第2話 わりと過剰な接触対策
お茶とお菓子を食べ終えるのとほぼ同じタイミングで部屋にノック音が響く。
『どうぞ』と気だるげにシーザー卿がそちらに顔を向けると、新たなメイドが入ってきて一礼した。
「シーザー様、ヒューイ様……アベンチュリン侯が来られました」
「そう……一人で?」
シーザー卿の問いかけにメイドは少し目を細める。
「護衛の方はいらっしゃいますが……アベンチュリン家の者、という意味でしたらお一人です。今シーザー様かヒューイ様のどちらかがおられるのであれば、客室に行く前に挨拶をしておきたいと……」
「真面目だねぇ……分かった、ボクが応対しよう。ヒューイ、14会合が始まるまでお嬢さんにはここに泊まってもらうから翠緑の部屋に案内するように。お嬢さんはボクが連れ出すまで翠緑の部屋から一歩も出ないようにね。元ジェダイト侯の娘と鉢合わせたくないだろう?」
「元ジェダイト侯の、娘……?」
今来たのはアベンチュリン家――メアリーの授業で聞いた覚えがある。アイドクレース家の緑に比べて少し明るめの、明緑の魔力を持つ侯爵家だ。
同じ侯爵家ではあるけどジェダイト家とは違うのに何で? と思った時、私の疑問を察したヒューイが言葉を重ねる。
「皇帝が崩御したら葬儀や皇位継承の儀式の為に、各地の有力貴族や侯爵達が集まるんだ。侯爵は皇都に来た際、自分が仕える公爵家の客室に泊まる事が殆どで、アベンチュリン侯がここに来たのはそういう理由だ。ジェダイト女侯もまだ来ていないが今日中にはここに到着する事になってる」
「こちらとしても、今お嬢さんにウチの2侯爵と接触されると都合が悪いんだ。少し窮屈だろうけれど2日位耐えてほしい。それじゃあヒューイ、お嬢さんの案内よろしくね?」
シーザー卿の言葉に息を付いて立ち上がったヒューイの後を追うように、部屋を退室する。
薄緑色のマントとそれに乗った艶やかなウェーブがかった長めの髪。背はアーサーより少し低い。
ダグラスさんとどっちの方が背が高いかな――なんて、若干現実逃避しかかってる雑念を振り払ってヒューイの後を付いて行く。
ジェダイト侯といえば、私が皇城から出る時に暗殺しようとしてきた反公爵派のボスだ。
ダグラスさんが検挙して――恐らく処刑もして、その魂を掃除機に突っ込んで。それを私が解除して風の魔法で殺されかけた記憶が鮮明に蘇る。
あの時の全身刃物で切りつけられたような痛みと、矢に射たれて海に叩きつけられて冷たさに晒された痛み――どちらが痛かったか、と聞かれたら痛みの系統が違うから一概には言えないけど――どっちも死ぬほど痛かったのは間違いない。
(……ジェダイト侯の娘さんからしてみれば、私は間接的にお父さんが処刑されたきっかけになってしまってるのよね……)
つまり娘さんからしたら私は、私にとっての父を死なせたあの人と同じ立場なんじゃないだろうか――と思い至った瞬間、首を横に振る。
事故と殺人は違う。こればかりは罪悪感を抱いて自分を責める訳にはいかない。
流石に自分の命を狙ってきた人間やその家族に対して同情できる程、私の器は広くない。
ただ、相手に対して恨み言を言う気も起きず――シーザー卿の言う通り、鉢合わせたくないという一言につきる。
「……侯爵達には館をうろつかないように伝えておくから安心しろ」
いつの間にかうつむきがちになっていた私の頭にヒューイの声が落ちてくる。
見上げるとこちらを心配しているような表情をしている。その表情も、その言葉もヒューイの気遣いである事は感じ取れた。
風の魔法で切りつけられた時は放置されたけど、塔でのやりとりや今の態度を思うと、基本的には優しい人なのかもしれないと思う。
「……あ、ありがとう。あの、お茶とお菓子、美味しかった。あのお茶、私の住んでた所にもあって、ちょっと懐かしかった」
まだ声が詰まるものの無理やりお礼を紡ぎ出すと、ヒューイの表情が少し和らぐ。
