第58話 喧嘩の誘い


 この状況だからこそ思いついたとも言える案に、私の眼はきっと輝いていると思う。


「……絶対ロクでもない提案なんだろうなと思うけど、何?」


 不機嫌ながらも聞く姿勢を取ってくれるクラウスに心底感謝しつつ、それを打ち明ける。


「私達、喧嘩ケンカすればいいのよ」

「は……!?」


 私の言葉にクラウスは目を丸くして驚愕の声を上げた。


「さっきみたいに言い合いになって、『やっぱりアスカは嫌! 他のツヴェルフと婚約する!』って流れになればソフィアと婚約しても違和感ないじゃない?」


 我ながら画期的な案だと思い力説すると、クラウスは愕然とした様子で口をパクパクさせている。


「ちょっと待って……僕、そのソフィアって子と面識ないんだけど?」

「分かってる。でもソフィアが帰ってくる前日に大喧嘩したって事にすれば、投げやりになって面識の無いソフィアに求婚したんだな、って事でそこまで不思議に思われないと思うわ」


 ダグラスさんが疑問に思わない自信はある。クラウスは年齢以上に幼い所がある、と向こうに思われてるからだ。流石にクラウスの前でそれを言う気はないけど。


「しかも、ここを出る直前に喧嘩をすればダグラスさんの館に行っても数日間はクラウスに魔力を注がれない正当な理由になる」


 勿論そのうち仲直りは催促されるだろう。だけどその間だけでもお互い気楽でいられる。これはクラウスにとっても悪い案ではないはずだ。


「君って……頭が良いんだか悪いんだか分からないね……分かったよ。そういう事にしよう」


 クラウスは一つため息をついて苦笑いするとスッと立ち上がり、ドアの前に移動する。


「……そろそろ朝食の時間だろうし、僕は書庫に寄った後そのまま帰るよ」


 初めて会った時の事を考えると朝食後の時間は多分クラウスには辛くなってくる時間帯なんだろう。

 クラウスに負担をかける位なら書庫に行った結果はまた後日聞けばいい。


「分かった。私、朝はこの部屋かこの部屋の下の訓練場にいると思う。あ、さっきソフィアと面識無いって言ってたけど、ソフィアが戻ってきた時に一度会ってもらった方が良いかもしれないわね……クラウスだって顔合わせ位しておきたいでしょう?」

「……そうだね」


 これまで一度も見た事もないような、クラウスのずっと冷たい眼差しに一瞬身がすくむ。肯定のはずの言葉も何処となく冷たい物で、心がチクリと痛んだ。


 そのままクラウスは去り、1人になった部屋でようやく落ち着いて考える時間が持てる。


 勘違いで彼のプライドを深く傷つけてしまった事自体は悪いと思うけれど。でも、あの時感じた感覚は何が何でも避けなければいけないものだった。


 地球で何度かそれに遭遇した事はあるけれど、それは全部受け流してきた。


 こちらは社会人になったばかりで何かあった時に頼れる親兄弟もいない。しかも相手は学生の身分。

 この状態で万が一雰囲気に流されてその結果子どもなんてできようものなら、積み上げてきた物が一気に崩れていく。


 せめて彼が大学卒業して就職して仕事に慣れて、土台を強化してちゃんと結婚が見えてきてから――そう思って彼がそういう感じを出す度に多少強引に切り抜けてきた。


 だから、あの雰囲気に遭遇した事は何度かあるけど実際に受け入れた事は無い。そこから先が分からない分、体が拒否反応を示し心がザワつく。


 こんな異世界に来てしまったら尚更そんな雰囲気に飲まれる訳にはいかない。例え痛い黒歴史を量産しようとも、嫌なフラグは早々に折っていくしかない。


 だけど。


(キツい……魔力もらう為に毎回あんな状況になられると正直、キツい……!!)


 抱きしめられた時から激しく鼓動する心臓がまだ鳴りやまない。


 あんな容姿の人に、好きだった人と同じ声で囁かれて、あんな事されたら。され続けたら。

 こちらの方が恋だの愛だの性欲だのに絆されてしまう危機感を肌で感じてしまった。


 今まで出来婚や学生婚を信じられないと思っていたけど、考えを改めないといけない。


 超えてはならない一線の周囲には、理性を歪ませ、吹き飛ばす何かがある。

 きっと人はふとした瞬間にそれに引き寄せられて、その先を追い求めて、一線を越えるんだろう。


(魔力注がれる時は何か対策考えないと……!)


 相手に恋愛感情を抱かれるのも困るけど、こっちだって相手に恋愛感情を抱く訳にはいかない。

 まして相手に散々『好きになられたら嫌』的な事を言っておいて自分が好きになるとか天邪鬼にもほどがある。


 成功を得るために困難な状況に挑まなければならない、これはまさに虎穴に入らずんば虎子を得ず――の状態とは、何か違う気もするんだけど。


 頭を冷やす意味でも、そういう感情を抱く機会が減る意味でも、彼と物理的に距離を取れる<喧嘩>は本当に良い案だった。


 とりあえず今のこの胸の鼓動を抑える為に『別れたい』『好きな人ができた』クラウスと同じ声で紡がれるその言葉を何度も思い返し、跳ねる心臓を沈める。


(パーティーでダグラスさんにときめいてしまった時も思ったけど……心ときめく度に彼氏にフラれた時の言葉をリフレインして心傷つけるこの状況、なかなかの地獄じゃない……?)


