第75話 凄く危ない雇われ者の黙祷(※アラン視点)
あの女が矢に射たれて海に落ちていく時、何故か酷い虚無感が襲ってきた。
恐らくヒューイが何かを感じ取った部分もあるだろう。だがそこにこみ上げてくるはずの
――嫌な予感がする。生まれてこの方何度も俺の窮地を救ったこの勘はほぼ外れた事がない。
(……潮時か)
茶髪の剣士と目が合った瞬間、研究所の中に戻って研究員達に『人が入ってくるかも知れないから警備を固めておけ』と伝える。
その後、再び窓の向こうを見ると純白の大鷲があの女を咥えて飛ぶ姿が見えて思わず目を見開いた。
さっきまで感じていた虚無感が高揚感で押し流されていく。
どんな怪我や病気も癒せる白の色神が連れ去ったのなら――あの女は死なない。
(ああ、そうだ……お前は俺がこの手で殺さないと、この気が収まらねぇ……!!)
まだ俺の手で、殺せる――これまで感じた事のない幸福すら感じるゾクゾクとした高揚感に満たされていると、足に何かがぶつかった。
床で凍えながら眠る狂科学者――助けたなら助けたなりの見返りはあるだろうが、遠い空に真紅の巨竜が見えた時点で自分の身の安全を優先させる事にした。
俺はただの雇われ者。契約なんて放棄してしまえば助ける理由は何処にもない。
突然の色神の出現に騒がしくなってきた研究員や守りを固める傭兵達の流れに逆らうように研究所の非常口から外に出ると、先程茶髪の剣士や真紅の竜がいた場所には誰もいなくなっていた。
(
どれだけ厄介な相手でも因縁がなければ、気付かれなければ問題ない。
忌々しい翠緑の蝶と幼い頃の記憶が頭によぎり久々に寒気を感じた。
――あの家から出てもう20年以上経つのに、俺の頭はあの頃の記憶を鮮明に覚えている。
物心ついた時から窓一つ無い、ただ無駄に広い石造りの部屋で俺は親父の部下から色んな知識や剣術を教えられた。
その部屋には固いベッドと用を足す為の便器と体を洗い流すシャワーが設置された小さな部屋へのドアが付いている以外に何もない。
親父の部下は1日2回、天井が見えない暗闇から食事を持って下りてきては俺に色々教えて暗闇に帰っていく。
そしてたまにそいつの代わりに親父がやってくる。その理由は決まっている。
「面倒臭いのが帰ってきたから、おいで」
差し出された手を掴むと親父は軽々と浮き上がり、いとも簡単に俺をその穴の底から連れ出す。
そして緑色を基調にした豪華な部屋でメイド達に身綺麗にされた後、家の前で片割れと共に立たされる。
しばらくすると翠緑の馬車が門の前に止まって2人の女が降りてくる。
そのうちの一人――柔らかい金髪と少しつり上がった、透き通るような目が印象的な女、それが親父の言う『面倒臭いの』――もとい俺の母上だった。
母上が舘に滞在している間だけ俺は本物の陽の光を浴びる事を、この世界に存在する事を許された。
「ボクも無益な殺生はしたくないんだけど、立場上都合が悪い人間は殺さざるを得ないんだよねぇ。だから余計な事は一切言わないでおくれ?」
俺もヒューイも母上も、親父にとっていつどんな理由で都合が悪い人間になるか分からない中、俺は母上だけは守りたかった。
だから俺は母上に普段どんな生活をしているのか一切言わなかった。
いつか殺し合う事が目に見えている者同士、あいつと俺が会話を交わす事はなかったがあいつも母上には何も言ってないんだろう。
母上は親父の言葉を疑っていたが、俺達の言葉は疑わなかった。
母上は館に長くいる時もあれば数日でいなくなる時もあった。いなくなる理由がよそに子作りに行ってるからだと教えられた。
ただ、そいつらの館に行ってる間もわざわざ俺達の様子を見に来たり、用が済んだらすぐにここに帰ってきていたってのは後になって分かった。それが俺達を守る為だったって事も。
母上はいつも館を出る前に俺達の頭を撫でていく。
「ヒューイ、ヒュアラン……またね」
俺にとっちゃその別れの言葉はあの部屋行きの合図だった。それでも俺はその言葉を糧にあの部屋で親父が来る日をずっと待ち侘びていた。
――そんな生活が続いたのは7歳になるまでだ。
母上がまた翠緑の馬車に乗って館を立った後、いつものように俺は親父に連れられてまたあの部屋に閉じ込められた。
だが、その日は片割れも一緒に降り立った。嫌な予感がした。
