第92話 漆黒の愛情・4(※ダグラス視点)


 闇夜に輝く<花火>と、それに見惚れる飛鳥さんはとても美しかった。

 これまで感じた不安や先程私以外の男を<彼氏>として親族に紹介していたモヤモヤが霞のように消えていき、かわりにこのまま時が止まれば良いと思う程の高揚感を感じる。


 ああ、今なら――そう思って飛鳥さんに渡した父の手紙は、本当に私の事が何一つ書かれていなかったようだ。


――セラヴィさんの気持ちは分からないんですけど、デュランさんはダグラスさんの事、気にかけてたと思います。私のような男が父親で悪かったな……なんて、あまりよく思ってない子には言わないと思うんですよね――


 飛鳥さんがそう励ましてくれた言葉に、縋りついている自分がいた事をこの心の痛みによって思い知らされる。


 だがそれより、飛鳥さんが悲しそうな顔をしている事に心が傷んだ。手紙を貸してほしいと言う。

 何故、とは思ったがもうその手紙に対して関心は持てなかった。勝手に処分してもかまわないと告げる。


 何か暗号でも隠されていないか探そうとしてくれているのだろうか?

 飛鳥さんのその、悲しそうな表情が、私の為に悲しんでくれるその姿がたまらなく愛しくて、固く抱擁する。


――私には貴方がいれば良い。親から愛を向けられずとも、貴方がそばで私に愛を向けてくれるなら――


 そんな私を飛鳥さんは抱き返してくれて――どちらともなく唇が重なる。


 ああ、この一夜を過ごせただけでも地球に来て良かったと思う。

 飛鳥さんの世界で、飛鳥さんと何物にも代え難い想い出が出来た。この時の私は完全に浮かれていた。


 だがその後――地球の食事を堪能中に絶望に叩き落される。


「あの……私、ダグラスさんとの結婚と子作り……は覚悟してるんですけど、ただ、だからってクラウスを突き放す事は出来ない。クラウスにはこれまで色々助けてもらったし、いっぱい傷つけてきた……だからもしクラウスが私との結婚を望むようなら、私は、それにも……応えたいと思ってます」


 飛鳥さんの言葉の一つ一つが私の心を容赦なく斬りつけていく。


 頭では理解している。仕方のない事だと。どのみちル・ティベルに帰れば飛鳥さんは私含めて3人の男の子どもを成さねばならない。

 その中にアレが入るのは想定の範囲内だった。


 それに飛鳥さんの異性を想う愛は私にあるのだ、と分かっていてもなお――心の中に殺意や悪意を練り固めたような物がグネグネと醜く動き回るのを感じる。

 それを押さえつけて平静を保つ事に必死だった。


 その醜い感情は光の船で飛鳥さんが白の指輪をアレと同じ指に嵌めた時に、大きく蠢く。

 2人の間には私と飛鳥さんの間にはない感情が、絆がある。それを見たくなくて思わず背を向けた。


 駄目だ。これをぶつけたら、また――また飛鳥さんは逃げていく。


 飛鳥さんは私から離れていく訳ではない。飛鳥さんが私の為に選んでくれた、漆黒の豆の瓶を片手に必死に耐える中、アレが私に声をかけてきて不安と怒りが抑えきれなかった。


「……例え飛鳥さんがこの先複数の男に恋愛感情を抱く不埒ふらちな女になったとしても、それらの愛が私への愛を上回る事がない限りは耐えるさ……」


 誰に好意を抱いても良い。ただ、飛鳥さんが誰より私を愛すると言ってくれれば。誰より私を一番に考えると言ってくれれば、私は、それで、耐えられる。


 飛鳥さんが傍に居てくれれば、私が一番であれば、私を優先してくれればそれでいい――そう思ったからだ。


 だが私の必死の虚勢と懇願は飛鳥さんの機嫌を大いに損ねてしまい、売り言葉に買い言葉で更に失言を重ねてしまう。


 挙げ句アレが調子に乗って私の楽しみにしていた飛鳥さんとの皇国名所巡りまで奪おうとするものだから、飛鳥さんの前で思い切り殺意を放ってしまった。


 結果、飛鳥さんを怖がらせてしまい節ごとに私とアレを行き来するという何ともいえない結論を出されてしまった。

 納得いかない。だがこれ以上酷い結論を出してほしくない私はギリギリ「最初の節は私で」と言う事しか出来なかった。



 そして異世界に連れ帰った当日こそ穏やかな時間を過ごせたものの、翌日の早朝から険悪な雰囲気になる。


 私が飛竜に乗った記者の写板目線でこれから久々に飛鳥さんと生活できる事を顔で表現した事の何が気に入らないのか、『銀色の渡り鳥』と称される事の何が気に入らないのか、手紙を見たからといって何故そんなに怒っているのか――分からない。


