第91話 漆黒の愛情・3(※ダグラス視点)


「……なん、だと?」


 聞き違いであってほしいと思いながら小さく呻くと、ヒューイは気だるげに髪をかきあげる。


「やっぱりあのお嬢様は俺には荷が重くてな……向こうにも親父にも説明して了承してもらった。そうなると俺にはもうあの子しかいない訳だ。この状況で触れると焼かれる呪術がかかったままってのは困るんだよ」


 青の娘との縁談の話をしてからまだ一節も過ぎていないのに、心変わりが早過ぎるだろう――!?


(いや、こいつの場合、大分持った方だと考えるべきなのだろうが……)


 こいつの好みは目まぐるしく変わる。学生時代、一節の間に見かける度に肩を抱く女性が変わっていた頃を思えば――そう頭で理解していても、なかなか心がついていかない。

 ついていかないのは――飛鳥さんが関わっているからだ。


「あ、新しい幽体修復薬ユリルリペアができ次第、お前にも人工ツヴェルフを作ってやる……だから、飛鳥は……」


 震える声でそう返すと、ヒューイは小さく首を横に振る。


「……人工ツヴェルフは俺はちょっと遠慮させてもらう。この間の話は相手があのお嬢様で、しかもあのヴィクトール卿が言い出した事だから何処からも異論が出なかった。だが俺が今後その辺の貴族女子をツヴェルフとして迎えれば、面倒臭い抗争が起きるのは目に見えてる。だからと言って平民女子を迎えれば、それをよく思わない貴族の手で腹の子どもごと暗殺されるのがオチだ」


 確かに――人工ツヴェルフにはそこの懸念がある。

 これまで公爵家の直系はツヴェルフ、つまり何処の家との繋がりもなく皇家に守られた存在が子を産む事である意味公平性を保てていた。


 だが今後、人工ツヴェルフという手段が一般化すれば『公爵の親になれる、神を宿す公爵家の血に自分の家の血が混ざる、公爵家との永続的な繋がりを持てるチャンス』と野心を抱く貴族達もたくさん出てくるだろう。

 

 人工ツヴェルフは魔力の色によって引き裂かれてしまう者達にとって大きな希望になる。

 今後不幸なツヴェルフが出なければ飛鳥さんも喜ぶだろう位の感覚で考えていたが――実に面倒な可能性を失念していた。


(……どうする? アレと協力してツヴェルフ化させた人間が殺されるような事があったら元も子もない。もう一回、なんて面倒臭い展開になるのは避けたいし、いらん争いが起きれば飛鳥さんも傷つく……その辺は次回の六会合で話し合わなければ……)


「それにな、子作り、政略、恋愛全てが別々だからこそ『子作りの為だけに必要とされる産み腹』『政略の為に結婚させられたお飾り妻』『愛し合っても子どもは後を継げない愛人』……互いに憐れみあう事でバランス取れてた面もあるんだよ。人工ツヴェルフはそのバランスを大きく崩す……政略と恋愛、どちらに跡継ぎを産ませる? 哀れに思って両方に産ませれば子どもは殺しあって血みどろの展開だ」


 考えている内にまた別の視点の問題を突きつけられる。

 変な言い分に一瞬困惑したが、確か緑の妻の内訳は恋愛婚と子作り婚が1人ずつ、政略婚が2人。

 そういう家の子に生まれたからこその懸念なのだろうが――根本的な疑問をぶつける。


「お前、さっきからまるで他人事のように言っているが……お前が守ってやれば済む話だろう?」


 平民だろうと貴族だろうと、何か言ってきたり問題を起こすような人間が出てきた時はそいつを潰せば良いだけの話だ。

 政略結婚と言っても公爵家は圧倒的優位な立場にある。

 本気で守りたい人間がいるのならば、貴族の抗争や夫人達の確執など強引にねじ伏せればいい。


「そりゃあ想いが続いてる間は全力で守るさ。でもな、数節も俺の好みが維持できると思うか?」


 その勝手極まりない物言いに開いた口が塞がらなかった。


 ねじ伏せる事はできる。だがねじ伏せるにはそれなりにリスクが有る。

 そのリスクを払ってまで特定の一人を愛し続けていられる自信がない――こいつは、そう言っているのだ。


 女が子を孕み、出産するまでの、1年に満たない期間すら。


「お前……前々からクズな面があると思っていたが、全面的にクズだな……!!」

「おいおい、酷い言い草だな……俺は女の子や子どもが酷い目に合わない手段を取ろうとしてるだけだ。実際酷い目に合わせてるお前よりはマシだろ?」


 全力の嫌悪感を持って吐き捨てると、ヒューイは怒るどころか嘲笑うような笑みを浮かべる。

 父親そっくりな嘲笑と非難に殊更怒りがこみ上げる。


「私よりマシだと……!? ふざけるな、お前はお前自身も、お前の片割れも、お前の父親も大問題だ……!! 私が酷い男なのは認めよう、だがお前より私の方がずっとマシだ……!! お前と子作りされる位なら、朱の小僧やラリマー家のひ弱で軟弱なんじゃく脆弱ぜいじゃくなどうしようもない坊々ボンボンと契られた方がまだマシだ……!!」


