第57話 勘違いでも、本気でも。


「えっ? あの、クラウス……?」


 クラウスの思いがけない態度に、戸惑う素振りで時間を稼ぐ。


(セリアの勘違い? 私の自意識過剰? それとも……本気?)


 どうすればいい? どこまでなら、引き返せる? 受け流せる? 気まずくならなくて済む?

 脳に全意識を集中させて、この場を切り抜ける方法を模索する。


 私が今感じているこの感覚や雰囲気をもし誰かに伝えるなら、どう表現すればいいだろう?


 例えるなら彼氏がキスの後にその先を求めてきた時のような、そんな雰囲気に似ている。

 踏み越えてはいけない一線を、相手が踏み越えてくるかもしれない――そう思わせる危うい雰囲気に。


「どうしたの……? 僕の魔力、必要なんでしょ? あげるからおいでよ」


 そう言って少し首を傾げて微笑むクラウスの表情に、他意は無いように見える。だけど、独特の雰囲気が、感覚が、部屋全体を包んでいるように感じる。


 その儚い顔立ちでこちらを見つめるクラウス自体に色気、と言うのだろうか? そういう妖しげなオーラを感じるから尚更、そう感じるのかもしれない。


「クラウス……その前に、ちょっと確認しておきたい事があるんだけど……」

「……何?」


 セリアの勘違いならこの雰囲気もきっと私の思い過ごしなんだろう。

 だけど、もし本気だったら……絶対この雰囲気に流されちゃいけない。


 その為には――


「あの、もしかして、クラウスって……私の事、好きだったり、する?」



 空気読めない自意識過剰の勘違い女になってでも、この妙な雰囲気を取っ払うしかない。



「……え?」

「いや、好きじゃないならいいのよ。でももし好きだったら、私結構酷い女だなと思って。だって、クラウスの好意を利用する事になる訳じゃない? それはちょっと、嫌というか……」


 ついでに今後またこんな雰囲気にならないよう本音も織り交ぜて牽制する。


「ど……どうしたの? 君、さっき僕の魔力を思いっきり利用しようとしてたよね? 僕の地位も、神器も、僕そのものも利用しようとしてるよね? なのに、僕が君を好きだったら嫌って、ちょっと、色々、おかしくない……?」


 自分でも言っていてヤバい女だなと思ってるけど、勘違いでも本気でも越えてはいけない一線がある以上、男女の雰囲気を察知してしまったら確認しなきゃいけない。


「損得関係で協力するのと、好きって感情を利用するのは違うと思う。私は好きって感情には応えられない以上、そこの線引きはしっかりしておきたい」


 自意識過剰の勘違い女と、人の好意を利用する小悪魔――どちらが事を有利に運べるかなんて火を見るよりも明らかだけど――どちらか選べというなら私は前者を選ぶ。


「…………かっ」


 重い沈黙の後、クラウスは顔を真っ赤にして叫ぶ。


「か……勘違い、しないで……僕は……僕は君なんか、好きじゃない……!」


 冷たい視線が、僅かに震える声が、心に突き刺さる。

 そりゃあ好きだろうと好きじゃなかろうと『私の事好きだと困るんだけど?』なんて言われたら傷つくか怒るかのどちらかだ。


「君が地球に帰ってくれない限り、僕はダグラスに脅され続ける……僕は平穏な生活を送りたいのと、いい加減ダグラスに一泡吹かせてやりたいから協力してるだけ、だよ。それなのに僕が、君を、好きとか……君にそんな勘違いされたら、凄くやりづらいんだけど……!?」


 怒りの形相で睨んでくる姿に罪悪感を煽られる。だけどまた勘違いしない為に今気になってる事は全て掘り下げておかないといけない。


「だって……さっきレオナルドから庇ってくれた時とか……」

「僕ら一応表面上は仲良い設定でしょ!? 君に気持ち悪い男が近寄ってきたら牽制けんせい位するでしょ!?」


 顔を真っ赤にしたクラウスに声を荒げられてるのに、何故かあまり怖くない。


「遺跡でクラウスが私の事気にしてたってセリアが言ってたけど、それも演技?」

「そうだよ、僕が君を好きな風に見えるのは全部演技だよ! 仲良くするのは君が言い出した事なんだから、しっかりしてよ!?」


 私が言う質問一つ一つに必死の形相で答えたクラウスは、息を切らしながら続ける。


「それに、本当に好きだったら、地球に帰る事にここまで協力すると思う……!? 好きだったら地球に帰ってほしくない、ずっと一緒にいたいって思うし、協力もほどほどにすると思うけどね!?」


 言われてみれば、確かにそうだ。


 クラウスは私を帰らせようと全力で協力してくれている。神器だって魔力だって地位だって何でも利用されれば不快になって何か言ってきそうなものなのに。


 考えすぎだったのだ。セリアの言葉を意識しすぎてしまった。


「……それならいいの。ごめんなさい、変な事聞いて」


 クラウスの気持ちを知る事が出来てホッと息をつく。

 気づけばあの独特の雰囲気も消えている。そのかわり今度は気まずい沈黙が漂う。


(これは……間違いなく黒歴史になるわ……)