(挙げ句魔獣に乗って皇都を飛び回るなど……ああ、ようやく一緒になれたのに何故上手くいかないのか……)


 飛鳥さんが出ていった後、椅子に座り直し深いため息をつく。


「ダグラス様……怒っている女性にはまず寄り添って共感の意を示し、相手の気持ちを吐き出させて落ち着かせるのが最善策です。これは諜報において基本中の基本ですぞ?」


 ヨーゼフの淡々とした声が響く。分かっている。そんな事は分かっているのに――何故か飛鳥さん相手だと上手くいかない。


 私自身がそう思っていないのに自分の感情を抑えて共感などしてしまっては、衝突する度に我慢しなければならない事になってしまう。

 これからをずっと一緒に生きていくからこそ、私は飛鳥さんに対して嘘の言葉を吐きたくない。


(そういう考えだから上手くいかないのだと、分かってはいるのだがな……)


 飛鳥さんはある程度空気を読む。が、引かない所は引かない。引き下がって欲しい所で引かない。

 そんな時は私が引き下がらないと、そうしないと飛鳥さんに合わせられる奴にすぐに奪われてしまう。


 イライラを募らせながら魔物討伐依頼を確認すると、その中に日帰りで帰ってこられそうな場所の討伐依頼があった。

 午後の送迎はいらない、と言われたのでここで憂さ晴らししよう。


「……ビルネ高原の魔物討伐に行ってくる。陽が沈む前には戻る。飛鳥さんには後でもう一度黒馬車を勧めろ。断るようならもう好きにさせてやれ」

「かしこまりました。ビルネ高原と言えばあの辺りには梨園がありましてな……丁度旬の時期ですし、アスカ様へのお土産に持って帰れば機嫌も少しは直されるかと。そのままでも美味しいですが、旅人向けの乾燥梨も中々乙です。しかしアスカ様の食の好みで考えれば麓のセン・ビルネの名物、梨のタルトが一番効果的かと」

「ヨーゼフ……世話をかけるな」


 きっと別の地域の魔物討伐に行くと言えば、その地域の名物を言ってくれたのだろう。

 全く、人の手を借りなければ彼女の機嫌一つ取れないとは――情けない限りだ。


 それらの怒りを全て魔物にぶつけた後、セン・ビルネに立ち寄り梨のタルトを1ホール買って皇都へと向かう。


 皇都へ差し掛かった頃には夕日が空を朱色に染めていた。何もかもが赤みを帯びたその街並み――皇城の屋根を縁取る銀色の装飾も朱色を帯びて輝く。


(ああ……銀色も嫌だな。朱や緑が輝けばその色に染まる……銀色も、時期が過ぎればどこかに行ってしまう渡り鳥も、私にしてみれば酷く嫌な二つ名だ……)


 帰る中で飛鳥さんのお土産の漆黒の豆を少し摘み、甘くコクのある味わいに少し救われながら館に戻るとまだ飛鳥さんは帰ってきていなかった。また、心に靄がかかる。


 タルトをヨーゼフに渡し、迎えに行こうとすると「女の話は長いのです。割ってはいるような真似をすればまた機嫌を損ねられますぞ」と引き止められる。


 それならば門の近くで待っていようかと思ったが、どうにも落ち着かない。

 ジッとしていられずに温室に入ると、隅でうっすら濃灰の光を灯すスフェールシェーヌの実が目に入った。


 近寄ってみてもその光はボンヤリとしていて、お世辞にも綺麗とは言えない。


 あの輝かしい橙色の光に包まれて微笑んでいた飛鳥さんはこの実を見てどんな顔をするだろうか? こんな実ができるような場所は嫌だと、華やかな実が咲く場所がいい、と飛び立ってしまわないだろうか?


 そう考える中、後ろで温室が開く気配がした。ルドルフだと思って特に振り向かずにただただ仄暗い実を眺める。


 地味な光を放つ色より、朱色や緑や白のように光を反射してキラキラと煌く色の方が良いに決まって――


「ダグラスさん、ただいま」


 飛鳥さんだと思わず思わず狼狽え、驚きつつも謝った後、また情けない姿を晒してしまう。

 『コッパー家の実に対してここの実は輝かしくない』だなどとみっともない弱音を吐いた私に、飛鳥さんは突然抱きついてきた。


「あ、飛鳥さん!? どうしたんですか……!?」

「ここの実だって十分綺麗です……! そりゃあ綺麗で鮮やかで宝石みたいな実だって好きだけど……この地味で仄暗い実だって、私は、好きです……」


 私を励まそうと力いっぱい抱きしめてくる飛鳥さんに心が弾む。


 愛しい。愛しい。何故こんなに愛しい女性が私だけのものではないのだろう?

