第2部・4章
第76話 黒の公爵・1(※ダグラス視点)
どんよりと曇った空を駆ける真紅の巨竜に跨る赤に抱えられる中、ずっと自分が体に戻った後の事を考えていた。
あの陰湿な狂科学者をこの手で絞め殺したい気持ちもあるが、独自の因縁がある上に今回の件で色々世話にもなったアーサーに任せる。
ヒューイの片割れについても私が始末したかったが、状況が状況だ。アーサーに始末されていたら諦めるしか無い。
もし逃がしていた場合は黒の騎士団に追跡させて私自らの手で始末してくれる。
それより今、何より優先すべきなのはアレに連れ去られた飛鳥の奪還と、休戦協定違反をしてしまったこの国への対応だ。体に戻ったらどちらを優先させるか――
心境的には断然飛鳥の奪還だ。しかしそちらを優先させれば皇国と王国の戦争が勃発し、これまでとは比較にならない数の死傷者が生じて飛鳥が尚更心を痛め、壊れてしまうのが目に見えている。
雪崩に飲まれて、足を傷つけて、実験体にされて甚振られて、陵辱、されて――飛鳥の精神面はもう限界だ。いや、既に限界を超えているかも知れない。
だからあんな無茶な行動に出てアーサーに私の器のヒビを癒やす為の薬を託して――矢で射たれたにも関わらず微笑んで海に落ちたのだ。
そんな危うい状態の飛鳥に私が彼女を助ける事を優先させたが為に多くの人を見殺しにした事が知られたら、私は完全に嫌われてしまう。
(……飛鳥が気負わない状態で迎えに行かなければ)
アレのやる事には不安が残るし、これからされる事を思えば身を引き裂かれる思いではあるが――そもそも私が想いを暴走させてしまった結果、飛鳥をここまで追い詰めてしまったのだ。
少なくともアレは絶対に飛鳥を生かす。傷だってきっちり癒やすだろうし痛い目に合わせる事もないだろう。
そして飛鳥がどれだけアレに穢されようと、私の中の彼女の価値が揺らぐ事は絶対にない。
だから、彼女の不安要素をすべて取り除いた上で――万全の状態で迎えに行く。同じ過ちはもう、二度と、繰り返さない。
不思議だ。今飛鳥にどれだけ嫌われていたとしても、彼女の嫌う「罪なき人の死」さえ背負っていなければやり直せるはずだと思える。
とは言え、不安も焦りも一切ない訳ではない。休戦協定違反の件は早々にケリを付けないといけない。しかし殺生も極力避けなければならない――どうしたものかと思っていると突然ゴツゴツした手で頭を乱暴に撫でられる。
「お主も捻くれた主が続いて大変よのう!
威嚇しても非力な可愛い子猫を見るかのように高笑いして撫でられる。
真紅の巨竜に乗った直後、さっさと正体を白状すべきかと思ったが、絶対に笑われると思うと完全に言うタイミングを逃がした。
本当に、この子猫生活は黒歴史を量産した。
だがもう少しでそれも終わる。ようやく私は自分の体に戻れるのだ。黒の魔力溢れ黒の槍も振るえる、私にふさわしい私の体に。
早く人の体で飛鳥に会いたい。飛鳥の名誉や尊厳を踏み躙ってしまった事、暴走してしまった事を謝った上で傷付いてボロボロになってしまった飛鳥を抱きしめたい。
「全く……デュランもダグラスも相手が本当に大切になった所で大切にする方法が分からんかったのよな。こんな事になるならお節介と言えど、もっとあれこれ言うてやれば良かったわ……なぁペイシュヴァルツよ、お主も喋れぬ訳ではあるまい? 何故何も言うてやらんかった?」
赤がそう言うという事は、この真紅の巨竜も話せるのか――ペイシュヴァルツは『喋れると分かると宿主に距離置かれる』という微妙な理由で黙っていたが、色神皆がそういう訳では無さそうだ。
そんなペイシュヴァルツも私に過去の幻想を見せる事で訴えかけてはきていた。それでも分からぬ私に痺れを切らして声をあげたようだが。
「いやしかし、アスカ殿も本当に波乱万丈な女よ……弱き立場で懸命に前を向くその姿勢は良いが、いかんせん力が弱すぎてあやつら相手では心配でならん……一刻も早くアスカ殿を支えてくれる真面目かつ誠実で闇のない男を探さねばならんな……」
「ヴニャ!?」
赤が素っ頓狂な事を言いだしたので反射的に声を上げると、首根っこを掴まれて真剣な表情で睨まれる。
「そう怒るな。お主もアスカ殿が
「フシャアアアアアア!!」
「こら、引っ掻くでない! 暴れるでない! これもそれもアスカ殿をぞんざいに扱うお主とお主の主が悪い!! それに今後アスカ殿がこの世界に残っている事が知れたら、まず間違いなく裁判にかけられる! ワシはその前に一人でも多くアスカ殿の味方を作っておかねばならん!! この事、主には黙っておけよペイシュヴァルツ!!」
最悪だ。この非常時に考える事が増えた。このお節介な赤が暴走して飛鳥の新たな伴侶候補を用立てる前に何とかしなくてはいけない。
しかしこのままでは赤の言う通り『ツヴェルフ転送の首謀者』、『休戦協定違反の原因』として裁判にかけられてしまうのも間違いない。ただでさえ飛鳥は余罪が多く、貴族の印象が悪い。
戦争、追跡、裁判……考える事が多すぎるが――今はとにかく戦争の阻止だ。
赤に再び強引に抱えられワシャワシャと抑えつけられるように撫でられる中、再び必死に思考を張り巡らせて――皇城についたのは真夜中だった。
