第2話 器の破損・2


『アンタが迷わなければ……こんな事にならなかったのは分かってるよな?』


 ヒューイの冷たく、怒りも帯びた言葉に返せる言葉は1つしか無い。


「ごめんなさい……」


 言葉を発した瞬間、目に涙が浮かぶ。けど今ここで泣く訳にはいかない。

 流石にこんな状況でメソメソ泣いて『私が悪いの』って自己嫌悪に陥ってる場合じゃない。


「……色々私に言いたい事あると思う。でも……今は堪えてくれない? こんな時に泣きたくないのよ。勝手な言い草なのは分かってるけど……」


 そう言った瞬間、溢れ出た涙が重力に耐えかねてボロっとこぼれ落ちる。涙が止まらない。でも泣いてはいられない。泣くのは後。今はただ自分に出来る事をするだけ。


『あー……そんな頭熱くなった状態で意地はって感情のまま手出されても迷惑だから、大人しく頭冷やしてろ……って言いたい所だけどな……あっちはレオナルドを一切治療する気無さそうだし、今の状況じゃアンタに頼らざるを得ない』


 ヒューイがチラ、と見上げるのにつられて顔を上げるとクラウスは障壁を張るヒューイ達に協力する様子もなくただつまらなそうに私達を見下ろしている。

 何となくラインヴァイスが寂しそうな目を向けている気がする。


(ダグラスさんの事が嫌いなのは分かるけど……)


 何でクラウスは協力してくれないのか、何でダグラスさんは――


 今自分自身がやるべき事を見つけて、心を煽る不安を少し晴らす事が出来たからだろうか? 余裕ができた心は色んな疑問を引っ張り出してくる。


『ったく……色神が解放されたらこの世界が滅ぶってのに、何で協力してくれないのかね、幻の貴公子は……』


 ふわりと風が届ける声に、新たな疑問が生まれる。


「……貴方、色神の正体を知っているの?」


 以前神官長は色神の正体は皇帝、神官長、そして公爵にしか知らされない事と言っていた。


『その言い方はアンタも正体を知ってるような口ぶりだな?』


 向こうも私が知っていた事に驚いたような声をあげる。


「以前、神官長から聞かされて……皇家と公爵しか知らされてない事だって言ってたから……」

『そうか…俺は親父から聞かされた』


 アンナの懐妊パーティーで遭遇した、あの妖しい色気が半端ない緑の美中年を思い出す。


「ああ……あの人って秘密の話を率先してバラ撒きそうなタイプよね」

『しかも厄介な話に限ってな』

「それで厄介な事になったら面白がって笑ってそうよね」

『当たりだ。よく分かってるな』


 ヒューイの軽い言葉のお陰だろうか? 少しずつ気が楽になってくる。

 そしてヒューイやルクレツィア、アシュレーにアーサーが力を合わせて作り出しているらしき半透明の障壁はそれぞれの色がまだらに混ざって輝いていて温かさを感じる。


「……こんな状況でお喋りなんて随分と余裕だね?」


 いつの間にか私の傍にクラウスが立っていた。その冷たい言葉は私の方に――ではなくヒューイの方に向けられているようだ。


『お前さんが力貸してくれたらもっと楽になるんだがな』

「嫌だね。あんな奴もこんな世界も助ける義理はない」


 クラウスの問題発言を追求したい気持ちもあるけど――今はレオナルドの治療の方を優先させないと。


(よし、腹部の治療は終わった。次は、頭を……)


 レオナルドの頭を持ち上げようと手を伸ばした所で彼の頭部が強い白の光に包まれる。

 光が消えた後は傷一つ無い、いつものレオナルドの顔に戻っていた。


『……レオナルドを助ける義理もないんじゃないのか?』


 クラウスはヒューイの煽るような問いに答える事無く私の隣に座って、今度はレオナルドの腕を治療し始めた。

 白の魔力の扱いに手慣れているからか、私よりずっと治療速度が早い。


 それなのにレオナルドはまだ目を覚まさない。


「レオナルド……大丈夫?」


 治療を始めてから暫く経つけどまだ目を覚まさないどころか表情をピクリともさせない。呼吸はしてるみたいだけど。


『意識が戻らないのは魔力回復促進薬マナポーションの副作用みたいなもんだから気にしなくて良い。そいつが寝てる間に手足もしっかり治しておいてくれ……魔力が低い上にお前らのせいで手足まで使い物にならなくなったら可哀想だからな』


 確かにレオナルドは私達の転送を止める為にアシュレーと対戦してこういう事になったのだから、ヒューイの言葉は最もだ。


「……ごめんなさい」

『謝るな。俺はもうアンタの謝罪なんて聞きたくないんだよ』


 深い溜め息をついたような言葉に心がまたズキりと痛む。


「……大丈夫だよ、アスカのせいにはさせない。こいつは僕がきっちり治すから」

「私も手伝うわ。せめてこの位の事は……」


 レオナルドの足を治療しようとするとクラウスの手で振り払われる。


「……この怪我は今のアスカの魔力じゃ完全には治せない。それにあの黒の魔力が形どっている触手はアスカを狙ってるんだ。お願いだから僕の傍で大人しくしてて……これ以上勝手な行動取るようならこの状況が解決するまで眠らせるよ?」


