第140話 命賭けの愛に気づいて
つまり――私が喋ろうが喋るまいが、ダグラスさんにとって気に入らない態度を取ればあの人魂達にに刃が刺さるという事。
物にあたる人間ですら見ていて気持ちいい物じゃないのに、今まで人の叫びで心落ち着かせてきたなんて。
しかもそれを『悪い人魂だから』と正当化してる事を知ってしまったら、もう、今まで通りの視線を向けられない。
ザアッと自分の中で何かが引いていく感覚が寂しさを誘う。
「……私に、思う事があるなら、言ってくれれば……」
「いいえ……飛鳥さんは少々至らない所があるだけで何も悪くありません……貴方と接する時、どうしても貴方の心を折って黙らせてしまいたくなる衝動が沸き上がる私が悪いのです……ですが、この衝動こそ黒の特性……どうしようもない物です。だから……衝動の矛先を変えたいと思った」
発想自体も恐ろしいけれど、それを実現できる力も恐ろしい。
「……いつから?」
「皇城で彼らの魂を回収した日の夜からです……陣を組み込むのに時間がかかりましたが、お陰ですごく穏やかな気持ちで貴方と接する事ができるようになった。この数日間……とても……とても幸せでした」
すぐ近くの人魂に黒い刃が幾重にも刺さっている、この状況に似つかわしくないその笑顔は、本当に幸せそうで。
「飛鳥さんも……そうだったでしょう? 変な事で機嫌を損ねたり、煽ったり、乱暴な事しない私は、飛鳥さんにとって心地よい存在になっていたはずです。貴方の目を、表情を見ていたら、それが良く分かる……」
ここ数日も十分煽ってたけど、それは無自覚で煽ってたのかな――なんて、今はそんな事より向き合わなければいけない事がある。
こういう状況になってしまったきっかけは、私だという事。
ああ、私が、馬車の中で泣き叫ばなければよかったんだろうか?
私は死ななかった。大怪我だってしなかった。それで良かったと思えば良かったんだろうか?
少なくとも私が叫ぶまでは、この人は魂にまで手を出さなかった。
きっと怒りや不快感と魔力を連動させる事を思いつく事もなかった。
囮にした貴族も、反公爵派も、この人も――大嫌いだなんて、叫ばなければ。
後悔と絶望が足の震えを再度呼び起こす。立ち続ける事も出来ずにその場に座り込んでしまうとダグラスさんも膝をつく。
「この方法なら、私はこれからもずっと貴方の優しいダグラスでいられます。だから遠慮なく私に甘えてください、頼っ」
「私は……もう、もういいですから……やめてください……!」
自分が原因で人がもがき苦しむのは耐えられない。それは大半の人がそうなはずなのに。
なんで。何で、この人にはそれが理解できないんだろう?
涙がこぼれると同時に、魂の悲鳴が響く。
「何で、何でそんな顔をするんです……? 私は別に、何の罪もない人を苦しめている訳じゃない……!」
また、別の悲鳴が響く。
「こいつらは貴方を殺そうとしたんです。この程度の苦痛、受けて当然でしょう……!?」
また刃が現れて刺さっていく。また悲鳴が――
「ああ……大丈夫ですよ? 先ほどは魂の扱いに慣れておらず一匹逃げかけましたが、もう逃がしません。しっかり苦痛を味あわせた上できっちり消滅させます。転生などさせません……復讐される事など永遠にありませんから……だから、安心してください……!」
(違う、本当に、そういう事じゃない……!!)
そりゃあ、襲撃した時点で死は覚悟すべきだと思う。私だって自分を殺そうとした人間がまだ生きてると聞いたら不安で仕方がない。
死は、分かる。殺した事を責めてる訳じゃない。そこを責められる程、私は心優しい人間じゃない。
だけど――死んでからも苦痛を与えられ続けるのは――違うでしょう?
記憶も過去も事情もすべて洗い流されれば、お互い次の人生では関わり合う事無く幸せになる事だってできるはずなのに。
いくらなんでも死に脅かされただけで魂まで消すのは、過剰防衛。私を理由に誰かが酷くいたぶられているのを見て見ぬ振りができる程、心無い人間でもない。
(ましてその理由が私と愛し合う為? 私がこの人を不快にさせる度に攻撃されるのだとしたら、私は、ダグラスさんを通して彼らにどれだけの苦痛を与え続けてきたの?)
私が傷つけられた以上に私が原因で彼らが苦しんでいるのを知ってしまったら、ざまぁみろなんて思えない。
それは綺麗事でも何でもなく、知らぬ間に加害者の立場に置かれた事に対する不快感と――絶望。
私は殺される恐怖さえ、狙われる心配さえ無くなれば良かった。その確実な結果が死なだけで、それ以上の苦痛を課したいと思うほど彼らを憎んでいた訳じゃなかった。
「私…‥言葉とか態度とか、気を付け、ますから……!」
「貴方はそのままでいい……無理をさせて他の男の所に行かれたくない……貴方にここにいてほしいと願う私が、この衝動を貴方に向けないように工夫すればいい……」
そうやって、こちらに押し付けずに自分で工夫する発想はいいけど――やり方があまりにも酷すぎる。
「解放、して、ほしいです……」
「嫌です。いくら貴方の頼みでも聞けない……貴方が許すと言っても、私の怒りはまだおさまっていない……今だって、そうです、こいつらのせいでまた、私と飛鳥さんの間に距離が開いた。せっかく、ここまで、縮めたのに。こいつらのせいで、また……!」
少し上の方から悲鳴が聞こえる。
(ああ、ああ、もう……話にならない)
逆らう力も無い、泣いても駄目、説得してみても駄目――どうすればいい? どうすれば彼らを救える? どうすれば私は<加害者>の立場から降りる事ができる? 何に抗う力もない弱者には、立場を下りる権利もないのだろうか?