「ヴィクトール! 起きとるか!?」
皇城の3階――地方の有力貴族達が皇都に来訪した際に寝泊まりする為に用意された区画の1室を乱暴に開けると、青白い照明に照らされた部屋の中に私の体が浮かんでいるのが目に入った。
そして部屋の隅で青が緩やかな室内着を身に纏って座っていた。どうやら手紙を書いていたようだ。
「先程までロベルト卿と皇太子が時止めを替わってくれましてね。今さっき起きた所です」
「おお、ロベルトと仲直りしたのか?」
青は赤のその言葉に反応する事無く、チラと私を見ると持っていた羽ペンを机の上に置いて立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。
「その猫がここにいる……という事はダグラス卿を治す方法を見つけたと思っていいのでしょうか?」
「ああ、これをダグラスに飲ませろと言われた! アスカ殿が命を賭けて手に入れた物だ」
「アスカさんが……? いやはや、本当彼女には驚かされますね……」
青は意外そうに口を開いた後、赤が手に持っている小瓶をまじまじと見据える。
「じゃろ? ヴィクトール、裁判でアスカ殿が不利にならんよう協力してくれんか? ワシはアスカ殿を何としてでも生かしたいのだ」
「そうですね……私も彼女には是非とも生きていて頂きたい。ただ、今はダグラス卿を治療するのが先です」
青の言葉に応えるように赤が小瓶の蓋を開け、宙に浮かぶ私の体の口に小瓶の縁を当てる。
どうやら少し口が空いた状態で時を止められているようで、薬を飲ませるのに都合が良い状態のようだ。
「……ペイシュヴァルツ、今からダグラス卿に薬を飲ませます。彼に薬を飲ませた後少しずつ彼の時を動かしていきます。貴方は体の中から様子を見て、危ないと思ったら教えてください。また時を止めますので」
時を動かすという事はあの器から溢れた魔力が再び暴れだすという事に繋がる。青が懸念している事を察しながら、私は約三週間ぶりに自分の体の中に戻った。
暗い空間の中、器の近くにいる大きなペイシュヴァルツも暴走した魔力も固まったまま動かない。時が止まった世界に今更ながら薄ら寒さを感じる。
(器が欠けたような感覚があったんだが……)
落ち着いた状況で改めて器を見ればけして小さくはないヒビが入っているが、欠けてはいない。
そして固まっていた黒の魔力が微かに蠢き出すと同時に、器が淡い光に包まれだす。
ゆっくりと蠢きだす魔力をかわしつつ、器の様子を見守る。
淡い光はヒビの方に集中して集まっていき、光が消えた部分はヒビが消え――あるいはとても小さなものになっていく。
『……一本飲ませましたが、どうです? もう一本飲んだ方が良さそうですか? ダグラス卿』
『そうですね……まだ亀裂は完全には塞がれていない。お願いします』
そう応えると再び光が落ちてくる――が、気になる事はそれではなかった。
今、青は私の体にではなく子猫状態の私に対して『ダグラス卿』と呼びかけた。それはつまり――
『……ヴィクトール卿、その、私は……』
『ああ、貴方が猫だった事は誰にも言いませんよ。これも貸しにしておきます』
これも――という事はやはり青にとっては時止め当番も、飛鳥を保護した事も、全て私への貸しにしているのだろう。
貸しを返すのが飛鳥を取り返した後なら全然構わないが、それより――
『……何故私だと気づいたのです?』
『その子猫の体は感情を隠すには圧倒的に魔力不足です。宿主相手ならまだしもツヴェルフ相手に愛情や色欲を抱く色神など違和感しかありません』
なるほど。私とペイシュヴァルツの感情差と状況を鑑みれば確かにその結論に行き着くだろう。念話さえしなければバレないだろうと思っていた自分を少々恥じる。
そんな新たな黒歴史が積み重なり、酷く憂鬱な状態で器が完全に修復された様子を見届けた後、これまで宿っていたペイシュヴァルツの欠片から自分の魂を分離する。
子猫の体はこちらが何をするでもなく、母体の中に吸い込まれていく。
同時にペイシュヴァルツの濃灰の目が開き――続いて口も開くと周囲で蠢いていた黒の魔力が吸い込まれていった。
何の危険も無くなった空間でペイシュヴァルツは私を見据える。
『……迷惑かけたな、ペイシュヴァルツ。もう大丈夫だ』
そう呼びかけてみるも、ペイシュヴァルツから向けられる微妙な視線で全て理解する。
そうだな、私はお前の欠片に乗り移っていた。その欠片が母体に戻れば――欠片が有している記憶も母体に取り込まれる仕様だったとしても、何らおかしな話ではない。
しかし私が子猫だった事実だけを知られるならまだしも、何をしていたのかの記憶まで知られると流石に心に来るものがある。
だがペイシュヴァルツは微妙な視線を向けては来るが何も言ってはこない。
呆れているのか、同情しているのか、私が言葉を続けるのを待っているのか――ただただ微妙な視線だけを向けてくる。
しかしここでペイシュヴァルツに愚痴愚痴と心境を語る気にもなれないし、そんな時間もない。
戻ってきた喜びが羞恥や反省に押し潰される中、私は酷く憂鬱な気分で目を覚ました。
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