 あの弱小令息や平民――いや貧民ですら愛する人を独占できている者がいるというのに。


 私だって、この儚く優しい女性を独占したい。


(アレの子を産むまでは仕方がないが……だが、アレの子を産んだ後なら……)


 ああ、そうだ。飛鳥さんに課せられている刑はあくまでも『子作り』だ。

 役目を果たした後に飛鳥さんに気づかれないように相手を殺してしまえばいい。


 しかし、気づかれないように殺すにはどうしたらいいだろうか?

 そういう意味では朱の小僧はアレやヒューイより殺しやすい。赤もうるさいし、認めてやるべきか――


 そこまで考えた所で微かに鼻をすする音が響く。


「……飛鳥さん、何故泣いているんですか? 向こうで茶菓子の食べ方が雑だと叱られてしまったのですか?」


 今の思考を読まれてしまったのではないかという不安から、慌てて余計な事を言ってしまった。


「何も言われてません。これはダグラスさんが私を喜ばせようと頑張ってくれた事が嬉しい、嬉し涙です……」


 安堵する。先程のような凶悪な感情を持っていると知られたら、飛鳥さんは間違いなく私のもとから去ってしまう。


 飛び立つな。誰もこの人を連れ去るな。この人はただ私の傍にいれば良い。ああ、この愛しい人を、何もかもから見えなくする事ができたら――


 今の私はきっと醜い表情をしている。それを見られてしまう事も怖くて飛鳥さんをマントに包む。

 服が汚れることを懸念してか離れようとする飛鳥さんの頭をそっと胸に押し付ける。

 このまま2人、闇の中に溶けて消える事が出来たらどれだけ幸せだろうか?


 そんな不安の中で<永遠>という言葉に縋りたくてサウェ・ブリーゼの話題を出すと飛鳥さんが嬉しい事を言ってくれた。


「あの、私も、それ、マリーから聞いて……あの、そこで愛を誓いあった恋人たちは幸せになれるとも聞いてて……ダグラスさんと、行きたいなって……!」


 飛鳥さんも同じ様に思っていてくれた事が嬉しい。天にも昇る心地だった。

 その上お礼だと言われて、飛鳥さんから口づけまで貰って――ああ、天の上には何があるのだろうか?


 この形容し難い極上の幸せに浸りながら家庭菜園の話をしている最中に「武術も教えて下さいね」という言葉を放たれる。


 確かに、残ってくれるなら稽古をつける、と言った覚えがある。

 だがそれは地球に帰ろうとする飛鳥さんを引き止める為に言った言葉で、これからは私がいるのだから別に鍛える必要はないし、流石にそれは――とやんわり拒否すると、


「でも……私これまで何度か死にそうな目にあってますけど、ダグラスさんもクラウスも私が本当に死ぬ寸前でしか助けに来てくれてないじゃないですか」


 甘い天国から苦い地獄に叩きつけられるような辛辣な言葉がグサリと刺さり、心折れて承諾する。

 アレと同レベルで扱われているのを怒るべきか嘆くべきかを考える気力すらなくなる程、辛辣な言葉だった。


 分かりましたと了承せざるを得ずガックリ項垂れる私の両頬に、飛鳥さんの両手が触れる。


「大好き……!」


 今まで見た事ない位の満面の笑顔が、目の前にあった。

 青白い星だけで照らしているのが惜しいと思うくらいの、美しく可愛らしい笑顔が。


 ああ。貴方は本当に罪な人だ。貴方の言葉1つで私の心は天に地も振り回される。貴方の笑顔一つでこんなにも簡単に心が安らぐ。

 貴方が傍に居てくれるだけで、私は、今の私でい続けられる。


 

 ――ああ、そうだ。今の私だから飛鳥さんは好きだと言ってくれたのだ。

 だから、今の私でなければいけない。嫉妬にかられて飛鳥さんに好意を抱く奴らを殺して回るような事をしてはいけない。


(そんな事をしてしまっては、温かく幸せな家庭など築けない……!)


 力強く抱きしめる。来節には向こうへと飛んでいってしまう、私の大切な渡り鳥。

 貴方がまた再来節には戻ってきてくれるように願う。その再来節も、ずっと、ずっと――


 飛鳥さんの愛が私にある限り、こんな衝動なんかに私の幸せは崩させない。


 平和を貪る民や貴族が堪能する温かで平凡な幸せを、私も絶対に手に入れてみせる。


 だから、飛鳥さん、どうか――どうか私の愛を裏切らないでください。


 お願いですから私を、悪魔にしないでください。


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