「能力が程々に別れてたらもう少し生き延びさせてあげても良かったんだけどねぇ……ヒューイの剣の才の無さとヒュアランの術の才の無さ……そろそろどちらかに死んでもらわないと色々と都合が悪いんだよ」
苦笑しながら親父は俺達に自分が持っていた神器――緑の双刃をそれぞれに向かって放り投げた。
親父はそれを俺達が手に取ると思ったんだろう。だがそれぞれの足元に薄い緑と濃い緑の金属で作られた長剣がカラン、と音を立てて石造りの床に落ちた時、酷く冷たい声が響いた。
「母親を殺されたくなかったら今すぐ殺し合え」
親父のその冷たい目は悪魔が人に成り代わっているようにも感じた。
そしてその視線はヒューイに向けられていた。それもそのはず、親父が生かしたいと考えているのはヒューイだ。
胸と顔に傷がある俺を隔離して過ごさせるのはヒューイに俺を殺させるつもりだったからだろう。
元々俺はヒューイが産まれた直後に殺されるはずだった。親父がヒューイに魔力で強引に握らせた短刀で殺されかけた時、母上が親父に掴み掛かってそれを阻止したって話だから本当に俺は母親には愛されている。
そしてそれを笑いながら話してくる親父には愛はおろか一切の情をかけられていない。まあヒューイに特別情をかけている訳でもなさそうだった。
俺がヒューイを殺したら殺したで、まあいいかと思う程度の情だろう。だから俺にも生き延びるチャンスが与えられていた。
だが剣と術――近づけば俺に分があるがヒューイは俺が近づくのを徹底的に術で阻止する。
薄い緑の長剣が振り下ろされ、殺される――と思った時、俺はまた母上に庇われた。
あんな隔離された部屋で何で俺達が殺し合っている事が分かったのか、どうやって飛び降りたのか今になって色んな疑問が湧き上がるが、その時は何が何だか分からないまま非常用の転移石で俺と母上は皇城に飛ばされた。
そこで母上の専属メイドと合流し、皇家をどう説得したのか正当な許可を得た上で俺と専属メイドは他国に逃がされた。
皇城で匿い続ければいつか連れ戻される――母上はそこまで考えて専属メイドに俺を託し、専属メイドは死ぬまで俺を連れて各国を回って逃げ続けてくれた。
専属メイドからは俺のせいで人生狂わされただの、行儀が悪いだのちゃんとしなさいだの、人の気持ちを慮りなさいなど恨み辛み言われた事もあったが――俺を捉えに来た親父の部下達から俺を庇って命を落とす程度には俺は大切にされていた。
そういう意味では確かに――俺の悲劇はあの女の言う通り、暗い話という訳じゃあねえ。
単に狂った親父に兄弟での殺し合いを課せられて死にかけていた所を愛情深い母親と忠誠心高いメイドに助けられた――お涙頂戴の感動物語だ。
そういう話から感動部分を省いてカーティスに話せばあいつは笑って涙を流していた。大方、自分より不幸な存在を見つけて嬉しかったんだろうな。
ただ父親の厄介さだけは俺の方が数倍上回っていた。カーティスの親父は親らしい事を何もしないクズだったが、俺の親父は噂を巧妙に操って何でも自分の思い通りにしないと気がすまない悪魔だった。
「彼女は双子を産んで心が病んでしまって以来、始末した片方を今尚生きていると思っているようだ」と親父が言えばそれは母上が何と言い返そうとそれが事実になる。
もし母上が強引な行動を起こしていたら親父は母上も俺も殺してただろうな。
「双子を生かして最強の呪い子を作るのも面白いかなと思ったけど、やっぱりちゃんとした子を産んでもらった方が楽だねぇ……」
なんて言っていたから、下手すれば俺もヒューイも母上も皆殺しにして全て無かった事にしていたのかも知れない。
だから俺もヒューイも事実を言わなかった。それだけ俺達の――特に俺の立場は危うい物だった。
それでも俺は確かにあの館に存在していたはずだ。だから絶対に不審な点は出てくるはずなのにカーティスは俺の存在を一切知らなかったと言う。
他にどんな隠蔽工作してるんだろうな? あの悪魔は。
そんな事を考えているとあいつも身の内話をしはじめた。あいつは自虐で笑っていたが俺はあいつを嘲笑っていた。本当に気の毒な奴だ。
『優越感を優しさで偽装するのはやめろ……全部お見通しなんだよ……気分が悪い……最悪の気分だ!!』
冷たい風が運んできたアイツの声に回想から引き戻される。
全部か――お前が俺の心まで見通してるようには見えなかったが――まあいい、お前のそのあまりに悲惨な人生が今終わるってんなら、黙祷ぐらいは捧げてやるよ。
