第71話 最低のツヴェルフ
午前の授業が終わり、昼食に向かう前に広げたノートからページの隅を折って綺麗に破り取る。
<あの本、優里の事も書いてあるんだけど本当に私が読んでいいの?>
それだけ書き込んで昼食時に優里の隣に座った際に手渡すと、紙切れを確認した優里は少し驚いた顔をする。
即答できないようで思い悩んだ表情で昼食を食べ終え、そのまま午後の授業に入る事になった。
午後の授業はダンスだった。もしクラウスに治療してもらってなかったら激痛に身を捩じらせる事になり、今朝私の身に何が起きたか明らかにされていただろう。
何せ完全治療された身ですら足がおぼつかず、相手をしてくれているセリアの足を何度か踏んでしまっているのだから。
セリアは何も言わないけどアンナがもたつく私の動作をチラチラと見ては機嫌良さそうにしているのが激しく気に入らない。
だけど――今日の朝私がキレた事でクラウスとエレンの仲が険悪になってしまったんだ。ここでまたキレたら次は何処で何がこじれるか分からない。
アンナの態度は逐一鼻に着くけど、彼女はエレンと違って絶対赤の魔力の影響だろうなと思うし、耐えろ。魔力のせい、魔力のせい……後2日、あと2日……。
とにかく堪える事だけを意識して、ひたすら授業が終わるのを待ち望んだ。
そして授業が終わって教室の外で待っていたセリアにノート等を手渡した時、向こうから声をかけられる。
「アスカさん、ちょっといいですか?」
「アンナ様、アスカ様はこの後用事がありますので……」
「すみません。一言言いたいだけですから」
セリアの制止も聞かず、アンナは私を睨んでくる。
(……これは何か相当辛辣な事を言ってくるな)
どんな事を言われても、受け流せ。そう、全ては魔力の悪戯――小さく深呼吸して、言葉を待つ。
「アスカさん……既に立派な婚約者がいる身で、アシュレーに粉かけて、その上、昨日はユーリさんの婚約者候補のレオナルドさんに愛想振りまいて、今日はまた別の男の人の家に行って授業に遅刻するなんて……流石に、どうかしてると思います!!」
教室の前の外廊下で思いっきり叫ばれ、聞きつけた人が皆こちらの方を振り返る。
「ねぇアンナ……貴方、一昨日からちょっと変よ? 何でそんなに私に突っかかるの? こんな所で私の名誉貶めるような事叫んで……」
「アスカ様……!」
セリアには悪いけど、流石にこれは反論せざるを得ない。
『どうかしてるのは貴方の方じゃない!?』と叫び返さなかっただけ私は自分を褒めたい。
「私はアシュレーに粉かけた記憶は一切ないし、レオナルドに愛想良くした覚えも無いわよ?」
感情が高ぶらないように努めて冷静に返答する。
「だって、一昨日、アシュレー、アスカさんが訓練するの応援してたのに……! 昨日、レオナルドさん言ってました。『アスカ様は私の忠告に素直に従って反省してくれましたが?』って……! アスカさんの行動、ブレブレじゃないですか!! 色んな殿方に好かれようと人によって態度を変えてるんでしょう!?」
「あれは、食い下がるより訓練場所を変えた方が早いと思って……!」
「いくらツヴェルフの一妻多夫が認められてるとはいえ、自分の婚約者が確立してるのに人の婚約者候補に手を出すのは流石にどうかと思います!」
その言葉に、私の中の何かが音を立ててキレた。
「ちょっと! 私を見境無く男に手を出す尻軽女みたいに言うの止めてくれない!?」
「見境無い方がまだマシです!! 他のツヴェルフと仲がいい、高爵位の見目麗しい殿方ばかりと交友してるじゃないですか!?
「そういう男しか私に近寄って来ないんだから仕方ないでしょ!? って言うか、リチャードは侯爵家だし、結構良い顔してるなと思うけど『見目麗しい』とまで言う程じゃなくない!?」
「リチャードさんって、ソフィアさんの婚約者候補の人じゃないですか!! しかも、侯爵家の方をそんな風に言うなんて……アスカさん、どれだけ面食いで玉の輿狙いなんですか!? 最上級の男性をキープしておいて色んな男性に手を出すなんて不潔……最低です!!」
「なっ……」
「もう、2人ともいい加減にしてください!!」
最低とまで言われて言葉に詰まった瞬間、また新たな絶叫が響いた。
驚いたアンナと同時に振り向くと、教室の前で俯いて拳をプルプル震わせている優里が立っていた。
「ここ最近、男の人の事でピリピリピリピリ……私、こういう空気大嫌いなんです!! 私達、この世界で唯一の仲間じゃないですか……!! 男の人の事で喧嘩するのはもうやめてください!!」
「でもユーリさん……レオナルドさんにちょっかい出されていいんですか!?」
「飛鳥さんは違うって言ってます! 仮に嘘だったとしても私は全然構いません! 私、レオナルドさんの事、良い人だとは思うけどそんなに好きじゃありません!!」
普段大声を出さない優里の絶叫に近い叫びが、周囲を沈黙させる。
レオナルドも優里もお互い恋愛感情抱いてないのは知ってるけど、人目に付く場所でこんな風に叫ばれるレオナルド、かなり可哀想ではないだろうか?
