第13話 六茶会・7
白い影――白い服の袖の先を見ると、不満そうなクラウスがダグラスさんを睨んでいた。
「ちゃっかり飛鳥に触るの、やめてくれる? 今節の飛鳥の夫は僕だ」
「戯言を……飛鳥さんは今節お前の所で過ごす、というだけで私が飛鳥さんの夫である事に変わりはない。よってお前に接触を阻害される謂れもない」
「じゃあ僕もお前のところに飛鳥がいる時、遠慮なく触るけど?」
「好きにすればいい。触れさせてもらえるものならな」
ダグラスさんの煽りにクラウスが悔しそうに言葉を詰まらせる。
どっちもどっちな台詞にどう仲裁しようか悩んでいると、ロベルト卿がクリスティーヌ嬢に近づいていくのが見えた。
「クリスティーヌ嬢、貴女の先程の発言には大きな誤りがある」
「えっ……!?」
「アスカ夫人が姿を消してダグラス卿が魔物討伐できなかった期間、魔物関連で亡くなった民は報告が入っているだけで356名……だがそのうち230名が冒険者が魔物の住処を探索した事による討伐死だ。そしてこの期間、公爵でなければ討伐できない上級魔物による死亡者数は25名……ダグラス卿が万全の状態だったとして、この死亡者数がどれだけ減ったか分からん」
「え……」
ロベルト卿のよく通る声で紡がれた説明に思わず声を上げると、近くにいたカルロス卿がこちらを見て苦笑した。
「アスカ殿は知らんと思うが、ワシらでなければ倒せんような上級魔物は大体<未開地>や<禁足地>と呼ばれる、人が殆ど住んでいない場所から現れる。町や村には距離もあるし奴らも気まぐれじゃからの。しばらく放っておいてもそうそう大規模な被害に繋がらんのだ。まあ、もう少し長引いていたら危ない所ではあったが……」
「年に一、二回ほど街中で良からぬ者が異界の上級魔物を呼び寄せる事件が起きたりして死者数が一気に跳ね上がる事もあるんですが、そういうのが無かったのも幸いでしたねぇ」
カルロス卿の隣でヴィクトール卿が微笑む。
さっきのロベルト卿の言葉と二人の言葉のお陰で心を覆っていた黒い靄がうっすらと晴れてくるのを感じる。
もちろん、人が少ないからといって犠牲者は出てる。
例え一人でも、その死を軽んじる事は出来ない。けど――それでも数百数千のどうしようもない死の幻から解放されて、心が大分落ち着いてきた。
「皇国の内政に関わるシルバー家の者が一節の死者数や詳細を一切知らないとは思い難いが……どちらにせよ、曖昧な情報で人を責めるな」
「で、ですが……! ダグラス卿が討伐に出られない間、イースト地方では魔物が多く暴れて多くの騎士が犠牲になったと聞いています……!」
「……確かに、イースト地方ではこの期間42名の騎士が亡くなっている。だがイースト地方の上級魔物はヴィクトール卿が討伐した氷竜しか出現していない。下級、中級魔物によって死傷した者達については主である私を責めろ。それをせずに気に入らない者を追い詰める為の材料にするなら、それは死者を冒涜しているのも同然だ」
「わ、私はそ、そんなつもりでは……」
「……そもそもアスカ夫人の脱走計画やその後の逃走に対しては既に侯爵間で決めた刑が下され、アスカ夫人はそれを受け入れている。その刑に不満があるならアスカ夫人の言う通り、我らに物申すべきだ」
「っ……」
公爵直々に叱責されて、クリスティーヌ嬢がうつむく。
大勢の人がいる前でダグラスさんに大恥をかかされて、家族にも助けてもらえなくて、他の公爵にも叱られて。
表情は見えないけど力強く握った拳が震えているのを見ると、彼女の中にあった殺意が一層濃くなってしまったのは簡単に想像できる。
「……ロベルト卿もダグラス卿も、それでお終いですか?」
嫌な予感がする中、ヴィクトール卿の言葉で我に返る。
「ええ、飛鳥さんは人の死や不幸に酷く敏感ですから……私は彼女の精神を優先します」
「私も罰を与える気はない。最も侮辱された当人が罰を望んでいない上、致し方ない状況と言えど、この場の会話を盗み聞いていた我らに全く非がない訳ではないからな」