 抑えきれない魔力が吹き上がる。温室の中に黒の魔力が立ち込める中、淡く輝く緑の魔力に包まれたヒューイが目を細めて私を見据えている。

 その目からは、何の感情も読み取れない。


 にらみ合う事、数秒――ヒューイがふう、と小さく息をついて肩をすくめる。


「……まあそう怒るなよ。別に、お前が解きたくないんなら呪術は解かなくて良い。人工ツヴェルフが駄目なら10年後のル・リヴィネのツヴェルフを待てばいいだけの話だしな。ただ、あの子が3人の男と子作りしなきゃいけないってんなら1人が俺なら俺もお前も都合が良いんじゃないかって思っただけだ……悪かったな」


 その表情からも何も読み取れない。いつもの飄々とした態度で温室を出ていく。その後姿に槍を思い切り突き刺してやりたい衝動に駆られる。


(落ち着け……!!)


 あいつは飛鳥さんに好意を持っている訳じゃない。ただ消去法で今は飛鳥さんしかいない、と言っているだけだ。

 以前契約した呪術が障害になるから外せと言っているだけだ。


 ――本当にそうだろうか? 消去法で言うなら何故、友人の想い人という点を考慮しない? 青の娘を何とも思ってないアーサーの事は気にしたくせに、何故飛鳥さんを深く愛している私の事は気にしない? 私はあいつを友人だと思っている。だが、向こうは? あいつは何で飛鳥さんに触れた? うっかりとは何だ? あいつが言う通り、人工ツヴェルフが嫌なら10年後のル・リヴィネのツヴェルフを待てばいいだけの事なのに、何故わざわざ――

 

 心の中で感情と衝動が酷く蠢く。助けを求めるように音石を取り出して飛鳥さんの声を聞く。

 だが今に限って何度も私を励ましてくれた優しい声は慰めにはならず、焦燥感だけが募っていく。


(早く、早く飛鳥さんに会いたい……会って話がしたい……!! もう声だけでは待ちきれない……!!)


 音石を持つ手が震え、手から滑り落ちる。

 地面に落ちた音石は所詮物質でしかなく、私に飛鳥さんの温もりまで伝えてはくれない。


 飛鳥さん――どれだけ貴方の声と愛の言葉に励まされようとも、貴方が私の傍にいない事が寂しい。

 貴方が今どう過ごしているのだろうと考えると辛くなる。


 貴方が、本当に私の横を歩いてくれるのか――私を愛してくれるのか確かめたい。


 帰る日は分かっているのに、もっと早く、貴方に会いたい。

 もう少し待てば貴方は帰ってくると分かっているのに、私の心も体も耐えられそうにない。


 私に臆さない数少ない貴重な友人を失いたくない。

 飛鳥さんから奴にキッパリ「無理」って言ってもらいたい。安心したい。


 ああ、何故私はここで待っていなければならないのだろう?

 飛鳥さんの邪魔などしない。邪魔などしないから、会いに行かせてほしい。この暗い空の向こうに。


 会いに――……?


(いや、待て……飛鳥さんが帰ってくる日を伝えてきた、という事はやる事を終えたから帰る目処が立ったという事で……帰る日……いや、少なくともその前日にはもう大体の用を済ませているはず……)


 音石を拾い上げて一連の言葉を聞き直す。


『向こうで色々やらなきゃいけない事あるから、ダグラスさんは追いかけてきたりしないで大人しく待っててほしい』


 間違いない。やる事があるからその間待ってて、と言っている。

 つまり、はずだ。


『本当に皇家や公爵家の人達と喧嘩したりしないでよね!? 特にクラウスとは仲良くしろとは言わないけど、仲良く出来ないなら関わらないの! クラウス煽ったり喧嘩したりしたら、今言った事全部ナシだから――』


(……つまり、周囲に迷惑をかけず、皇家や公爵家と険悪にならず、かつアレと喧嘩せず。もし飛鳥さんがまだやり残した事があったとしても、邪魔さえしなければいい訳だ)


 それに何より、アレが飛鳥さんとどう過ごしているのか知らないがもし飛鳥さんの優しさにかこつけてあれやこれやと地球生活を楽しんでいたとしたら?


