第6話 見惚れはしたけど


 雲ひとつ無い、晴れ渡った空を飛ぶ大きな翠緑の蝶の上――清々しい景色に似つかわしくない重い話題に思考を巡らせる。


 クラウスの白の魔力の中には黒の魔力の塊があるのは事実だ。

 でもそれはダグラスさんのお父さんが白の魔力に満たされたセラヴィさんに黒の魔力を注いで、クラウスのお父さんが禁術を使って白と黒の魔力を分離させた状態でクラウスが宿ったからで――言うなれば生まれつき持っているもの。

 私が黒の魔力を注いで穢したなんて、とんだ言い掛かりだ。


 でもそんな事をこの人にペラペラ喋るのは危険過ぎる。この事は私が誰かに話して良い事じゃない。けど――私のせいにされているのもおかしい。


「灰色の魔女から黒を注がれて……って他人から注がれた魔力は自身の魔力で押し流されていくって聞きましたけど?」

「そうなんだけどねぇ……だけど青も赤も黄も彼から黒の魔力を感じたらしいんだよ。それで白の騎士団長シュネー卿を問い質したら『灰色の魔女に植え付けられて穢れてしまったのだ』って言われたらしいよ。まあ、そんな質問する時点で君は無実なんだろうけど」


 シーザー卿に無難な質問で追求してみると、フフ、と小さく息をついて言葉を重ねられる。


「……きっと白の騎士団長は隠したい事があるんだろうね。そしてクラウス君を見限れる理由も欲しかった。まあ自分の事しか考えられない主なんて見限りたくなる気持も分かる。君は都合良く利用されたんだ」


 隠したい事、見限る理由――見限る理由は多分私のせいだろう。

 クラウスは私の為に色々してくれていたけど、女の為に家を蔑ろにする主なんて白の騎士団にしてみれば面白くなかっただろうし。

 だから今、灰色の魔女だなんて悪意込めて言われてる訳だし。


 私がもっとクラウスに家や騎士団の事を気にかけるように言っていたら、何か変わっていたんだろうか?

 だけど正直あの時の私は自分の事でいっぱいいっぱいで、そこまで気を回すこともできず、あの状態のクラウスに何を言っても仕方がない気がした。そもそも――


「……私がこの世界に来なければ、きっと……」

「そうだねぇ。君が来なければ……君がダグラス卿とクラウス君の心に住み着かなければ、きっと何もかも平和に終わったんだ」


 ポツリと溢れおちた言葉は冷たい風に流されて消えたかと思ったけれど、しっかり拾われてしまったみたいだ。

 拾われた言葉に棘を上乗せされて心を抉られる。


「ふふ……息子に怒られそうだから一応慰めの言葉もかけておくよ。この状況は君だけのせいじゃない。色んな人間の様々な意図が複雑に絡み合った結果だ。君はそれに絡め取られてしまっただけにすぎない。まあ君が暴れた分、余計複雑に絡まっちゃったのは間違いないけどね」


 全く慰めの言葉には聞こえない言葉に思わず苦笑いしてしまう。


「そんな顔をしないでほしいな……君は君が思っているほど嫌われてはいないよ? 黒と白は勿論、赤と青もボクも君の為に今それなりにリスクを犯している。6人しかいない色神の宿主のうち、5人が君の為に動いているのは事実なんだから」

「す、すみません……」

「謝らなくてもいいよ。ヴィクトール卿も言っていた通り、水の流れに比べて風の流れは何処に行き着くか分からない……不安になるのも分かる。だけど風の流れも上手く使えばとても便利なものなんだ。まあ、誰かが上手く利用してくれるといいね?」