 ときめきが収まり、無の境地に陥って自嘲したあたりでセリアが戻ってきた。


「アスカ様、大丈夫ですか? 先程クラウス様が早足で去って行かれましたが……」

「百戦錬磨のセリアでも、幻の貴公子の心までは見抜けなかったようね……」

「はい?」


 きょとん、とするセリアに責任を追及したい気持ちはあったけど――自分もクラウスの思わせぶりな態度に勘違いしてしまった訳で、人の事は言えない。


「何でもないわ。大丈夫だけど……何だか、どっと疲れたわ……」


 クラウスが私に好意を持ってる訳じゃないって分かったのは良かったけど――それをいちいち追求したりフワフワとした白の魔力に飲まれて余計な事言ったりパニックになったり――クラウスに大分失礼な態度を重ねてしまった事が心に伸し掛かってベッドに倒れ込む。


 セリアはそんな私に苦言を呈する事もなく、窓の方に視線を向けた。


「ピィちゃんはクラウス様の後を追いかけていかれました。私てっきり遺跡に迷い込んだ野生の鳥かと思っていたのですが、どうやら違うみたいですね」

「え?」

「先程ピィちゃんに僅かながら白の魔力を感じました。人語も理解しているようですしアスカ様が気にされてる糞も私が見てる間、一度もしませんでしたし……元々クラウス様に飼われている魔鳥か何かなのかもしれませんね」


 確かに、セリアの言う通りピィちゃんはその辺の野生の鳥で済ますにはあまりに不自然な感じがする。

 でもそうだとしたら何で、クラウスは遺跡の時他人のフリをしたんだろう?


 その疑問に答えは出ないまま、食堂で誰に関わる事無く早々に朝食を食べ終えて自室に戻り、さっそく注がれた魔力を使って魔法の訓練を開始する。


(危険な領域に足を踏み入れて得た貴重な魔力。大切に使わないと……)


 セリアが持ってきた初心者用の魔法教本を読みながら、陣術、印術、唱術をそれぞれ試してみる。

 陣術も印術も手に魔力を込めて決まった陣や型を作り出して魔法を発動する仕様のらしく、その陣や型を覚えないといけない。


 体を鍛える事にも重点を置きたい――となると小難しい事を考えなくて済む唱術をメインに覚えるべきだろう。


 そして回復魔法の他に、自分や味方の能力を一時的に上げるような補助系の魔法、いわゆる<バフ>と言われるような魔法を覚えたい。

 特に魔法や攻撃をかわす事に重要な、素早さが上がるような魔法を。


 瞬間移動が使えないのは残念だけど、逆に考えれば向こうもその手の魔法が使えない訳で。最終的には素早さが物を言うはずだ。


 魔法教本の魔法一覧の項目をパラパラめくると、<一時的に身体能力を上げる魔法>のページを見つける。

 魔法陣、印の形、イメージしやすい単語が記されたそのページは、全て同じ魔法を発動させる為の物だろう。


「セリア、陣術と印術と唱術で同時に同じ魔法を発動させたらどうなるの?」

「それをするにはかなりの魔力と資質、技術を要しますが、条件が揃えば全て発動します。火球なら3つ。回復なら3カ所に……アスカ様が今ご覧になられている魔法の場合は複数人にかけたり、効果が増す事になるはずです」


 僅かなバフだと心許ないけど3つもかければかなりの効果が見込めるかもしれない。

 まずは単体でどれほどの効果があるのか、色の変換や形を考える必要のない唱術で試してみる。


「――能力向上オブテイン!」


 淡い光が全身を覆い、体が軽くなる感覚を覚える。

 試しに立ち上がり、ジャンプしてみると思った以上の体の軽さに驚く。


(これを重ね掛けできれば、逃げるだけじゃなく、反撃の一つくらいできるかも……って、あれ?)


 私の意思に反して、体の中にある魔力がどんどん流れ出ていく。


「セリア、これ、どうやって、止めれば……!?」

「唱術の解除は魔力の流れを止める事を意識して、解除レリーズと唱えてください」


 セリアの言葉に従って唱術を解除すると、体を包んでいた光が消えて体が元の重みを帯びる。


「その手の魔法は発動中常に魔力を消費しますので、そう長く使えない物と思った方が良いです。アスカ様には魔力回復促進薬マナポーションも効果ありませんから、空になったらまた人に魔力を注いでもらう必要があります」


 セリアの言葉は私を酷く絶望させるものだった。


 空になったらまた注いでもらえば――なんて、もう軽々しく思えない。

 でも先程の魔法の練習も含め、今のでせっかく溜めた魔力を殆ど消費し、今は空に近いのが自分でも分かるようになってきた。


 あれだけハグして溜めた魔力があっという間に無くなってしまうこの状況は、かなりきつい。


(私、魔法諦めて、戦士目指した方がいいかもしれない……)


 今の時点で、安全に確実に、誰にも苦情言われる事無く身につけられるのは筋力のみ――という事実に、打ちひしがれるしかなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る