第74話 物凄く危ない科学者の自問自答・3(※カーティス視点)


 髪の色を変えても、目の色を変えていても――その憎たらしい目つきでそいつが誰か分かる。

 アーサー・フォン・ドライ・コッパー。ただ存在するだけで僕の存在を踏み躙る異父弟。


「……殺しに来たのか?」


 そう問いかけるとまるで僕が起きるのを待っていたかのようにアーサーは壁により掛かるのを止めて剣を鞘から抜いた。


「その通りです……兄上」


 ああ、こいつはこういう声なのか。想像していたより低い声だ。が、それより何より――


「兄上……!? これっぽっちもそう思ってないくせに僕をそんな風に呼ぶなぁっ!!」


 怒りに身を任せたまま護身用の電撃トングを――掴んだ所でそれが酷く濡れている事に気づく。

 もし今僕の全身を濡らしているのが大破しているリアクターから溢れた水だとしたら――これを使ったら全身が感電してしまう。


 意識を失う直前の記憶――あの地球のツヴェルフが僕に向けて何かを放った、異様に冷たい水、割れたリアクター、開いた窓に僕達以外に誰もいない部屋――それらが推測を裏付ける。


 ああ、ついに――僕も殺される側に立つ時が来たのか。


 アランのように身を守る術に長けている訳でもない、器が小さい上に2つの魔力が入り混ざって魔法も上手く使えず、護身用の武器も使えなくなっている僕にはもう抵抗する手段が無い。

 一応腰のベルトにナイフを忍ばせてはあるけれどこの男には通用しないだろう。


 ここから窓に飛び出して海に飛び込んだら生き延びられるだろうか――一瞬過ぎった生への執着は目の前の異父弟の視線に潰される。


 そこに敵意も悪意もない。だが見逃しもしない――淡々と刑を執行しようとするような、そんな目だ。それが無性に――イライラする。


「……悪趣味だなぁ。殺したいなら僕の意識が無い内にさっさと殺せば良かったじゃないか? だけど残念だったねぇ……僕はいつかこうなる事を覚悟していた! 今更自分の命が脅かされた程度で怯えも竦みもしない!!」


 そう威圧してもアーサーは表情一つ変えない。命乞いするような人間だと思われていなかったのだ、と思うとまあ悪い気はしない。


 そうだ。誇り高い貴族は命乞いなんてしないんだ。内心どれだけ怖かろうとも。まあ、僕は怖くなんか無いけど。この足の震えは――全身濡らす水の冷たさのせいだ。


 何人――何百人の実験体が僕の前で命乞いしただろうか? もう覚えていない――最初から数える気もない。

 今思い返してもその命乞いで精神を病んだ研究員が何人もここを去っていったのは惜しかったなぁ、としか思っていない。


 ――僕はいつからこうなってしまっていたんだろう? 元々こうだったのだろうか? 分からない。


『……殺す前に兄上の気持ちを聞きたかった。それにこの世界に生きた辛さを吐き出して死んだ方が未練なく来世に行ける。何があったのか分からないまま死なせる訳にもいかなかった』


 魔導学院の時は一切会話しなかったくせに今更ペラペラと念話を送りつけてきやがる。


 魔導学院にいた時のこいつは何も言わない代わりに僕を怪訝な瞳で見ていた。それが今、僕に――哀れみの視線を向けている。その目がこいつの父親の眼差しと被った。


 僕を産んで殺そうとしたツヴェルフを囲って大切にする男と、そのツヴェルフに愛された異父弟――抑えつけておきたかった幼い感情が一気にこみ上げてくる。


「ああ……ああ!! その哀れみの目が大っ嫌いだ!! お前の父親も僕の事をそんな目で見ていた!! 僕の父様よりずっと器の小さい男が、自分の子よりずっと小さい器の僕を憐れむ……!! さぞかしお前の父親は気分が良かっただろうなぁ!! 同じツヴェルフを使って父様より……僕よりずっと大きい器のお前が作れたんだからなぁ!?」


 声を荒げても異父弟はその目を止めない。


「そりゃあお前も同情だってするよなぁ……同情するのは気分がいいもんなぁ!! でもなぁ、同情される側はそんな視線なんていらないんだよぉ……!! 同情するなら助けろよ……!? それをしないって事はお前らの同情なんてその程度のもんなんだよ!! 優越感を優しさで偽装するのはやめろ……全部お見通しなんだよ……気分が悪い……最悪の気分だ!!」


『……兄上を助けてやれなかった事は私も父上も後悔している』


「だったらその上からの物言いをやめろぉ!! 後悔してるなら僕の邪魔をするなぁ……!! 人工のツヴェルフさえいれば何もかも解決するんだ……僕もそれで許してやろうって思ってるんだ……!! 僕は僕の産まれた意味を必死で見つけ出そうとしているのに……何故皆僕の邪魔をする……!?」


『兄上は命を犠牲にしすぎたからだ。もう見過ごせない。実際にその研究も実っていない』


「もうすぐ実るんだよ!! 後100体も実験すれば僕のような意味も価値もない存在は生まれなくなる……!! いいか、変わらない文明は幾度となく同じ過ちを繰り返す……!! お前らは絶対にまた第二、第三の僕を生み出す……!! それを僕が止めてやろうって言ってるんだよ!!」


