第238話 健気な近衛騎士の慕情(※リチャード視点)
「クラウス! 戦闘開始って事でいいんだよな!?」
高く張り上げたアシュレーの声を合図に少し離れた人達に向けて剣を構える。
これまで一度も体験した事が無い上級魔法はあの白の色神から放たれているようだ。
僕達の様子を見ていたルクレツィア嬢が少し長めの印を手早く切り終えた後、向こうの4人も青白い光に包まれる。
「ペイシュヴァルツ!」
セレンディバイト公の背後から現れた漆黒の大猫も青白い光に包まれ、セレンディバイト公はそれに飛び乗るとクラウス様を追いかけるように浮上した。
「おい、逃げるのか!?」
「レオナルド卿、そいつに斧を投げさせるな!」
セレンディバイト公に向かって赤の斧を投げようとしたアシュレーに向かって雷が落ちる中、クラウス卿とネーヴェ様がそれぞれ唱えた
「リチャード、頑張って……!
背後からアスカ様の分も受けて一気に身体が軽くなった瞬間、目の前に橙色が過ぎった。
相手の剣がこちらの肩に触れる前に剣で受け止める。
相手の魔力を帯びた剣と僕の魔力を帯びた剣がぶつかり合い、神器ほどではない小規模な衝撃波が生じた。
『剣を引け、リチャード! 今ならまだ言い繕える!』
「引きません……!!」
兄上を覆う橙の強い光に僕の黄土色の光が押されていく。いつだってそうだ。いつだって、そうだった。
6歳も歳が開いている上にコッパー家の正当な色を継いでいてコッパー家史上最も大きな器を持って剣術にも長けて<神童>と謳われた兄上と、可もなく不可もない平凡な騎士にすぎない僕の間には到底越えられそうにない程の圧倒的な差がある。
『ツヴェルフを帰す事は皇家の公侯爵家に対する明確な反逆……お前は自分の家に剣を向けているんだぞ!?』
今僕は身体能力を高める魔法を3つも重ねがけされている状態で両手で剣を持って全力で兄上の剣を受け止めているのに、兄上にはまだこちらを説得しようとする余力がある。
「僕は、皇家直属の近衛騎士です……! ツヴェルフを……ソフィア様を守れという皇家の命令に背く訳にはいきません!」
剣を力ずくで流してすぐさま石つぶてを放つも、容易くかわされる。避けた先に剣を振り下ろすとすぐ様横に跳ばれる。
能力向上のお陰でいつもより剣が軽く身体が思うように動く。
振り下ろした剣をそのまま飛んだ先まで振り切ると、今度は後ろに跳ばれた――が、兄上が地に足をつけた瞬間、周囲を囲うように
薄灰色の陣の中でしか身動きが取れない、
『……そんなにソフィア嬢が大事か?』
「はい!!」
もう誰にも隠す必要もないと思って答えた言葉は、自分でも驚く位にハッキリと紡がれる。
『分かった……それならもう何も言わない。ツヴェルフごと連れ帰る!』
兄上の前に真っ白い術式が刻まれた魔法陣が宙に現れ、兄上はそれに触れて術式の解除に動き出す。
(魔道具と魔法の解除は勝手が違うからすぐに解除されるとは思えないけど……!)
いつこの結界が解かれるか分からない。高速移動も使いこなす兄上をノーマークにするとソフィア様達を守る転送陣を突き破って捕らえられかねない――そう考えるとここを離れるわけには行かない。
アシュレーは――優勢。ヒューイ卿は中立の姿勢を崩す気配はない。ルクレツィア嬢はネーヴェ様が同じ様に
(クラウス様は、拮抗している……下手な助力するとバランスを崩しかねない……)
状況から見ても今は兄上の行動に集中していた方が良さそうだ。現に既に拘束結界の強さが少し薄まっている気がする。油断できない。
これだけしてもらってもまだ兄上との間にある決定的な差に絶望がよぎる。それでもこの戦いは勝つ事は目的じゃない。
半減結界の効果のお陰で全力の攻撃でもなければ致命的なダメージも避けられる。何かあればクラウス様あるいはアスカ様の治癒魔法もある。
(僕が今為すべき事は、ソフィア様達が転送されるまで持ちこたえる事……!)
