第7話 六色が揃う時


 ペイシュヴァルツがいるんなら、ダグラスさんもいるんだろうか――? そう思ってもう一度室内を見回してみたけど、ダグラスさんの姿はない。

 そもそも部屋の壁にかけられてる時計は8時30分を示してる。今この時間ダグラスさんは眠ってて動けないはずだ。


「ペイシュヴァルツ……貴方こんな所で何してるの?」


 ペイシュヴァルツの前にしゃがみ込んで呼びかけると、フイッと顔をそらされる。その態度にまた新たな疑問が浮かび上がる。


(……どっちだろう?)


 実はダグラスさんなのか、本当にペイシュヴァルツなのか。


(ダグラスさん? って聞いたら私が気づいてる事バレちゃうしなぁ……)


 みっともなく泣いた事とか、ベッドに抱き入れた事とか、顎撫でとか――アズーブラウに丸飲みされた事とかも普通に恥ずかしいし、ダグラスさんの性格的にも猫だった事を絶対知られたくない気がするし。


「……<酷く体調が悪いので、ひとまずペイシュヴァルツのみ向かわせます。ペイシュヴァルツにはアスカに危機が迫った際は何としてでもその場からアスカを連れて戻ってくるように伝えてありますので、そのつもりで……体調が良くなり次第伺います>だって。ふふ、会合に色神だけ出席させるなんて前代未聞だ。彼もなかなかの大物だねぇ」


 シーザー卿が円卓の上に置いてあったらしい濃灰の便箋を読み上げて肩をすくめる。


「ああ、お嬢さんはボクの隣に座るといい。雷落ちて死なれたら困るからしばらく防御壁を張らせてもらうね。会話は出来るから言いたい事がある時は遠慮なく言ってくれて構わないから」

「は、はい……」


 シーザー卿が指し示した、明るめの緑の椅子――(いいのかな?)と思いながら恐る恐る座ると、ペイシュヴァルツが起き上がって私の足元に寄って座り直す。

 ただ、こっちを見ない。目を合わせようとするとことごとくそっぽを向かれる。


 これがペイシュヴァルツだと思いこんでいたら顔面固定して無理矢理目を合わせてたかもしれないけど、ダグラスさんかもしれないので出来ない。


 というかペイシュヴァルツを見てから胸がトクトク音立ててる。これ、生身のダグラスさんと対面していたらどうなって――


「アスカ殿! 塔での一件からも色々あったようだが大丈夫か?」


 あれこれ考えている間に、座っていたはずの赤の公爵が私の前までやってきて声をかけてきた。慌てて立ち上がって頭を下げる。


「はい、大丈夫です……! あの……迷惑かけてすみません! 私の為に色々してくださったみたいで、本当にありがとうございます……!」


 私の為にダグラスさんを殴ってくれた事、ツヴェルフ達を逃がす為に協力してくれた事。そして今裁判にかけられようとしている私を助けようとしてくれている事――

 思い返せば優里達との修学旅行だって――これまでずっと気にかけてくれていた赤の公爵には本当に頭が上がらない。

 

「なに、気にする事はない。ワシがやりたくてやった事だ! それより、アスカ殿がロクでもない男ばかりに言い寄られている事が不憫でならん……すまんな、この世界には良い男もいっぱいいるんじゃが……高い身分になればなるほど我も癖も強くてなぁ……」


 それは絶対この人が謝る事じゃないんだけど、そのぼやきに『いえいえ!』とは返せない――私がこれまで会ってきた男性の中で我も癖も強くない、純粋に素敵な人――良い男、と言えるのはリチャード位しかいないんじゃないだろうか?


