第182話 黒と白の間で・1


 うっすらと目を開いただけでここが何処か分かる。ダンビュライト家の――狂気を帯びる純白の部屋。

 すぐ様身を起こして靴を探して履き、ドアに手をかけるもドアノブがすんなり動かない。


(鍵かかってる……!!)


 以前来た時に比べれば少しマシに感じる気はするけど、この部屋から感じる異質な感覚から早く逃げ出したい。色々考えるのはその後だ。


 ドアノブが動く範囲でガチャガチャと揺らしつつ、状況を確認する。

 こちら側から開くにはドアノブ近くについた鍵穴に鍵を挿さなくちゃいけない。だけど私を閉じ込めた、と考えればこの部屋に鍵がある可能性はほぼゼロだろう。


 窓も無い部屋――見渡す限り他に脱出できそうな場所もない。


「開けて!! 誰か、開けて!!」


 ドアノブをどうこうするのを諦めてドアを何度も叩いてみるけど、応答は無い。


(かくなる上は……)


 少し後ずさり、ドアとの距離を開き1つ息を吐く。黒の魔力は残り少ないけれど、白の魔力は結構ある。


(って、待って。何で結構あるの?)


 嫌な予感がして胸元や太腿を確認すると傷が綺麗に消えている。つまりは……見られたって事だ。


(何かしたとしたらクラウスしかいないけど……でも、愛がない人とはしたくないって言ってたクラウスがそんな事するかしら?)


 黒歴史を思い出しかけた所で何かが爆発するような音が聞こえ、部屋が微かに揺れる。


(い、今はとにかく、ここから出る事を考えないと……!)


 ドアを固定している部分さえ破壊できればドアは開く。人の家の物を破壊するのは気が引けるけど人の精神を侵してくるような部屋に監禁する方が悪い。


 魔法教本の中でこういう時に使えそうな魔法を思い返す。


(このドアは木で出来てるみたいだし、氷か石の塊をぶつければ……)


 鋭い氷を頭の中に思い浮かべようとするとその氷のイメージが不自然に歪む。

 何度思い浮かべても、石を思い浮かべても、使う魔力を変えてみても想像が上手く定まらない。


(魔法が……使えない?)


 この部屋だからだろうか? このまま無理矢理発動させたとして上手くいく気がしない。


(となると……他に方法は……)


 ドアを肩で開けようとするのは間違い――脱臼すると聞いた事がある。蹴破る方がまだ安全だとか。

 にしてもヒールの有る靴は向かないだろうし、裸足で蹴破れる気もしない。そもそもそこまで鍛えている訳でもない女性の力で蹴破れる物だろうか?


(何か近くに頑丈な物は無いかしら……)


 スカートの中のレッグシースに収めたナイフがある。昨日の夜、ダグラスさんが洗浄して返してくれた。


(白の魔力がこんなにあれば……ダグラスさんの手を治してあげられるかも……?)


 あの時、ダグラスさんが無茶な事した後メアリーから衝撃的映像見せられたりダグラスさんと言い合いになったりしてクラウスに助けてもらう事に必死になって抜け落ちていた手の傷。


 ナイフを返された際に彼が手を負傷してる事を思い出して慌てて謝ったら『大丈夫ですから』と優しく諭されて手袋に隠れた手を見せてくれなかった。


 ダグラスさんが自ら進んでやった事とは言え治せるものなら治してあげたい。

 彼が私の自分勝手な負傷を、厭う事無く必死に癒やしてくれた時のように。


(蝶番を壊してそこから蹴破れたら、と思ったけど、こっち側に蝶番はない……ナイフを施錠してる部分に刺してその上から椅子かなんかで押せばひしゃげないかしら?)


 ドアの錠とナイフの刃――どちらの強度が勝るか。新たな爆発音にもうなりふり構ってはいられない。


「本当に誰もいないのね!? 今から危ない事するわよ!!」


 念の為人がいないか確認するように改めて叫んだ後、錠がかかっている位置の少し上をめがけてドアの隙間にナイフを突き刺す。


「うわっ!」


 聞き覚えのある男性の声が外側から響き、慌ててナイフを引き抜く。


「ごめんなさい! でも、いるならいるって言ってよ!!」

「すみません、出来る事なら気づかれたくなかったので……!」


「リチャード、大丈夫!?」

 ソフィアの声が聞こえる。やはりこの声はリチャードで間違いないようだ。


「ソフィア! ここを開けて!」

「開けてあげたいけど、鍵はクラウスが持ってるのよ……!」

「え、そっちから開けられる仕様じゃないの!?」

「ええ……だからさっきからリチャードが解錠を試みてるのよ。助けてほしかったら大人しくしてなさいな!」


「さっきからずっと?それなら……」


 途中のドアノブガチャガチャも、ドア叩きも解錠の邪魔をしていたのかもしれない。


(いやでも、最初から『今開けてますから待っててください』と一言言ってくれれば良かった訳で……私別に悪くなくない?)