兄上と僕――年齢差も実力差もあり色も違う僕達は比較対象になった事すら無かった。
父上も兄の母も自由で優しい人で僕達を差別する事もなかった。
それでも魔導学院を卒業した際コッパー家に戻らずこのまま皇都で働きたいと公侯爵家の<跡継ぎ以外>が就く事が出来る近衛騎士の道を選んだ。
理由は家は嫌じゃないんだけど、ずっとそこにいると疲れるというか――皇都とコッパー領の距離はそのまま、僕の心の平穏を保てる距離だった。
普通の騎士を選ばなかったのは極力戦闘を避けたかったっていう臆病な理由もある。
学院の長期休みに帰省した際に勃発した国境の防衛戦で初陣を飾った時、僕は地獄を見た。
僕は多くの死が積もるような戦場に立てる人間じゃない――早々にしてそれが分かったから皇城で多少の堅苦しさこそあれ比較的穏やかな日常を送る事が出来た。
勿論戦場じゃないからと訓練をおろそかにしたりはせずに、同志を募って通常の訓練とは別に朝練したりして常日頃から鍛錬に励んでいた。
そんな中、皇城で十数年に1度の大イベント――ツヴェルフの歓迎パーティーが行われた。
皇国中の有力貴族達の大半が一同に会する場は貴族達にとって最高の交流の場であると同時に次世代を紡ぐツヴェルフ達を品定めする場でもあった。
継ぐ家もなく権力にも力にも興味のない僕には他人事だった。
とにかくトラブルが起きなければいいなと思いながら巡回していたら魔導学院の後輩のアシュレーとすれ違った。
「親父も歓迎パーティーでおふくろと運命の出会いって奴をしたんだよ。俺も運命の出会いがあるかもしれない!」ととても気合い入れた彼を心配していたら予想通りトラブルを起こした。
普段感情をあまり表に出さないセレンディバイト公が珍しく怒ってるし、といってリアルガー家の公爵令息をそのまま差し出す訳にもいかないし――と同僚達もどう対応するか困り果てて、
「お前の兄貴、セレンディバイト公と仲がいいんだろ? 何とか穏便におわらせてくれよ!」
と微妙な接点を持っている僕が人柱に立たされてしまい。セレンディバイト公に拘束されてるアシュレーをどう穏便に助けようか困っていた所に彼女達が来て。
アスカ様が平穏な解決法を提示してくれて助かったと思いきや本人は颯爽とお手洗いに行ってしまった。
不思議な雰囲気が漂う中ツヴェルフ達をこのまま休憩室に置いておく訳にはいかない。
「今宵は皆様方が華です。こんな所に長居せず会場にお戻りください」
ツヴェルフ達にそう促すと一人の綺麗なブロンドの髪に青い瞳が印象的なツヴェルフにじっと見つめられた。
青色を美しいと思ったのはこの時が初めてだった。
「……こちらの気持ちも知らないで勝手な事を言うのね」
綺麗な女性から紡がれる綺麗な声に僕の心は射抜かれてしまった。
僕も運命の出会いをしてしまった。ただ、公爵家の跡継ぎであるアシュレーと違って侯爵家の子でしかない僕には身分不相応な出会いだったけど。
その後、兄の母が地球出身のツヴェルフである事から接点ができて魔物狩りの招待状を送られたり、一緒にコッパー家へ向かったり――神様はけして良い事だけを授けてくれた訳ではないけれど、彼女と短い間でも共にいられるようにしてくれた事には感謝している。
そう言えば――彼女の好きな花があるかも知れないとコッパー家の温室に案内した際に偶然色褪せて枯れかけた花が目について摘み取ってしまおうとした時、彼女に止められた事があった。
「最後まで咲かさせてあげて」
そう言って寂しげに微笑う彼女に寄り添いたいと思った夜、メイドに殺されかけるのだけど――
『……全く、女は男の事情を一切鑑みる事無く自分の感情を押し付けてくるから困る』
魔法陣を解除している兄のぼやきが頭に響く。
「それは……あの方が特殊なだけです」
ここで名前を出してあの方に反応されると厄介なので名前は伏せる。
『いいや皆同じだ。青の娘もソフィア嬢もダグラスの婚約者も皆自分勝手に願望を押し付けてくる。お前がそれで良いと言うなら私が口をだす事でもないと思っていたが……お前がツヴェルフを帰す事に協力すると家の名誉に関わる』
また結界の効力が薄まるのを感じる。果たして、どの位持ってくれるか――
『それにしても……お前と彼女が好き合うのは分かるが、彼女が私を嫌うのは理解できない。私も彼女に色々尽くしてみたが全く彼女に伝わらない』
