第237話 説得下手な男の暴走


 転送まで、後1時間――この時間は長いのか、短いのか。

 会わずに帰れたら良かった。そうすれば記憶のとおり、全て無かった事にできたから。


 ダグラスさんは今、私にどういう言葉を投げかけるんだろう?


 色んな思考が同時に頭の中を巡る中、視線はこちらに近づいてくる彼を捉えている。彼の眼差しも微塵も揺らがせる事無く私を見つめている。


 不思議と怖くないのは彼が喜びの表情を浮かべているからだろうか?


「随分とお待たせしまってすみません。もう大丈夫です、飛鳥さん……帰りましょう?」


 穏やかな声で両手を広げながら距離を詰めてくる彼を遮るようにクラウスが私の前に立った。


「邪魔をするな……!」

「お前こそアスカの邪魔をするな。アスカはお前なんか待ってない……アスカが帰る場所は地球だ!」


 ダグラスさんの穏やかな声の温度が急激に下がってようやく、私の中に恐怖心が戻ってきた。

 クラウスの声も同じ位に冷たい。2人の声の冷たさに足が小さく震え始める。


「飛鳥さん……こっちに来てください。ここに来るまで極力人も物も傷付けないできましたが、流石にそこにいる奴らは傷付けないでいられる自信がない……後は飛鳥さんがこちらに来るだけでいい。大丈夫です、そいつらが何かして来るようなら私が守ります」


「嫌……!! わ、私は地球に帰る……!!」


 絶対に戻りたくない気持ちが自然と言葉を紡がせると、ダグラスさんは目を見開かせて明らかに動揺の色を見せる。


「ど、どうしてです……!? 昨日私達は熱く愛を交わしあったじゃありませんか……私の腕の中で眠る貴方はとても可愛かった……ベッドの上の貴方は本当に儚げで、美しくて……しかも私の事を好きだと言ってくれたじゃないですか……何か呪術でもかけられてしまったのですか!?」

「は……!?」


 戸惑いを隠せないダグラスさんの予想外の発言に思わず声が出る。それでもダグラスさんの声は止まらない。


「……見る限り洗脳されている訳ではないようですね……では昨日、何か気に入らない事でもありましたか……? 恥ずかしながら昨夜は私も色々と拙い面がありました。そこは今後改善するように努めます。後、飛鳥さんにも痛みを緩和する秘薬を使って頂ければそれなりに快感を――」


「せ、セレンディバイト公、それはこういう場で言う台詞ではありません! 時と場所と場面を弁えた発言をしてください!!」


 狼狽えた様子のレオナルドが諌めるように声を荒げるも全く意に介した様子もなく、虚ろな目をしたダグラスさんの言葉は続く。


「場所……ああ、部屋が気に入りませんでしたか? それなら模様替えしましょう、飛鳥さんの好きな色をどんどん使っていいです……貴方がいてくれるなら白や淡色系の色にも耐えましょう……ああ、そうだ、訓練したがってましたよね? それも好きなだけしていい……私自ら稽古をつけましょう! どんな武器を使いたいですか……!? 魔法と一緒に練習しましょう……!!」


「そ、そういうのじゃない……!!」


 これ以上のダグラスさんの暴走を聞きたくなくて、咄嗟に否定の声を上げる。


 クラウスの背から見るダグラスさんの目は酷く淀んでいるように見えた。

 そしてダグラスさんの周りの人間が皆ドン引きの目で彼を見ている気がする。共感性羞恥――という奴だろうか? 正直私が気まずい。


「では何が理由で帰るのですか? この世界に対して不満な事があるなら、私に言って頂ければ全て何とかしてみせます……!!」


 周囲の視線を全く厭うこと無く私に向けられる、何でもやりかねない狂気を帯びた目が怖い。


「こ……この世界にいたら気になる漫画やドラマやアニメの続きだって見れないし、好きなアーティストの新作の歌だって聞けないし……!! そもそもこの世界、ゲームもテレビもネットもスマホも無いし……!!」

「それらがどんな物か教えて頂ければ私が全て再現してみせます!! 私が、貴方が望むもの全て叶えてみせる!! だから思いとどまってください!!」


 絶対に成しえないだろう不満を述べると倍の音量で言い返される。

 何言ってもこんな調子だと押し切られてしまいそうで怖い。堪えなきゃ。この人の事だ、どうせ作り出す物全てに絶対何か変な機能付ける。


「どうせ向こうで貴方の帰りを待っている人はいないのでしょう!? 私は貴方を求めている!! もう、貴方がいない未来なんて考えられない……!!」


 ダグラスさんが続けた言葉が突如私の逆鱗に触れる。


 どうせ? 向こうで私の帰りを待っている人はいない?


