第214話 アンナの願い(※アンナ視点) 


 何も分からないままこんな世界に飛ばされて、最初は物凄く怖かった。

 でも冷静に向き合ってみたら――この世界は地球よりずっと、私に優しかった。



「アシュレー……どうでした?」


 部屋に入ってきたアシュレーが珍しく困った顔をしていたから不安になって問いかける。

 人の表情1つで色々マイナスな方向に考えてしまう癖はいつまで経っても抜けそうにない。


「んー……やっぱり親父の力を借りるのは厳しいみたいだ」


 アシュレーは頭を掻きながらぼやくように呟いた後言葉を続ける。


「アスカが自分の意思であいつの所に帰ったのは事実だし、あいつが来ないならオヤジの出る幕はない。行けば確実に他の公爵達との仲が険悪になる。『来るかも知れない』程度で親父が塔に行くのは俺も賛成できない」


 昨夜――アスカさんが黒の公爵に連れて行かれた後、その場にいる皆に部屋に入ってもらって今後の確認をした。


 その際『アスカが来ないならあの悪魔も来ないはず』とソフィアさんが言った後、アシュレーが『じゃあ親父が塔に行く必要はないな』と軽い感じで返した。


 その言葉はそのまま流されたけど、敵は黒の公爵だけじゃない。

 希少なツヴェルフを――しかも私より器の大きい2人を他の有力貴族達がみすみす見逃してくれるのでしょうか?


 どうしてもその不安が拭えなくてアシュレーにお義父様に塔に行ってもらえないか改めて確認してもらったけれど――


「まあ向こうには神官長とクラウスがいるんだ。皇家もサポートするだろうし、公侯爵家の奴らさえ出てこなければこのままでも大丈夫だろ」

「でも……公爵本人あるいは神器を託された公爵子息や有力貴族達が塔に来るとマズいのでしょう? 昨夜は普段遠方におられる侯爵家の方も何人か来てましたし……」


 アシュレーの楽観的な言葉につい悲観的な言葉を重ねてしまう。だけどアシュレーはそれに気を悪くした様子もなく言葉を続けてくれる。


「それを防ぐ為なのか、皇帝直々に今日の23時に公爵達に皇城に集まるよう通達が来たらしい。親父が動きたがらないのはその場で何かあった時に皇帝を守りたい、ってのもあると思う」


 確かに、そこでもしユーリさん達を帰す事を伝えたら争いが起きてしまうかも知れない。

 流石にお義父様が仕える主の危機を押してまで塔に行ってもらう事はできない。


 でも、まだ――まだ諦める事が出来ない。何とかユーリさん達の力になれないか考えてしまう。


「……お義父様が出られないのなら、騎士団は?」


 皇都から騎士団を出すのはマズいかも知れないけれど、塔がある街――セン・チュールにも赤の騎士団の方が何名か駐在していると聞いた事があります。

 その人達が力を貸してくれたら心強いのだけど――


「公爵や神器を持った公爵子息の前じゃ騎士団はほぼ無力に近い。魔物狩りで俺や親父達の戦い方を見てただろ? 相手も大体同じ戦い方をしてくると思ってくれ」


 そう言われて思い出す、魔物狩りの時のアシュレーの姿――物凄いスピードで止まる事無く力ずくで魔物の群れに突進し、赤の斧を振るって叩き潰していく、まさに鬼神のような戦い方。

 後ろ姿しか見てないけれど圧倒的な勢いで魔物を薙ぎ払っていく彼の強さが十分伝わった。


 あの後『もうアシュレーの強さは分かっただろうし』とリアルガー家総出で魔物を殲滅していった姿、忘れようにも忘れられない。


「それにあの街には他の家の騎士団もいる。そこに家族住まわせてる奴らもいるからな。騎士団同士を争わせて下手に死人が出たらどうしても後味悪いものになっちまう」


 追い打ちをかけるように畳み掛けられ、自分がどんなに無謀な事を言っているのか思い知らされて俯いてしまう。

 私が行けたら――でも妊娠してる今、魔法も使えないし、無理してお腹の子に何かあるのも怖い。


(それでも私が……私が何か出来る事はない?)


 地球に帰らない私に彼女達に協力する理由はないけれど――だけど、私は皆に助けられたもの。


 訳の分からない世界に飛ばされて、アシュレーとこの家の人達と出会うまで――明るく優しい彼女達の存在が私にとってどれだけ心強かったか。


「……アシュレー、お願いがあるの。どうか…どうか皆を助けてください」


 アスカさんが大怪我を負って追い詰められていた姿が、お義父様の心を動かした。

 平和で守られた場所にいて特に傷ついている訳でもない私の願いが、アシュレーの心を動かすのは難しいかも知れないけれど――


「そのお願いは別の機会にとっとけよ。俺、元々行くつもりだから」

「えっ?」


 サラッと返された言葉に思わず気の抜けた声が出る。


「アスカの奴、もしかしたら『やっぱり帰る!!』って来るかも知れねぇし。そしたらあいつも来る。流石に死神が本気出してきたら皇家とクラウス達だけじゃ厳しいだろ」

「アシュレー……どうして?」

「どうしてって……アンナの友達が危ない目に合うかも知れないのを放っておく訳にいかないだろ? クラウスとリチャードも知らねぇ仲じゃねぇし」


 当然のように言うアシュレーが、物凄く輝いて見える。


「アシュレー……! カッコいい……!!」


 嬉しくてつい零してしまった言葉にアシュレーは顔を赤くする。いつもそうだ。私が少しでも褒めるとこの人は顔を赤くして嬉しそうに笑う。


「そ、そうか!? よし、確か転送は0時だったな! なるべく早めに帰ってくるようにするから、アンナはここで安静にしてろよ? 心配だろうけど巻き込まれたら大変だからな!」