(……いや、元はと言えばレオナルドがいちいちアンナとの会話に私の名前を出したからこんな事になってる訳で、自業自得と言えば自業自得よね……)
可哀想、という点では今自分が一番可哀想な気がするけど、レオナルド同様自分の行いの結果である事を否定できない。
結果、今一番この場でとばっちり受けて可哀想なのは婚約者が色んな男に手を出してると大声で叫ばれてるダグラスさんじゃないだろうか?
「嘘……! そうやってユーリさんが気遣うからアスカさんが調子に乗って私とアシュレーが仲良くなるのを邪魔してくるんです……!」
こちらは優里の爆弾発言がもたらした沈黙のお陰でレオナルドやダグラスさんを気の毒に思える程度には冷静さを取り戻したけど、アンナのテンションは全然下がっていない。
「邪魔してくるって……私が何したって言うのよ? 一昨日アシュレーに引き留められてた事を言ってるなら、それは」
「言い訳なんて、聞きたくありません!!」
駄目だ。取り付く島もない。
「アンナさん!! 飛鳥さんが違うって言ってるんですから話ちゃんと聞いてあげてください!! 何でそう思ったのか、何でちゃんと本人に聞かないんです!? 言わないんです!? 何で、事実を確認しないで攻撃するんですか!? 耳を塞ぐんですか!?」
優里の涙が、零れる。その悲痛な叫びは、私を庇う為だけのものじゃない――そんな気がした。
「何で……友達が好きな男の人とちょっと話してるの見た位で、突き放すんですか……!!」
俯いて顔を手で覆って泣き出す優里に、私もアンナも黙り込む。
騒ぎ合っていた雰囲気が一気に静まり返り、優里のすすり泣く声だけが響く。
「皆さん……こんな所で固まって何を?」
重々しい空気を全く気にしてない単調な声に振り返ると、ネーヴェが立っていた。優里が泣いている事が気にかかるのか、顔を伏せている優里の方を見つめている。
「ネーヴェ……貴方こそどうしたの?」
「メイドからアンナさんがマナアレルギーを発症してるかもしれないと報告を受けたので様子を見にきました。」
問いかけた私の方に視線を移すネーヴェの後ろで、息を切らしたジャンヌが心配そうに立っている。アンナが叫びだした時に急いでネーヴェを呼んできたんだろうか?
「わ、私は大丈夫です……!! そんな、マナアレルギーなんて……まだ、キスまでしかしてませんし、そんな……!!」
そう言うと顔が真っ赤にしていたアンナが突然糸が切れてしまったかのようにフラ、と体勢を崩して倒れそうになる。
危ない――慌ててアンナの腕を掴もうとした瞬間、地面に魔法陣が現れてアンナが宙に浮かび上がった。
「……アンナを部屋に運びます」
ネーヴェは私がメアリーにされたのと同じように、アンナを宙に浮かせて歩いていく。
流石に今のアンナを放っておく事は出来ない。後に続くと、いつの間にか顔を上げていた優里も付いてきていた。
その場を去る際、いつの間にか周囲にはメイドや騎士や兵士達が集まり、建物の上層階からも窓を開けてこちらの方を眺めているような人影が見えた。
私達の叫び合い、一体何処まで聞こえてしまったんだろう?
(ダグラスさんに今の叫び合い聞こえてなければいいけど……)
今日は公爵が皇城に集まる六会合――つまり、ダグラスさんは今、この城の中にいる。
でも聞かれていなかったとしてもきっと今日の事は一気に広まり、明日には私は『人の婚約者候補ばかりと仲良く話し、ツヴェルフと言い争う黒の公爵の婚約者』という不名誉なレッテルが貼られているんだろう。
元々『貴族に暴力を振るい、喧嘩売り、神器使う生意気でしょぼい器のツヴェルフ』というレッテルが貼られてるのにそれが加わるとなると……
「セリア……ごめん。私、このままだと歴代ツヴェルフワースト10があったら、ランクインしてしまいそうな気がするわ……」
「ご謙遜を……アスカ様は既にワースト5に名を連ねておられますよ」
セリアに対して呟いた嘆きに、ユンが答える。あるんだ、ワーストランキング……。
「ユン……私は自分がアスカ様のメイドになれた事を心から感謝してるわ。史上最低を争うツヴェルフと、若くして英雄の称号を授かり、いつか史上最高と謳われるだろう公爵と結びつける有能なメイドになれるんだもの。貴方には荷が重すぎて無理でしょうけど」
セリアはにっこりとユンに微笑みかけ、また目には見えない火花が飛び散る。
「フフフ……上手くいかなければツヴェルフともども笑い者だな?」
「うふふ……上手くいかない事を恐れてたら栄光は掴めないのよ?」
先程の私達の感情任せの壮絶な言い争いに比べて、なんと静かで陰湿な言い争いだろう。
この、煽りに動じる事無く逆に煽り返すメイド達のメンタルの強さが、それに見合う強さが、心の底から羨ましいと思った。
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