「……そうか、そりゃ何よりだ。客人に喜んでもらう為に出すもんだからな、ああいうのは。で、ここが翠緑の部屋……うちに来るツヴェルフにあてがわれる部屋なんだが……ちょっと待ってろ」
聞き慣れた口調に戻ったヒューイがその部屋を開けるなり漂った埃臭さに、思わず眉間にしわが寄る。
部屋の入り口から見えるテーブルやベッドは緑というには大分色ぼけているように見える。
テーブルなんて、スッと指で撫でたらごっそり埃が付きそうな感じがここからでも分かる。
「酷いな……まあ、20年近くも使ってなけりゃ……ゴホッ!」
「だ、大丈夫?」
咳き込んだヒューイを見上げるとヒューイが少し驚いたように声を上げた後、1つため息を付いて右手を部屋の方にかざした。
ヒューイの右手から薄緑の魔法陣が浮き上がると、部屋全体に風が巻き起こる。
布はハタハタと揺れて、重い物や小物は微かに揺れ――そんな中で湧き上がった灰色の靄が隅のゴミ箱に自然と集まっていく。
風がやんだ時にはさっきまで色ぼけていた部屋が様々な緑で彩られた部屋へと変わっていた。
部屋に足を踏み入れてみると浄化作用もあったのか、さっき感じた埃臭さも陰気な感じも消え失せている。
(こういう魔法で一瞬で掃除が済むなら確かに必要な時だけしか手入れしないかも……)
この世界に来て何度も思っているけど本当、魔法って便利だと思う。この魔法なんて是非とも覚えておきたい。
「まあ、こんな所か……夕食の時間になったらここまで持って来る。何か必要なものとか浄化できてないところがあったらその時に言ってくれ」
そう言ってくれるヒューイの声に敵意も悪意も殺意も感じない。
ありがとう、と素直に声が出た後じっとヒューイを見つめてみる。
「……どうした?」
見つめる私に対してヒューイは目を細めて怪訝そうに見下ろしてくる。これはもう、間違いない。
「好み変わったのね。良かった」
「……は?」
ヒューイと初めて会った時、彼はセリアが好みだった。
その時の超積極的でキザな態度と今の私に対する態度を比較すれば、今の私は彼の好みにあてはまってない事がよく分かる。
(『貴方の好みが私だった時、大変だったんだから!!』なんて今更ヒューイに言っても仕方がないし、好みさえ変わっていればもうそれでいい、とも思うんだけど……)
だからさっきもあえてヒューイの好意とアランの殺意が連動してるっぽい事は伝えなかった。人にベラベラ話すような内容じゃないような気もしたから。
(でも、アランはヒューイが好きになった子に殺意を抱く訳だから、ヒューイの今後の為にも、その変な仕組みはヒューイだけには教えてあげた方が良いような気もする……)
教える義理なんて無いんだけど<私が黙ってたからヒューイが好きになった人がアランに殺されました>なんて展開になったらしんどい。
「ひ、ヒューイ、貴方、少し前まで私が好みに当てはまってたでしょ……? アランは貴方が好きな子を殺したくなるみたいで、貴方の好みが私だったせいで、こっちは殺されかけたのよ。とりあえず私は生きてるし、好みも変わったんならもういいんだけど、これから、先」
言葉を詰まらせながら喋る事に羞恥心を抱きながら声を紡ぐ中、ヒューイは驚いたような表情で何故か私の首元の方に手を伸ばしてくる。
その表情と手がアランの表情と重なって、また首を締められる――と思った時には
「ひっ……!!」
間抜けな声を上げて反射的にヒューイの手を跳ね除けていた。
軽く跳ね除ける事ができたヒューイの手――殺意はなかったのかと思った瞬間、見覚えのある黒い炎がその手に纏わりつく。
「えっ……なっ、何で、どうして!?」
魔物狩りで魔物の死骸を焼き、ペイシュヴァルツのブローチが燃やされるのを止めようとした私の両手も焼いた、あの黒い炎――
(そうだ、確かヒューイは<私に手を出さない>って、ダグラスさんの呪術付きの契約書にサインを……)
「っ……!」