 私の言葉で喜んでくれる貴方が好き。私が馬鹿な事を言っても馬鹿にしない貴方が好き――眼の前の夫への好きが、いっぱいたまっていく。


「はい……アシュレー、どうか、ご無事で……」

「心配するな! 準備ができたらまたこの部屋に来るから、あいつらに何か言いたい事とかあったらその時教えてくれ!」


 そう言ってアシュレーはバタバタと慌ただしく部屋を出ていく。


 一昨日、お義父様から今日の夜皆がこの世界を離れると聞いた時は本当にビックリした。

 でも知らない間にいなくなってしまう事を考えたら、知れて良かった。


 昨夜、突然表情を固まらせてホールから走り去った黒の公爵を慌ててアシュレーと追いかけて――私が心配だからと早々に横抱きされてしまったけど、何とか追いついたら一触即発の雰囲気で。


 ソフィアさんの叫びに合わせて、話を合わせて……いつ止められるか、攻撃されるかドキドキしたけど――無事に切り抜けられた。


 結局その後アスカさんは自らあの人の元に帰ってしまったけど――それでも私の行動は皆を助けられたはず。


 自分の力で、少しでも皆に恩返しができたと思うと心に温かいものが宿り、タンスに大切にしまってある真紅のスカーフを取り出して首に巻きつける。


 もう私は地球にいた時の私とは違う。この世界で生きると決めた、私、だけど。


 皆で買った色違いのスカーフ――今日はこのスカーフを身に着けて、同じ地球で生きた者として彼女達の無事をただただ祈りたい。


 両手を組んで静かに祈る中、突然窓がカタカタと揺れだす。気になって窓を開けるとすぐ近くに赤黒い飛竜に乗ったアシュレーがいた。


 『妊娠したらしばらく乗せてやれないから』とリアルガー家の竜舎に案内されて飛竜に乗って空中デートした事を思い出す。

 多分その時と同じ飛竜だろう。顔の違いはまだよく分からないけど、アシュレーが『この竜は俺が捉えて意気投合したんだ!』と笑っていた時と同じ笑顔をしている。


「何かあいつらに伝言とかあるか!?」

「『どうか皆さん、お幸せに!』って……!!」

「分かった! じゃあ行ってくる!」


 風圧で髪とドレスが揺れる中、負けないように力いっぱい叫ぶとアシュレーは笑顔で答えて空に浮上した。



「アシュレー!!」


 真下で彼の名を叫ぶ声が聞こえた。


「お前のような未熟者が神器もなく公爵相手に渡り合えると思うな!!」


 そう叫んだのはお義父様だ。そして躊躇なくアシュレーがいる上空にむかって赤の斧を投げつけた。

 危ない――とは思わない。アシュレーは回転して飛んできた赤の斧を空中で見事に受け取った。


「親父、これ、借りていくぜ!!」


 そう叫んでアシュレーは猛スピードで飛んでいってしまった。


 アシュレーの動体視力はビックリする位すごい。

 なのに何でアスカさんの掌底をまともに食らったのか聞いたら『あの時はお前しか目に入らなかったから』と言われて、もう、どうしたら良いのか分からない位慌てて――って、今はそれを思い出してる場合じゃない。


「お義父様、良かったのですか!?」


 下にいるお義父様に向かって叫ぶ。だって夜、お義父様も戦う事になるかも知れないのに。


「わはは、キャッチされた物は仕方なかろう! 投げたワシが悪い!」


 下にいるお義父様は満足そうにこちらを向いて高笑いした後、館の中に入っていく。


 明るい家族。その笑顔は、温かい家族に向けられるもの。

 この家はその笑顔に包まれて、私にも向けられる。

 アシュレーから、お義父様から、お義母様から。義妹や義弟から。


 アシュレー、ありがとう。私、貴方と出会えて本当に良かった。

 強くて格好良くて優しい貴方の一番好きな所は、私の良い所も悪い所もまとめて愛してくれる所。

 そう。私の中で光る黄金だけじゃなく、それを包む泥まで美しいと言ってくれる所。


 今なら言える。きっとこの器の中にある魔力が全て流れても、貴方への想いは消えない。

 私に居場所をくれた貴方が。私と、私の大切な物を当然のように守ってくれる貴方が大好き。


 そのアシュレーと引き合わせてくれたアスカさんには本当に感謝しなくちゃいけない。


 それに――あの場所にはソフィアさんやユーリさんがいたから言えなかったけど、この世界では地球の家族の事など気にしなくて良いのだと、アスカさんが教えてくれたお陰で早々にこの世界と向き合う事ができた。


 こちらにはあの人達がいない。地球には私がいない。

 母や姉を知らない人達の中で、私は私だけの人間関係を築ける。


 お互いがいない世界で、お互いを気にせずに幸せになる事ができる。それに気づかせてくれた。

 召喚された時一番怯えていた私が、この世界でハッキリした幸せを掴んだのは不思議な話かもしれないけど。


 アスカさん、ユーリさん、ソフィアさん。


 選んだ道と生きる世界が違えども。どうか、皆さんにも幸せが訪れん事を。


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