第183話 黒と白の間で・2
薄暗い空がその濃さを増して細かな雨も降りだす中、石畳の上で倒れるクラウスの背中が強く踏みつけられている。
「……ダグラスさん、いい加減この足どかしてください」
2人の近くまで来てそう言うと、ダグラスさんは肩を少しすくめる仕草をして足をどかしたのでその場でしゃがみ込む。
「……
クラウスの破れた袖から見える腕の傷に手を当ててつつ、他に傷がないか探る。意識を失っているのか目が開く様子がない。
「飛鳥さん……クラウスは死ぬ程の怪我ではありません。私達が去ればここの治癒師が治療するでしょうし、貴方が手を煩わせる必要はない。早く帰りましょう?」
呆れたような呟きが落ちてくるけど、目を向ける気になれない。
本当に治癒師が駆けつけてくるとしても『じゃあ後は宜しく』だなんて言えない。
「ダグラスさんは何も分かってない……」
「何の事です? 貴方が命が潰える事を嫌う事は重々理解しているつもりですが?」
私の呟きに明らかに不服そうな声が落ちてくる。
人の殺生を避けてくれただけでも喜ぶべきなのかも知れないけど――ここまで人を痛めつけて笑う姿に、決定的な価値観の違いを痛感させられる。
「私は、誰も傷つけてほしくない……」
「それは無理です。私は守るべき物がある。それを奪われたら力ずくででも取り返さねばなりません。それでも貴方が殺生を嫌うから極力殺さない事を意識して戦ったのです……少しは私の努力を認めて頂きたい」
平然と言われ思わず顔を上げるとダグラスさんの狂気を孕んだ笑顔に悪寒が走り、すぐにクラウスの方に視線を戻す。
「騎士も兵士も冒険者も、死を覚悟している者にしか務められない職です……人の死を気にする者など誰もいない。なのに……貴方が私よりクラウスの治療を優先するのなら全員殺しておけばよかった。そうすれば反撃の機会も奪えた。これでは、何の為に手間のかかる戦いをしたのか分からない……」
治療を続ける中、ダグラスさんの冷たい声が響く。
雨は少し強さを増しているのに私に雨が落ちてこないのはダグラスさんが防いでいるからだろう。しっかりクラウスには雨が当たっている分、本当性格が悪い。
クラウスにこれ以上雨が当たらないように体の位置を変えると、真上で舌打ちが聞こえた。
「ゆ、弓を……」
クラウスが僅かに目を開き、呻きながら白の弓の方に手を伸ばす。また手に取ったら絶対に戦おうとする――そう思って反射的に左手で弓を掴んでクラウスから遠ざける。
「さあ、クラウスが意識を取り戻したならもういいでしょう……帰りましょう、飛鳥さん。私も貴方もここでは招かれざる客です。周りを見てください。皆、敵意と殺意に満ちている。何も分かっていないのは貴方の方です」
そういう風に言われ、周囲を見回す。所々で剣を構えている騎士、座り込んでいる兵士、倒れている兵士、その人達を治療する治癒師――体勢はそれぞれだけどこちらに向けられている視線は明らかに好意的ではない。
そして、エレン――憎しみの形相の彼女からは敵意を超える殺意すら感じる。
早々に帰った方が良いのは間違い無さそうだ。右手で治療を続けながら左手に掴む弓を何処に置こうか考える。
(白の弓……そう言えばさっきリチャードが……)
『――色に恵まれし者が天に放てば広範囲に味方に癒やしを、敵には強酸の雨を降らせると聞いた事があります――』
(……このまま治療を続けるより、これを一発放てばクラウスも周囲も一度に癒せる……)
周囲を見る限り、負傷している兵士たちも多い。私の今ある魔力で何処までの事ができるか分からないけど、せめてこの位の事はさせてほしい。
「……これを一発天に打ってから帰りたいです」
「……分かりました。私も無傷という訳ではありません。その雨で癒やして頂けますか?」
白の魔力を意識して弓を引く。最初触った時よりずっと引きやすく、ハッキリとした魔法陣が浮かび上がる。
濃灰の空に向けて放つと魔力がゴッソリ体から抜けていく感覚に襲われた。
白い光の矢が濃灰の空に消えた直後、綺麗な白い雨が降り注ぐ――と同時に、小さなうめき声と熱した金属に水を垂らしたような音がすぐ近くで聞こえる。
「ぐあっ……!!」
「ダグラスさん……!?」
驚いて顔を上げるとダグラスさんが防御壁を張ってしゃがみ込んでいる。
(まさか――)
「ほら見た事か……アスカに、敵と、思われてる」
倒れているクラウスが口元を歪ませて嘲笑うように言う。
「クラウス……違う、私は……!!」
「違わないよ……これが、アスカの答えなんだ……白い雨が癒やしになるか強酸になるかは使い手の感情次第……相手に対して負の感情を抱いていれば癒やしの雨は酸へと変わる。アスカがダグラスに敵意を抱いてる明確な証拠だよ」
クラウスがゆっくりと起き上がる。全身の苦痛に耐えながらも、その表情は勝ち誇ってるような印象すら受ける。
「アスカ、目を覚まして……本当に、ダグラスの事が好きなら僕よりダグラスの治療を優先したはずだ。ダグラスも結構負傷してるのに……君は僕の方を優先してくれたんだ……」
「それは、単にクラウスの方が重症に見えたってだけで……!!」
誰だって踏みつけている人と踏みつけられている人を見れば後者の方が重症だと思うはず。
というかその状況で踏みつけている側を治療するなんて私には考えられない。
「アスカ、白の弓を返して……」
魔物狩りの時と同じ、大分しんどそうなクラウスはそれでも白の弓を握ろうと手を差し出してくる。
「返せないわよ……今返したらまた貴方達戦おうとするじゃない……!! ごめんなさいダグラスさん、今、治療します……! 顔を見せ」
声をかけると同時に差し出した手が、振り払われる。
そしてダグラスさんがクラウスに向けて槍を構えた時――いつの間にか直ぐ側まで来ていたエレンがダグラスさんに斬りかかる。
まるで後ろに目でもあるのか、ダグラスさんは鮮やかに跳んでそれを交わした。
殺意に満ちたエレンと、目が合う。
「さっさと帰れ……! これ以上お前らの色恋沙汰に私達を巻き込むな、この疫病神が!!」
殺意に満ちた目で威圧され全ての言葉が心に刺さる。が、すぐにエレンはダグラスさんが跳んだ方に向き直す。
釣られて同じ方向を見ると、ダグラスさんがエレンに黒の槍を振り下ろそうとしている所で。
(駄目!!)