原因に思い至った後、風で掻き消されるように黒い炎が消えて――ヒューイの焦げて黒くなってしまった手袋を見て我に返る。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
謝罪の言葉こそ滑らかに零れ出るけど、治癒しようとしてまたそれが触れたと判断されて黒い炎が出たらシャレにならない。
謝罪の言葉しか紡げない自分がとても無力で恨めしい。
「気にするな……今のは俺が悪かった。それに手袋が焼けただけだ。火傷してない」
ヒューイが苦笑いしながら焦げた手袋を嵌めた指を動かして見せるけど、不安と焦りが収まらない。
「で、でも、私が振り払ったから手袋焦げたの、ごめんなさい、本当に、ごめんなさい。あの、手袋代は後で何とか工面して返すから……!!」
「落ち着け。今のは俺が悪かったって言ってるだろ。触るなって言われてるもんを触ろうとしたんだ。アンタは何も」
ヒューイがまた手をこちらに向けた仕草にこちらもまた声を上げそうになるけど、そこは何とか堪える。
だけどそういう態度を取られ続けたら流石に気を悪くするのは当たり前で、俯く私を前にヒューイは長い溜息をついた。
「……
「え?」
「いや……こっちの話だ。とりあえず俺の事は気にしなくて良いからこの部屋で休んどきな?」
バツが悪そうに頭を掻いた後、そう言い残してヒューイが翠緑の部屋を出ていった。
謝りすぎても不快感を煽る。気にかかるけど今近くにヒューイやシーザー卿にいられても落ち着ける気がしないし、とりあえず鍵を――と確認したけど、ここの部屋のドアには鍵が付いていなかった。
いつ誰が入ってきてもおかしくない部屋に一人ぼっち――かなりの不安に襲われるかと思ったけれど、それほど不安も孤独感もない。
多分感情が麻痺してしまってるんだろう。この感覚、何度も覚えがある。
(……なんて、感情が麻痺するような状況に慣れてしまうのはどうかと思うけど)
一見フカフカに見えるベッドに腰掛けてみる。
座った直後に20年間手入れされてない布団という事を思い出して埃が立たないか心配したけど、杞憂に終わった。
浄化しただけでここまで綺麗になるものなのか――カビとかダニとか、それ以前に紫外線とかで傷んでないのかと思ったけど、窓にはカーテンがかかっていて陽の光は遮っているから布団自体は然程傷んでないのかもしれない。
(って、窓、あるんだ……純白の部屋も漆黒の部屋も窓無かったから、ちょっと驚きだわ……)
脱走――しても何のメリットもない。というか運悪くジェダイト女侯と鉢合わせる可能性だってある。カーテンは開けないに越した事はないだろう。
カーテンから視線をそらし、靴を脱いでベッドに寝転がる。布団にもマットレスにも何の違和感もない。
あんな埃臭かった部屋がここまで快適になると逆にちょっと怖くなってくる。虫の死骸とか入ってたら嫌だし、ゴミ箱は絶対見ないようにしよう。
(……私、これからどうなるのかしら?)
シーザー卿は私を『つまらない裁判で殺すのは惜しい』って言っていた。今の私の状況を面白がってるのは間違いない。
死なせるつもりがないのと、私の味方をしてくれるのは同じじゃないけど――ひとまず殺される流れには持っていかれないはずだ。
クラウスに、ダグラスさん、黄の公爵に赤の公爵にヴィクトール卿にシーザー卿……色んな人が私に関わろうとする。
その理由が明確なのも恐いけれど、全く分からないのも恐い。
綺麗にされた布団に潜る。今しばらくは誰も見てないんだから、ちょっと位泣いたっていいだろう。今は泣く事でしか内に抱えるストレスを消化できない。
感情が麻痺してても自分に涙を流す事を許せば、涙は簡単にこみ上げてくる。
誰が来るかもしれない中、大声あげて泣くのは流石に抵抗があって――声を出さずにただ涙を流している内に、いつの間にか眠ってしまった。
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