 それも、思い返す度に悶絶する程の黒歴史に。自分が作り出しておいて何なんだけど、どうしよう、この状況。


「……で? 魔力、どうするの……? 君が嫌なら、僕だって、無理にとは……」


 赤面して目をそらして――この状態で激高せずに部屋に留まって会話を続けようとしてくれるクラウスには本当頭が上がらない。

 その悲痛な眼差しに彼のプライドを傷つけてしまった事を痛感し、とにかくもう一度きちんと謝らなければと、隣に座る。


「本当にごめんなさい。別に私、クラウスにハグされる事自体は嫌じゃないのよ。ただ、クラウスがもし私に好意を持ってたら、それ利用して地球に帰るのは罪悪感があるというか、そんな自分が許せないって……」


 言い切らないうちに、クラウスが私をベッドに押し倒す形で抱きしめてきた。

 柔らかいマットレスが体を包み痛さこそないけれど、クラウスの重みを全身で感じる。


「……何で、好意があったら罪悪感を感じるの?」


 あの時と同じように、じわっ、と魔力が自分の中に落ちてくる感じがする。


「その罪悪感って、何処からくるの? 何で、自分が許せないの?」


 その言葉を聞いた瞬間クラウスの腕に一層力を籠められ、体が反射的に強張る。


「だから……勘違いしないでくれない!? 僕には時間が無いんだ! 少しでも魔力を注ぐ速さを上げるにはより強く抱きしめるしかないんだよ!」


 言われてみれば、強く抱きしめられる事で落ちてくる魔力の量がちょっと増えた気がする。それでも、ちょっとだけだけど。


(……こっちも抱きしめ返したら、もう少し増えるかしら?)


 やはりあの時と同じようにもどかしさを感じ、落ちてくる魔力の量をもう少し増やしたいとクラウスの背中に腕を回して力を籠めて抱きしめると、確かに魔力が落ちる頻度が早まる。


 クラウスの心臓の鼓動に合わせるかのように温かくて、綺麗で、優しいそれが、少しずつ私の中に溜まっていく。

 この状況はともかく、この魔力が自分の中に入り込む感覚はとても心地いい。その感覚に飲み込まれるように、だんだん意識が緩んでいく。


「……ねぇ、もしかしてクラウスってあれがファーストキスだったりする?」

「だったら、何?」


 心地よさにつられて気が緩んでしまった口からつい変な事を聞いてしまい、肯定の言葉が返ってきた瞬間、一気に意識が鮮明になって我に返る。

 そして全力でクラウスを押しのけて起き上がり、ベッドに顔をめり込ませる形で土下座した。


「ほんっっっとにゴメンね!! 愛が無い相手とあんな状況でキスとか、本当最悪のファーストキスよね……!! 私が汚してしまったも同然だわ……!! いや私も愛が無いとできないとか言ってた割りには、いざ死ぬかもしれないって状況になったらキスで助かるなら全然OKって思っちゃったんだけどさぁ……!」


 思った事を吐き出している最中に同時に肩を押されて強引に身を起こされる。


「ねぇ、君、本当にどうしたの!? 取り乱すポイント絶対おかしいよ!? 僕が倒れてる間に頭打ったの!? ダグラスに変な術でもかけられた!?」

「でも、やっぱり、キスって愛し合う人間同士のコミュニケーションだと思うし、クラウスにはそこの価値観をかえてほしくな……」


 言い切る前に、またクラウスに抱きしめられる。しかし今度はその手は私の後頭部に強く押し付けられ、頭全体を慎重に撫でまわされる。


「脳に異常は無いみたいだけど……脳そのものがおかしいとなると、手が付けられないね……はぁー……」


 その体勢のまま、重く長いため息をつかれる。絶望のような、諦めのような、そんなため息を。


「ちょっと……私の事、侮辱しないんじゃ無かったの?」


 クラウスのあまりの言いように、何だか苛立ちがこみ上げてきた。


「流石に今の君は侮辱せざるを得ないよ。かなり酷いよ? 君の口塞いで二度と喋れなくさせてやりたいと思う位には酷いよ? 心配通り越して恐怖感じる位、今の君は酷いよ?」


 吐き捨てるように一息で言い紡がれ、心地よさから一転、暗い感情の渦に落とされる。今の一息で何度酷いと言われただろう。


「僕の魔力が欲しいならいくらでもあげる。そのかわり……あげてる間は黙っててくれないかな? あげてる間だけで、いいから」


 抱きしめられた状態のまま冷たい声で言い捨てられる。クラウスの顔は私の肩によりかかっていて表情が見えない。


 あまりの居た堪れなさに離れようとしたけど、思いの外クラウスの抱きしめる力が強くて、険悪な雰囲気なのに自分の中に落ちてくる魔力は変わらず温かく優しく、美しいもので。


 険悪な雰囲気と注がれる魔力のギャップがすごくて、セリアが『そろそろ朝食のお時間です』ってドアをノックしてくれないかなと願う中、どれくらいの時間が流れただろう――クラウスの腕が緩み、私を解放する。


「クラウス……私、一つ、思いついた事があるんだけど……」


 黙らなくてよくなった瞬間、私は自分の思いついた案を言いださずにはいられなかった。


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