「な……何よ、その言い方!! 誰かに求められてる人じゃなきゃ帰っちゃいけないって言うの!? 貴方はいつだって私が他の男に媚売ってるような言い方するけど、別に私、誰も待ってなくてもいいし!! いいなって思える人と出会えるかも知れないし、出会えなくても楽しく生きるんだから!! 馬鹿にしないで!!」


 ハッキリそう言い返すとダグラスさんは明らかにしまった、という表情を浮かべた後で縋るような声を出す。


「す、すみません……馬鹿にしたつもりは……!! そ、それに、約束したじゃないですか……!! 私は、貴方の願いどおりにメイドの命を助けた……しかし、飛鳥さんはまだ、私の願いを、叶え……」

「……何の話?」

「……え?」


 怪訝な視線を向けると、ダグラスさんの声が止まり久々に静寂が漂う。


「ああ……アスカはメイドを守る事と引き換えにダグラスに強引に犯されたんだよ……アスカを傷付けるだけだから言わなくていいと思って……」


 クラウスにそっと手を握られる。いや、このタイミングで手を握ってくる意味が分からない。

 え? セリアはそれで大丈夫なの? いや、服とか届けてくれてるんだから、大丈夫なんだろうけど――


「強引にはしてない、同意の上だ!! むしろ後半は飛鳥さんの方が積極」

「ダグラス卿! 状況が状況だけにそういう発言になってしまうのは分かりますが女の敵になるような発言は慎みになって!!」


 今度はルクレツィア嬢がダグラスさんを諌めるも邪魔そうに振り払う仕草をした後、


「とにかく……まだ約束は成立していない!! 何より飛鳥さんがそれを気にしていたはずです!! それを反故にして地球に帰るというなら貴方は本当に魔女だ……!! 私に身も心も大金も捧げさせておいて、貴方は……!!」


「そ、そんなの知らないわよ!! そんなの、知らない……!! だって私、マナアレルギーでパーティー以降の記憶全部吹っ飛んでるんだから!!」


「アスカ……!」

「記憶を……!?」


 クラウスの言葉とダグラスさんの言葉が被る。


 この状況、皆何を思って聞いてるんだろう――? 周囲の表情とか見るの怖い。

 何か物凄く嫌な予感もしてきたし。もうこんな恥ずかしい言い争いが続くならいっそ誰か痺れを切らして戦闘開始して欲しい。


「なるほど……マナアレルギーで記憶が飛んだからこうまで頑ななのか……確かに、懐妊パーティーの時の私達の関係は最悪でしたからね……分かりました、それなら昨夜何があったのかご説明しましょう」


 1つ深呼吸をしてこちらを見たダグラスさんは私の状態を知って冷静さを取り戻したようだ。


「アスカ、聞かなくていい……アスカは記憶を失ってるから向こうは好き勝手言い含める事が出来る。綺麗に飾り立てる事もね」

「そこまで言うのであれば……私の言葉ではない、客観的な事実をお聞かせしましょう」


 首元の黒い石のリングをタイから抜き取ったダグラスさんはこちら側に見えるようにそれを掌に広げた。


『――何か色んな所触ってくるダグラスさんすごく嬉しそうだったし――』


 大音量で響く女性の恥じらい声に、明らかに場が硬直する。え? 何?


『くすぐったいし、すごく恥ずかしかったけどダグラスさんが喜んでるならそれで――』


 その辺りまできて、こちらに視線を向ける人間が何人かいて物凄く嫌な予感がした。


(これ、もしかして……私の声……!?)


