第56話 白の独白(※クラウス視点)
何度思い返しても、君との出会いは最悪だったと思う。
倦怠感や苛立ちがピークに達しようという時間に、僕が最も嫌う人間の婚約者として出会ったのだから。
初対面から冷たく突き放して遠ざけようという考えも相まって、君には本当に酷い態度を取ってしまった。
ただ、君のこそこそと様子を伺う動作も、僕の容姿に色めきだつ様子も僕の苛立ちを煽るには十分な物で。何もかも僕だけが悪いとは思ってない。
だけど君が、悲痛な顔で涙を潤ませた時、後悔した。
人を深く傷つけてしまった事なんて、今まで無かった。だからどうしたらいいか分からなくて。
元々酷い事を言ってる自覚もあった分、罪悪感が刺激されて謝ろうとしたけど激高した君は聞く耳を持たず、僕もそんな君を上手く宥めるだけの余裕も時間もなくてそのまま帰ってしまった。
その場に同席していたエレンにはもう君に関わらない方が良いと言われたけど――僕が君にあんな顔をさせてしまった以上、君がダグラスの操り人形じゃないと分かった以上、放っておくなんて事はどうしてもできなかった。
『……貴方、つまり私が邪魔なのよね? この世界から消えてほしいのよね?』
そこまで思ってない。ただ、ダグラスの思い通りに事が運ぶのが嫌なだけで。
それでなくても好きでもない人を抱きしめたり、口づけしたり、子どもを作らなければならない事に物凄く抵抗があるだけで。
別に僕は君自身が嫌いな訳じゃなかった。なのに、君にあんな台詞を吐かせる程傷つけてしまった。
夜中に再び目覚めてからどうすればいいのか色々考えたけれど、僕が君と共有できる時間なんてほんの数時間しかない。
花束や装飾品で機嫌を取る方法は『仲が良い』相手だから有効なのであって。
言い合って険悪になってしまったのだから、やはり話す事で仲直りするしかない。
綺麗な景色を見ながら話せば機嫌を直すだろうか? それとも美味しい物を食べながら? どちらも揃えれば、少しは癒されてくれるだろうか?
そうしてなお君が暗い顔をしたままなら、それはもう諦めるしかないけれど。
ただ、僕は僕が傷つけてしまった部分を自分の力で治したいと思った。
夜が明けてから調理場で仕込みをしていた料理長に無理を言ってサンドイッチを作ってもらって皇城に向かい、君を朝食に誘った。
協力する事を言い出したのは君だから、誘いに乗ってくるだろうとは思っていたけれど――本当に仲直りが出来るのか、最初の一言をどう切り出せばいいのか分からなくて、不安で胸がいっぱいだった。
だから、先に君が謝ってくれて――ずっと心が楽になった。
お互いに謝りあって、無かった事にしたり、ホッとしたり、ニヤニヤしたり。
仲直りの握手で怪我してる手を差し出してきたり、それを治せば感動したり、感謝されたり、色々質問してきたり。
僕の態度や動作1つでコロコロと表情を変える君が新鮮で、面白かった。
ダグラスが君に僕が愛がないとそういう行為ができない人間だと伝えていたと知った時は久々に殺意を抱いたけど。
君も僕と同じ考えだと分かったから、それはもういい。
そして――僕の気に入ってる花畑を心から喜ぶ君を見て、初めて、可愛いと思った。
同時に、こんな明るい顔が出来る人にあんなに悲しそうな顔をさせてしまっていたんだと思うと心が苦しくなって無意識に詫びの言葉が溢れると、君はすぐその表情を曇らせた。
それが不思議だった。元々人に多く接していた訳では無いのもあるけれど、今までここまで喜怒哀楽が激しく切り替わる人に出会った事が無かったから。
何が理由なのか聞いてみれば、自分を振った彼氏と、同じ声だから?
面白くない。
何で、よりによって君を深く傷つけた男と僕が同じ声なのか。
それを理由に君が僕の言葉を受け止めないのは絶対におかしい。
最初会った時だって、眼に何か小細工をしていた。
メイドが去って小細工を解かれてからは、一切目を合わせてくれなかった。
嫌だ。
僕の姿も、僕の声も。ちゃんと受け止めてほしい。
君の向こう側に誰がいようと僕が口を出せる事じゃないけれど。
僕と君の間に、他人はいらない。
どうすれば君は、ちゃんと僕を、僕自身を見てくれるようになる?