「そうですか……では私はシルバー家とこの席に着いている者達の家に抗議させて頂きます」
ヴィクトール卿が優しい笑顔であっさり言った重い言葉に、一瞬不思議な沈黙が漂う。
「な、何故私達まで……!?」
「アスカ様に暴言を吐いたのはクリスティーヌ嬢だけですわ……!!」
ダグラスさんが来てからずっと沈黙を貫いていた令嬢達がヴィクトール卿の言葉の意味を理解して、一気に声を上げた。
クリスティーヌ嬢が槍を突きつけられていた時の驚愕の表情とは明らかに違う。
見るからに狼狽えている令嬢達のただならぬ様子にもヴィクトール卿は一切笑顔を崩さない。
「ええ、確かに暴言を吐き連ねたのはクリスティーヌ嬢です。ですが、それを一切諫めなかった者達も、侮辱に加担しているも同然……同罪でしょう?」
確かに、クリスティーヌ嬢が私を責めている間ニヤニヤと見つめてきた令嬢達に何のお咎めもなし、というのはモヤモヤする。
彼女達にもクリスティーヌ嬢同様、ちょっとは反省してほしい。
けどそれは小指をタンスの角にぶつける位の痛さでいいというか、布団の中で自分の行動を後悔する寝付きづらい一夜過ごす位で良いというか。
とにかく、死刑とか一家滅亡とか、そんな重い罪を課すような程じゃない。
「アスカさん……そう不安にならないでください。これは貴方への暴言への罰ではありません」
私の動揺はあからさまに出ていたみたいで、ヴィクトール卿の微笑みが私に向けられた。
「この者達の非礼に対して、貴方が罰を望んでいない事は私もよく理解しています。ただ、クリスティーヌ嬢とここの令嬢達は貴方への侮辱だけではなく、私達公侯爵も侮辱したのです。ラリマー家を侮辱する者にはそれ相応の罰を>という家訓がありまして……私はラリマー家の主として、彼女達の言動を水に流す事は出来ない」
穏やかな声に強い意思を感じる。私への暴言ではなく、公侯爵への暴言と言われると何も口を挟む事が出来ない。
「わ、私達は公爵様を侮辱などしていません……!」
「そうです、公爵閣下は何か誤解していらっしゃるかと……!」
令嬢達から次々と悲痛な声をあがる。確かに、クリスティーヌ嬢は私の事は遠回しにチクチク刺してきたけど、公侯爵の侮辱らしき言葉は思い当たらない、気がする。
「おや、『心から犠牲者の事を悼み、己の罪を悔いているのであれば、刑がどうのこうのと言わずに自らケリを付けるもの』……なんて、多くの犠牲者を出しながらなお中級魔物の討伐に多くの騎士を費やし、のうのうと生き続けているリビアングラス家への侮蔑、私が当主だったら到底許せる言葉ではありませんよ?」
優しい笑顔で飛び出す痛烈な言葉にロベルト卿の表情が険しくなる。
この痛烈な煽り、もしかしてダグラスさんの煽りって、ヴィクトール卿の影響受けてるんじゃ――と思っている間に滑らかな喋りは続けられる。
「まあ私はリビアングラス家の当主ではありませんし、リビアングラス家がどれだけ罵られようと、どうでもいいのですが……それより、一妻多夫に愛などあるのか……という言葉はハーレムを形成している私や他の公侯爵に対する明確な侮辱です」
「ヴ、ヴィクトール様……わ、私は一妻多夫に物申しただけで、公爵様達を侮辱するつもり、は……!」
真っ青な顔をあげたクリスティーヌ嬢の弁明が途中で遮られる。圧倒的な青の――冷たい魔力のオーラが吹きすさんだからだ。
何人たりとも言葉を挟む事は許されないような威圧に、場は再び沈黙に包まれる。この場で笑顔でいるのは、たった一人。
「私にとって、一妻多夫も一夫多妻も同じようなもの。つまり私もロベルト卿もシーザー卿も、アスカさんと同類。重婚者です。……仮に一妻多夫に限定しても愛する男と結ばれる為に他の男と契る事を決意した娘や、六人の夫と愛を紡ぐアルマディン女侯爵への盛大な侮辱になる訳ですが……その辺どうお考えですか、カルロス卿?」
ヴィクトール卿の冷たい微笑みが、カルロス卿に向けられた。
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