第19話 いつの間にか既婚者?
『……どうした?』
痛みに強張っている私の顔を不審に思われ、咄嗟に抓っていた手を離し両手を上げて横にふる。
「何でもない。ちょっとこれからの事が不安で緊張してただけ。エドワード卿にもジェシカさんにも迷惑をかける事になるし……あ、そう言えば私にかかる費用をダグラスさんに請求するってどういう事?」
恐らくアーサーがテレパシーでエドワード卿にそう言ったのだろう。
エドワード卿から言われた時は訂正するのもおかしな気がしてスルーしたけど、確認はしておかないと。
『君はダグラスの婚約者だ。君にかかる経費は当然ダグラスに請求する。ダンビュライト侯の妻だからとダンビュライトに請求できる状況でもないからな』
アーサーの答えは私に予想外の衝撃を与えた。一瞬、頭の中が真っ白になる位に。
――ダンビュライト侯の、妻だから?
聞き違い、の可能性を見いだせない位にハッキリそう言われたのは間違いない。
だけど何故そういう風に言われたのか全く理解できない。
「え、待って……私いつクラウスの妻になったの?」
『結婚指輪をしているだろう?』
疑問全開で質問するとアーサーとペイシュヴァルツは同時に私の右手の方に視線を落とした。
今私が身についている指輪は右手の中指に嵌めたこの半透明の白の指輪しかない。
「何でこれが結婚指輪になるのよ?」
『同じ指に同じ色、同じデザインの指輪――それは結婚の証だ。そして結婚は契りの証……ダグラスも君がダンビュライト侯と契り、結婚したと思っている』
そう言えば、塔の屋上でダグラスさんと再会した時――ダグラスさんはこの指輪を見て明らかに取り乱していた。その後ダグラスさんは会話を止め戦闘に切り替えたのだ。
知らなかった事実を突き付けられた今の状況にデジャヴを感じる。
そうだ、知らない間にダグラスさんの婚約者にされたのと全く同じノリで今度はクラウスの妻にされている。
アーサーの言葉を聞いて右手の中指から隣の人差し指に指輪をズラす。その様子をアーサーと隣のペイシュヴァルツも驚いたように目を見開いている。
「私はクラウスと結婚なんてしてないし、契ってもない……! この指輪はクラウスが私に指輪を嵌めた後、私がそういう事情を知らずに偶然自分と同じ指に嵌めただけよ!」
戸惑いながら言葉を紡ぎつつあの時の状況を思い返す。私が知らなくてもクラウスはそれが結婚を意味している事を知っていたはずだ。
――僕の指輪はアスカが着けてくれる?――
あの時、私がクラウスに自分と同じ指に指輪を嵌める前に止めてくれれば良かったのに。
あの後――クラウスは私と同じ指に指輪を嵌めた後、何て言った?
