第137話 他人に花を散らされて
またさっきみたいに突然打ち上げられたらかなわない――その声が耳に入るや否や反射的に身構えて防御壁を張る。
練習の末に魔護具のナイフから取り出さなくても防御壁を張れるようになった。そのせいでさっきペイシュヴァルツに弾かれてしまったけど。
「おっと、無知で幸せなお姫様の割に物騒だな」
「幸せ? 何処が……」
感心したようにヒュウ、と口吹いて目を細める姿にイラッとしつつスカートを託し上げ、ナイフを抜き出して更に防御壁を強める。
そんな私の抵抗など全く関係ないと言わんばかりに軽く見下すような眼差しを向けてくる彼は肩をすくめた。
「あいつの口づけを乞うてたさっきまでは幸せだっただろ?」
「……私、ダグラスさんの事、そんなに好きになってるように見えた?」
「一目で恋してるなぁと分かる位には?」
「そう……」
私の態度がそんなだったから、ソフィアの態度もあんなだったのだろう。私が口づけを拒んでいたらきっと態度は違ったはずだ。
だけど――私が本当に幸せそうに見えたのなら謝罪の言葉なんて聞きたくなかった。
私を<見捨てる>事に罪悪感があったからこそ、ごめんなさいね、なんて言ったのだ。
そんな事を考えながら睨む私をどう受け取ったのか、彼は両手を挙げて首を横に振る。
「心配しなくても俺はもう君に手を出せない……だからそう警戒しないでくれないか? 俺、領地返還交渉の橋渡しの為にしばらくここに通う事になったんだ。ここに来る度に気の無い女性に陰気な顔で防御壁張られる、っていう状況は面白くないんだよ」
「……悪いけど、私、自分の身は自分で守りたいから。それだけの事を、貴方、したから」
不満げに言う彼の言葉に従わず、防御壁を張ったまま立ち上がって館の中に戻ろうと後ずさる。
何されるか分かった物じゃないから迂闊に背も向けられない。
「少なくともこの館にいる限り君は常に君より強い誰かに守られてる。下手な事せず大人しく守られておいた方が良いと思うぜ? まあ……俺よりこの館の主の方がよっぽど危ないとも思うけどな」
エレンみたいに露骨な物ではないけど、その眼差しは私にあまり良い印象を抱いていない事が分かる。お姫様という言葉も何処か小馬鹿にしてる感じがするし。
「あいつが反公爵派を検挙した理由……教えてやろうか?」
「……私を、守る為でしょう?」
ゆっくりと後退る私と距離を詰める様子もなく、ただ薄ら笑う。
『やっぱり君は無知で幸せなお姫様だ』
会話とも、テレパシーとも違う感覚の言葉が柔らかい風を伴って耳に響く。
『いいかい? あいつは君を害そうとした人間に対して恐怖を知らしめ執拗に痛めつける残虐なやり方で、自分の傷を、君との関係を修復する為だけに命を狩り、そして……』
振り返るとヒューイさんの口元が小さく動いている。そこから紡ぎだされている声が柔らかい風で耳まで運ばれてくるような、不思議な感覚。
「アスカ様、まだこちらにおられたのですか」
ヨーゼフさんの声と同時に柔らかい風がピタリと止んだ。
「ヒューイ卿……困りますな。執務室に着いてから主が真っ先に一筆書かせたのに舌の根乾かぬ内からアスカ様に接触されるとは……そういう事だから『緑の家系は信用ならない』と言われるのです」
「契約書には<口を出すな>とは書いてなかっただろ? 気に入らないなら次に来る時に修正した契約書を出せばいい」
ただでさえきな臭い雰囲気だったのに、ヨーゼフさんが現れた事で一層その雰囲気が濃くなる。
「アスカ様!」
セリアの声がして振り返ると、館の中から私を発見したセリアがパタパタと駆けつけてくるのが見える。再びヒューイの方に目を向けると彼はそこにおらず、いつの間にか私の隣に立っている。
が――その緩んだその眼はもう私の姿は映していない。
「セリアさん……俺は相手の身分も魔力の色も器の大きさも気にしません。連絡、待ってます」
駆け付けたセリアの手を優しく取り、そっと口づけする。私とは天と地ほど違う、優しく温かな好青年的態度に寒々しさを覚える。
女性にそういう態度がとれるんなら、セリアと同じ女性である私にももうちょっと温かみのある態度をとってくれないものだろうか――?
