第2部

第2部・1章

第1話 器の破損・1


 ダグラスさんの動きが止まった――と思ったら、ゆっくりダグラスさんの口が私の口から離れる。

 うっすら目を開けると苦しそうな顔でこちらを見つめている。


「……飛鳥、逃げ……」


 呻くように紡ぎ出される言葉は、私とダグラスさんの周囲に巻き起こる風によってかき消された。

 その強い風に剥ぎ取られるようにダグラスさんの力が緩んだ後、ダグラスさんが蹴り飛ばされた。


「アスカに何をっ……!!」


 クラウスの蹴り殺しかねない程の勢いと殺意しか感じない冷たい目に身体がすくむ。

 そんな私をクラウスの手が力強く抱き起こすと私の口を覆って白い光を当て、その後ハンカチでゴシゴシと少し乱暴に口を拭かれる。


「中も消毒するから口を開けて!」


 クラウスの気迫に負けて口を開くと指を入れられる。思わず「おあっ!?」と間抜けな声が出てそのまま耐えている事、数秒――ようやく指が離れる。


 ヒロインが誰かにキスされた後、ヒーローが消毒と称して上書きキスをするシーンは少女漫画でよく見かけるけど――まさか浄化魔法で衛生的に消毒されるとは思わなかった。


 上書きキスされるよりマシだけどこれもこれで相当恥ずかしい――と思った瞬間、クラウスの後ろで倒れているダグラスさんから恐ろしい位の黒の魔力が吹き出すのを感じた。

 その魔力は何本もの触手のような形を作り出してこちらに向かってくる。


「アスカ、危ない!!」


 クラウスが私を抱えて真上に飛ぶ。それに合わせるかのように私達の足元にラインヴァイスが現れた。

 私達を乗せたラインヴァイスが高く空に上る。その状態から屋上を見下ろすとダグラスさんがいる所を黒い半球体が覆っていた。


 よく見るとその半球体をうっすら、うっすら緑の半球体が覆っている。先程形を作り出していた黒い蛸足はその緑の半球体の中でうねうねと気味悪く動いていた。


「――――――!!」


 ヒューイが何か叫ぶとリヴィさんが足早に階段に向けて走り出す。


「―――!―――――!」

「―――――!?――――!?」


 ヒューイとルクレツィア、アシュレー、ネーヴェ達が交互に会話しているけど、何を言っているのかさっぱり理解できない。

 ただ、その半球体の中にはダグラスさんがいて、彼らがダグラスさんの話をしているのは間違いない。


「ねえクラウス、一体何が起きたの……!? ダグラスさんに何が起きてるの!?」


 クラウスに感情のままに問う私と相反するように、彼らを見下ろすクラウスの目は完全に冷めきっている。


「……器が破損したんだ」

「破損……!?」


 器の破損――それは確かメアリーの授業で、ツヴェルフがマナアレルギーを起こした時の症状の1つに上げられていた。

 器を破損したツヴェルフはもう望まれた存在じゃなくなると言っていた気がする。


「僕やダグラスが決まった時間に意識を失うのは器の中にある相反する色の塊が魔力の噴出口を塞ぐからだ。塞ぎかかってる所で何度も無理矢理魔法を発動させたから器が破損したんだと思う」


 今起きている現象にさして興味無さそうにクラウスは淡々と続ける。


「……見る限り器から魔力が漏れ出してるのは間違いないけど、彼ら程度の障壁で抑え込めるならヒビが入った程度で完全に割れた訳じゃ無さそうだね。けどあの障壁を解いたら抑えるものが無くなるから、あれが解けた瞬間に魔力が広範囲に解放された勢いで割れてしまうと思うよ。もしそうなったら……ペイシュヴァルツが暴走するだろうね」


「な、何とかならないの!? 器はクラウスの力じゃ治せないの!? このままじゃ、ダグラスさんも、この世界の皆も……!!」

「……普通の人間の器のヒビ程度なら、治せない訳じゃないけど……」

「お願い……ダグラスさんを助けて!! 元はと言えば私が、中途半端な行動を取ったから……!」


 

