第186話 崩れる関係


 ダグラスさんを退け、強くしつこい負の感情に苛まれながら部屋に戻るとセリアが立っていた。


「セリア……ネーヴェから貰った薬、飲みたいんだけど……」

「アスカ様……その前に確認したい事がございます」


 私今相当酷い顔してるはずなんだけど、それを気にすること無く笑顔のセリアが少し怖い。


「6日後に地球に帰られるつもりだったというのは本当ですか?」


 ああ、セリアも聞かされてるんだったな。質問を肯定すればきっと軽蔑され、呆れ果てられるんだろう。


「……その、つもりだったけど、今は……」

「……帰る手段を失えば、気も変えざるをえませんよね」


 けして帰る手段を失ったから、ではないのだけど。

 どうせ、何を言っても誰にも何も信じてもらえない。そう思うともう何を言う気にもなれないで押し黙ると、小さなため息が聞こえた。


「とても……残念です。私はアスカ様にとって本当に信用ならない存在だったのですね?」


 すう、とセリアの表情から笑顔が消える。


「……ごめんなさい」


 無意識にこぼれ落ちた謝罪は、セリアが怖いからか、純粋な罪悪感から出たものなのかよく分からない。


「……主に信頼されてないからと言って私が仕事を放棄する事はありません。ですが、今後はあまり上手く笑えそうにありません。ご了承ください……それでは、お水を持ってまいります」


 冷たい口調は、見限られたのだと思わせるには十分だった。退室するセリアの背を見送った後、ベッドに横たわる。



 私のせい。何もかもが自業自得――頭では理解してるけど心にはそれ以上に重苦しい不安が伸し掛かる。


 これまで、私がしてきた事で誰かが助かっただろうか? 迷惑ばかりかけてきたのではないだろうか?

 魂だって。皆が皆感謝して天にあがっていった訳ではないだろうし。侯爵の魂のように反撃したかった魂だってあったのでないだろうか?

 

 私が出しゃばらなければ、クラウスとエレンだって仲違いせずに済んだはず。


 アシュレーとアンナだって、もっと早くに結婚式を挙げられたはず。


 ダンビュライト家の騎士団だって、あんなに傷つかずに済んだはず。


 ヨーゼフさんだって、痛い思いをせずに済んだはず。


 自分がした事で自分が傷付いたのは仕方ないと思えるけれど、他人が傷つくのは――



 罪の意識に苛まれじっとしている事すらできなくて寝返りをうつ。何度そうしてみても、不安と後悔が上手く振り払えずにヘドロのように汚く心に纏わりつく。


「お水を持ってまいりました」


 差し出されたトレーの上に乗った薬と一緒に水を飲み干して、またベッドに倒れるように寝そべる。


 チラと時計を見やるとまだ部屋に戻ってきてから10分も経っていない。時間が果てしなく長く感じる。


 薬を飲んで先程より大分マシになったとは言え、今度は胃のあたりがキリキリと痛む。


(……婚約リボンと、黒の服……)


「セリア……悪いんだけど、婚約リボンと黒い服、出してくれる?」

「婚約リボンはダグラス様がペンダントと共に持っていかれました。服は今用意いたします」


 布団の中で途中途中休みながら乱雑に着替えると、気持ち楽になった気がする。

 それでもこれまでの辛い記憶が脳内を掻き乱し、羞恥心や後悔、不安を勝手に掘り起こしていく。


 数分と経たずして何度も寝返りを呻き声をあげる私に、セリアは何も言ってこない。私も、セリアに何を言えば良いのか分からない。


 何を言っても冷たく返される気がして。何を言っても言い訳と受け取られる気がして――実際、言い訳なのだけど。



 ああ。何もかもが私のせい。私のせい。皆傷付いてるのは私のせい。疫病神。言い訳をせずに自分の非を潔く認めてそれを繰り返しているのが、一番楽だった。


 流石に人間の尊厳は捨てたくないのでトイレに行きたくなった時はしんどいながらも移動した。ああ。トイレが部屋にあったらいいのに。



 そんなこんなで到底夕食を食べる気になれず、飲み物も最低限しか取る気にもなれず。今日一日何も食べぬまま過ごしているとあの人がやってくる。

 ノックもされず乱雑に入ってこられて無理矢理宙に浮かされて布団から引き離される。


「……調子は?」


 ぶっきらぼうに聞かれる。どれだけ不安と恐怖と絶望に包まれていても私の反発心はまだまだ健在なようで。優位な立場から見下されているのが悔しくて目をそらす。


 突き飛ばされるかと思ったが、逆に抱きしめられる。

 呼吸が落ち着いて圧迫感が消える。考える事が苦しくなくなる。


(もしかして……反省して痛めつけるのを止めてくれたの、かな?)


 心が温かい希望に包まれていく中、ゆっくりと抱擁が解かれる。


(やだ……まだ、離れないで……!)