 頭がそう知覚すると同時に体全体が熱くなる。


『……あ、あんまり嫌じゃなかっ――』


 突如白い光が放たれて音声が中断する。クラウスがいつの間にか白の弓を構えていた。


「し、信じられない……お前、何こんな所でアスカの声晒してるの……!?」

「私とて飛鳥さんの甘く可愛らしい言葉を他人に聞かせたくない……が、記憶が無いのなら聞いてもらうしかない。少なくとも私が強引に致した訳じゃない事は分かってもらえる」

「それにしたって音量が大きすぎますわ! アスカさんにそれ渡して聞いてもらえばいいだけの話ではありませんか!! その部分の誤解は解けてもまた別の部分に亀裂が入りますわ!!」


 ルクレツィアの言うとおりだ。何でこんな所で、皆に聞こえるように自分のそんな声大音量で聞かされなきゃいけないの!?


(やだ、やだ、やだ、恥ずかしい……!!)


 込み上がる羞恥心に耐えきれず耳を塞いで蹲る。もう立っていられない位恥ずかしい。

 何あのうっとりした声。何あの恥じらい――好きな人とようやく結ばれた垢抜けない女の子みたいな声。


 新聞に自分の惚ける顔が撮られた時と同じ――いやそれ以上の羞恥が襲う。


「飛鳥さん、ちゃんと聞いてください! 昨夜は貴方が今思っているような状況じゃなかった!! 私達はちゃんと同意のもとで契り――」

「だからそれを大声で言うなって皆言ってんだろうが馬鹿!! テレパシー使え、テレパシー!!」


 ヒューイの珍しく怒張を含んだ声が頭を叩く軽快な音と共に響く。

 

『飛鳥さん、どうか……どうか私の話を聞いてください!!』


 頭の中に響くダグラスさんの声が羞恥心に油を注ぐ。


「もうやだ、もうやだ、恥ずかしい……!!」


 その場にへたり込んで頭を押さえるも、頭の声は止まない。

 あの人、一緒についてきた人達に説教されて恥ずかしいとか思わないの!?


『私はあの夜を無かった事になんて絶対できない……!! 私は昨夜の飛鳥さんを信じている……私達は絶対に愛し合える……分かり合える!!』

「絶対に分かり合えない! 貴方は私が何言っても変わらないじゃない!! こんな所で人の恥まで晒して……!!」


 大嫌い――そう大声をあげようとして、躊躇する。


(駄目だ、その言葉を言ったらまたこの人はよりおかしい事になる)


 どれだけ感情が荒ぶろうとかつて自分が冒した失態を頭は覚えており、グッと言葉を詰まらせる。


「っ……飛鳥さん、その指輪は……!?」


 突然話が変わり、自分の指についているたった1つの指輪に目を向ける。右手の中指に嵌った、白い魔晶石の指輪が何だというのだろう?


「ああ、ああ……そんな……!!」

「穢れたアスカが嫌なら地球に帰して新しいツインのツヴェルフを呼べばいい」


 酷く取り乱して首を横にふるダグラスさんに向けて言葉を発する前にクラウスの言葉が発せられると、ダグラスさんの目に強い――殺意と言ってもいい位の怒りがこもる。


「黙れ……!! 畜生にも劣るお前ごときに飛鳥は絶対に渡さない……誰にも、渡さない……絶対に帰すものか!!」


 ダグラスさんが歯を食いしばり黒の槍を強く握った瞬間、急速に近づいてくる。


 反射的に身構えた私とクラウスまで後数歩という所で視界に赤が挟まり、神器同士がぶつかる衝撃波をうっすらと感じる。転送陣には守護効果もあるのだろうか?


「っと……いかなる理由があろうと、無理矢理はよくねぇんだったよな……貴族として非常に許しがたい行為、ってヤツなんだろ? 相手の女性がツヴェルフなら、猶更なぁ!?」


 アシュレーが赤の斧で黒の槍を流して振り払う。

 ダグラスさんが素早く後退した後、斧で振り払った軌道をなぞるようにして炎のような赤が一瞬輝いて消えた。


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