今更そういう態度になられても戸惑いしかないけど。
「しつこい男は嫌われますよ、ヒューイ卿。さあアスカ様、お部屋に戻りましょう」
セリアはそんな彼の好青年風の態度に笑顔で冷たく対応した後、こちらに温かい言葉をかけてくる。心の中でセリアの好感度がちょっと上がる。
「そのお姫様に向ける優しさ……いつか俺に向けさせたい。まあ、また後日ゆっくりお会いしましょう」
彼はセリアの塩対応に気分を害した様子もなく一礼すると風を巻き起こしてフワり、と体を宙に浮かせた。
そして妖艶な笑顔を浮かべたと思うと、そのまま風に乗るようにして飛んでいった。
「あれって……魔法?」
「緑や青の要素が強い者が使える浮遊術<ヴォレ>です。彼らは
(あの魔法が使えればバルコニーから浮き上がって塔まで……いや、魔力を大量消費するんなら塔までは厳しいか……でも、この館を出る位なら……)
そこまで考えてふと、魔物狩りの時も床が落ちた場所でダグラスさんが私を抱えて浮いて上がってくれた事を思い出す。
お姫様抱っこ――思い返すだけで恥ずかしいのに今の状況で思い返すと猶更恥ずかしい。
「ヒューイ卿はああやってその時々の好みの女性の元に飛んで通い詰めては浮名を流す困った方です。今の好みではないはずのアスカ様に手を出さないように呪術付きの契約書を書かせても興味があれば言葉の隙をついてくる……本当に油断なりませんな」
ヨーゼフさんが珍しく不機嫌を露わにしている。緊迫した状況で交わした会話の理由はそれかと納得がいきつつも<呪術付きの契約書>というのが引っかかった。
いや、今一番引っかかっているのは彼の――言い残した言葉。
――恐怖を知らしめて執拗に痛めつける残虐なやり方で、自分の傷を、君との関係を修復する為だけに命を狩り、そして――
殺生については守られてる身で何か言える立場でもないからあまり考えないようにしていたけど――私が思う以上にダグラスさんは残酷な事をしてるらしい。
ソフィアの辛らつな言葉も、ヒューイの悪意を持って紡がれた言葉も、ささやかに咲いていた私の中の花畑の花を大量に散らしていってしまった。
ほんのわずかに残った花が悲しさを伴ってチラつく。
(好き勝手恋愛してる人達が私の花畑を踏み荒らしていくのはちょっと納得いかないわね……)
ちょっと心揺らいでしまった自分が悪いのは分かっているけれど。
館に入り、階段を上がろうとした所で機材を担いだギベオン夫妻と遭遇する。
「あの……今日は本当にすみませんでした」
そう言って頭を下げた後にしまった、と思いつつ下げた物をすぐに上げる気にもなれず。
「顔を上げてください。アスカ様には感謝しています。今日ここに来たお陰で主の良い顔が見られましたから」
ルネさんの優しい声に顔を上げてみれば、グスタフさんもルネさんも笑顔で私を見つめている。
「あの方は育った環境が環境だけに常識や価値観もアスカ様と大きく違うでしょうが、けして悪い人間ではありません。どうか、主をよろしくお願いします」
今度はグスタフさんがこちらに向けて頭を下げる。分かりました、とも任せてください、とも言えず愛想笑いしか返す事ができなかった。
2人を見送った後浴室で化粧を落とし、普段の服に着替えて部屋に戻る。
「セリア、あの人に恐ろしく塩対応だったわね」
ドレスをクローゼットにかけたセリアに気になっていた事を問いかけると、ふふ、と微笑みながら私が座るソファの傍に寄ってくる。
「ヒューイ卿は心を移ろわせるのが早い事で有名ですから……利用しようとするだけ時間の無駄です。ああいう方は初手からシャットアウトしておくのが最善です」
初手からシャットアウト――耳が痛い。私もダグラスさんに最初からそうできていたら良かったのに。いつの間にか飲まれてしまった。そこはつくづく反省しなきゃいけない。
「そう言えば……セリアって好きな人とかいないの?」
「今はアスカ様とダグラス様の恋模様を見守るので頭がいっぱいです」
「恋とかした事ないの?」
思えばいつも私の話ばかりで、セリアの恋愛事情を聞いた事がない。
軽く受け流されかけた所でもう少し追及すると、セリアは眉を少し下げてクスクスと笑い出した。
「無い訳ではありませんよ? ですがいわゆる<心震わせる恋>に出会った事はありません。あまり興味もありませんが」
心震わせる恋――むしろ、心震えない恋なんてあるのだろうか?
恋を震度で例えるなら、誰だって震度4くらいの心の揺れはあるもんじゃないだろうか? かつて私の中にあった恋だって、その位の揺れは起こしていた。
それが恋愛になって、次第に落ち着いて穏やかな物になっていって、それが心地よかった。
キラキラと眩く輝く宝石が淡く優しい輝きに変わっただけで、それが宝石である事に変わりなかった。
震度6以上の、理性を保っていられなさそうな激しい恋を<心震わせる恋>と言うなら私もそんな恋に出会った事はないけれど――今、この胸に抱えている<恋>は、どの位の私の心を揺らすのだろう?
揺らされないようにいくつも楔を打ち込まれた感覚のなかで尚も小さく高鳴る胸が、しんどい。
(こうやって詩的な事を考えちゃう時点で、もう、恋なのよね……)
はぁー……と長いため息が宙に漏れて消えた。
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