俺を助けたメイドや危機を乗り越えてきた傭兵達と同様の扱いをしてやる事に抵抗が無え訳でもねぇが――俺もお前程ではないにしろ、父親や兄弟に命を狙われる悲運な人生歩いてる事には変わりないしな。
誰一人味方がいなかった気の毒孤独なお坊ちゃんにも一人くらい死を悼む人間がいてやってもいいだろ。
気が滅入る程どんよりとした雲に、少し勢いが増した冷たい風――用が無くなった場所に長居して嫌なヤツに見つかると不味い。
死ぬならさっさと死んでくれ。親父やヒューイと違って俺が風に乗っている声を聞ける範囲は狭いんだ。
あの女にガッツリ魔力を吸われた分、とっとと女抱いて色を変えないとマズいしな。
指を手に当てて、その時の感触を思い出す。クソ辛い実のせいでまだ舌がピリピリしやがる。
そしてこれまでは心で静かに渦巻く程度だった殺意が心のなかに吹きすさぶ。
俺が同情を引く為に言わなかった部分を見透かしたばかりか、挑発して変な武器で反撃してきたあの女――あの女は絶対に俺の手でぶっ殺す。
(だが……どうやって殺す? 白の色神に連れ去られた以上、皇国に連れ戻されて厳重に囲われる可能性が高い……)
その上、元々セレンディバイト公が執心しているらしいツヴェルフだ。襲撃するにはあまりにも状況が悪すぎる。今の俺が再び接触を図るには不可能に近い。
それでもあの女は俺の手で――ブチ殺したい。強い殺意は一向に収まらないばかりか理性にまで侵食していく。
(……先にヒューイを殺せば、いけるか?)
そうすればあいつの全ての能力が俺の物になるし、あいつが子を成したという話は聞こえてこない今、アイドクレースを継げる人間は俺だけになるはずだ。
ヒューイを殺して力を得た上で親父も殺せば俺は公爵にもなれる。その順で殺していけば色神も俺に従わざるをえないはずだ。
そしてアイドクレース家の権力を使えば、俺があの女を手に入れる正当な権利が得られる――
(……クソッ、何考えてんだ、俺は……!)
そもそもヒューイを殺す事からして難題だ。近づけば殺せるだろうが近寄る事が難しい。
それに俺が公爵の地位を得て礼服に身を包んであの女を手に入れるなんて馬鹿げている。
馬鹿げているのにその可能性があると考えるだけで体がゾクゾクして震えあがってその想像を止められない。
ああ――そういやまだ、ヤッてねぇんだわ。公爵になれば誰も反対できない状況でじっくりあいつをヤッて殺れる訳だ。
柔らかな唇や肌の感触も、抵抗しない体、何より反発無くすんなりと自分の魔力が相手に注がれていく快感――相手が自分の色に染まっていく、自分の物になっていく事への高揚感。
(……あれは、自分の魔力を持たないツヴェルフ相手だからこそ得られる快感なんだろうな……)
内も外も蹂躙できる快感は普通の女じゃ絶対に得られない。まして、俺を騙した挙げ句にコケにした女がそうなると思えばより一層快感が増すのは間違いない。
あの女とヤったらどれだけ気持ち良いもんか――
強引にさらって犯して殺す――だけじゃこの飢えも殺意も満たされない。何よりそれが出来る程の力を今の俺は持っちゃあいない。
母上も専属メイドも俺が皇国に戻らず生き延びる事を望んだ。だから俺も家に追われる事無く自由に生き延びる道を見つけようとした。だが――流浪の旅自体は嫌いじゃねぇが――『逃げてばかりの人生』と言い換えるといい加減ウンザリしてきた。
(厄介な道だが……その道を辿るだけの見返りはありそうだな……)
家から完全に解放される鍵になるカーティスが核の移植をしない事に内心苛立っていたが、核の移植をされていないからこそあの女を好きにできる可能性がある事に感謝の念すら抱く。
それでも危険性の強い道に抵抗感を感じているとカーティスの怒声が響いた後、音楽が聞こえてくる。
そして絶望の状態で振り切れていたあの女が口ずさんだ歌の1フレーズだけが繰り返される。
タイトルも何も知らないが、何故か耳に馴染む良い曲だ。
ああ、そうだ。また――俺の目の前であの女にあの表情でこの歌を歌わせてやる。その後で、ヤッて殺る。
あの女が紡いだ声を思い返し合わせるように口笛を吹きながら風が運んでくるだろう『音』を待ちわびる。
そして雇い主だった男を殺しただろう音が耳に届いた後数秒の黙祷を捧げ、何の用もなくなった研究所に背を向けて歩き出した。
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