「伝わらないのは言わないからです。ソフィア様が家に来たいと言うから早めに出られるように皇家に強く掛け合った事も、魔物狩りで血や泥で彼女の服が汚れないように極力気を使っていた事も、魔物狩りの昼食は街で評判の軽食屋で早朝に仕入れてきた事も、全部言わなければ伝わりません」
『何故そんな事をいちいち言わなければならない? 媚を売っているようで気持ち悪い』
「兄上……気付かれない優しさは無いのと同じです。兄上が言うなと言うから言っていませんが……兄上の気遣いを察する事が出来る人間はほんの一摘みです」
『……伝わらないなら仕方がない。だが嫌われるのは納得がいかない。少なくとも私は彼女に冷たい対応をした覚えはない』
確かに、さり気なさ過ぎる気遣いは兄上にしては頑張っていた方だと思う。あの方への態度に比べたら大分善処していたと思う。だけど――
「非常に言いづらいのですが……メイドの殺し方に問題があったかと」
『殺し方……? 私は背後から首を断っただけだ。何処に何の問題がある?』
兄上の指の動きが止まり、怪訝な表情でこちらを見据えられる。
「……その、死というものに慣れてない方が見たらあれはトラウマになるかと……」
『私はあの場所で最善の方法を取っただけだ。守る為に殺したのに嫌われるとは理不尽極まりない』
そう――最善の方法だった。兄上が殺さなければ、僕がメイドを同じやり方で殺していた。
兄上は結果的に僕が被るはずだった泥を代わりに被ってくれたのだ。
「え……縁がなかったのです、きっと……」
相性が悪かった――とはどうしても口に出せず、無難な言葉で濁すと、兄上は再び指を動かし始める。
『お前は縁があって良かったか? 今こうして離れ離れになるのに』
「……はい。僕は、ソフィア様と出会えて本当に良かったと思っています」
恋愛感情を抱いても、彼女の器に魔力が混じるのは物凄く抵抗があった。最初は自分ごときの魔力でツヴェルフを穢してはいけないという自制心。
そして、彼女が地球に帰ると知った後は彼女と彼女が愛した男との間に自分の魔力が引き継がれる――それは酷い罪悪感とまるで托卵するかのような嫌悪感。
『この世界に残るつもりは全くありませんか?』と引き止めた事もある。
だけど彼女はその綺麗な目に強い光を宿して『私は地球でやりたい事があるの』と言いきられた。
『一緒に来ない?』と誘われた事もある。だけど僕はそれには応えられない。星の禁忌を犯せばコッパー家は僕のせいで滅んでしまう事になる。
子どもを作らなければあるいは――と思った事もあるけれど、彼女にそれを課す事はできなかった。
僕と彼女は、花を咲かせる場所が違う。
僕はこの世界から彼女の花がずっと咲き続けるのを願う事しか出来ない。
先程彼女のくれた口づけによって注いでしまった魔力もある程度は吸い取れた。
吸い取りきれずに僅かに残ってしまった魔力は許して欲しい。
結ばれる事が出来ないならほんの僅かな僕の魔力が彼女の子孫に継がれていく事を許して欲しい。
結界の中にいる兄上がふいに術式から顔を逸らす。その視線の後を追うとアシュレーの目の前を起点に閃光が走る。
「うわっ!!」
目を瞑るアシュレーにレオナルド様が畳み掛ける。
(あれは――高速移動!?)
地に足をつけて踏み込むのではなく氷上を滑るように斬撃を繰り出していくレオナルド様と、それを同じ様に滑るように後退しながらギリギリで交わしていくアシュレー。
仲間の援護が出来る位に
(後数秒で、解ける――)
結界が解けた瞬間を狙って兄上の下に陣術を敷き、かわされかけた所に印術の石つぶてを繰り出す。
バランスを崩した兄上に向かって飛び込む姿勢で斬撃を繰り出すと、全てギリギリの所で交わされる。
(
畳み掛けていく中で心配そうな顔でこちらを見つめる彼女が視界に入る。
彼女が首に巻き付ける僕の魔力とよく似た色のスカーフ。
『――貴方はくすんだ黄色だと卑下するけれど、私にとってはこの色は、黄金のように輝いてみえるわ』
そう言って微笑んでくれた貴方の為なら僕は誰とでも戦える。
例えこの生命が潰えても後悔なんて、しない。
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