第3話 緑の公爵


「親父……!? 何でここにいる……!? アンタ、皇城にいるはずだろ!?」


 宙に浮かぶ翠緑の蝶に向かってヒューイが真っ先に動揺の声を上げる。


「向こうが落ち着いた頃を見計らって飛んできてしまったよ。だって絶対こっちの方が面白いだろう? 実際面白かったよ、ふふふ……」


 クスクスと笑いながら蝶からふわりと飛び降りたのは――先程陰口叩いてしまった緑の公爵――シーザー卿その人だった。


 悪口を言ってしまった気まずさからつい視線を反らすも、さほど私の態度に気を悪くした様子もなく屋上に降り立ってクラウスを見据える。


「ボクもこの坊やと一緒でこの世界を助ける義理も理由もないのだけど、もっと面白くなりそうな時に世界が滅ぶのは面白くないからねぇ……助けてあげよう。グリューン、力を貸しておくれ」


 グリューンと呼ばれた大きな翠緑の蝶は羽をヒラヒラ羽ばたかせ、緑の粒子を撒き散らす。この神秘的な存在は緑の色神とみて間違いないだろう。


 ダグラスさんを覆う半球体の上に近づくグリューンに見惚れているうちにふと嫌な予感がよぎる。


(神器と神器がぶつかると衝撃波が発生するって事は、もしかして色神と色神が衝突したら……)


 そんな予感がしてレオナルドとクラウスを護るように黒の防御壁を張ると、予感が的中して神器の時より強い衝撃波に襲われた。


 長く強い衝撃波に防御壁が震え、ピキッ、とヒビが入る感覚が魔力を通して身体に伝わる。


(危ない、防御壁が、割れ――)


 どふっ!


 防御壁の上の方が割れた瞬間、頭上から温かくフカフカとしたものが覆いかぶさってきた。

 突然のもっふもふに押し潰され、息ができない事数秒――重たく温かい何かから開放される。


 咄嗟に見上げた先の一面の白の羽毛を見てラインヴァイスが私達を包み込んで守ってくれたのだと分かる。


「あ、ありがとう、ラインヴァイス……!」


 お礼を言いながら先程の衝撃波の発生源を見やると、先程の障壁も黒い半球体もなくなり、青白い星の下で緑の粒子がキラキラと輝く中、ダグラスさんが透き通った緑の球体の中に浮かんでいた。


「綺麗……」


 思わず見惚れて呟いてしまう位神秘的な光景の中央を飾る緑の球体の横でシーザー卿がこちらを見ながら手招きしている。


 おいでおいで、と言いだしそうな微笑みはとりあえず私に害を成そうとしている印象は受けない。

 懐妊パーティーの時の態度を思い返すと微笑み程度で油断はできないけれど。


『今、彼の時を止めた。もう危なくないからおいで?』


 近づかない私に痺れを切らしたのか、風に乗せて穏やかな声が響く。


(時を止める魔法……そんな凄い術を使える人に抵抗した所で意味がない。ダグラスさんの様子も気になるし……)


 恐る恐るその淡く緑に輝く球に近づく。ダグラスさんの目は開いていない。

 まるで母親のお腹の中で眠る胎児のような体勢で眠っているように見える。


 先程の狂気に歪んだ顔と濁った眼に比べて、今はちょっと眉を潜めているだけ――その表情に心配の情も湧くけどそれ以上に(ようやく落ち着ける)とドッと安堵の気持ちが押し寄せた。


「お嬢さん……こう見えてもボクは厄介な話を話す相手は選んでるんだよ? 誰にでも何でもバラ撒いてる訳じゃない。そんなのは面白くないからね」


 いつの間にか寄り添っていたシーザー卿から耳元で色気を帯びた低い声で囁かれる。ゾワゾワしたのはこの声のせいだけじゃない。

 もしかしなくても完全にヒューイとの会話を聞かれている――そうじゃないと出てこない台詞だ。


「ボクが求めているのはあくまで平和を壊しかねない程度のギリッギリのスリルだ……そこはボクにとってとても重要な部分だから誤解しないでほしい。……おっと」


 私達の間に風が吹いてシーザー卿が後ずさり、色気のある声から物理的に引き離された。

 風の発生源っぽいヒューイが呆れた目で父親を見据えていた。


「親父……頼むから俺より年下の女に色目を使わないでくれないか? 気持ち悪い」

「おや……恋に年齢も身分も外見も器の大きさも恋人の有無も関係ないんじゃなかったのかい?」


 確かにヒューイはそんな事を言っていた気がする。明らかに嫌悪の目を隠さないヒューイに気を悪くした様子もなく、シーザー卿はニヤニヤしながら私から神官長の隣にいる黒髪の男性の方へと視線を移した。