(あ、待って……ダンビュライト邸でクッキーの作り方教えてくれたトムさんも特に癖は無くて良い人だった。ルドルフさんも表情は乏しいけど、性格に癖はないし良い人よね。あ、オジサマ……は我が強い訳じゃないし良い人だけど、癖はあるわ……魔獣使いの人達、は短い間だったからよく分からないけど……)


 これまでに出会った男性を思い返してみるも、その人達以外は本当に我も癖も強い男の人ばかりと遭遇している事を痛感する。

 その人達が総じて高めな身分である事を考えると『そうですね』と返したくなる。返さないけど。


「全く……ダグラスもアスカ殿が来ると分かっていながら体調不良で欠席など、一体何を考えておるのか……! 今は血反吐吐いてでも来んといかん時じゃろう……!?」 

「ふふ。口でどれだけ情熱的な言葉を吐いてても愛しい婚約者の危機より自分の体調不良を優先させるなら、その程度の愛なんだろうねぇ」


 シーザー卿が小馬鹿にするように肩をすくめた後、便箋を円卓に戻す。それを見ているペイシュヴァルツの尻尾がちょっとブワッてなってる。


「ヴヴーッ……!!」

(ああこれ、ダグラスさんだわ……)


 今のシーザー卿の言葉はペイシュヴァルツが尻尾ブワつかせて唸るような台詞じゃなかった。

 じゃあこの反応は何なのか――それはこの漆黒の大猫の中身がダグラスさんだからに他ならない。


 身動き取れない自分の体を放棄して、ペイシュヴァルツになってでも私を守りたいという愛が示されてしまった事が何だか凄くくすぐったい。

 ペイシュヴァルツの平たい額をワシャワシャに撫で回したいけど、これはダグラスさんなので我慢する。

 さっきからどうにも胸が忙しない。今こんな事で胸騒がせてる場合じゃないのに。


 チラ、と黄の公爵の方を見やる。さっき見た時と体勢は変わってなくて腕を組んで目を閉じている。

 目が合うなり雷落とされそうだけど――悪い人では無さそうだし、ちゃんと挨拶した方が良い気がする。確か、名前は――


「えっと……ロ、ロベルト卿……この度は……」

「時間がほしいと言っていたが……この2日間で結論は出たのか?」


 私の声に少し眉を動かしてうっすら目を見開く。鮮やかな黄金の目は直視されるとプレッシャーが半端ない。


「す、すみません……この2日間は色々ありすぎて……」


 確かに時間はあったけど、状況を把握したり自分の気持ちを整理するのに必死でこれからの事を考える余裕なんて殆どなかった。

 死刑や終身刑から逃れる方法はないかなと考えてもみたけど、この状況から上手く逃げ出せる方法も全く思いつかなかった。


「時間を与えるだけ無駄か……あるいは、その時間で上手く逃げおおせようとしているのか……どちらにせよ」

「おや、皆さん早いですね?」


 ロベルト卿の言葉を遮るように響き渡った、扉を開く音と穏やかな声。

 希望を込めて扉の方を見やると、ちょっと驚いた様子のヴィクトール卿とネーヴェが入ってきた。

 ヴィクトール卿はそのまま歩いて入り口から左手にある青い椅子に座った。背後に宙に浮かぶ青い大きな輪っかを従えて。


 そう言えばルクレツィアも塔の屋上で同じように青の鞭で同じ形を使っていたな――と思いながらその輪っかを眺めていると、何かがおかしい。


 ルクレツィアの時と違う。その輪っかの大きさと輪っかの内側がガラス張りのようになっていて――その透明な壁の向こうに水の中にいるようなクラウスが映っている。


「クラウス……!?」


 思わず声を上げた私に気づいたのか、クラウスは目を丸くして必死にガラスを叩いているように見えた。


「あ、あの! それ……大丈夫なんですか!? 息出来てるんですか……!?」


 胸が大きく脈打ち不安が襲う中ヴィクトール卿に問いかけると優しく微笑まれる。


「大丈夫です。かなり暴れるので仕方なく閉じ込めているだけで命の危険はありませんよ」


 その言葉にホッとする。閉じ込められている状態はどうかと思うけれど、クラウスはオジサマにかなり反抗的だったのでそういう対応を取られるのは仕方ないとも思う。後でちゃんと解放される事を祈ろう。


