第55話 騎士と貴公子


 凍り付いた空気の中で、レオナルドは驚いた様子でクラウスを見据えつつ苦笑いと捉えられなくもない微笑みを浮かべる。


「……失礼しました。私はリビアングラスのレオナルドです」


 レオナルドは姿勢を正し、胸に手を当てて深く頭を下げる。


「アスカに何の用?」


 誰って聞かれたから礼儀正しく名乗ったのに、何一つそこに触れないクラウスの塩対応を受けるレオナルドがちょっと気の毒になってしまう。


「ここはツヴェルフにはふさわしくない場所なので注意していた所です。万が一怪我をされたら大変な事になりますから」


 クラウスとレオナルド――年齢的にはそう変わらないように見えるけど、クラウスの失礼な態度にも丁寧に対応する分レオナルドが大人に見える。


「ツインのツヴェルフなんて君達にとってはどうでもいい存在だろう? 何してたっていいじゃないか」

「いいえ。彼女はこの国の英雄の婚約者……けしてどうでもいい存在ではありません。それに、私にとってツヴェルフは器の大きさに関わらず皆平等に守るべき存在です。何かの縁でアスカ様が私の子を産む事になる可能性もあるのですから」


 別の男の婚約者を『自分の子を産む可能性があるから大切にする』と既婚者が平気で言ってのけるあたり、この世界の貴族の価値観は本当に独特なのだと思わせる。


「気持ち悪い……」


 異世界の人間の私が気を使って避けた心の内の感想を、この世界の人間であるクラウスがストレートに口にする。


「……今、何と?」


 率直な悪口に流石に気を悪くしたのか、レオナルドが眉を顰める。


「気持ち悪いって言ったんだ。そんな気持ちでアスカに関わるのやめてくれない? ツヴェルフなら誰でも良いって言うなら、アスカ以外にしてくれないかな?」


 微塵も臆さないクラウスもずっと眉を顰めている。険悪な雰囲気を抜け出したくてチラ、とセリアを見やると、流石に公爵家の対立を止める事は難しいのか困ったように眉を顰めて視線を泳がせていて、助けてくれそうな感じがしない。

 結果、私含めここにいる全員が眉を顰める謎の状況が出来上がっている。


「……公爵でありながら公務を放棄して侯爵に格下げされた貴方が、ツヴェルフの所有権だけは一丁前に主張するのですか? その上神器まで彼女に使わせるような真似をして……貴方はもっと自らの立場を自覚をされるべきでは?」


 真っ直ぐに想いをぶつける眼差しが、悪を説得する正義の騎士を連想させる。


「会議やパーティーに出てないだけで皇家から課せられてる公務はちゃんとこなしてるし、そんな言われ方する筋合いないんだけど……これは、リビアングラスからダンビュライトに対する侮辱と受け取ればいいのかな?」


 両家の名前を出されて、レオナルドが一瞬怯む。

 真っ直ぐで融通がきかない騎士と、威圧的な貴公子――今の状況を一言で言い表すならそんな構図だろうか?


「……確かに、今のは私が失礼でした。申し訳ありません」


 レオナルドは頭を深く下げて謝った。その容姿に相応しく、自分の非を認めるだけの度量もあるのかとちょっと感心する。


「アスカにもあやま

「クラウス……! ちょっと2人で話したい事があるから私の部屋に行きましょうか! それではレオナルド様、失礼します! 本当にすみませんでした……!」


 クラウスが余計な一言を言う瞬間を察知し、咄嗟に言葉を被せてクラウスの背中を押して歩き出す。

 レオナルドはともかく、これ以上他の兵士の訓練の妨げになってしまう事は避けたかった。




 自室に戻り、『2人きりで話したい事があるから』とセリアにピィちゃんを託して部屋から退室させる。


 クラウスは初めて会った時のように、周囲に聞かれないよう防音の障壁を部屋全体に張る。今日はあの全身鎧で身を固めた騎士の姿は無い。


「あの騎士……エレンさん、だっけ? 今日は馬車で待ってるの?」

「ああ……最初は君がどういう人間か分からなかったし同席させたけど、君に敵意が無いのは分かったから」


 窓の向こうからピィちゃんの声が聞こえて振り向くと、下の訓練場でこちらを向いて跳ねているピィちゃんとそれを見守るセリアが見える。


「ピィちゃんの面倒、見てくれてありがとう」


 クラウスはピィちゃんを嫌ってたし、自然に帰しこそすれ保護しているとは思わなかった。


「……あいつが勝手に纏わりついてくるだけだよ」

「でも遺跡で会った時よりちょっぴり大きくなってるし、良いもの食べさせてもらってるんだなって分かる。クラウスって一見冷たいように見えるけど優しいわよね」


 私の言葉にクラウスは顔を少し赤らめて咳払いをする。


「……で、何であんな所にいたの?」

「私、体鍛えようと思って。このままだと私、ダグラスさんに何一つ対抗できないじゃない?」

「なるほど……僕が役に立たないから自分が頑張るしかないよね」


 窓辺から移動してベッドに座ると、窓辺に寄りかかったままのクラウスが乾いた笑みを向けてくる。


「そ、そういう意味じゃないわよ! ダグラスさんに対抗するには白の弓貸してほしいし、白の弓を使うにはクラウスから魔力貰わないといけないし……役に立たないどころかクラウスがいないと成り立たない作戦よ?」

「……僕の神器や魔力頼みな訳? 僕の事、頼り過ぎじゃない?」


 そう言う割には、クラウスは肩を震わせて笑いながら私の横に座る。テーブルの椅子ではなく、ベッドに座った私の隣に。


(な、何で……?)