考えるより先に体が動き、白の弓で槍を受け止めようとした瞬間、視界が一気に遠ざかる。
衝撃波か風圧か――何かわからないけど吹っ飛ばされたのだと、壁に叩きつけられて気付く。手をつく間もなく、そのまま雨に濡れた地面に倒れ込んだ。
全身が痛い。雨が冷たい。
(でも、エレンと戦った時の腹部の痛みが無いだけ、まだ、マシかな……?)
痛みに慣れてきたのは不幸中の幸いかも知れない。それでも立ち上がる事が出来ない。手を着いて少しだけ上半身を起こす事しか出来ない自分の弱さがもどかしい。
衝撃で手から離してしまったらしい白の弓が、遠い。
(私、何やってるんだろ……)
余裕がありそうなダグラスさんより足蹴にされてるクラウスを治したいと思った。
誤解こそあるし強引な方法でここに連れて来られたけど、純粋に私を心配して、助けてくれようとしたクラウスがここまで痛い目に合うなんて酷いと思った。
漫画やアニメのお姫様の殆どが大人しいのは、弱い自分があれこれと動けばより状況が悪化すると分かっているからだろうか?
自分のせいで争いが起きていても、それを止める力が無いからこれ以上余計な争いを産まないように大人しいのだろうか? だとしたら、私は――
体と地面を打つ雨が不自然に止む。
「貴方は……何をどうすれば大人しくなってくれるんですか……?」
顔をあげる気力がなくて表情は見えないけどその声は悲痛に聞こえる。
(そんなの、私にも分から――)
そう言いかけた所で強引に浮かされて、抱きしめられた――と思った瞬間、また深く口づけされる。
(こんな所で……!!)
流石に場所が場所だけに必死に抵抗する。こんな多くの人が、しかも敵意や殺意が向けてきているこんな場所でこんなキスを受け入れられる程、頭に花は咲いてない。
腕で押しのけようとしても先程地面に肘をぶつけてしまったのか、うまく力が入らない。
(しかも、長い……!!)
暗く重く、雨より冷たい黒の魔力が注がれていく。そろそろ危ない、と思った時、体が自然に離れる。
こめかみの辺りから一線の筋のような傷が入ったダグラスさんは、怒っているでもなく悲しんでいるでもなく――無の表情。
「もう一度周囲を見てください……貴方はあの女の言ったとおり疫病神です。自分の力を過信して驕り高ぶった弱者に誰も感謝などしていない」
周りの敵意が、殺意が、真っ直ぐにこちらに向けられる。先程より憎悪の視線が強いのは明らかにダグラスさんのせいじゃ――
そんな言い訳も声に出せない位、軽蔑や侮蔑の視線が痛い。
「早く去れ」
「何故残っているんだ」
「クラウス様を助けないと」
「主を惑わす悪魔達め……!!」
彼らの小さな呟きがハッキリと聞こえてくるのは、ダグラスさんの仕業だろうか?
それにしたって彼らが言う言葉はそのまま、彼らの気持ちで――攻撃的な視線と相まって、足が震える。
「だ、ダグラス、さん、あの……」
「今この場で貴方に優しく出来るのは私位しかいない……それでもここに残りますか?」
それが出来ない事を知っている癖に冷たく意地の悪い言い方をする彼にもう小さく首を横に振る事しかできない。耳のすぐ近くで1つ、ため息が聞こえた。
無表情のダグラスさんに抱きかかえられると、また急激な眠気が襲ってくる。
(私……何もしない方が良かった……)
クラウスから足をどけさせるだけして、大人しく帰っていればよかった。
自分の力で少しでも治療したいなんて思ったのがいけなかった。
ダグラスさんを傷つけたどころか、周りを癒やしても感謝されず。疫病神だなんて呼ばれて。悪魔達だなんて、同類にされて。
ゆっくりと地上から離れると、ぼんやりとした視界で倒れ込んだクラウスが見える。
込み上がる涙が雨のように溢れても。今の私は、私自身すら慰める事が出来ない。
何も状況を変える事が出来ないまま、また、意識が途絶えた。
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