「ヴィクトール卿……はまた突然吐き出されたりせんのか?」

「この間はアズーブラウが黒の魔力に驚いて吐き出しただけですから……とは言えこの状態でないと閉じ込めておけませんので、皆さんも寒いと思いますがご容赦ください」


 赤の公爵が特段驚いた様子もなく呆れたように問いかけると、ヴィクトール卿は眉を下げながら微笑んで答える。


 シーザー卿が張ってくれた防御壁の中は寒くはないけれど――何だろう? 心が少し寒いというか、ゾクッと締まる感じがする。今までこんな感覚感じなかったのに。


 赤の公爵が自分の席に戻っていくついでに窓を開け放っていく。そこから生温い風が吹くと締まる感覚が少し楽になって、一旦席に座り直す。


「ヴィクトール卿……貴殿はこれ見てどう思う?」


 黄の公爵が指先を上げると、農灰の便箋が浮き上がってヴィクトール卿の手元に運ばれた。ヴィクトール卿は便箋を受け取って目を細め――そっと円卓に置く。


「……本人がこう言ってるのなら、色神が代理を務めてもいいのではないですか? 多数決を取る事があればこの便箋に是か否か位書けるでしょうし、意見が必要ならテレパシーで……」

「さっきから何度もテレパシーで呼びかけておるんじゃが、一向に返事をせんのだ」

「ああ、機嫌が悪いんですね。アズーブラウも機嫌が悪い時は返事をしてくれません」

「そんな機嫌1つで黙り込むような色神をこの重要な会合で代理にするな! そもそも公爵には色神もついてくるのだから代理ですらない!!」


 黄の公爵が自身の拳をドンッと円卓に叩きつけて、円卓が微かに揺れる。かなり恐いけど、言ってる事は最もだ――この大猫はダグラスさん本人なんだけど。


 チラ、と大猫ダグラスさんを見るとスフィンクス座りから普通のお座りポーズになってジト目で黄の公爵を見据えている。何か陰湿なオーラまで出てる。


 そして眉間に深い皺を寄せてこちらを睨んでくる黄の公爵からはバリバリと電気のような魔力を感じる。

 ダグラスさんも怒ってるけど、黄の公爵も相当怒っている。青の輪っかの向こうのクラウスも怒った様子でドンドン叩いている。


「ふふ……こうして六色が揃うのは久しぶりだねぇ。皇位返還の儀はともかく新皇帝即位の儀に六家が揃っていないのはどうかと思うし、良かったねぇ。まあ他の貴族達はペイシュヴァルツと水鏡に閉じ込められてるクラウス君に驚くだろうけどね。それじゃあ、14会合が始まる前にさっさとこの子の処遇を決めようか?」


 5人と1匹中、2人と1匹が怒ってるのに素知らぬ顔で話しだすシーザー卿が凄い。

 でもオジサマも笑顔だし、赤の公爵もちょっと眉を顰めてるだけで怒ってる2人と1匹を気にしてる様子もない。

 ――もしかして皆、こういう状況に慣れてるんだろうか?


「話を始める前に……ダンビュライト侯にここの声は聞こえているのか?」

「一応聞こえるようにしています。会話もしたいのであればできるようにしますが?」

「いや、己の責務もロクに果たさんような人間に発言権は無い。声が聞こえているのであれば、この場で発言権がない事がいかに無力かを痛感してもらう良い機会だ」


 どうやら黄の公爵の怒りはどちらかというと、私よりダグラスさんとクラウスの2人に向いているようだ。


「そもそもダグラス卿もダンビュライト侯もこの娘の事で頭が一杯のようで皇国に入るまで私の話を一切聞かなかったからな……だから今日は私もそいつらの話を一切聞くつもりはない。それで、この娘の処罰を決める裁判の日取りだが」

「ああ、その事なんだけどねぇ……裁判は止めた方が良いと思うよ。法に属する裁判官や裁判員達に小細工されてるみたいだからねぇ」


 黄の公爵の言葉を遮るようにシーザー卿が挟んだ言葉に、黄の公爵がまず真っ先にヴィクトール卿を睨む。

 ヴィクトール卿は表情1つ変えないけれど視線がゆっくり赤の公爵の方にうつると赤の公爵は微妙に視線をそらしている。


「ロベルト卿、小細工してるのはこの場にいる人間だけじゃない。お嬢さんを何としてでも死刑にしたい人間達もいるようだ」


 シーザー卿の言葉にゾクリと悪寒が走った。


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