君を城に送り届け、昼食を軽く食べた後にいつも通り眠りにつく。
夜中に机に置いてあったのは、狩りの招待状と一通の封書。
招待状の封を開ければ、狩りの場所と詳細、そしてダグラスも招待されている事が書いてあった。
そして黒の封蝋が施されたもう一通の封書は他でもないそのダグラスからの物。
物心ついた時から一度も会った事が無い、忌々しい異父兄からの手紙には<外せない用事があるから自分が行くのは午後になる>という事が記載されていた。会いたくないから丁度良かった。
だけど、君には会いたい。僕を僕として認識させるには絶好の機会だ。
僕には神器がある。魔力だって誰にも負けないだけの質と量がある。
君を魔物から守ってみせれば、君はちゃんと僕を見てくれるようになると思った。
手紙には体の事をまだ知られたくなければ無理はしないようにも記載されていたけど、ダグラスが来る前に魔物を一掃して帰ればいいだけの話だ。
だけど時間の問題がある。念の為ギリギリまでは戦える状態でいなければ。
机の中の引き出しを開け、茶色の小瓶を取り出す。症状を緩和させる為の薬。飲んだ次の日は午前中さえまともに動けなくなるけれど、致し方ない。
招待状の封の隣で静かに眠る灰色の雛が疎ましい。
「お前さえ、まともなら……」
お前がまともじゃないのは僕がまともじゃないからだと分かっているけれど。
お前の正体を知ったら、皆が僕を笑い者にするだろうな。
ああ、この醜い鳥を、君だけには見られたくない。
――と思ったのに。醜い鳥は勝手に遺跡の中に入って来るし、君は何故か醜い鳥を気に入るし。
「貴方もいつか凄く綺麗な白鳥になれるかもしれないわよ?」
ならないよ。そいつは僕が引き継いでからずっとそんなだよ。
僕が白の魔力を綺麗に次代に引き継がせない限り、僕が死なない限り、ずっとそいつはそんなだよ。
そいつがダンビュライト家に代々継がれる白き神の化身――<
エレンを突き放して、後の副作用が辛い薬を飲んでまで僕が今何の為に魔物を狩っているのか、優しい顔で醜い雛を撫でる君は少しでも分かっているのだろうか?
これは全て、君の為にしている事なのに。
そんな苛立ちばかりが募ってさっさと隠し通路の奥の魔物を一掃して帰ろうと思ったけれど、この時隠し通路を開けた事は一生後悔すると思う。
隠し通路に入った瞬間、嫌な感覚はあった。少しでも君の辛さを軽減させたくて温存しておいた魔力を使って冒険者の遺体の浄化を優先させてしまった。
その結果、君に更に辛い思いをさせてしまった。
ゴブリン数匹程度ならあのメイド一人でも倒せただろうけど、僕達に気を配りながら戦うには流石に数が多すぎた。絶望と後悔に苛まれる中、
『大丈夫よ』
どうして、君は僕にそんな言葉をかけられたの?
君自身の血に塗れた痛々しい笑顔は、あの花畑の時のような可愛い物ではなかった。だけど、諦めない君の姿に僕は強く惹かれた。
自分も戦いたいと願う君に抱きしめられて、言われるがままに魔力を送れば君は神器を使って敵を倒そうとする。
ああ、僕だって、君の力になりたい。君を――死なせたくない。
僕だって、僕だってこんな体じゃなかったら君を――守れるのに。
意識が途絶える予兆が来て、後で叱られるのを覚悟で触れた君の唇は、とても温かかった。
――そして目を覚ませば自室のベッド。机の上で健やかに眠る醜い鳥の横には黒の封蝋が施された封書が置かれている。
手紙にはまず僕が意識を失った後の経緯と「身の程を知れ」と言わんばかりの忠告と警告が簡潔に記されていた。
ダグラスの言葉をまともに受け止める気もなく目を滑らせていくと、<私は彼女自身に興味が出てきた>と一文が目に留る。
全てを読み終えた瞬間、グシャリと音を立てて手紙を握り潰してしまう程、ダグラスの心変わりに怒りと不安が噴き出してくる。
僕が意識を失った後、2人に何があった?
これまでの手紙には<自分の跡継ぎを成すツヴェルフに母のようなマナアレルギーを起こされるのは面倒だから貴公の助力が欲しい>と書いてあったはずなのに。
嫌だ。お前は彼女にそれ以上の感情を抱くな。いや、何ら一切の興味すら抱くな。彼女が、穢れる。
ああ、僕がもっと、しっかりしていれば。こんな体じゃなければ。
何がダグラスを心変わりさせたのだろう? 君の何を見たのだろう?
君は――ダグラスに何を思ったのだろう?
僕が分かる事は、僕は君を守れなくて、ダグラスは君を守り切った事だけ。
僕はダグラスに叶わない。このままでいたら、いつか奪われる。
でも僕には、まともに君を守れるだけの力が無い。
午後に動かれるだけで、僕には万に一つの勝ち目もない。
君を手に入れたいと思っていい程、僕は、強くない。
早く、君を遠ざけないと。僕もダグラスも手が届かない場所へ。
ああ、本当に神様が存在するのならば。
これ以上ダグラスが僕から大切な人を奪っていくのを止めてよ。
――なんて、僕はいるかどうかも分からない不確定な存在に縋ったのに。
君自身は自身を鍛えて僕を最大限に利用して全力でダグラスから逃げようとしてるから思わず笑ってしまった。
君が、ダグラスに惹かれていなくて本当に良かった。
僕がいなくても、君の行動力と運があれば十分地球へ帰れそうだなと思うけど。
僕が誰と婚約しようと君の心が痛まないのが、寂しいけれど。
だけど君は、こんな僕でもカッコ良かったと言ってくれたから。
こんな僕にそう言ってくれたから。僕を、心配してくれたから。
会いに来てほしいと、言ってくれたから。それだけで、いい。
僕にできる事があるなら、何でもするから。
僕の魔力も地位も神器も好きなだけ利用すればいいから。
僕は君にそんな事位しか、してあげられないから。
だからお願い。君が手の届かない場所にいくまでは、傍に居させて。
僕の魔力をあげるから、君に触れさせて。
傍にいる間だけでいいから、僕だけに君を触らせて。
だから、ねぇ、アスカ――
お願いだから、後ずさったりなんか、しないで。
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