第90話 漆黒の愛情・2(※ダグラス視点)
執務室と応接間を兼ねる部屋に入ってくるなり御大層な持論を掲げた弱小令息に私は手紙を書く手を止めて、軽く両腕を組む。
この男が来たと聞いた時点で、大体何を言ってくるかは事は予測していた。
「夢を抱くのは結構だが……
様々な問題点を突きつけても弱小令息は一切その眩しい瞳を曇らせない。
「
人工ツヴェルフの永続化は遅かれ早かれ飛鳥さんも言い出しそうな事だったから面倒臭い事を一手に引き受けてくれるのは願ってもないが――意志の強い弱者が権力と行動力を持っていると本当に厄介だなとも思う。
「私達がツヴェルフに頼らずに自分達で未来を築いていく……それが本来この世界に生きる人間のあり方です。既に皇家や他の公爵達とも話し、承諾を得ています。有力貴族の説得はこれからですが……クラウス卿の説得も私が引き受けます」
「……格好つけた言葉で飾り立てているが、どうせお前は自分の妻が他の男に抱かれるのが嫌なだけだろう?」
言った後で大人げない言い方をしたと思う。だが弱小令息は一瞬視線を伏せた後、真っ直ぐに私を見据えた。
「……だけ、ではありませんがそれが多くを占めているのは間違いありません。勝手な話ですが私は当事者以外の視点で見て初めて、愛する人が他人に抱かれる苦痛を思い知りました」
自分の中にある汚い感情を素直に認めながら、隠す事無く明かす様が眩しい。
少し位は取り繕って見苦しい姿を見せてくれれば溜飲も下がるというのに。
「そうか……まあ私も似たような物だからな。気持ちは分からんでもない。今言った問題を全て解決させた際には私も協力する事を約束しよう」
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げて退室していく弱小令息の背を忌々しげに睨んで見送る。
卑猥な魔道具に関して一言二言嫌味をぶつけてやりたい気持ちはあったが、あの卑猥な魔道具の騒動と私があの家で叫びまわった黒歴史が新聞や噂に出てこない辺りリビアングラス邸内の情報統制は本当に徹底している。
そういう面でも、飛鳥さんの意思を尊重して手を出さなかった面でも、あの弱小令息には感謝せざるをえない。しかし――
(あの男は愛ではないにしろ、それなりに大きな感情を飛鳥さんに抱いている……)
自分自身の命と、騎士としての命を繋いだ命の恩人――
愛ではない。私から飛鳥さんを奪ったりもしない。
分かっている。分かっているのに――(飛鳥はこの男の心の中にもいる)と思うだけであの朱の小僧に対して程ではないにしろ、酷くゾワゾワする。
愛でなくても――――気に入らない。
「……ダグラス様?」
思考が黒に染まりかける中、ヨーゼフの声に我に返る。
「……また採掘に出る。一週間以内に戻る」
「かしこまりました」
あの男が来たのが大体用を済ませた後で良かった。
酷い不快と焦燥を抱えて館から出てペイシュヴァルツに乗り、再びアルマディン領に向かう。
(ペイシュヴァルツ……酷く気分が悪い……また何かに乗っ取られているのか……?)
『失敬な。余は何もしておらん。このグルグルとした負の感情の蠢きはそちの不安から呼び起こされるもの。白の塊が抜けた分、黒の魔力の特性が強く出始めておるのだろう。飛鳥の声でも聞いて気をしっかり持て』
ペイシュヴァルツの言葉に驚く。
これが――黒の魔力の特性? これまで感じた衝動よりずっと強い衝動が心に纏わりつく。この感覚は、良くない。
胸に巣食う違和感から逃れるように、ペイシュヴァルツの忠告通り亜空間から飛鳥さんの声が入った音石を取り出す。
飛鳥さんが飛び立った後ネーヴェ皇子が持ってきた、飛鳥さんの生声が入ったオリジナルの音石だ。
『……私、貴方みたいに愛してる、とか貴方だけ、だなんて大それた言葉は使えないけど……それでも今、貴方の横を歩いていきたいって思う位には……好き、よ』
複製した声より、より鮮明で綺麗な声が耳に響く。その声を聞いた途端に心が安らぎ、私の中にある不安を優しく打ち消される。
鉱石採取中も何度か醜い衝動に襲われる度、飛鳥さんの声で何とか耐え凌ぐ。
そんな私を岩の上で寝そべるペイシュヴァルツは半ば呆れたような目で見ていた。
そうしてまた数日経ち――ノウェ・アンタンスの武具工房に鉱石を運ぶと、腰に差せる位の短杖が完成していた。
一見、短杖に見えるが勢いよく振れば収められた芯の部分が伸びて長杖にもなる、伸縮可能な一品だ。
丁寧に彫り込まれた台座に乗った大きな魔晶石は台座から取り外しができるようになっている。
取り外した部分にある空洞に永魔石を入れて再び魔晶石を取り付けると、石は水に白い絵の具を足したかのようにじわりじわりと白く濁っていく。
(これで飛鳥さんがどんな怪我をしても私の手で癒す事ができる……いちいち治癒師を手配したり治癒軟膏を消費する事もない……!)
飛鳥さんが怪我をした時に癒やす自分を想像して思わず笑みが溢れる。
白の杖の中に溜まっていく白の魔力にゾワゾワとした嫌悪感を感じるが、白の魔力が貯まったら亜空間に収納してしまえば良い。
(飛鳥さんは……今頃何をしているだろうか?)
アレに何か変な事をされたりしていないだろうか? やっぱり帰らない、なんて事にはなったりしないだろうか?
私の不安を呼び起こすのは朱の小僧や弱小令息だけではない。飛鳥さんが私の目の前から消えてから白い物を見かける度に不安に駆られる。
その不安を振り払って、飛鳥さんの声を聞いて。そしてまた白い物を見てより強い不安に襲われる。
私と飛鳥さんがちゃんと向かい合ったのは召喚されてからの1節――それと非力な子猫生活で3週間ほど。
飛鳥さんは私が猫になっていた事など知らないだろうし、それ以降は離れ離れだ。信じて待ち続けるにはあまりに付き合いが短すぎる。
それでも『待ってて』って言われた。『好き』と言ってくれた。だから飛鳥さんを信じて待っていればその先にはきっと、幸せな未来がある。
不安になる度に音石や補修した飛鳥さんの写真に縋ってそう思い直し、後一週間で一節が過ぎようという頃――皇家から飛鳥さんが戻ってくると連絡が入った。
これまで感じた不安は何処へやら、心弾む勢いでどう出迎えようかと思ったある日の夕方、ヒューイが若木を浮かばせてやってきた。
組み上がってまだ何も入っていない温室の隅までそれを運んで根を保護している布を剥がした後、魔法で器用に土や根を動かして根付かせ、枝とツタをフェンスに絡みつかせる。
「……こうしておけば後は自然に育っていくはずだ。しかし、予想以上に広い温室だな。これだけ広い温室なら後2、3本植えたらかなり良い感じになるんじゃないか?スフェールシェーヌは色々品種があるし、もう少し持ってきてやろうか?」
ヒューイの提案に心惹かれるが躊躇する。こんな暗い魔力に包まれた場所で本当に良い感じになるだろうか――かつて感じた不安が今更過る。
「……いや、まずはここでどんな色の実がなるか確認したいから今はこれで十分だ。お前には何か礼をしなければな。何か希望はあるか?」
「ああ、それならこの間俺にかけた契約呪術を解いてくれないか?」
いつもと同じ軽い笑みを浮かべて、軽い口調でサラッと言った言葉は一瞬何を言っているのか理解できなかった。
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