「えっ……やっぱり、助けてくれる訳じゃ……」


 そう言いかけるとシーザー卿は腰を下ろしてあぐらをかく。私と向き合うその表情は少し寂しげに微笑んでいる。


 何でだろう? 今この人に『得体の知れない何か』を感じない。今まで感じていた不穏な感じがしないどころか――優しさすら感じる。


「ボクがちゃんと君を助けてあげられれば良いんだけど、これ以上君に関わるとグリューンが本気で怒りそうだからねぇ……ごめんね?」


 眉を下げて、何か可哀想なものを見るような眼差しと声でじっと見つめられ――初めて見たシーザー卿の憂いの表情に思わずドキッとする。


「あ! いえ……!!」


 言葉が詰まる。何を返せば良いのか、頭に次の言葉が全く思い浮かばない。


「ヂィィィーーーーーーーーーーッ!!」

「えっ、えっ!? 何!?」

「ヂィィッ!! ヂィーーーーーッ!!」


 突然のアラームのようにまたけたたましい鳴き声があがる。グリューンが怒ってるけど一体何に怒っているのか分からない中、半ばパニックで原因を探る。


「も……もしかして今の!? いや今のは見惚れてない、見惚れてないから!!」

「ヂィィィィィィ!!!」


 もう死んでると思っていた蝉の横を通り過ぎたら突然鳴き出される、誰が言ったかセミファイナル――それに遭遇した時とほぼ同じ恐怖が襲ってくる。


「すみません、見惚れました!! ごめんなさい!! で、でも今のは見惚れただけで惚れてません!!」


 困った事に逃げ場がない。必死に謝っても鳴き声は止まず、ついにはグリューンの胴体まで細かく震えだされ、その振動が足から全身に伝わって鳥肌が立つ。


「これは本当なの!! けして恋に発展するものではないというか、眼福というか、良いもの見させて頂きましたという感謝で完結するものというか、本当ごめんなさい!! 震えないで! この細かく震えるの無理! ごめんなさい!!」


 大きな昆虫にヂィヂィけたたましく喚かれ震えられる中、深く頭を下げてとにかく必死に弁明すると、ようやく震えと鳴き声が収まった。


 恐る恐る顔をあげるとシーザー卿が蹲って体を震わせている。その震えはまだブルッ、ブルッと小さく震えるグリューンによる震えではない。


「フッ……フフ……君は本当に、馬鹿だねぇ……ヒッ……ああそうだ、惚れた惚れないと言えば……今の君はそういう感情に振り回されやすくなってると思うから気をつけた方がいい」

「え?」


 聞き捨てるしかない悪口と聞き捨てならない忠告に眉を潜めて顔を上げる。


「今、君の片方の器に満ちている薄桃色の魔力……それ系統の色を持ってる子って恋すると他の人より視野が狭くなったり、思い込みが強くなる子が多いんだよ……グリューンが君を嫌がってるのはその魔力のせいでもあるんだ。すまないね、グリューン……もう少しだけ耐えてくれるかな?」


 シーザー卿の呼びかけに震えが完全に静まり、鳴き声の代わりに蝶の触覚がシーザー卿の髪や手に撫でるように纏わり付く。

 機嫌、直したんだろうなと何となく理解する。


(好きな人のお願いって、確かにこう、何て言うか……しょうがないなぁと思わせるものがあるのよね……)


 ――なんて、まだフラれてから2ヶ月も立ってない元彼との想い出がよぎるとちょっとだけグリューンに親近感が湧く。

 まだ1対9の割合で恐怖の方がずっと大きいけれど。




 グリューンの震えが治まってからは静かで、晴れやかな空を駆ける穏やかな時間が続いた。

 そして皇城の門の前に降り立つと同時にグリューンは元の片手位の大きさに戻ってシーザー卿の肩に止まる。


「グ、グリューン、乗せてくれてありがとう」


 合わない色の私をしぶしぶ乗せてくれたのだからと思ってお礼を言ってみたけど、羽をピクリとも動かされない。また「ヂィッ!」って怒られるよりは数段良いけど。


 シーザー卿はそんな私に軽く笑みを浮かべた後、門番の兵士の前を素通りして歩いて行く。私も兵士に怪訝な表情で見据えられたけれど、特に引き止められる事もなくそのままシーザー卿の後を着いていく。

 公爵ともなれば連れも顔パスなのかもしれない。


(まあ、顔パスしないで公爵の機嫌損ねて雷とか落とされても困るもんね……)


 見覚えのある場所についたからか、グリューンの突飛な行動に緊張の糸が切れたからか、そういう事を考える余裕も出てきたようだ。


 数週間前にも歩いたホールや通路を歩いて行く。皇城の外観も内観も騎士やメイド達の様子も私が城を出てから変わってない。

 ここ最近皇帝が亡くなったにしてはあまりに変わらないその光景に物凄い違和感を覚える。


(聞いてみたいけどシーザー卿に話しかけたらグリューン絶対嫌がるよね……あ、でもシーザー卿に話しかけるからヤキモチを焼くのであって、グリューンに話しかければ問題ないんじゃない……?)