あの時の記憶は全体的に
「ここのルールなんて知らない。私が住んでた国では結婚指輪を嵌める指は左手の薬指って決まってるんだから……!」
記憶を追求する事を諦めて自分に全く結婚の意志がなかった事を主張するとアーサーはペイシュヴァルツとしばし顔を見合わせた後、思いの外穏やかな口調で私に語りかけてくる。
『……それなら、ダグラスが元に戻ったらその事をちゃんと話せ。誤解は解いた方がいい』
確かに、ダグラスさんにそんな風に誤解されているのなら解きたい。
だけど今の状況でダグラスさんに誤解なのだと言っても――
「もう私の言う事なんか一切信じない人に何言ったって無駄よ……!」
手にギュッと力を込めて吐き捨てて俯くと、沈黙が漂う。
『……ならば再会の場には私も同席しよう。あの時はそれどころではなく止められなかったが、ダグラスがまた君を辱める事があれば今度こそ止めよう。無用な心配だと思うがな』
「え?」
僅かな戸惑いの視線を向けると、また嫌そうに睨まれる。
『勘違いしないで欲しい。私は友人に過ちを犯してほしくないだけだ。それに君には借りもあるからな』
「借り? 貴方に何か貸しになるような事をした覚えはないけど……」
本当に、悲しくなる位迷惑をかけている記憶しかない。
『あの時……塔の屋上でレオナルド様とリチャードを治療してくれただろう? レオナルド様は後遺症が残りそうな怪我だったからな。それを完全に癒してくれた事には本当に感謝している』
「あれは、クラウスが……」
『ダンビュライト侯を動かしたのは君だ。私は状況を弁えず感情のままに出しゃばる女が苦手だが、あの時は君が出しゃばったからこそレオナルド様は助けられた……それに関しては礼を言わねばならないと思っていた……ありがとう』
少し緩んだ視線と感謝を帯びた言葉に、顔が一気に熱くなる。
レオナルドは殆どクラウスが治療してくれたのに、私がリチャードにした治療もほんの少しなのに。
それでも――この世界の人にとって疫病神同然の私にはアーサーのお礼は本当に身に染みた。
私でも役に立てた、でも、この状況を引き起こしたのはそもそも私のせいで――また、申し訳無さと無力さによって膨れ上がる。
咄嗟に感情を抑える為に顔を重ねた両手で覆い、右手で左手を抉る。
『礼を述べただけで好意を持たれると非常に困る。頼むから私に惚れないで欲しい』
私の行動を予想外の方向に受けとめたようでまた嫌そうな顔をされる。
(自惚れが酷い……!!)
しかし今アーサーの『ありがとう』に結構キュンとしてしまったからやはり自惚れとも言い切れないのかもしれない。
少なくとも私が今、一瞬でも警戒されても仕方がない感情を抱いてしまったのは確かだ。
未だ顔から両手を離せない私の頭に温かい何かが乗せられる。目を開けるとアーサーが目の前に来ていた。
『……この猫は君が心配だから一緒にいたいそうだ。2人で私が帰ってくるのを待っていろ』
「き、気をつけて……」
振り返りもせず歩き去るアーサーの背中を見えなくなるまで見送った後、私の頭の上でゴロゴロゴロと小さく喉を鳴らしているペイシュヴァルツに向けて問いかける。
「良いの? 付いていかなくて……私の傍にいたって何も良い事ないわよ?」
特に返ってくる言葉は無かったが、少しだけ揺れる前足がまるで私を撫でているように感じられた。
「アーサーはこれから危ない場所に行くんだし、ご主人様の為にも彼の役に立ってあげた方が良いんじゃないの? 心配じゃないの?」
念押ししてみるけどペイシュヴァルツの意思は変わらないようだ。
(ペイシュヴァルツも一緒に行ってくれた方が後々行方をくらます時に都合良かったんだけど……)
でも、今は一人ぼっちにならなかった事が嬉しかった。さっきから襲っていた不安が少しだけ和らぐ。
「……ありがとう、ペイシュヴァルツ」
そのままペイシュヴァルツを頭に乗せた状態で部屋に入る。ベッドの近くに来るとピョンとそちらの方へ飛び乗った。
こちらを見ずにそのまま身を横にしたので、その隣に腰掛ける。
(……再会時にアーサーが一緒にいてくれるなら、少しはダグラスさんとまともに話ができるかもしれない……)
だけど――一見円満に解決した、と思われても問題はその後だ。
館に連れ帰られた時点で『私の時が止まっている間にまた他の男を誑かして……!』だなんて言って襲ってくる可能性は否定できない。
落ち着いた不安がまた蠢くのを抑える為に左手の甲を抓ると、パシッと抓っていた手が弾かれる。
すぐ横にいた犯人が目を細めてジト目で睨んでくる。その眼差しには『いい加減にしろ』という怒りの念がヒシヒシと伝わってきた。
(これじゃあ不安を散らせないじゃない……!)
やっぱり、寂しくても一人でいた方が良かったかもしれない――と頭の隅で思いつつ、不安と心配事しか無い私の匿われ生活は幕を開けた。
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