第185話 削られる想い
ゆらゆらと揺れるペンダントに残った転移石の欠片が、寂しく煌めく。
「こんな物があるから私を誑かし油断を誘ったり他人の魂を心配する余裕もあった訳だ……あの目も、あの表情も……何もかも全て演技だった訳だ。あの白の雨でお前の本心が分かるなんて皮肉なものだ」
あの時――ダグラスさんに『何故こんな酷い事を』という気持ちが無かった訳じゃない。怖いという気持ちもあった。
あの雨が正の感情を一切考慮せず負の感情だけで判断するのなら酸の雨が降ったのも頷けるけど、それを<本心>にされるのは――
「癒やされると思ったのに攻撃された私は、お前にも、周りにもさぞ滑稽に映っただっただろうな?」
「……ごめんなさい」
今何を言っても信じてもらえないのは、これまで嘘を付き続けた報いだろうか?
「そんな上辺の謝罪などいらない……それより、これについても話を聞かせてもらおうか?」
ペンダントを机の隅に置いたダグラスさんがポケットから取り出したのは白の指輪。首元のペンダントが取られてる以上、手袋の中もチェックされてても驚かない。
「それは……漆黒の部屋に落ちてました」
「嘘を着くならもう少しまともな嘘をつけ。この黒に満ちた館にこんな白の魔力の塊が落ちているはずがない」
そう言われても、事実を言っただけ――と言いかけた所で先に向こうの言葉が被せられる。
「……あの男に貰ったんだろう? 散々好意はないと言っておいて、あの男と同じ色の指輪を隠れて身につける……これまでの態度といい、お前は本当に筋金入りの嘘つきだな」
「私が嘘つきなのは事実ですけど、これについては嘘はついてません!」
嘘を嘘と見抜かれたら諦めるけど、本当を嘘と決めつけられるのは本当納得がいかない。ハッキリと反論すると、ダグラスさんの口元が緩む。
「それなら……これも砕いて問題無いな?」
「私は構いません。」
そう言った瞬間、白い石が砕け散る。もったいないなと思ったけれど表情を変える程では無かった。
「……愛を込めて送った指輪を破壊されても表情一つ変えられないとは、あいつも哀れだな。私とどっちが滑稽なのだろうな?」
「だから、クラウスとはそういう関係じゃ……」
そう言いかけて、やめる。今何を言っても怒らせるだけだ。
この人にとっても私は、疫病神だったのだ。
私が大人しく従順な性格ならこの人をここまで傷つけずにすんだだろうに。
「……お前をいくら甘やかしてみても紛い物の好意しか手に入れられない……それはきっとこの先もずっとそうなのだろう。そう思うともう何もかもどうでも良くなってきた……」
諦めの言葉に心が痛む。私がいくら紛い物じゃないと言ってももう信じてもらえない。
思いっきり地球に帰る予定でいましたし、色々企ててましたけど貴方と一緒にいる内に残ってもいいかなって思い始めて、でも貴方怖いし、いちいち変な事やらかすし、この世界価値観合わないし捨てられたら私生きていけなさそうだし、どうしようかな、でもそれでも傍にいたいなあ――とか思ってたらクラウスにさらわれました。
端的に言えばこんな感じだけど、これを言って心を動かしてくれるとは到底思えない。
むしろ馬鹿にするなとさっきのヨーゼフさんみたいに刺される気さえする。
もう重症レベルの傷を癒やす程白の魔力は残っていない。また死にたくないので相手から流れ出る言葉を聞く事しか出来ない。
「……私を騙してきた事は到底許される事ではない。しかしお前の代わりを10年待つには長すぎる。お前には、私の子を成してもらわなければならない……だから……」
(ああ……ここで強制ベッドインか……)
何処か他人事のように自嘲する。ただ、この態度だとベッドに連れ込んでくれるかどうかすら怪し――
「もう愛だの恋だのという馬鹿げた感情に振り回されるのは勘弁だ……いい加減心折れて私に服従しろ」
酷く冷たい言葉の後に背中に強い悪寒を感じ、心臓が大きく跳ねる。
先程の敵意の視線が、疫病神という言葉が。青緑の魂を開放した時の激痛が――孤独のまま意識を失った辛い記憶がとめどもなく襲ってくる。
涙がこみ上げる。胸がキリキリと締め付けられる。
心臓が潰れてしまいそうな強い圧迫感が立ち続ける事を許してくれない。
「チッ……まだこの程度か……癒されるにしろ攻撃されるにしろ、お前の中に残っている中途半端な白の魔力を使い切らせれば良かったな……」
不満げな舌打ちに、歯を食いしばる。
(落ち着いて……後で、黒の魔力を放出すれば少しは楽に……)
「
私の考えている事なんてお見通しと言わんばかりの言葉が響く。
白の部屋にいた時と同じ様に想像した物のイメージが揺らぐ。今の精神状況も相まってまともに唱えられる気がしない。
「……ぐうっ……、うう……」
涙が溢れ、呻き声が漏れる。胸が、苦しい。