 クラウスが私に対しても怒っているのが口調から読み取れる。慌てて首を振って周囲を見回す。


 クラウスが言ったとおり、ヒューイ達が作り出す緑、青、赤、橙の4つの色が混ざった半透明の障壁に閉じ込められたうねうねと伸びる黒い触手は明らかに私の方に向かって伸びている。


 その気味の悪さに嫌悪感を帯びつつ障壁を見つめていると、障壁を構成する色の中で明らかに赤色の割合が少ない事に気づく。


 アシュレーの方を見やると相当疲れている様子が見て取れた。レオナルドも相当な負傷してるけど、アシュレーの傷も軽くはないのかも知れない。


「あの、クラウス……アシュレーに遠距離回復ファーヒールかけてもいい?」


 勝手な事をすると眠らせると言われた手前、一応確認する。

 クラウスはチラ、とアシュレーを見やると不機嫌な表情で遠距離回復ファーヒールをアシュレーに向けた。


 アシュレーの全身が白い光に包まれ「悪ぃな……!」とアシュレーの声が聞こえた後、また私とクラウスとの間に沈黙が漂う。


(駄目だ……じっとしてるとどうしても考えてしまう……)


 私を突き飛ばしたソフィアの事も、明らかに怒っているクラウスの事も――ダグラスさんの器が破損してしまった事も。

 こうなってしまったのも全部、私が迷ったせいだ。


 今あの黒い半球体の中でダグラスさんはどうなっているんだろう?

 どうして、一生逃さないとか言っていたのに――


 私に危険が及ぶと思ったら『逃げろ』と言おうとする位の優しさが、まだ私に向けられていたのだと思うと。

 貴方への恐怖や嫌悪感で心が埋め尽くされようとした時に限って、貴方自身の優しさが見えるから。

 その優しさが、これまでの貴方の優しさを思い起こさせるから。


(貴方がそんなだから、私は……)


 どんな事をされても憎みきる事ができなかったのは、あの人のそんな優しさに惹かれてしまってる自分がいたから。それが駄目だった。


「私が迷わなければ……ちゃんと地球に帰れていたら……」


 膝を抱え込んで頭を伏せる。今更何を言っても遅いのは分かってるけど。


「そうだよ……アスカさえ迷わなければ、僕は……」


 クラウスの呻くように吐き出された声が一層心に刺さり、その言葉の最後までハッキリ聞き取れないまま再び沈黙が漂う。


 そうして、どのくらいの時間が立っただろう――バタバタと階段を上がる慌ただしい音が聞こえてきた。


「これは……!!」


 神官長の驚きの声に顔を上げると、神官長とリヴィさん、見慣れない黒髪の男性が障壁にかけよるのが見えた。

 男性の顔はよく見えないけど、30代後半? くらい――背はダグラスさんよりは低く、体格はしっかりしていて乙女ゲームの騎士が着ていそうな軍服を纏っている。


「悪いな、神官長……この状況、どうすればいい!?」

「色神の魔力は色神の魔力でないと抑えきれん……!!」


 神官長の言葉に反射的にクラウスの方を見つめる。

 今、この場でダグラスさん以外に色神を宿しているのはクラウスだけ――そんな私の期待に反するようにクラウスは眉を顰めて私を睨んだ。


「……何でアスカは、あんな事してきた奴の事を庇うの? 何で、僕があいつの事を嫌ってるの知ってるくせに、何であいつの為に僕を頼るの? それで僕があいつを助けたら、アスカはあいつの所に行くんでしょ?」


 本当に、こんな時に何を言ってるんだろう?

 私やダグラスさんを恨む気持ちは分かるけど、ダグラスさんを助ける位ならこの世界が崩壊してもいいと思っているんだろうか?


 クラウスの眼が、酷く淀んでいるように見える。しっかりして、って言いたい。だけど、


(……私が、そんな事を言える立ち場……?)


 こうして他人に縋る事でしか状況を変えられない私に、偉そうにクラウスを叱る資格があるのだろうか?


 紡ぐ言葉に迷っている内にヒューイ達が張っている障壁の赤い部分にヒビが入る。そこから漏れ出てきた黒の魔力がまた触手のような形を取って私の方に向かってきた。


 身構えて黒の防御壁を張ると、大分離れた位置で触手が吹き飛んだ。



『あーあ……ずっと傍観者でいたかったんだけどねぇ』


 何処かで聞いた声が小さな緑の光と共に風に乗って落ちてくる。 


 青白い星に照らされた屋上に、淡く光る落ち着いた緑色の粒子が周囲一体に降り注ぐ。


 空を見上げると緑の光に包まれた、人が数人乗れそうな位大きく美しく翠緑に輝く蝶が羽ばたく度に風を作り、緑色の粒子を撒き散らしていた。



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