第12話 六茶会・6
ダグラスさんは微笑んではいるものの、眉を寄せて口元は引きつっている。
泣き笑いや苦笑いとは違う――言うなれば『怒り笑い』の表情は、明らかにクリスティーヌ嬢を敵として認識している。
物凄く嫌な予感がする。早くダグラスさんを止めないと――と思ったものの、周囲が悲鳴をあげる事すら
近寄ってそっと呼びかけようと歩き始めた時、顔を強張らせて固まってしまってるクリスティーヌ嬢に対してダグラスさんが口を開いた。
「……どうした? 最後まで言い切れるよう、口には
「……あ……」
クリスティーヌ嬢の声にならない微かな震え声が動揺と恐怖を表している。やっぱりダグラスさん、私達のやり取りを一部始終聞いていたみたい。
「全く……クラウスやヒューイを手に入れたいなら、私に協力してほしいと手紙を寄越せば全力で協力してやったものを。やり方を盛大に間違えたな。シルバー家には学生時代に色々恩があるとはいえ、妻に噛み付いた
「なっ……私を侮辱なさるのですか……!?」
「貴様が先に私の妻を侮辱しただろう?」
「わ、私は侮辱などしていませんわ……! ねえ、皆さん?」
同じ席の令嬢達に呼びかけるクリスティーヌ嬢。だけど怯えている令嬢達は皆彼女から視線を逸らしている。
そんな様子に焦っているクリスティーヌ嬢に少し心が痛んだ。
「雌鼠……まさか私の妻相手にお前らの姑息な言葉遊びが通用すると本気で思っているのか? お前の言い訳など私が不快に思った時点で何の意味もなさない。『公爵を不快にさせる言動は死を招く』と親から教えられていなかったのか?」
「いっ……いくら公爵と言えど、シルバー家を敵に回せばタダでは済みませんわ……!」
「シルバー家が敵に回るならシルバー家ごと潰す。最も、今この場にいるはずのお前の母親がお前を庇いに来ない時点で、その可能性は無いに等しいがな」
「……!」
ダグラスさんの痛烈な煽りにクリスティーヌ嬢の顔から血の気が引き、一層悲惨さが増す。
「どうする? 今ここで自分の至らなさを認めて『色男達に凌辱されて無理矢理子どもを孕まされるとても羨ましい立場、どうか男一人自力で落とせない哀れな私めにお譲りください』と頭を地に擦り付ける意思があるなら、まだ一考の余地が……」
「……ダグラスさん」
「ああ、飛鳥さん。ちょっと待っててください、今この娘を始末しますので」
私の呼びかけにダグラスさんは柔らかい笑みを浮かべた後、再び厳しい表情でクリスティーヌ嬢に向き合う。
「ダグラスさん」
怒りを込めて改めて呼びかけると、ダグラスさんは困ったように私を見据えた。
「……分かってます。殺しはしません。少々脅して屈辱を味合わせるだけです」
「そこまでの事は言われてません」
「いいえ。そこまでの事を言われています。私は、貴方を……愛する人を侮辱する人間を絶対に許せない。なのに、侮辱されたあなたが何故そんな
ダグラスさんの怒りを帯びた声調に、一瞬身の毛がよだつ。
(ダグラスさん、本気で怒ってる……)
その怒りの矛先の殆どがクリスティーヌ嬢だろうけど、水を差す私にも苛立ちを感じているのが伝わる。
私が悪く言われてダグラスさんが怒ってくれる事自体は嬉しいけど――ここでクリスティーヌ嬢に重い罰を与えたら、クリスティーヌ嬢は間違いなく私を逆恨みする。
今だって、自分が殺されかけてるのに母親が駆けつけもしない事実に深く傷ついているはず。
その怒りの矛先が何処にいくのかなんて、火を見るよりも明らかで。
だからといって殺して解決、なんて手段は絶対に取りたくない。禍根も残したくない。
(……今この場でダグラスさんを止められるのは、私しかいない)
小さく首を横に振って不安を散らした後、 ダグラスさんを真っ直ぐ見る。
「……ダグラスさんの気持ちは嬉しいです。でも私は『気に入らない人を男を使って潰す女』になりたくない。私は彼女が酷い事を言ってしまったと反省して謝ってくれれば、それでいいんです」
そう言い切ると、ダグラスさんは納得いかないような表情で数秒考えこんだ後一つため息を付いて、槍を亜空間に収納した。
私の前にフワりと降り立って、穏やかな表情で見つめてくる。
「……分かりました。本来なら死をもって償うべき暴挙ですが、これで貴方を悪く言う者はどういう目に合うか良い見せしめになったでしょうし、貴方がこれ以上の事を望まないならこの辺でやめておきます」
『ありがとう、ダグラスさん……御礼に、ってのも変だけど、もう盗聴しないって約束したのに盗聴した事、今回は見逃してあげます』
