第193話 黒の狂気・2(※ダグラス視点)


『私が愛しているのは貴方だけです……!! けして私は白の魔力を注がれる事など望んでなどいません! あの男が、無理矢理……!!』


 私が彼女を甘やかすのを止めた日の夜、ペイシュヴァルツが母の幻を見せてきた。


『どうして――どうして信じてくれないのですか!?』


 泣き叫ぶ母の姿が酷く疎ましい。私が知っている母は何の感情も消え失せた陰湿で暗い女だったのに。予想以上に激情型だった母の姿に辟易する。


 そして叫び合う男女の間で既に腹の中に宿っているであろう私を想う言葉1つ放たれない。

 私を無いもののように扱っていたのは世に生まれ出ずる前からだったのかと思うと、乾いた笑いすら起こせない。


 幻影を魔力で振り払うとペイシュヴァルツは逃げるように私の前から姿を消した。



 次の日。ヨーゼフの代わりにルドルフが手紙を持ってくる。

 その中に皇家からダンビュライト襲撃の件について報告を要請する手紙があったが封書ごと燃やす。私が館を離れている間に彼女に異変があってはいけない。

 仕事に取り掛かる前にヨーゼフの部屋を尋ねる。


「……体調はどうだ?」

「お陰様で……思ったよりは楽ですな」


 いつもと同じ顔で迎えるこの執事の痛みへの耐性は尊敬に値する。


「そうか……治癒師を呼ばなくて大丈夫か?」

「アスカ様のお陰で内部の痛みは治癒師を必要とする程ではありません。外傷は治癒軟膏で何とでもなりましょう。長く生きるとこの程度の怪我は何度も覚えがありますゆえお気になさらず」


 腹を抑えるその姿は多少やせ我慢している事が伺えた。

 長年仕え続けてきてくれた従者の年老いて丸くなった背中を見て、もう少し加減してやるべきだったと反省の念が生じる。


 だが――力を維持できなくなっても引退する事を許されずに魔物と戦い続け、いつか魔物あるいは血を分けた子や悪意を持つ者に殺されるだろう自らの最期を思うと、何度も死にそうな目にあいながらも70を越えて尚生きられる目の前の執事の方が自分よりよほど神に愛されているのではないかという疑問も生じる。


 貴族の頂点と崇め奉られる公爵の実態は世界の平穏を維持する為の人柱に過ぎない。

 それだけならまだしもその人並み外れた強さ故に過酷な公務を課せられる。湯水のように金が与えられても、名声が轟いても、けして幸福とは言い難い。


 仮に公爵が魔物と戦って戦死しても、跡継ぎがいれば何の問題もない。

 私のように跡継ぎがいない者が危機に陥れば色神がその場から宿主を救い出す。そして倒せなかった魔物は他の力ある公爵が倒す。


 だから跡継ぎを得て年老いた公爵は力が衰え次第戦死するか早々に力を手にしたい跡継ぎ、あるいは何らかの恨みを抱く者の手によって殺される者が多い。

 私以外の公爵達も例に違わず後10年――長くても20年で死んでいくだろう。


 禁術を使って寿命を大きく削って40代前半で亡くなった私の父や前ダンビュライト公のようなケースは珍しい。


「……まだ仲直りはされないのですか?」


 ぼんやりと公爵の存在意義について考えていた所をヨーゼフの声で引き戻される。


「……今回ばかりは向こうが折れない限り無理だ」

「アスカ様は折れませんよ。あの方は強い」

「何故そう思う?」


 何故言い切れるのか不思議に思い問いかけると、ヨーゼフはその目を少し見開き、真っ直ぐに私を見据える。


「ダグラス様……圧倒的な強者である貴方には分かりづらい話かも知れませんが、純粋な実力や権力だけが強さではありません」


 ヨーゼフは一度そこで言葉を切り、腹を抑えて大きく息を吸う。


「圧倒的な力があれば目的を果たす事は容易……周囲を屈服させ感嘆させる事も簡単です。神に愛された者の特権とも言えますな。そうでない者は並々ならぬ努力を重ね、時に自分の名誉を汚し、苦汁や辛酸を舐め、自他の血と汗を捧げてようやく自身と大切なものを守れる位の強さを得られる」


 なるほど。ヨーゼフは私の方が神に愛されていると思っているのか。確かに苦痛の末に手にした強さなら神が与えた物というよりは自分で掴み取った物と言った方がしっくりくる。だが。


「それと彼女と何の関係がある……? 彼女には何の力もない。魔力を注がれない限りは魔法もまともに使えず武器が扱える訳でもない……ただ人を欺くのが上手いだけの弱者だ」


「……彼女は以前、ダンビュライトの館で言っていました。『人の命が叩きつけられてる胸糞悪い人生を歩みたくない』と。彼女は自分に人の命や魂が伸し掛かる事を強く拒む。普通の精神なら貴方が魔物や魂を痛めつける姿を見れば恐怖で逆らえなくなります。他人の魂や命など見て見ぬ振りをします。ですが彼女は……そんな状況下ですら自分の信念を貫いているのです」


 ヨーゼフは少し息をついて、言葉を続ける。


「いつ貴方の不興を買って犯され殺されるとも知れない立場で、自らを殺そうと企てた9つの魂を見捨てる事無く全て開放し、スピネル女伯の命までも救い、その上、地球に帰ろうとした事がバレても尚私の命を救う……我儘で傲慢な弱者のように見せかけてその内面は実に強く、賢い女性です」