 それでいて私とは一切地球の想い出がないというのは、非常に許しがたい状況ではないだろうか?



 ――――そうだ、地球に行こう。飛鳥さんを迎えに行こう。



 ル・ターシュ側がどう反応するかにもよるが、そもそもアレが紛れ込んでしまってる時点で迷惑なのだ。

 皇家に「アレが暴れた時の事を考慮して念の為に迎えに行きたい。ル・ターシュに対する敵意は一切無い。断られたら分からないが」と言えば、皇家もル・ターシュも嫌とは言って来ないだろう。

 仮に迷惑に思われたとしても、それはアレのせいだ。断じて私のせいではない。


 それに――帰ってきてこの世界で過ごすという事は飛鳥さんの家族に会うチャンスも無くなる。

 ツヴェルフの親や親族など本来気にしなくてもいいのだが、せっかく会えるチャンスがあるのに会いに行かない、というのは飛鳥さんの親族に対して不誠実だろう。


 だが、私が数日もこの星から離れたら民に迷惑がかかる――飛鳥さんはそう思うだろう。

 だが1日位ならどうだ? 私とて毎日毎日魔物討伐している訳ではないから然程気にしないだろう。


 そもそも魔物討伐より魔法研究など他の事を優先させて討伐依頼を半節程放置する事もしばしばあると言ったら飛鳥さんは怒るだろうか? 怒るだろうな。これは言わないでおこう。


 迎えに行こうと決めた瞬間頭がスッキリと冴え渡り、自分でも感心する位に様々な建前が頭を巡る。

 いつのまにか私を襲っていた煩わしい衝動は何処かに消え失せていた。

 そして私の膝の辺りに何かが触れる。目を向ければ私を見上げている黒猫。



 ペイシュヴァルツ――ああ、そうだ。ペイシュヴァルツまで連れていったら魔界の扉がいつ開いてしまうか分からない。それならば――



 そこからの行動は早かった。翌朝ラリマー邸に行って、青に飛鳥さんを迎えに行っている間のペイシュヴァルツの時止めを依頼する。


「……分かりました。その日はシーサーペント討伐に行く予定でしたが……前倒しして空けておきましょう」

「ありがとうございます」

「いえいえ、何かあれば相談してくださいと言ったのは私ですからね。ああ……来たついでですから少し話に付き合ってもらえますか? 時止めの対価の話もしたいですしね」


 朝に来たのに昼近くまで長話に付き合わされる。

 娘が人工ツヴェルフになれば他の公爵家とも絆ができると考えて娘のツヴェルフ化を認めた事から時止めの対価、何故一人でウェスト地方を守ろうとするのか、私に貸しを作ろうとするのかという事までペラペラと語りだした。

 青の求める対価を了承すると青は満足そうに笑みを浮かべる。


「今度は是非アスカさんも連れてきてください。彼女も面白い意見をくれるので」


 公爵相手に気軽に自分の意見を言える奴などそうはいない。

 貴族は公爵の機嫌を損ねるのを恐れて自分の意見を言わず、平民は自分視点でしか物を語れない。

 ペラペラと語る青の持論に長々と付き合える人間もそうはいない。


 公爵に恐怖を抱かず、長話にも付き合い、異世界の教養と知識と最低限の礼節を持ち、第三者視点でこの世界を見る事ができる飛鳥さんの意見が物珍しいのは分かるが、気に入らないでほしい。


 そんな懸念を残しつつペイシュヴァルツの対応に目処がたった所で皇家に迎えに行きたい旨を伝え、他の公爵には直前で止められないよう、私が地球に行った後発送するようにヨーゼフに手紙を託しておく。


 帰ってくるなりあれこれ言われるだろうが、そんなものは聞き流せば良い。


 迎えに行く事が受け入れられた後の心は少しは晴れた。

 飛鳥さんに会いに行ける――ただそれだけで嫌な焦燥感は明るいものに変わる。



 そして、当日。飛鳥さんの親族に会う事になるかもしれない、ときっちりと髪と服装を整えて迎えに行けば、久々の飛鳥さんとの再会、夜を彩る花火――夢のような至福の一時を味わった後、私は何度も至福と絶望を交互に味合わされる事となってしまった。


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