第215話 ソフィアの願い(※ソフィア視点)

 

 そりゃあ不幸になられるよりは幸せになってほしいわよ。

 見捨てなければならない――その罪悪感が軽くなるんだから。




 広く綺麗な馬車の中、ガタガタと揺れる音を聞きながら窓の向こうの晴れた景色を見据える。

 既に景色は町並みから草原に変わっていて、開けた窓からは僅かに草の匂いが漂う。


「ソフィア様、もうそろそろ塔が見えてくるはずです」


 隣に座るリチャードの言葉に少しだけ視線を向けて、また外の方へと視線を向けた。

 一ヶ月以上にも及ぶ異世界生活も今日で終わり。今日の深夜、地球に帰れる――だけど気分は晴れない。


 晴れない理由は2つある。1つは、アスカの事。

 黒い悪魔と白い天使に挟まれた彼女がこれからどうなるのか、それに私達はどう巻き込まれていくのか――先が見えない事が不安で仕方がない。




 最初にあの悪魔からコンタクトがあったのはもう一ヶ月以上前――私がコッパー邸に着いた日の夜。

 寝室に向かう前にリチャードとアーサーのお父さん――コッパー侯に呼ばれて、一通の封書を渡された。


「セレンディバイト公からの手紙の中に君に渡してほしいとそれが入っていた。それは君が見たら返送するように言われている。今この場で目を通したら返してほしい。物騒な呪術がかけられているようなのでね」


 そう言われて広げた手紙には私が授業を放棄してまで地球出身のツヴェルフがいるコッパー家に<遊びに>来た理由は大体予測できる事、アスカさえ巻き込まなければ邪魔はしないがアスカを巻き込むのなら自身とユーリの死を覚悟するようにと綴られていた。


 アスカの事は丁重に大切に扱うし、自分の願いが叶った後アスカが地球に帰る事を希望したらちゃんと地球に帰すから残していく事に対して何も罪悪感を抱かなくていいと、いう事も。


 この時点でアスカの事は切り捨てるしか無いと思った。


 だって一緒に帰ろうとしたらアスカは死なないけれど私とユーリは死ぬのよ? そんなの、切り捨てるしかないじゃない。

 でも罪悪感はあったわ。だってアスカ本人が悪い事をした訳じゃないし、何よりアスカが地球に帰りたがっていたもの。


 でもその後――寝室に戻ってビアンカに突然襲われてから今の自分には死がすごく身近にある事に気づかされた。

 ビアンカが殺されたシーンは本当によく覚えていない。ただ、ビアンカの向こう側にアーサーの顔が見えた所で記憶が飛んでいる。


 私、ビアンカのような殺され方は絶対に嫌。


 アスカ本人が悪くなくても、その傍に危険があるなら見捨てるしかない。

 私は絶対に地球に帰りたいの。私の人生を輝かせる為に。




 ――あれは忘れもしない10年前。12歳の私が自作の歌をSNSに投稿して有名な歌手に拡散されてからあれよあれよと世界中に広まって、大金が入って私の生活は一変した。


 神様に感謝したわ。この美貌と声がなければこんな事にならなかったから。

 だけど呪いもした。この美貌と声がなければこんな事にならなかったから。


 曲を作ったりステージで歌ったりは楽しかったけど、忙しさに振り回されて段々ストレスがかさんで歌だけじゃ消化できなくて、そこにお金があればある分――少しでも気になった物なら何でも買いたくなってしまうようになった。


 家族はもっと酷かった。大金を湯水のように使うパパは上手くいかない事がある度暴力を奮ってくるようになったし、ママは暴力こそ無いけれど次に入ってくるお金を計算しては私に早く次の曲を作るように言ってきてうるさい。


 兄妹もあれが欲しいだの、これが食べたいだの、何処に行きたいだの――両親の間でも親子の間でも兄妹の間でも喧嘩が増えた。


 人は突然分不相応な金が入ってきたら壊れていく事を身を持って知った。そして一度大金に眼が眩んだ私達はもう元の目には戻らない。

 更に――不幸な事に私が歌姫として讃えられる時期は短かった。


 次の曲が作れないでいる間にもっと明るく楽しく歌う若い子達が出てきて、私はあっという間に埋もれてしまった。


 咲いた花はいつか枯れる。周囲は新たに咲いた綺麗な花を愛でていく。

 どんどん綺麗な蕾が現れる中、枯れた花は人知れず散るか醜い物として刈られて消えていく。


 そんな厳しい世界で長年出す曲全てが多くの人の心を惹き付け、出す声が多くの人の心を打つ天才がいる。

 彼女達は何故咲き続け、歌い続ける事が出来るのだろう? 彼女達と私は、何が違うのだろう――才能? 努力? 環境?