ここで面と向かって言うとダグラスさんの名誉が損なわれるので念話でこそっと伝えると、ダグラスさんは小さく首を横に振って堂々と微笑んだ。
「飛鳥さん……誤解しないでください。私は盗聴していた訳ではありません。聞こえてきたんです」
「聞こえたって……六会合の会議室って確か、あの辺ですよね? どうやって……」
会議室がある棟はここから大分距離が離れている。
振り返ってその辺りを指差した所で、色神に乗った公爵達がこちらに向かってくるのが見えた。
「な、何故公爵様達が……!?」
公爵達が私達の近くに降り立つとに流石に静寂も破られて、一気に周囲が騒がしくなる。
『盗聴してない』『聞こえてきた』というダグラスさんの証言、そして他の公爵達までこっちにやってきたって事は――更に嫌な予感がした所で、カルロス卿と目が合い、彼は言い辛そうに髭を弄りながら答えを紡いだ。
「うむ……女の園でこんな事、あんまり言いたくないんじゃが……あやつがアスカ殿の周りの声を会議室で垂れ流しおってな。会議が全然進まんのだ」
カルロス卿が視線を向けた先ではシーザー卿が肩を竦めて演技かかった困り笑いを浮かべている。
「垂れ流す、なんて下品な言い方はやめてほしいねぇ……息子がお嬢さんの事を気にかけていたから、私が見守ると約束したんだよ。しかし大事な会議を放って茶会を見守る訳にもいかない。苦肉の策で風に頼ったんだ」
「全く……アスカ殿の言葉に一喜一憂するダグラス達の表情を見てニヤニヤ楽しんでおったくせに、どの口でそれを言うか」
そう、他に方法がなかったって言うなら自分だけで聞いてれば良かった訳で。
それじゃあ面白くなかったから会議室で垂れ流したんだろうと思うと、見守っててくれてありがとう、なんて感謝の気持ちは微塵も沸かない。
「……と、いう訳です。私がわざわざ盗聴していた訳ではありません」
「……疑ってごめんなさい」
「いいんです。過去に疑われるような事をしてしまった私も私ですから……今後は誤解しないでください」
ドヤ顔のダグラスさんに素直に謝って微妙な許しをもらったのはいいもの、
(つまり私の会話、ずっとダグラスさん達に聞かれてたって事よね……私、この茶会の最中で何喋ってたっけ……?)
貴族の上下関係の事とか、スイーツの事とか、ダグラスさんの事――に思い当たった所で顔が一気に熱くなってくる。
「私は愚弟と違って、飛鳥さんが『いいなぁ。好きな人とずっと一緒にいられるの、私もダグラスさんとずっと一緒にいたいなぁ』とか『ダグラスさんと一緒にいたいと思ったからここに戻って来た。ダグラスさんと一緒にいれて凄く幸せ』とか『お互い一緒にいたいと思ったから今私はこうしてここにいるの』と惚気たりしているうちはちゃんと会合に集中できていたのですが……」
言った覚えがある言葉と無い言葉を重ねられながら「それ絶対会合に集中できてませんよね?」と突っ込む隙間ができないままダグラスさんの言葉が続く。
「飛鳥さんの黒の魔力を安定させづらくなってからはもう気が気ではなく……その上、雌鼠の聞き苦しい虚言に耐えかねてつい飛び出てしまいました」
そう言われて、黒の魔力が暴れだした時の感じを思い出す。私の中で荒れ狂った不安や焦燥感――涙が零れたり、パニックに陥る程じゃなかった。
自分の中で何とか抑え込める暴れ具合で済んだのは――ダグラスさんが遠くから少しでも安定させようとしてくれていたから?
『……事情は分かりました。でも、こんな場所でここまで大事にしなくても』
「こんな場所での出来事だからこそ、大事にしなければならないのです。大勢の人の前であんな無礼を許せば、真似をする者達が出てきます」
ダグラスさんの手がゆっくりと私の頬に伸ばされる。
手袋越しに伝わる手の感触は、とても温かく、それ以上にダグラスさんの眼差しが、熱い。
「……少なくとも、貴方が許す事でも私は許さない、それを示さなければ貴方はずっとあんな稚拙な言葉遊びで傷つけられる。貴方の表情が苦痛や悲しみに歪むのはもう、耐えられない。貴方に危害を加える者は相手が誰であれ、潰します」
熱い眼差しは心を、目の奥にあるどす黒い何かが不安を掻き立てる。
私を守ろうとする優しさと、相手を潰そうとする攻撃性。どちらも間違いなくダグラスさんの中にあるもので。
守ってくれた嬉しさと同時に、敵と認識した人物を容赦なく貶して殺意を向けたダグラスさんに心の奥底で不安が渦巻く。
手が触れる心地よさと焦燥感にどうしていいか分からず、ただ立ち尽くしていると突如ダグラスさんの手が白い影に払われた。
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