「意思が強いのは認めるが賢くはないだろう」


 彼女の、短絡的で向こう見ずな行動はけして称賛に値するものではない。


「強者である貴方から見ればそう映るでしょう……ですがあの方の短い時間で状況を把握し、僅かな力で自分が使えるものを最大限利用し、自らの身体やプライドを犠牲にしてでも自分の目的をきっちり果たしている……その姿に私は尊敬の念すら抱き始めています。そう、彼女の強さは人も変える……私も、貴方も、あのメイドも……アスカ様に関わる者は知らず知らずのうちに変わっている。良い方向にも、悪い方向にも……」


 そこまで言うとヨーゼフは咳き込む。


「いやはや、話しすぎて少々腹が痛くなってきました……後は、私の目ではなく、貴方の目で、気付いた方がいい……私がいなくなった時に自分で気付けるように……」


 安静にしているように伝え、そのまま部屋を出る。

 死期が近づくと人はお喋りになるのだろうか? いや、元々お喋りな気質だったのかも知れない。


 だとすればヨーゼフを変えたのは、彼女だ。小賢しい手段で人の心を変えていく彼女は確かに、弱者ではない。


 昨夜も『貴様も嫌』だとか『ノックしろ』とか減らず口を叩いていた。

 私が少し引き下がればどんどん踏み込んでくる。そうやって彼女に惑わされていく。

 

 今こうして苛立つ私の中にも、もういいのではないかと彼女への仕打ちを止める声が響く。

 やめられるものならやめたい。しかし今やめたら彼女はまた私を欺く。


 もう欺かれたくない、裏切られたくない。傍から離れてほしくない。

 彼女がいなくなるのが、怖い。


 彼女が私を受け入れてくれるまで、私を必要な存在だと認めてくれるまで、徹底的に自分の立場を分からせなければならない。もう彼女に振り回されるのはたくさんだ。


 理性の囁きを拒み、感情が考えるのを拒否すれば、衝動が襲いくる。


 恐怖や不安で押し潰されそうになっている彼女を見ているのは気持ちが良かった。

 その彼女の恐怖や不安は、間違いなく本物の感情。彼女の中で私の存在が大きく占めていると思うと私のプライドも傷も癒やされていく。


 そう、愛など無くても彼女は私を癒やしてくれる――ただ、それは酷い苛立ちも与えてくる。


 どれだけ追い詰められても彼女は私に縋らない。それどころか口答えしてくる。私を求めている癖に拒否する。私に服従する位なら自らの身体を傷つけた方がマシだと言わんばかりに。その拒否する部分が本当に憎らしい。


 その拒否する部分さえ壊してしまえば、私に縋り私を必要とする従順な彼女が手に入る。


 従順になってくれたら、地球に帰る事もクラウスの事も諦めて私の側にいると言って私に許しを請うてくれたら、二度と逆らわないと約束してくれたらもうこれまでの全てを許そう。そして新たにやり直そう――



 衝動を何とか抑え込んで平和的な思考に持っていく私の心を逆なでするようにペイシュヴァルツはまた、幻影を見せる。


『ああ、そうよね……! 貴方は最初から私を愛してなどいなかったもの!! 私が貴方を愛していただけ。貴方は私に逆らえなかった。ようやく私を拒める理由ができて清々しているのでしょう!? ただ、それだけ。そう……それだけ。あはっ……! あははははっ……!!』


 涙を零しながら高笑いする母は諦めたように呟き――そして、母は私の記憶の中にある<暗い女>になった。


 心が壊れたのだと言っていたのはグスタフだったか。心を閉ざしたのだと言い返したのはルネだったか。

 どちらにせよ父が2人目を求めても愛の言葉を吐いても母が表情を変えなかった理由がハッキリ分かった。


 もし母が私が産まれるまで己の心を維持できていたなら、私が産まれた後も父に愛を囁き続けていたなら。少なくとも父の愛は取り戻せただろうに。


(……それでも、私は父と母から無いもののように扱われていただろうな)

 

 母にとっては、父を見切った時点で父も私も憎むべき存在になったのだ。


 最後の時のように私を憎しみや軽蔑の眼で見なかっただけまだ情はあったのだろうか? それともそんな目を向けることすら億劫な位に情がなかったのだろうか?


 今なら分かる。父は母を愛していたからこそ自分以外の色が混ざった母と私が許せなかったのだ。

 

 愛する人に自分と相反する魔力が混ざる事がどれほど苦痛か。

 自分の忌み嫌う人間と愛する人が交わる事の嫌悪感が、どれほど凄まじいものか。


 どうでもいい存在だったら、中の器に何色が入っていてもどうでも良かった。

 最初、私が飛鳥に白の魔力が満ちる事を望んでいたように。


 だが彼女に好意を抱いてからはどうしてもその白の魔力が忌々しく感じて。

 想いが募るほど、強くなるほど嫌悪感が増していく。


 私の色に染めたい。彼女の中にある2つの器を黒で満たしてしまいたい。


 白の魔力で片方の器を満たした上で黒の魔力を注げば、自分の事情に気づかれること無く綺麗な跡継ぎを残す事が出来る。

 また、自分の中にある相反する魔力の塊をリスクなく減らす事が出来る。ツヴェルフのマナアレルギーを軽減させる効果も望める。


 それらの願いは、私が彼女に愛を抱いてないからこそ叶う願いだったのだ。


 恋や嫉妬という感情をよく理解していなかった私はつい最近までその事に気づけなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る