 何にせよ私も彼女達のように、ずっとステージで鮮やかに咲き続けられる枯れない花になりたかった。

 造花とは違う、みずみずしさを保ち色褪せない本物の花に。

 

 私が讃えられたのはたまたま私の容姿と声が影響力のある人の好みに当てはまっただけ。

 12歳という若さも相まって、神童と持て囃されただけ。


 ただそれだけの事で結構な大金が動くから、人は簡単に壊れていくのよ。

 そしてその大金が流れた後には家族の間に笑顔がなくなり、険悪さだけが残った。


 冷えた家族達への絶望と何の歌詞もフレーズも思いつかない絶望に苛まれる中、一度は認められた世界でもう一度、次こそは、次こそはと思う心だけが私を支えていた。

 

 その心すら折れかかっていた時に、私はここに召喚された。


 塔から皇城へ向かう馬車の中でユーリが私に気づいてくれた時は嬉しかった。

『貴方の歌が好きなのでお会いできて嬉しいです!』と笑うユーリに、10年前に出した私の歌が遠い島国にも伝わっていた事が、今でも覚えていてもらっている事が嬉しかった。

 アンナも私がチョーカーを外して歌ってみせると「ああ!」と納得したような声を上げてくれた。


 拡散したのは他人の力。でも、遠い異国で私の歌を良いと言ってくれる人がいる。私の歌を知っている人がいる。

 私を拾い上げてくれたあの人だって私の歌を良いと思って拡散してくれたのだから――私はまだ、咲く事が出来るはず。


(……不思議なものね。地球で何年も悩んでいた心の靄が異世界に来て晴らされるなんて……)


 だけど10年前にちょっとだけ有名になった歌手の名前なんて皆が知ってるはずがない。

 アスカが私の事を知らなかったら気を使わせちゃうから2人には『アスカに言わないでほしい』『普通に接してほしい』と2人にはお願いしたけれど――それで良かったと思う。


 だってもしアスカも私の歌を知っていたら、私の歌が好きだったら――見捨てるのが今よりずっと辛くなったでしょうから。



 寂しそうな彼女の姿を思い返して視線を落とした瞬間、ガタン! と大きな音と共に馬車が揺れる。



「ソフィア様!」


 床に倒れ込みそうになった所を抱き止められ、即座に座席に座らされると同時に彼の手が離れる。


「大丈夫ですか……!?」


 リチャードが心配そうに私の方を見つめる。「ええ」と短く答えるとホッと胸をなでおろし、自分側の窓の方に顔を向けた。


「しばらく道が荒れそうです。何かに捕まっていた方が良い」


 そう言葉を続けるリチャードに少し意地悪をしたくなる。


「じゃあ貴方に捕まってもいいかしら?」

「……ど、どうぞ」


 少し目を見開いて驚いた後に、腕にしがみつけるだけの余裕をもたせてくれる。そのまま腕を絡ませる。ガチガチに固まっていて今いち温もりを感じない。


 体と体がしっかりと触れ合う事で魔力が落ちる感覚がどうのこうのメアリーが言っていたけれど――私は今までリチャードから魔力らしきものを注がれた事がない。


 せっかくだし一度位魔力を注がれる体験してみたいと思って聞いてみたけれど『私の魔力でソフィア様の器を汚す訳にはいきませんから』と断られた。

 こうして腕を組む程度の事はさせてくれるけれど意図的に魔力を注がないようにしてるのだと思う。いわゆるハグは断られるしキスも一切仕掛けてこない。


(……リチャードが私に好意を持っている事は間違いないのだろうけど……)


 顔を赤く染めるリチャードを見つめながら、この人との過去を思い返す。




 パーティーで出会った時は恰好の割に頼りない印象を受けたのだけど、魔物狩りやコッパー家への道中からこの人の芯の強さや優しさが心地良くなっていった。


 明確に惹かれたのはビアンカに襲われた時――私の悲鳴に誰より早く駆けつけてくれたリチャードはその後鏡を見て取り乱す私を必死に励ましてくれた。


 それで少し落ち着けたかと思ったらそこから酷くバタバタして、大きな翼を持つ紺碧の大蛇に乗った穏やかそうな青いオジサマが現れて、その大きな蛇の背中に乗せられかけて。


 紺碧の大蛇の鱗がどうにも気持ち悪くてつい泣きそうになってしまった時に、リチャードがガチガチに震えながら青いオジサマに『私も着いていきます!』と行ってくれた時は本当に嬉しかった。

 私、蛇とか爬虫類が本当に苦手だから誰か知ってる人に傍にいてほしかったのよ。


 そう言えばあのオジサマって魔物狩りの時に遭遇したルクレツィアのお父さんだったかしら?