「スノウ殿下……他の公爵が来るまでダグラス卿はボクが抑えよう。ボクの気が変わらない間にこの状態をどうするか話し合うといい。丁度公爵家の子息達も揃っているからね」


 殿下、という事は皇太子――この人が優里の伯父さんなのだろう。そう思ってみれば顔立ちが日本人の風貌に近い。少し優里とも雰囲気が似ている。


「分かりました。それでは皆、こちらへ……」


 スノウ殿下が先導して塔を降りていくのに続いて、皆階段の方へ向かっていく。


「レオナルドの治療は終わってるみたいだな」


 ヒューイが未だ意識の無いレオナルドを浮かばせて引き寄せる。クラウスはその場に座って俯いたきり動かない。


 呼びかけたい気持ちはあるけど、どう言葉をかければ良いのかわからない。今は何を言っても拒絶されてしまいそうな気もする。


「放っとけ。あいつはあんたが降りた事に気づけば降りてくるだろ」


 ヒューイに押されるように私も階段の方へと歩く。

 ヒューイが言ったとおり、私が降りる寸前でクラウスをもう一度見やるとこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


 5階に降りて先程着替えに使った部屋を通った際、置いていった黒い紙袋を手に持つと私の前を歩いていた神官長がこちらを振り返った。


「リヴィ、塔のセキュリティは全て解除されていますからアスカを3階の部屋に保護した後、全ての部屋の隠し通路を塞いできてくれますか?」

「分かりました」


 他の皆を見送る中、クラウスは一度もこちらを見ないまま彼らの後についていった。


(部外者同然の私がこれからの話に加われないのは分かるけど……)


 やはりこの状況の元凶である自分が何も出来ないのは何とももどかしく、重い溜息が漏れる。


「それではアスカ、付いてきてください」


 既に隠し通路の方に足を踏み入れていたリヴィさんに促されるように通路に足を踏み入れると、リヴィさんが通路の壁に触れて通路が再び棚で塞がれる。


「……私、これからどうなるの?」


 先導するリヴィさんが作り出す小さな灯りを頼りに階段を降りる中で、問う。


「……ダグラス卿が治れば改めてアスカを狙って来るでしょう。皇家が今後貴方にどういう対応を取るのか私には分かりかねます」


 振り返る事無く紡ぎ出される言葉に寂しさを覚える。


「……そうよね。もう貴方達は私に協力する理由もないものね」

「……まだ、逃げたいのですか?」


 リヴィさんの問いが、痛い。


「分からない……色々起きすぎて……」


 後悔、反省、迷い、絶望、自己嫌悪――自分の心の中に今渦巻いている物をダグラスさんに関わるものだけ抽出するなら、逃げたい、でも、助けたい――その気持ちがせめぎ合っている。


「……貴方は何故迷ったのですか?」

「それは……」


 答えを紡げないまま、3階の部屋にたどり着く。


「アスカの迷いはすぐに解決できる事では無さそうですね……私が答えを示せるような物でもない。ですがしばらく心と体を休めて疲れが取れれば、貴方自身の中で何か見えてくるものがあるかも知れない」


 リヴィさんはそう言ってドアの方に歩いていく。


「リヴィさん、ごめんなさい……私……」

「……アスカ。私に謝る事は何もありません。ユーリとソフィアは無事転送されたのですから。貴方は迷った結果この世界に残されてしまった……ただそれだけの事。何もかも背負い込まないで。貴方は、貴方が背負わなければならない物とだけ向き合ってください」


 振り返ったリヴィさんは表情と語調を変えること無く淡々と続ける。


「今は休んで、考えて……貴方が本当に謝罪しなければならない人は、今貴方が考えている数よりずっと少ないはずです」


 そう言って微かに微笑んだ後リヴィさんは部屋から出ていき、静かにドアが閉められた。



 一人、部屋に残されてすぐにベッドにうつ伏せの状態で倒れ込む。ギシッと沈むマットレスの音が部屋に響いた。


 怒涛の展開で心身ともに疲れ切ってる上に、深夜。このまますぐ睡魔に襲われるかと思いきや、昨日しっかり夕寝してしまったせいか全く眠くならない。


 眠れない上に今何もする事が無いとなると、考えるしか無い訳で――不安や自己嫌悪に苛まれて動きが鈍くなってしまっている頭でぼんやりと振り返る。


 まず考えたのは、ソフィアの事。迷ったからソフィアに突き落とされたのは分かる。


(……sorry……ごめんなさい、か……)


 黙って突き落とせば良かったのに謝罪したのは何故だろう? 罪悪感から? 優里が突き落としたのかもしれないと誤解させない為もあったのかもしれない。


 もし何も言わずに突き落とされたならその可能性も考えてしまったし、多分今よりショックだっただろう。

 だから――ソフィアの謝罪の声が聞こえてきたのは救いでもある。


 クラウスは私を真っ直ぐだと言っていたけど、ソフィアや優里の方が真っ直ぐだと思う。

 真っ直ぐ前を向いて、迷いなく前進して、恨まれる事を承知で私を突き落として――それに比べてこんな目にあってもまだあの人に心揺らされる私は、なんて弱いのだろう?


 クラウス――クラウスと言えば、さっきクラウスはこっちを見なかった。こんな状況でもまだダグラスさんを心配する私を見限ったのかも知れない。

 これまでずっとクラウスを頼ってきたのだ。それを土壇場で迷われた挙げ句に言う事を聞かなければ嫌われてもおかしくない。


(私、クラウスに酷い事ばかりしてる気がする……呆れられて、嫌われて当然よね……)


 クラウスとこれから、どう接すれば良い? ダグラスさんは大丈夫だろうか? 優里とソフィアは今頃地球に帰れているだろうか――?


 一人ぽつんと残されて同じ立場の人間がもういないと思うと、急激に寂しくなってきた。


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