第184話 砕け散る希望


 黒の空間に、ポツンと一人立たされる。


 怒涛の展開への戸惑いと、自分の行動の反省と後悔、周囲の明らかな嫌悪――あらゆる事で頭がごちゃついている。


 ひとまず、最も優先して考えなければならないのはこの空間はどちらに呼ばれたのか――何の意図があって呼ばれたのか、だ。


 辺りを見回すと少し離れた場所でペイシュヴァルツがちょこんと前足を揃えて座っていた。何だか哀れみの視線で見られているような気がする。


「な、何よ……何か言いたい事あるなら言いなさいよ……?」


 ペイシュヴァルツから言葉が返ってくる訳じゃないのは分かってるけど。

 問いかけてみても特に変化はなく、近寄ってくる気配もない。


 自分の声だけが虚しく響き、思わず「はぁー……」と長いため息が漏れる。この空間は痛みも継続するようで全身が痛い。オマケに服も濡れていて寒い。


 この空間に呼んだであろう黒猫が何も言ってこないので、次の優先事項――これからについて考える。

 多分これから館に帰る。目を覚ました時にまずしなければならない事は――ダグラスさんに謝る事と、怪我の治療。


(でもダグラスさん、絶対怒ってるわよね……癒やされると思ったら攻撃されるんだもの絶対ショック受けてるだろうし、どう考えても怒ってると思った方がいいわよね……)


 眠らされる前の無表情と冷たい言葉が思い返される。衝撃波か何かで吹っ飛ばされて倒れた私に対しての気遣いも殆ど感じられなかった。


「はぁー……」


 もう一度ため息をつく。もう何処から間違えていたのかな、なんて振り返って反省する気力もない。とにかく、ここからどうするかだ。


「ちゃんと謝らないとね……ダグラスさんを怖いと思ったのも、ここまでしなくても、って思ったのも事実なんだし……」


 敵意、と言われると反論したくなるけど負の感情が全く無かったかと言われれば嘘になる。


「……殺すな、じゃなくてそもそも人を傷つけてほしくないんだけどな……」


 ダグラスさんの言い方だとそこを変えるのは難しい気がする。

 大切なものを守る為に誰かと戦う――その闘争心、防衛本能が無かったら人に都合よく利用される存在に成り下がるのはきっとどの世界だって同じ事で、私が住んでいた所の価値観の方が異端なんだろう。


「ダグラスさん、傷、大丈夫かな……」


 クラウスとエレンもどうなったのか気になる。ダンビュライト家は治癒師も多そうだし大丈夫だとは思うけれど……


――貴方はあの女の言ったとおり疫病神です――


 疫病神――私に災難が勝手に降りかかると思っていたけれど、周りからしてみれば私が厄介事を持ち込んでいるようなもので。


(エレンに言われたのも効いたけど、ダグラスさんにそれを肯定されるのも効いたな……)


 クラウスは私が助けを求めたから助けに来ただけ。

 ダグラスさんも私を助けに来ただけ。


 私がふらふらと曖昧な状態でいた結果、2人にとっても疫病神になってしまった。


 心に負の感情が染み渡ろうとしてくるのを首を横に降って散らす。


(待って……じゃあクラウスを助けなければ良かったって事? 違うでしょ? あんな風に足蹴にされて、傷付いてるクラウスを見捨てて行けと……?)