『――私にはその時のクラウス様の表情が好意を寄せる人へ向ける、特別なものに見えましたわ――』


 セリアの言葉が思い返され、変に意識してしまう。


「そ、そうだ。呪いの事なんだけど……!」


 思い出して自然に立ち上がった風を装い、ベッドから少し距離を置く。


「呪い……ああ、僕が午前中しか起きていられない事? 驚いたでしょ? 自分が倒れるの分かってて護衛もつけずに暴走した結果、君を危険な目に合わせちゃったんだから」

「……意識を失った後大体何が起きたかは、聞いてるの?」


 今クラウスと目を合わせるのが怖くて、視線を別の方向へずらしつつ問いかける。


「エレンから聞いた。アイツからその後の詳細を書いた手紙も届いた……君とは以前謝らないって約束したから、謝らないけど……反省も後悔もしてる」

「……うん。貴方は助けてくれたし、反省してるならそれでいい」


 拳に力を籠めて、グッと歯を噛みしめるクラウスが本当に悔いているのが分かる。謝罪なんて求める気は全くない。


「そう言ってもらえると、気が軽くなるよ……ありがとう」


 何処となく愁いを帯びた表情で微笑まれ、大きく胸が高鳴る。


「そ、そうだ。今こっちで分かってる情報伝えるわね。何か分かる事があれば教えてほしいんだけど……」


 机の引き出しからノートと魔護具の眼鏡を取り出してテーブルに広げるとクラウスも立ち上がって椅子に座り直したので、優里のおばあちゃんの物語の事やダグラスさんから聞いた情報を伝える。


「すごいな……まだこの世界に来て一週間も経ってないのに、よくここまで調べられたね」


 クラウスは感心したようにノートを眺めている。眼鏡をかけたクラウスはまた違う雰囲気の美しさが漂う。容姿端麗な人間は何を付けても様になるな、とつくづく羨ましく思う。


「優里と、優里のおばあちゃんのお陰よ。後はソフィアに事実確認してもらって、その情報をもとに神官長やネーヴェに協力を仰ごうと思うの」

「そう……僕の力が無くても地球に帰れそうだね」


 眼鏡を外したクラウスは、どことなく悲しそうに微笑む。


「だから、そんな事無いって。さっきも言ったけどクラウスの力は後で絶対必要になってくるのよ。ダグラスさんと戦うのは私よりクラウスの方がずっと対抗できるだろうし」

「戦うのが午前中ならね……午後だったら僕は何の役にも立てない。その時は君の希望通り白の弓は君に託すけど、対抗できるだけの魔力も君にあげるけど、僕は……」


 ああ――これはどう考えても狩りの件をまだ引きずって凹んでいる。一日置いた位で立ち直れるほど、クラウスも単純では無いみたいだ。


(何か、クラウス自身にできる事があればいいのかしら……そうだ!)


 元気づかせようと考えた結果、一つ、思い当たる事があった。


「クラウス、貴方がいれば書庫の、公爵家しか開けられない部屋も開けられるじゃない……!」


 優里がレオナルドを使って入ろうとしていたけれど、あのレオナルドの様子だと仲良くなっても『ツヴェルフに相応しくない場所』とか言われて入れてもらえそうにない気がする。


「……あの部屋の中にアスカを入れる事は出来ないよ? あの場所には表に出ると都合が悪い物がかなりあるらしいから……入れる人間は本当に限られているんだ」

「そ、そう……」


 駄目だったか、と項垂れるとクラウスはしばらく考えた後に続ける。


「だけど、僕だけが入る分には問題ない……ダグラスが都合の悪い情報を隠してる可能性もあるし、帰りに寄ってみるよ」


 提案自体は受け入れてもらえたようだ。機嫌良さそうに微笑まれて緊張が解ける。


「ありがとう……! それと、ソフィアが帰ってきたら行くあてに困ってるの。彼女も地球に帰りたがってるんだけど、このままだと離れ離れになりそうで……クラウスの館に匿ってもらえると助かるんだけど、どうかな?」

「……別にいいけど、婚約せずに城を出たツヴェルフには悪用や誘拐を防ぐ為の監視が付く。それを避ける為にも彼女には僕の求婚を受けてもらう事になるよ?」

「分かった。ソフィアに伝えておくわ」


 という事はソフィアは白の婚約リボンを貰う事になるのか。金の刺繍が施された純白のリボンは、凄く綺麗なんだろうな――


「……君は、それでいいの?」

「え? 何かマズい事でもあるの?」


 クラウスの意味ありげな言い方に、反射的に問い返す。

 彼の視線が『馬鹿なの?』って言ってるような気がして、改めて考えてみる。


「あ……! ダグラスさんに私達がそこそこ仲良くやってる事を示すのに、クラウスが他のツヴェルフと婚約する事を疑問に思わないか、って事……!? そうね、確かにその可能性はあるわ……!!」


 自信を持って伝えてみたけれどクラウスの表情は変わらない。

 ふい、と私から顔を背けた先にあった時計をしばし見つめた後、椅子から立ち上がり改めてベッドに座られる。


 今かなり重要な事に気づいたと思うんだけど――クラウスは私の発想には応えず代わりに両手を軽く広げられ美しくも優しい微笑みが向けられる。


「朝食の時間までまだ時間があるし……残りの時間は魔力、注ごうか?」


 その声と、表情の妖しさに一瞬悪寒が走る。


 ――嫌な予感がする。この感覚を、私は、知ってる。


 未知の領域に足を踏み入れる事になりそうな恐怖のせいだろうか? 無意識に私は後ずさっていた。


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