 突然の世界の危機に思わず声が荒ぶり、歯切れの悪い言い方をするクラウスに食い気味に詰め寄ると、困ったように両肩にそっと手をかけられる。


「アスカ……あいつは普通の人間じゃないんだ。僕のやり方は器のヒビを白の魔力の塊で塞ぐ。だからその人の魔力の色に僅かに白が混ざる。色が重要じゃない人間にとっては問題ない事だけど、あいつは……」


 色神はその色を持つ人間と共生する――僅かでも色が変われば生きられない。

 依代がなくなれば暴走して――これまで溜めていた災厄を一気に放出させる。


 頭の中で情報が錯綜する。感情と理性がゴチャ混ぜになってはじき出した結論は――


 私のせいで、この世界が崩壊する。私が、中途半端な態度をとってしまったせいでソフィアに突き落とされたから――


(全部、全部、私のせい……)


 その事実に力なく項垂れる。


「何か……何か私に出来る事はないの?」

「残念だけど……ないね。でも大丈夫だよ、僕がアスカを守ってあげるから。アスカが僕のそばにいてくれれば僕はこうしてずっと起きていられる……守ってあげられるから。僕は破邪の魔法や結界は得意だし、どんな強い魔物が現れようと僕の傍にいれば安全だから何も心配しなくていい」


 ペイシュヴァルツが暴走する前提で話すクラウスが怖い。暴走したら、この世界の多くの人達が苦しむ事になるのに。


「クラウス……何言ってるの? 私は……私のせいでこうなったのに、こんな状況で自分だけ助かろうとは思えない……! 降ろして!!」

「アスカ、こんな状況になったのはあいつが無理に魔法を使ったせいで、アスカだけのせいじゃ……」

「あの人が無理して魔法を使ったのは私のせいだわ。お願い、クラウス……私を降ろして!」

「今アスカが降りても出来る事は何1つない。それに、あの魔力は」


 ああ、もう何言っても聞いてくれない。


「……もういい!!」


 黒の防御壁を張ってラインヴァイスから飛び降りる。あまり高い位置ではなかったお陰もあってかワンバウンドしただけで、無事床に着地する事が出来た。


(元凶の私には何も出来る事が無いから安全な所で指くわえてみてろって!? そんなのって無いわ……!! 何か、何か出来る事があれば……!)


 周囲を確認すると私がさっき放り投げたチョーカーとイヤリングと黒い音石が目に入る。

 そうだ、まず皆と会話できるようにならないと話もできない。


 急いでその場所まで走り、チョーカーとイヤリングを身につける。音石はとりあえずスカートのポケットにしまった。

 続いて倒れているリチャードが視界に入る。気を失っているみたいだ。


 今、皆が張っている障壁はかなりの魔力をかけて作り上げられているのが分かる。

 私の中途半端な魔力でそれに協力するよりリチャードを治療をして彼に協力してもらった方が良いと判断して、足早に駆け寄り治癒ヒールをかけると僅かに呻き声が上がった。


「リチャード、大丈夫? 何処か、痛い所があったら……」

「ぼ、僕は大丈夫です……僕より、レオナルド様を……」

「レオナルド……?」


 ゆっくり上半身を起こしたリチャードが弱々しい声と微かに震える指で示した先には同じ様に倒れ込んでいるレオナルドがいた。

 遠目からでもリチャードより酷い怪我を負っているのが分かる。


「レオナルド、大丈夫……!?」


 駆けつけてそう呼びかけてみるも反応はない。腕、足、顔、腹部――至る所に火傷や切り傷がある。


(顔の傷も酷いけど、頭に傷は無さそう……それなら先にお腹の辺りを……)


 内臓に影響が出る可能性がある腹部の辺りから治療を始めると、私達を包むように少し冷たい風が吹いた。


『……何で帰らなかった?』


 風が冷たい声を届けてくる。治療を続けたまま顔を上げると、ここから少し離れた障壁の近くでヒューイがこちらを厳しい表情で見据えていた。


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