(私が頭を下げれば、縋れば……)
いや、私が彼らの為に頭を下げたらどう考えても彼の逆鱗に触れる。
ただでさえ、今、幻の甘さに飲まれてしまった自分に対して泣き崩れたいのに。
嫌だ、嫌だ、誰かの死を背負わされるのは、魂まで背負わされるのは、もう――
(それなら……落ち着け……!)
今は、泣いてなんていられない。逃げられない。パニックになる事も出来ない。
そのうえ、弱者だからとこの惨劇を受け入れる事もできないのなら――
すう、と大きく息を吸って、吐き出す。
「……ダグラスさんは、私の事が……好き、なんですよね……?」
「そうです……! だから貴方に怒りをぶつけたくなくて……! これからはずっと、貴方に優しく接する事が出来る……私と飛鳥さんを引き裂こうとした奴らも、その魂を持って罪を贖う事が出来る……それだけの話です……!!」
私が紡ぎ出した言葉に希望を見出したのか、縋るような言葉をかぶせてくる。恐らくこのまま言いくるめて納得させてしまおうと考えているんだろう。
「私は、その人達を助けたいです……」
じっと、彼の眼を見据える。嫌悪感を押さえつけてひたすら訴えかける眼差しは、彼にどう映ってるだろう?
「まだ、それを言いますか……? 彼らが存在する事自体が貴方の心を痛ませるのであれば、もう全て消してしまいましょうか……!?」
ゆっくりを首を横に振って戸惑いつつも魂の方に延ばされた手を、全力で掴む。私の動作にダグラスさんは少し驚いたように見つめてくる。
「ダグラスさん、魔物狩りの時に、言いましたよね……? 私の為なら、魔物を倒してもいいと。自分の、そういう気持ちを、利用すればいいと」
あの時は、本当に嫌な言い方をすると思ったけれど。それが彼の価値観なら、私も同じ言い方をすれば――
「ダグラスさんも、私のこの、助けたいという気持ちを、利用すればいい。私に出来る事なら、何でも、します……だから、この人達をもう……解放してあげてください」
ここで涙を見せたらまた、黒い刃が舞う。真正面から向き合わなければ、負ける。
「……何でも?」
「私、ダグラスさんの事、無茶なお願いはしない人だって、信じてますから……!」
ありったけの希望を込めて、真っ直ぐに言い切る。こう言えばこの人は、私の受け入れられる以上のお願いはしてこないはず。
(大丈夫。この人は……私の事を考えてくれている)
散らされた花畑の中でしぶとく咲く数輪程度の花が、私にそう思わせた。
もしこれで酷いお願いをされれば、その花達も枯らす事ができる。それはそれでこの人に何の未練も抱かずに恋を終わらせる事ができる。
シン、と静まり返る。何も舞わない、魂の淡い光と青白い星の光だけが刺す空間で彼は神妙な面持ちで指を唇に当てて考えこむ。
「では……抱き締めさせて頂いても?」
「……分かりました」
立ち上がろうとするもまだ足に力が入らず、
「すみません、足に、力が……」
ゆっくり見上げるとそのままの体制でそっと抱き寄せられる。
「ああ……」
ダグラスさんの恍惚の声が耳に響くと同時に、その抱きしめる力がどんどん増していく。
そして重く、暗く、冷たい黒の魔力が体の中に落ちて来る。
「貴方への想いを自覚してからずっと、こうしたかった……」
優しい声がすぐ耳元で囁かれる。
(私は……こういう状況になる前に抱き締められたかった)
力強く抱きしめられたまま、どの位の時が経っただろうか。ダグラスさんは少しだけ私から身を離すと、指を軽くはじいた。
その瞬間、深い青の魂がふわりと浮き上がり、弱々しく窓の向こうに消えていく。解放――されたのだろう。
良かった、とその魂を見やるとそのまま顎を彼の指で持ち上げられる。
「……口づけしても、宜しいですか?」
どうやら彼の中では魂1つにつきお願い事1つと解釈されたようだ。だけどここで押し問答するとまた厄介な事になる。
「……はい」
聞こえたかどうかも怪しい程小さな言葉で、了承する。
ああ、どうせ口づけするのならあの時――物音なんて気にしなければ良かったのに。そっちの方がまだ、綺麗な想い出として残せたのに。
あの緑の人が馬鹿にしたような、無知で幸せなお姫様のままでいたかった。
失恋に似たようなどうしようもない虚しさが心に吹き付ける。
重なる唇の感触なんてもう、どうでも良かった。
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