 色々と思う所はあるけど今重要なのはそこじゃない。僅かに掠れる金属音に望みをかけつつソフィアに問いかける。


「ソフィア、今何がどうなってるの? 何か爆発してるみたいだけど。」

「クラウスが貴方を連れてきて、黒の公爵が貴方を迎えに来て戦闘開始……クラウスの分が悪くなってる。この戦闘を早く終わらせるにはあの悪魔に貴方を差し出すしか無さそうなのよ」

「そんな、悪魔だなんて……」


 そこまで言って言葉を陰らせる。罪人への処刑話や魂イジメの事を考えるとやってる事は確かに悪魔の所業。


「まあ……普通に悪魔よね……」

「あら、分かってるのね? それで……この後貴方はどうしたいの?」


 意外そうな声に続いて、予想外の質問が返される。


「その話は……」

「安心して。リチャードは知ってるわ。全て話してその上で協力してくれてるの」


 皇家が協力してくれている以上、近衛騎士のリチャードに皇家から罪を課せられる事はないだろうけれど――ソフィアを地球に帰した後の有力貴族達から向けられる視線の事を考えると――って、いけない。こんな状況で健気で報われない男の献身にキュンとしてる場合じゃない。


「とりあえず戦いをやめさせる為にもあの人の所に帰るわ。地球に帰るかどうかは……正直決めかねてる」

「そう……良かったわ。クラウスが意識がなくなるまで痛めつけられてから解放されるよりクラウスの意識がある内に貴方自身の口で別れを告げて戻った方が彼もいい加減諦めが付くでしょうから」


 私の返答にソフィアは小さく安堵の息をつく。確かにこの爆音や揺れを作り出す男が転送を妨害してくると思ったら気が気ではないだろう。


「そうね……私が残れば皆楽に帰れるしね」

「……楽には帰れないわ。今は貴方を置いていく事に不安しか無い。地球に帰る為にあんな悪魔に友人を捧げなければならないなんてね」


 私を見捨てる不安を呟くソフィアに、少し救われる。


「……ダグラスさんは確かにやってる事は悪魔そのものだけど、性格はそこまで悪く言う程でもないと思うわ」


 悪魔の行いさえ止めさせれば、後は煽り癖と性癖と魔力の嫌悪感に耐えるのみ――それらも、結構致命的な気がするけれど。


「……貴方はまだ、暴力で人を支配しようとする者の恐怖を知らないのね。台風と同じように中央は穏やかなのかしら……そこまで大切にされてるのならまだ希望も持てるわ」


 ソフィアの優しい呟きが聞こえて間もなくカチャン! と小気味よい音が響き、ドアが静かに開けられる。


「リチャード、ありがとう……! でも、貴方どうやってこれ開けたの?」


 リチャードはドラマ等で見かけるピッキングの道具は何一つ持っていない。


「簡単に言いますと鍵穴の中に魔力を流し込んで構造を確認した上で魔力の疑似鍵を構成して解錠したんです。完全に手探りでしたが……上手くいって良かったです!」


 裏のない、お人好しの笑顔に癒やされる。何だか最近こういう笑顔を見ていなかったせいか心に染み入った所で、外が白く輝く。


「この、白い雨は……?」

「恐らく、白の弓の恩恵――癒やしと強酸の雨ヒール・オア・アシッドです。白の弓は横に放てば使い手の思う形で敵を貫き、色に恵まれし者が天に向けて放てば広範囲に味方に癒やしを、敵には強酸の雨を降らせると聞いた事があります。ただ……恩恵は使い手に大きな負担がかかります。セレンディバイト公が騎士団巻き込んだ攻撃を仕掛ける度にクラウス様がこの雨を降らせてますから……」


 それを聞いた瞬間、館の入り口に向けて走り出す。

 窓の向こうに、所々破壊された建物や起き上がろうとしている騎士や魔術師らしき人達の姿が見える。


 傷付いては癒やされ、癒やされては傷付いて――それはある意味、生き地獄。

 騎士や魔術師達の中には、明らかに戦意を喪失しているような人の姿も見える。


(この地獄の原因が私だなんて……本当に、いい加減にしてほしい!!)


 襲撃者の魂と言い、メアリーと言い――何でここまで厄介事が絡んでくるのだろう?


 外に出ると、本物の雨がポツポツと降り出していた。

 大破した噴水から勢いよく水が吹き出し、何かが燃える匂いと、人の呻きが聞こえる。

 最初にこの館を訪れた時のあの美しい庭園は僅かにその面影を残す程度に破壊しつくされていた。


「ああ……飛鳥さん……!!」


 私の名を呼ぶ声がした方に顔を向けるのが今ほど怖いと思ったことはない。

 ゆっくり顔を向けると、少し離れた場所で血に塗れて恍惚としたダグラスさん――の足元にクラウスが倒れ込んでいる。


 クラウスの衣服が赤く染まっている。そういえばあの白い雨はクラウス自身には効果あるのだろうか? もしなければ、何とか、しないと。


 細かく震える足はまだ、歩くだけの勇気を持ってくれている。


「ダグラスさん……どうして、こんな事を?」

「私は愛しい人が攫われてじっとしていられるような男ではありません。それにこういうシチュエーション……飛鳥さんがお好きかと思いましたので」


 クラウスの背中を踏みつけながら嬉しそうに私を見つめる姿が、怖い。


 確かに、悪者に攫われたお姫様を助ける騎士や王子様の物語――助けられるお姫様に憧れた事はあるけれど。


「安心してください……愛しい姫君の願いのままに、誰一人殺していませんから」


 時と、場合と、状況と――騎士や王子様の性格によるなと、今初めてそう思った。


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