 治したいと思ったその気持ちすら、否定されたくないのに。


「はぁー……」


 ため息しか出ない。そしてペイシュヴァルツは何を言ってくるでもなく。


 何度目かのため息を付いた所で、視界に見慣れた天井が広がった。




「……最後に言い残す言葉はないか?」


 目を覚ますなり、酷く冷たい言葉にゾクリとする。


 怒っているとは思っていたけどいきなりバッドエンドは流石に理解できない――と慌てて身を起こして声のした方を向くと、ダグラスさんがヨーゼフに黒の槍を向けている。


「ありませんな……私はこれが最後だと思っておりませんので」


 ヨーゼフさんはいつもと同じ表情で淡々と呟く。


「そうか」


 ダグラスさんが短くそう言った後躊躇なく黒の槍をヨーゼフさんの腹部に突き刺す。

 槍が引き抜かれてこぼれ落ちる、大量の、血。


「ヨーゼフさん!?」


 慌ててベッドから飛び出し、膝をつく彼に駆け寄る。

 まだ白の魔力は残ってる。迷う事無く腹部に手を当てて治療を開始する。


「……裏切り者は裏切り者を庇うか」


 冷たい口調で私達を見下すダグラスさんの眼差しは、冷たい。


「ど、どうして、ヨーゼフさんが裏切り者なんですか……!?」

「……ヨーゼフは私が口止めした事をお前に伝えた。今その罰を与えただけだ」


 その言い方に酷い違和感を覚える中、以前言っていた言葉を思い出す。


 どう重く見積もっても殺される程度で済む罪――そりゃ、魂を痛めつけられるよりはまだマシなのかも知れないけれど。どう考えても重すぎる罪。


「どうして……しかも、何でわざわざ私の目の前で……!?」

「……私に逆らうとどうなるか、目の前で実践すれば馬鹿な人間にも分かりやすいと思ったからだ」


 ダグラスさんはそう言って部屋を出ていく。近くにルドルフさんとランドルフさんが私達を見下ろしている。

 ランドルフさんは相変わらず笑顔で、ルドルフさんは気持ち悲しげに。


「あまり、主を、責めないでください……主は、私の罪を……適切に、裁いただけです」


 ヨーゼフさんの弱々しい声に視線を戻すと、眉をしかめつつもヨーゼフさんは穏やかな表情をしている。


「罪……口止めを破った事が?」

「その通り……あの事を、貴方に伝えた時から、いつかこうな、る事は覚悟……しておりました、ので」


 メアリーも同じような事を言っていた気がする。何で皆私を死亡フラグにするの? 本気で止めてほしい。


 結構あると思った白の魔力だけど、恩恵を使った時にごっそり削られた。今この場で何処まで白の魔力が持つか――


「……ヨーゼフさん、ごめん。完全には癒せそうにない」


 何となくの感覚だけどヨーゼフさんの腹部の傷が塞がっていっているのを感じる。


「分かっております……主の為に、魔力を残したいのでしょう?」


 ヨーゼフさんは小さく頷くと、私の手を腹部からどける。


「流石、白の魔力は質が違いますな……この程度まで癒えれば、後は何とでも出来ます……しばらく、自室で休ませて頂きます……」


 ヨーゼフさんがランドルフさんの方を向くと、ヨーゼフさんが浮かびあがる。


「……ごめんなさい」

「謝罪は不要です……このまま貴方が主の傍に居てくれるのであれば何も謝る事はありませんし、もしまだ、地球に帰りたいと思ってるのなら、謝られても到底許せるものでもありませんしな……」

「ど、どうしてそれを!?」


 ヨーゼフさんの言葉に思わず首元に手を当てる。ペンダントが――塔への転移石が、無い。


「……もう主は貴方の企みを全て知っておいでです。ここにいる者全員、先程主から聞かされました。ル・ターシュへの転送の事も、塔への転移石を隠し持っていた事も……」


 そこまで知られてしまっていてはもう何も隠す事がない。


「それ……黙ってた方が、良かったんじゃないの……? また刺されちゃうわよ?」

「ほっほっ……歳を取ると、どうしても口が軽くなる……貴方が私を助けたように、私も少なからず、貴方の……ごほっ……」


 咳き込むヨーゼフさんにランドルフさんが早急に寝かせたほうが良いと判断したのか、足早に退室する。

 その姿を見送って部屋を見渡すとルドルフさんしかおらず、本来ここに、私の傍にいるべき人の姿が何処にも見えない。


「ルドルフさん……セリアは?」

「セリアさんは主の話を聞いて自室に籠もってしまいました……何故、彼女に打ち明けなかったのですか?」


 それは単純に『信頼しきれなかったから』としか言い様がない。だけどこれまで色々尽くしてくれたのも事実な訳で。何もかも知られると流石に心が痛む。


「協力してもらえるかどうか不安だったし……仮に協力してもらったとしても私が地球に帰った時に責任を被せる事になるかな、って……」


 嘘半分の言い訳を連ねる。皇家が協力してくれている以上セリアが私に協力した所で皇家から罰を与えられる事はない。ダグラスさんから私怨で刺される可能性はあるけど。それは何も知らされないまま私が逃げても同じような気がする。


「……これから部屋の掃除をしますが宜しいですか?」


 ルドルフさんは私の答えに相槌を打たずに流す。濃灰と黒がベースの絨毯とはいえ、やはり大きな血溜まりは目立つ。

 ルドルフさんの質問に二つ返事で了承し、私も部屋を出る事にした。



 執務室の扉をノックすると「入れ」と短く聞こえた。

 扉を開けると椅子に腰掛けたダグラスさんは大きな机に肘を付き、愛想の欠片もない視線を向けてくる。


「……ヨーゼフは?」

「一命はとりとめたと思いますけど……しばらくはまともに動けないと思います」


 クラウスのように魔力の扱いに慣れている訳でもない、ただ彼と同じ最高級の魔力を使っただけの素人の治療だ。

 とりあえず一命は取り留めたかなという感覚しか無い。


「そうか……」


 ふう、とため息を付いてそれ以上の言葉を言わない。ダグラスさんがヨーゼフさんの死を望んでいた訳ではない様子に少しホッとする。


「あの……ダグラスさんも、顔と手を怪我してるので、治療を……」


 机に近づいて手を差し出すと、片手で制される。


「……いらない。また攻撃されかねない」

「そんなつもりは……」


 冷たい物言いに胸がチクりと痛み、無意識に反論の言葉が出る。


「いくら私に媚を売ったとしても、これを返すつもりはない」


 そう言って私に見せつけてきたのはチャームが開かれ緑色の宝石が剥き出しになった金色のペンダント。ついさっきまで私の首に下がっていた物。

 ナイフと違い、何を言っても返してくれそうなアイテムじゃない。


「……構いません。私、今は、この世界に残るつもりでいますし……」

「そうやって、また私を油断させようとして隙を見て盗むつもりだろう……?」


 ダグラスさんがペンダントを持っている手とは逆の手の指で宝石を弾くと緑色の宝石がパキリ、と音を立てて割れた。


 ああ、本当に――道が、絶たれた。そう思った瞬間、少しだけ口が開いた。


「……その表情が答えだな」

「ち、違います……!! ちょっと石が割れた事にビックリしただけで! そりゃあ、ずっと地球に帰りたいって思っていたけど、今は……!!」


 少しの表情の変化でそこまで追求されるとは思わず声を荒げると、嘲笑を向けられる。


「今? 先程私を攻撃しておいて今、とはまたえらく早い心変わりだな?」


 あ。これ今、私、何言っても駄目な奴だ。悪者が何をどう言い繕っても嘘臭く聞こえるあれだ。


 そして物凄く距離を感じる話し方と視線に心を締め付けられて何も返せないでいると、ダグラスさんは再び手に持っているペンダントに視線を戻す。


「……皇家がツヴェルフの為に6日後のル・ターシュへの転送に動き出しているのは把握していた……だが、お前は……この世界に残ってくれると思っていた。しかし、それは大きな間違いだったようだ」


 転移石が欠け落ちたペンダントを窓辺の日差しに晒すように眺めているダグラスさんの目は、酷く淀んでいるように見えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る