みていないとも思えない。


 どんな傷や病気も癒やせる白の魔力でも老いた体を若返らせる事はできない。一時的に時を止める魔法はあれど、時を戻す魔法なども存在しない。


(もう長くはないな……)


 今頃どの貴族達も崩御に備えているだろう。継ぐ者は皇太子一人しかいない分表立って反乱や内乱が起きる心配は無い、が。


(皇帝が崩御すると14会合が開かれる……)


 6大公爵と8侯爵が一同に介する14会合は通常は年に一度、最終節である赤の節に行われる。しかし国にとって一大事が起きた際、緊急招集がかかる事がある。皇帝の崩御はその一大事にあてはまる。


 皇帝の死を悼み新たな皇帝を歓迎しこれからの方針を話し合った後ツヴェルフ転送の事も話題に上がるだろう。

 その時に飛鳥がこの世界に残っている事を知られていたら確実に大事になる。


 黄は完全に飛鳥を敵視している。そして後ろの変人侯はともかく、もうひとりの配下であるペリドット侯は黄の忠実な片腕だ。


(また黄と対立するか……流石に今度はいくら積んでも見逃されそうにないな)


 そもそもあのメイドを助ける為に今ある財産の半分を使っているのだ。

 私の魔物討伐で得る金が一切入らない状態が続くようなら数節後には黒の騎士団に支給する金もままならなくなってくる。


 それに父親の跡を継いでジェダイト侯になった娘も恐らく父親が死んだ原因である飛鳥を良くは思っていないだろう。


 『ジェダイト家の動きは俺が監視しておくから』とヒューイに言われてジェダイト家の存続を許した事を後悔する。


 皇帝が崩御する前に本来の体に戻りたい。それが無理なら14会合が過ぎるまで飛鳥は地球に帰った事にしておきたい。しかし白の騎士団がこのタイミングを狙って暴露しようとしている可能性がある。というか今なお沈黙を貫いているのはそうとしか考えられない。


 皇家に訴えても反応が思わしくないから公侯爵の力を借りて潰そうとする――そこまでする憎しみの対象は、飛鳥か、アレか、あるいは両方か。


 仮にヒビが治り、元の体に戻れて私自身が会合に出られたとしても彼らや黄や侯爵達を説き伏せられるかどうか怪しい。

 赤も青もそんな公侯爵達の敵意を買ってまで飛鳥を庇うとは思えない。私の時が止まったままなら尚更だ。


 今の状況は非常にマズい。

 それなのに今の時点でまだアーサーは隣国に行けていない。他に私の器のヒビを治す有効な方法が見つかったならこの報告書に兆候が記載されていてもおかしくないのだが、それもない。


 私の器が破損してからもう半節も経つのに状況が殆ど変わらない事に焦燥感を抱く。


『……エドワード卿、また代筆をお願いしたい』


 ヨーゼフの報告書には今の黒の騎士団の現状等も記載されていた。指示を出さないといけない物もいくつかある。


 前回の手紙の返事も代筆してもらった。結果的にこの変人侯にはかなり世話になってしまっている。ベヒーモスどころか魔物の頂点に立つ巨竜種を飼っていても黙らざるを得ない程度には。


「ああ、ちょっと待ってくれないか。この魔護具なんだがね、放出した魔力を再び吸収するようになっている。それに僅かだがとても希少な永魔石を使っているんだ。石から半永久的に放たれる僅かな魔力を放出、吸収する事で半永久的に効果を保つ訳だ。そして、魔力を持ってない者にも反応するこの命令言語なんだが、古代の……ああ、分かった、代筆を先にしよう。だからそんな目で見ないでくれ。私だってね、説明してるのを冷めた目で見られて何も思わない訳じゃない。しかしこの永魔石、一体どこで採掘しているのか……」


 変人侯は私に背を向けるとブツブツと机から紙を取り出し、私が伝えた言葉をそのまま書き記していく。暗号なのは分かっているだろうにどういう意味なのか一切追求してこない。お互い様、という関係はお互いに都合が良い。


「しかし、いちいち人の家の文官長を脅してまで彼女を気にかけるなんて君もなかなか一途だね。自分を捨てて地球に帰ろうとした子の怪我を心配し、心が荒れるのを防ごうとする。まさに恋、青春だね。昔を思い出すよ。私もリーシャと一緒にいる時は心に花が咲いたように色づいていた。あの頃は本当に、彼女が愛しくて大切で仕方がなかった」