 服を掴んで顔を見上げると、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。

 反射的に服を掴んでいる手をそのまま押し出して距離を取ると、舌打ちが聞こえてまた――負の感情が襲いかかってくる。


 足が体を支えられずにその場に座り込みながらも、這いずるようにベッドに戻る。


「強情にも程があるな……いい加減にしないと精神が侵されるぞ? 貴様がどれだけ意地を張って自分自身を追い込んでも、誰も得をしない……」


 呆れたように色々言ってくる声が煩わしくて、布団に潜り込む。


「……貴様も嫌です。入る時はノックもしてください」


 布団に隙間を少し作って、聞こえるように呟く。


「調子に乗って我儘を重ねるな!! 私に丁重に扱って欲しければそれなりの態度を示……」


 言い切られる前に布団の隙間を閉じると、微かに舌打ちの音が聞こえた。


 くだらないこだわり。


 いつか自分が言った言葉が、自分に返ってくる。

 本当に自分の想いが綺麗に伝わったとして、それで――何なの?


 私は何を望んでいるんだろう?

 元の待遇に戻れる事を願って賭けているだけなのかも知れない。


 自分の気持ちが分からなくなってくる。

 私は、何にこだわって、何が嫌であの人に抗っているの?


(……駄目。大事な気持ちなんだから。分からなくなったら、駄目)


 また手の甲を近づけて皮膚を噛む。


 私はこの想いを譲れない。汚したくない――まだ、諦めたくない。


 意地、負けず嫌い。頑固――それの、何が悪いの。

 こんな所で心折れたら、あの人に何も伝わらないじゃないの。


 地球に帰れないのなら――あの人の傍で生きるしか残された道は無い。

 それでも。あの人に<従う>のは絶対嫌。


 私は、あの人の横を歩きたい。あの人が変な事しようとしたら止めたい。

 今ここで暴力や支配で屈服させられたら、もうその立場は二度と変えられない。


 私の<好き>をそんな物で汚したくない。また都合の良い事……をって思われたくない――




 薄暗い空間。目の前で女性が――セラヴィさんが泣いている。

 必死に縋り付いてきたと思った彼女が突き飛ばされたように後ずさった所で、何か不思議な感触に囚われて、セラヴィさんが霞のように消えて――目を覚ました。



 目を閉じて自問自答を繰り返している内に眠ってしまったようだ。部屋はもう真っ暗だけど背後に明らかに大きな何かが布団に潜り込んでくるような音と振動を感じる。


(まさか、夜這い……!?)


 強制ベッドインがついに来た――が、こんな状況で潔く体を許せるはずがない。


(腕はまだあんまり力入らないけど……蹴りなら、何とか……)


 寝ているふりをしつつ襲われた際の抵抗の手段を想像しては見たけれど、


(待って……でも急所を蹴るって、それで全く使い物にならなくなる可能性もあるのかしら……? 一応あれも内臓な訳だし、テレビとか見てると本当に痛そうだし……それであの人が子ども作れなくなってこの世界滅んだら、私、本当に疫病神じゃない……?)


 私自身はこの世界が滅ぶ前に殺されてしまいそうな気がするけど。


(駄目だ……地球の男が相手だったら『そんなの関係ねえ! 同意無しに襲ってくる方が悪い!!』って思えるのに、私の金的蹴りにこの世界の命運がかかっていると思うとあれこれ色々考えてしまう……!!)


 それに金的蹴りは女性に置き換えれば下腹部の辺りに全力の蹴りを入れられるような物――もしダグラスさんにそんな事されたらこの想い、秒で消え失せる自信がある。それは相手だって同じじゃないだろうか?


 しかし女性が男性に襲われた際に有効な抵抗手段などこれ位しか思いつかない。

 これが使えないとなると、どう自分の身を守れば良いのか――金的蹴り以外の手段を考えている間に1つの疑問を抱く。


 一向に襲われる気配がない。


 流石に不審に思い背後に向けて恐る恐る手を伸ばすと、予想と大きく反するフカフカな手触り。


「ペイシュヴァルツ……!? 何しに来たの!?」


 起き上がって布団をめくると、前足を突き出してスフィンクスのように伏せて私の方を見つめている。


「……自分が寝てる間の、監視役って訳?」


 この心に渦巻く黒の魔力を安定させてくれたら、あるいは黒の部屋で寝かせてくれたならまだ大人しく寝ていられる自信があるのに――と思ったけれど。


 寝る前よりも黒の魔力が安定している。ペイシュヴァルツがいるからだろうか?


 チラ、とペイシュヴァルツを見やり何となく背中を撫でる。毛並みに沿って撫でれば滑らかに、逆らうように撫でればフカフカな感触が心地良い。


 ペイシュヴァルツに寄り添うとより心が、体が落ち着く気がする。


(……こっそり監視してもいいはずなのに)


 それともわざわざ姿を表して私の傍で寝てるのはペイシュヴァルツの独断なんだろうか?

 心地よさと温もりにつられてついつい密着しても、ペイシュヴァルツはそこから動かない。


「ペイシュヴァルツ……ありがとう」


 ペイシュヴァルツはチラリとこちらに目を向けた後、小さく欠伸をして目を閉じる。それに釣られて私も1つ欠伸をして静かに目を閉じた。



 ル・ターシュへの転送まで、後5日。



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