 『お喋りが大好きな恐ろしい人』って聞いていたけれど物腰柔らかな姿は紳士としか思えなかった。

 まあ、外面が良いから良い人とは限らないのだけど。


 ただ、私は普通に大蛇に乗せられてリチャードは青色の半球体で包まれ浮かばされて運ばれた際、何故リチャードを大蛇に乗せないのか聞いたら『すみません。この子には黄系統の人間を乗せたくないんです。彼は私が責任持って安全に運びますので安心してください』なんて笑顔で言っていたっけ。


 それが娘の想い人の異母弟に対する態度かと思うと今更ながらルクレツィアに同情する。

 魔物狩りの時にルクレツィアに出会った際、彼女があのオレンジ色の長髪の美丈夫――アーサーに好意を持っているのは5分も経たずして分かった。アーサーが彼女を敬遠していることも。


 アーサーと言えばパーティーで自己紹介してもらった時から結局一言も言葉を交わさなかった。ビアンカを殺した時の眼が怖くてあれ以来目も合わせなかった。


 アーサーは私を助けてくれたのに、酷いわよね。


 でもあの頃は本当に、冷静に物事を考える事が出来なかった。

 頬に受けた大きな傷はメイクで治せるのかしら、もし治せなかったら、もうどんなステージにも立つのは難しいのでは――そんな不安で頭がいっぱいだった。


 そして、皇城に着いたらまた新たなメイドが用意されていて。メイドに殺されかけたのにまたメイドと一緒なんて、もう、絶対無理。


 一緒について来てくれたリチャードが私に好意を持っているのは一目瞭然だったから何とかメイド代わりにしようと部屋に招き入れようとしたのに頑なに拒むから思わず怒鳴ってしまった。

 そして言い合いになってる内にアスカが出てきたのは予想外だった。


 一番会いたくなかった。それなのにアスカは私の事を心配する。

 自分の負担を厭わずに招き入れて、自分を下げてまで私に気を使って――


 優しくしないでほしい。私は貴方を見捨てようとしているのに。

 万一咄嗟に手を伸ばしてしまった時に手の届かない場所にいて欲しいのに。


 貴方が不器用に励ましてきたから。傷を治せると言ってくれたから。家族が言ってくれなくなった言葉を言ってくれたから。

 声を押し殺して啜り泣く私の話を聞こうとしてくれたから――


 私はアンナやユーリみたいに貴方にそこまで感謝してる訳ではないけれど――貴方が辛いのなら助けてあげたいと思う気持ちは私にだってあるのよ。


 『私達あの男に脅されてるから残りなさいよ』と面と向かって言えない程度には貴方の絶望した顔を見たくなかったし、貴方が諦めて苦笑いする顔も見たくなかったのよ。


 結局貴方は別の人間の為にこの世界に残る事を決意したみたいだけど――貴方の災難はあの悪魔だけじゃなかった。

 それが尚更私達を苦しめる。それがもう一つの懸念。


「あ、ソフィア様、あそこに……!」


 リチャードが自由になっている手で窓の向こうを指し示した先の空には真っ白い鳥――ラインヴァイスが見えた。


 私の傷を綺麗に直してくれた白い天使は黒い悪魔と同じ様にアスカに酷く執着している。

 会った時からそうだったけど日が経てば断つほどそれは段々異常なものになっていった。


「助けた時にアスカがマナアレルギー起こしてしまった。記憶失くしてる可能性がある。説得してて出遅れるとマズいから先に行ってて欲しい。大丈夫、僕達はラインヴァイスに乗って塔に向かうから」


 そうまくし立てて私とリチャードを白馬車に押し込んだクラウスは微笑っていた。まるでアスカが記憶を無くす事を望んでいるかのように。


 ねえアスカ、貴方って何でこんなに男運が悪いの?

 貴方をさらった黒い悪魔と、貴方を助けた白い天使――貴方の明るい未来はどちらにあるの?


 もう私には貴方に来いとも残れとも言えない。言えば私はどちらかに殺される。


 アスカ、私は貴方の為には死ねない。

 だって貴方を庇えば私を守るリチャードも死んでしまうかも知れない。私の歌を好きだと言ってくれたユーリも死んでしまうかも知れない。


 貴方の幸せは願っているわ。でも。貴方の幸せより私は私の幸せが大事なの。

 今なら私、もう一度咲ける。地球に帰ってこの心にあるもの全てを歌に込めて歌いたいの。


 こんな魔護具を通した声ではなく私自身の声で人の心を震わせてまた称賛を浴びたい。だから貴方が邪魔になった時は容赦はしない。


(それでも……今だけは願わせて。この黄土色……私にとっては黄金に等しいスカーフとこれについたバラによく似た橙色の花のコサージュに願わせて)



 どうか、願わくば皆、生きて未来を――幸せを掴む事が出来ますように。



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