 ふふ、と昔を懐かしみながら書き終えた手紙を封書に入れた変人侯の姿に違和感を覚える。


『その割には貴殿はツヴェルフの方を優先したようだが……』

「それはそうだ。どれだけ相手を愛していたとしても家族を追い出せと言われて追い出せる人間がどれ位いると思う? 私は恋人と家族を秤にかけて家族を優先したに過ぎない。恋も愛もとても素晴らしい物だが、それがなければ生きられないという物でもない。君にだって愛以上に大切なものがあるだろう? 愛が一番大切だとしても大切な物がそれしか無い、という訳でもないだろう?」


 飛鳥が大切なのは間違いないが、確かに飛鳥の為に全てを投げ出せる訳ではない。

 金、地位、家臣、力、名誉――どれをとっても、飛鳥の為に投げ出すには限界がある。


 飛鳥が逃げるなら捕まえる。魔物を数万倒してくれば飛鳥が手に入るのであれば数十万でも倒してみせる。しかし何もかもを手放せば飛鳥が手に入る、と言われたら躊躇する。これまで積み上げてきた物を投げ出す事は出来ない。


 それが私とアレの決定的な違いなのかも知れない。アレは部下に見限られるより先に飛鳥以外の何もかもを見限っていた。


 塔の屋上での戦いの最中、転送陣が浮上した際アレの私への攻撃が明らかに甘くなった。アレは転送陣の方に注視していた。あの不自然な態度は、恐らく――


「まあ……別れた後にリーシャが妊娠していた事が分かって母子ともども館に引き取らせてもらったからジェシカを優先した、という事にはならないのだがね」


 変人侯の言葉に思考が遮られ、また新たな疑問がよぎる。


『一緒に住まわせたのならまた衝突が起きたのでは?』

「ははは。その頃にはどっちも私に呆れていたようだからね。それに相性が悪い猫同士でも同じ空間にいなければ喧嘩はしない、とジェシカが言ってくれてね。お陰で私はリーシャを看取る事が出来た。リチャードの成長を傍で見守る事が出来た。ジェシカには本当に感謝している。さて、私はまたこの魔護具の調整に入らないといけない。何とか今日中に直せそうだ」


 再び細いドライバーを片手にカチャカチャといじりだす。どういう作業をしているのか興味がないでもないが、少し足がフラつき始める。


(飛鳥の傍に戻らなければ……)



 力の入らない足で部屋に戻り、うっすらと見える飛鳥の寝顔が安らかである事を確認し、すぐ傍で眠る。

 器の中に入るよりは傍で寝ていたい。器の中は心地良いが飛鳥の顔は見る事が出来ない。


(……この想いは、いつかしぼんでしまう物なのだろうか?)


 そう言えば、以前飛鳥が私の心変わりを心配していた事がある。その時はただ単純に愛しいと思った。こんな愛しい人から心変わりなどするはずないと思った。


 だが――母の、父への愛が潰れたように、飛鳥が私に向けてくれていたはずの愛が萎んだように。愛はけして不変な物ではないのだ。


 そう思うと無性に飛鳥に触れたくなって、そっと前足を頬に添えてみる。柔らかい感触はつい口づけをしたくなる程に魅惑的だ。


「んん……ペイシュヴァルツ?」


 しまった、と直様手を離そうとしたが体ごと掴まれる。


「そこ寒いでしょ? こっちおいで……?」


 言いながら布団の中にぐいっと引き寄せられる。温かくて柔らかい物が当たる。


(あああああああ!!!)


 あの夜の事が思い起こされてモヤモヤが一気に吹き飛ぶ。飛鳥は忘れてしまっているが私は全て覚えている。柔らかい感触も、微かに漏れる甘い声も。


(持たない! この状況は持たない!! どうにか――)


 と思った所でフイっと寝返りを打たれる。


 ――――逃げようと思ったのは確かだが、それより先に容赦なく向けられた背中が少し寂しい。


 飛鳥の体温で温められた布団の中から追い出された訳ではない。ただ単に体勢が辛くなって背を向けただけだろう事も分かっている。それでも。


(そういう所が……私を翻弄するような仕草が、本当に気に入らない……!!)


 苛立ちと安堵が入り乱れて全く眠れそうにないこの状況で、強く目を瞑って意識を手放すように心がけた。


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