『だとしてもこれ以上貴方の研究で犠牲者を出す訳にはいかない。文明には限界が必要なんだ。兄上……貴方のやり方で限界を超える事は許されない』


「うるさい……うるさいんだよ、お前はぁ……今更綺麗事の正論ばかりぶつけてきやがって!!」


 聞き分けのない異父弟に苛立って足元にあった小物の山を蹴り飛ばすと、アーサーの足元に飛んだ小箱が開いて音が鳴り出す。



 それは――音石に込めようとしても音の才が全く無くて上手く込められず、物理的に音出すように作り出した自鳴琴オルゴール



 少し前までずっと心の支えにしていた歌の音が部屋に鳴り響き、怪訝な表情をした異父弟が足元に手を伸ばしてその箱を手に取る。


『これは……音石? いや違う、魔力を一切使わずにわざわざ金属を組み合わせて弾く事で音を出しているのか……? 何の為にこんな手間のかかる物を?』


 こういう状況でも気になる物があると確認するのは同じ黃系統に属する者としての特性か、兄弟だからか――それより何より、違和感が拭えない。


「……お前、もっと他に言う事があるだろう? この曲を知らないのか? それは地球の歌だ……お前を産んだツヴェルフがお前にも散々歌って聞かせたんじゃないのか!?」


 ――地球のツヴェルフに殺されかけたのに少し前まで地球の歌と知らずに縋っていた僕を嘲笑えよ。馬鹿にしろよ。蔑んでみろよ――大切に育てられて澄まし顔で生きてるお前の汚い感情と表情を見せてみろよ?


 そんな感情を載せて紡いだ僕の言葉にアーサーが少し眉を潜める。


『いや……聞き覚えのない歌だが?』


 本当に知らなそうに呟いた異父弟の念話が僕に大きな希望と僅かな絶望を与える。


(……ああ、じゃあ……あのツヴェルフが勘違いしたんだ。やっぱりこれは……母様の歌だ)



 ああ、やっぱり。やっぱり母様は僕を愛してくれていた。

 ツヴェルフに似る前の僕を――ちゃんと愛してくれていたんだ。


 じゃあやっぱり、僕を産んだツヴェルフは僕を愛していなかった?


 ――良かった、なのに、何故か、寂しさが過る、何故だ? だって、これは、母様の? いや、ツヴェルフの? いや、僕は――


 脳裏に浮かぶ、顔が見えない女性の姿と、声。


 その歌が聞こえた時――僕は誰かに抱えられて――でもそれは、母親である自信が無い。顔が見えない――だけどその俯く女性の髪型は、あの怒りの形相の女性とよく似ている。


 でも今異父弟は聞いた事がないと言った。それなら、この記憶は違う。


 でもこの声は――母親の――母様の声じゃない。


 色んな感情がグルグル頭を蠢く。その中で冷静な思考が僕に問いかけてくる。


 僕を愛してくれていたのは誰だ? 僕を愛してくれた人間なんていたのか?


 僕は――僕は誰に愛されたかったんだ?


 分からない。分からない。だけど、今、ずっと問いかけられてきた質問に答えが出た。


 ――僕はどうすれば普通に生きる事が出来たんだろう?



 どうやっても普通に生きる事なんて出来なかったよ。


 

 誰にも愛されず、誰にも手を差し伸べられず、誰にも認められなかった僕はあの国でどう足掻いても普通に生きる事なんて出来なかったんだ。


 仕方がなかったんだ。多くの人の命を犠牲にして未来に光を与える事でしか、僕は生きる理由を見いだせなかった。


 仕方が、なかったんだ。僕だって生きたかったんだから。皆が笑って生きてるように僕だって笑って生きたかった。


 もうそれでいい――それでいいという事にしよう。僕の存在意義なんて考えるのはもうやめよう。

 僕がどれだけ惨めで可哀想な存在かも考えるのも、もう誰かの感情に振り回されて傷つくのももうやめよう――もう、やめたいんだ。


 なのに、異父弟が僕の自鳴琴オルゴールを触っている事に、酷い嫌悪感を感じる。


 誰の愛かは分からない――だけどそれは間違いなく、誰かが僕に向けてくれた愛だっだ。


 それは――それだけは『弟』には渡せない。それだけは、誰にも、奪われたくない。


「その箱を……返せ!!」


 腰のベルトに据え付けた護身用のナイフを手に異父弟に掴みかかった瞬間、ナイフを叩き落され首を強打される。


『兄上、貴方の死の先に安寧がある事を心より願い――』


 アーサーの顔が、僕を産んだツヴェルフの女の顔と重なる。


 どうしようもない困惑と悲哀を湛えた眼が、困ったような、でも笑いかけようとしている顔が見えた所で――意識が遠くなっていく。


 それは眠っていた記憶か、僕の作り出した幻想か――分からない。


 一番知りたかった事は分からずじまいのまま、僕はもう二度と目覚めないのだろう。


 だけど僕の手には守りたかった物の感触を感じた。

 僕を産んだツヴェルフの怒りの形相ではない顔が見えた。

 


 その表情に何とも言えないもどかしい感情に包まれたまま――首に焼けるような激痛を感じて、思考が止まった。



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