 ラインヴァイスもテレパシーで話しかけてきたし、テレパシーで話しかければもうヂィヂィ鳴かれないで済むかも知れない。

 ちょっと湧いた親近感がその好奇心を後押しする。


『ねえグリューン、この世界では人が亡くなった時に黒を使わないの?』


 テレパシーを送ってみるとグリューンの羽がフワッと広がって風が巻き起こった。


『そなた、妾を呼び捨てにするとはどういうつもりじゃ……?』

『す、すみません、グリューン様……!』


 ついラインヴァイスやペイシュヴァルツと同じノリで呼び捨てにしてしまったけど、確かに今のは失礼だったかもしれない。

 とても冷たい女王様のような口調にこれはもう私自身が完全に嫌われてしまったと思った方が良さそう、と思ったその時――


『……よその世界では人が亡くなった時に使う色が決まっている所もあるようじゃが、この世界は葬儀や死を悼んでいる間は亡くなった者の色を使う国が多い。死に装束は勿論、その人の色に近い花や小物を飾ったり、衣服を纏ったりな……』


 何だかんだ丁寧に答えてくれた事に内心驚きと嬉しさがこみ上げてくる。


(なるほど……皇家の魔力は透明だから普段のままでいいって事か……)


 皇家の魔力は透明だと公侯爵以外には知られてないって神官長が言っていたから実際は何か適当な理由をつけてるんだろうけど、変化がない理由は分かった。

 その代わりに新たな疑問が浮かび上がる。


『あの……公爵も葬儀に出る時は亡くなった人の色の服を着るんですか……?』


 黒、白、赤、青、黄、緑――シャツやジャケットとか色合いこそ微妙に違うけどバリッバリに同系統の色でまとめてる人達もその時ばかりは違う色の服を着ているのだろうか?


『否。妾達をその身に宿す公爵は色の象徴……崇拝の対象じゃ。冠婚葬祭で着る服の色を変えるような事はせぬ。せいぜい主役の色に近い装飾品を身につける程度じゃ』

『へえー……あ、教えてくれてありがとうございます。後、さっき乗せてくれてありがとうございます』


 教えてくれたのだからちゃんとお礼を言わないと。さっき聞こえてなかったかもしれないお礼もあわせて頭を下げる。


「ちなみに葬儀は故人の色に近い物を纏えば良いんだけど、結婚式や披露宴はそうはいかなくて」

「ヂィッ……!!」

「おっと……すまないね、グリューン。君がボク以外の人間と話しているのが嬉しくてつい参加してしまった……許しておくれ?」


 結婚式や披露宴事情もちょっと気になるしシーザー卿の機嫌も良さそうだけど、肝心のグリューン様のご機嫌は悪そうだし、これ以上聞くのは悪い気がしたのでやめておいた。




 皇城の3階に上がってしばらく歩くと、見覚えのある人物が前方の部屋の前に立っているのが見えた。

 黒い髪に透き通るような水色の目、灰色のローブを羽織った男の子――ネーヴェだ。


 丁度向こうも同じタイミングで私に気づいたようで、目が合うと眉を顰められて『え?』って言いたげな顔をされてしまう。


(まあ……そういう顔になるわよね)


 自分自身、あまりネーヴェに好かれてる自信はない。と言うかネーヴェにハッキリ言い返したり、優里の日記をこっそり盗ったり転送陣にいる私達を守ってくれたのに自分から落ちるような真似をしてしまったりしている事を考えたら、嫌われてる自信がある。


(そう言えば……ネーヴェと仲が良かった優里は今頃地球の日常の生活に戻れてるのかな?)


 優里とソフィアが無事に地球に帰り、平和に過ごしてる事を願いながら部屋の前までつくとネーヴェの視線が上がった。


「アイドクレース公、今アスカを他の公爵達に会わせるのは……」

「14会合が始まる前に6公爵で話をまとめておいた方がいいと思ってね。皆には連れてくるって伝えてあるから大丈夫だよ……何か都合が悪かったかな?」

「……いえ……」


 もう一度ネーヴェと目が合うと同時に強風が吹きすさんだ。


「ネーヴェ殿下……透明な魔力は魔力そのものは見えなくても、大気の魔力の動きで何をしようとしているかは大体読める。長生きしたければ公爵を前にこっそり念話しようなんて思わない方がいい」

「失礼しました……既にリアルガー公とリビアングラス公が来られていますので、どうぞお入りください。僕も全員が揃い次第、皇子として参列させて頂きます」


 ネーヴェが小さく頭を下げてドアを開く。そう言えば皇帝が亡くなられたって事は皇太子が皇帝に、ネーヴェは皇孫から皇子になるのか。

 その割には以前と変わらない質素なローブ姿なのが気になるけど。


 疑問を抱きつつ部屋の中に入ると、広い部屋の中央にガラスだろうか? 透明で大きな円卓が置かれ、それを囲うように豪華な装飾を施された様々な色の椅子がまるで色相環のように並べられている。


 真正面にある緑の椅子の背と、円卓を越えた向こうにはこっちを見てニッカリ笑う赤の公爵が、右手の方には腕を組んで目を閉じている黄の公爵が座っている。


 安心と、恐怖――そしてそれ以上に? マークが私の心を占めていた。


 緑の椅子の足元に何故か漆黒の黒猫ペイシュヴァルツが、スフィンクスのように座ってこちらを見上げていたから。


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