「ふふ……いくら強情で気が強くても所詮は戦も知らぬか弱き者……辛いだろう? 苦しいだろう? これから心を入れ替えて私に縋り付くなら、それなりの態度に戻ってやってもいい……世間体的にも子どもの為にも、表面上は仲の良い夫婦でいた方が良いだろうしな……」
ダグラスさんが椅子から立ち上がり、私の傍に来て語りかけてくる。私が苦しむ姿に対して何かを待ち望むような笑みは何より反抗心を煽る。
「……こんな事して、私が、縋り付くとでも思ってます?」
反抗心を露にして睨みつけると、相手の笑みが不機嫌なものに変わる。
――素直に従った方が楽になるんだと、分かってはいる。でも、その傲慢な態度や物言いが、私をそうさせてくれない。
「分かってもらえないだろうけど……私、全部が全部演技だった訳じゃないから……!」
ここで従ったら、私の想いは――どす黒い打算と支配に穢される。
この人に想いが伝わるかどうかより、私がこの想いを穢される事に耐えられない。
(ああ……本当にどうしようもないわ、この恋)
一度凍りついた恋の氷が溶けて、また動き出しかけたと思ったら踏み躙られて。
それでも――この人はちゃんと分かってくれる人だと、そう思ってしまうのはきっとこの人に惚れた私の――くだらないプライド。
(まあ、この人には色々酷い事やっちゃってるし……ここまでされるのも、仕方ないって言うか……)
ただでさえ簡単に踏み潰そうと思えば踏み潰せる私に色々良くしてくれて。衝突する事はあれど、私に対する最低限の敬意や誠意は常にそこにあって。
それに引換え私は致し方ないとはいえこの人を裏切ってばかりで。
心の中で自分の非を受け入れると少し楽になる。口を手の甲に当てる風を装って皮膚を噛む。痛みが不安を少しだけ紛らわせてくれる。
「お前はまたそうやって頑なに自分を有利な立場に置こうとする……少しは非を認めて身の程を弁えて相手に従う事を覚えたらどうだ? 私はお前が非を認めて悔い改めるなら全て水に流すと言っている……お前にとってこれ以上無い道を示しているんだぞ?」
全てを水に流す――それってつまり全てを偽物にするって事?
「そんな道歩く位なら……このままでいいです」
そのまま立ち上がり、覚束ない足で執務室を出る。
(漆黒の部屋にいれば……少しは気持ち落ち着くかな……)
強い不安や恐怖、圧迫感に苛まれながらもまだ理性を保っていられるのはこれが黒の魔力によるものだと知っているから。
それでも途中で立ち止まったらもうその場から動けなくなりそうだ。ヨロヨロと歩き、何とか漆黒の部屋の前まで行く。
が、ドアノブを捻りきれない。
(鍵、かかってる……)
「……主の許可もなくその部屋に入れるとでも? お前の態度次第ではその部屋を開けてやらなくもないが」
後ろを振り返ると、ダグラスさんが腕を組んで見下した言い方で笑みを浮かべている。
(着いてきたのか……)
無言で部屋を出られたら何処へ行くのか気になる気持ちも分かるけれど。
「……あの……」
「何だ?」
心折れたか? と言わんばかりに、聞き返しの言葉に高揚感が含まれているのを感じる。
「……お前って言うの、止めてください。気分悪いです……!」
キッと睨んで言うと睨み返される。
アシュレーに言われる分には何も思わないけどこの人に言われると何だか物凄くイラッとするし、悲しくなる。言われる度に想いが削られていく感覚に陥る。
そう言えばダグラスさん、前に様付けはやめてほしいって言ってたな。こんな気持ちだったのだろうか? 今更その気持ちが分かるのも皮肉な話だけど。
「お前は私に命令できる立場じゃない……!」
冷たい言い方に負の感情がブワリと湧き上がり、また涙が溢れる。
私が抱いた想いは紛い物じゃない。偽物なんかじゃない――と、思いたいのに。
本当にそうなのかな? この人本当に分かってくれるのかな? という疑問にグラリと揺らされ、胸がヒビが入ったような痛みに襲われる。
クラウスに紛い物だと思われているのは仕方がないけれど。
ずっと傍にいたこの人にそう思われるのだけは、絶対に嫌なのにな。
肘で乱暴に涙を拭い鼻をすする。目元が擦れて痛い。心が荒れ狂う中でもう見た目なんて気にする余裕はない。
「そうですか……残念です」
見苦しい顔を極力見られたくなくて、顔を俯けたまま自室へと歩き出す。
数歩歩いた所で俯いた状態で振り返ると少し離れた所に黒い足元が見える。
「もう、着いてこないでください……」
一瞬、様付けで言い返してやろうかと思ったけれど――それをしても状況は悪化するだけ。この人を傷つけるだけ。
私も、傷つけあう関係になりたくない。
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