第14話 六茶会・8


 クリスティーヌ嬢の発言は間違いなく私だけを貶める為のものだった。

 だけど、私だけが複数人の伴侶を持っている訳じゃない。


 ヴィクトール卿が言う通り、一妻多夫の愛を否定するのはアルマディン女侯爵や他の重婚者達、アーサーを想うルクレツィアの愛を否定しているのも同然な訳で。


「うぬぅ……今回の件はそのうちコンカシェルの耳にも入るだろうし、余計な誤解を招くよりワシからコンカシェルに言っとかねばならんだろうなぁ……まあ、どうするかはコンカシェル次第だ。今の時点でワシから制裁を与えるつもりはない。だが……」


 部下を侮辱された事になるカルロス卿はワシャワシャと困ったように髪を掻く。そしてバツの悪そうな表情を浮かべてクリスティーヌ嬢の方を振り向いた。


「クリスティーヌ嬢……お主は若いから分からんだろうが、愛は色んな形をしておる。いびつな形をしているから愛ではない、などと他人が決めつけていいものではないのだ。ワシも複数の女を愛するなんて器用な真似は到底出来んが、コンカシェルやラボン卿が伴侶達を愛しておる事は分かる。自分が理解できんからと他人の愛を軽々しく否定したり馬鹿にしてはならん。お主のように高い身分の者なら尚更な。口に出していなくても、軽蔑や侮蔑はふとした仕草や言動から伝わるものじゃからの」


 カルロス卿の諭すような口調から、あまり罰を与えるのに積極的じゃない様子が感じられてちょっとホッとする。

 ここまでのやりとりでクリスティーヌ嬢は十分すぎるくらい罰を受けていると思うし、これ以上彼女の殺意を高められたら困る。


「おや……その様子ですとカルロス卿も彼女に罰を与えるつもりはないようですね」

「……ヴィクトール、お主が怒っとるのはそこでもなかろう。一体何に怒っておるのだ? お主はいつもペラペラ喋るが、なかなか要点を言わんから分かりづらいのだ」


 困ったようにカルロス卿がぼやくと、ヴィクトール卿は一瞬驚いた表情をした後、再び笑顔を作り出した。


「……一夫多妻と一妻多夫が同じように、災害や病気で人が死ぬのも、魔物に襲われて死ぬのも、私にとっては同じ『運命』です。誰のせいでもない彼らの死を、気に入らない相手を追い詰める理由に使う……そんな人間に慈悲を向ける貴方がたの感性が私には理解できない」

「……お主の言う通り、救った命も、救えなかった命も、誰かを攻撃する為のものではない。まして、罪悪感に苛まれている者を追い詰めるようなものではない」


 そこで言葉を切ったカルロス卿が私を見据える。

 優しく、どこか哀れみを帯びた眼差しに言葉を返す間もなく、彼はヴィクトール卿に視線を戻して言葉を重ねた。


「しかしな……ワシも常に清く正しく美しく生きとる訳じゃない。ワシが判断を誤らなければ助かっただろう命が山ほどある。過ちを犯した者に対して一切の慈悲も与えぬほど、ワシは非情になれんのよ」


 その慈悲はロベルト卿からも感じられた。

 クリスティーヌ嬢の発言はリビアングラス家の侮辱ともとれる、とヴィクトール卿に言われても沈黙を貫いている。

 シルバー家が有力貴族だから波風立てたくない、って部分もあるのかもしれないけど――


「も、申し訳ありません……」


 俯くクリスティーヌ嬢のか細い謝罪は涙交じりで、微かに鼻をすする音も聞こえる。

 苦しさや悔しさで涙堪えてる時に第三者の優しさに触れると、一層涙出るよね。分かる。

 

「……本人も反省しておるようだし、アスカ殿も穏便に済ませたいと言っておるのだ。ここでお主が重い罰を課せばアスカ殿が気に病むのは目に見えておろう。家訓も大事だがそこも考慮すべきだぞ、ヴィクトール」

「……そうですね、私も若い頃は色々と失敗した物です。アスカさんには先日頂いたこの誕生日プレゼントの返礼をしなければと考えていましたし、この卓に座っている者達の家には警告程度に留めておきましょう」


 ヴィクトール卿が言いながら自身のネクタイに手を添えた。

 その鮮やかな青のネクタイにはダグラスさんと一緒に行った百貨店で選んだ、ブルーメタルとかいう希少な金属で作られたアズーブラウのネクタイピンが付けられている。


 身に付けてくれるだけで十分嬉しい。誕生プレゼントに返礼品を贈ろうとする貴族の価値観にかなりビックリしている。


 だけど『お前ら、公侯爵侮辱してどういうつもりだ?』という公爵自らの抗議が『罰は与えないけど、二度とこんな事するなよ?』という警告で収まった事を考えると、その返礼に心底感謝する。


「それはそれとして、私の名においてヴァイゼ魔導学院に所属しているウェスト地方の者達を全員引き上げさせます」


 ヴィクトール卿の笑顔の発言に、またざわめきが起きる。


「……その罰はちと、重すぎんか?」

「これは罰ではありませんよ。私、彼女の様な『誰のせいでもない死を誰かのせいにする人間』を育てた家が運営する学院に民を置いておきたくないんですよね。その思考に染まった者はいずれ公爵を責めるようになる。運命、あるいは運が悪かったの一言で区切りを付けられていたものが公爵が倒れていなければ、公爵がお茶を飲んでなければ、公爵が遊んでなければ、公爵が寝ていなければ助けられる命があったに変わっていく。そんな他罰思考を肯定する家からは徹底的に遠ざけなければ」

「分かった分かった……! 全く、子育てにちょっと失敗しただけでそこまでせんでも……と言いたい所じゃが、気持ちは分からんでもない。お主の好きにしたらいい」


 ヴィクトール卿の喋りを遮ったカルロス卿が息をついて、改めて令嬢達が座る卓に向き合う。


「お主達……今、お主らと家の命はアスカ殿の温情ゆえに守られた事を理解せよ。お主達の中にはアスカ殿を『最恐のツヴェルフの再来』と恐れる者もおるが、本当にそうであればここら一帯、今頃血の海になっておったぞ」


 カルロス卿の物騒な言葉にどよめきが一気に静まる。代わりに漂うのは重苦しい沈黙。


 その中でも針のむしろ状態のクリスティーヌ嬢と令嬢達はさっきの私のように微かに体を震わせている。


 公爵達が勢ぞろいしている場じゃ、迂闊に席を立つ事すらできない――逃げたくても逃げられない状態なのは分かる。


 ただ、私もこの重苦しい雰囲気を崩す方法が思いつかない。

 かといってダグラスさんを頼ればクラウスが、クラウスを頼ればダグラスさんが拗ねる。

 二人に呼びかけてもバチバチするのも目に見えてる。今、私が頼れるのは――


『セリア、この状況……何とかならない? 気の毒過ぎてこっちの胃が痛くなってきた』

『あら……何故アスカ様の胃が?』


 セリアの方はこの空気も全然平気なようで、心底不思議そうな念話が返って来た。


『多分、共感性羞恥ってやつ……? この状況で私が「もうその辺で」っていうのも何か違う気がするし、何か、空気を変える方法ないかしら……?』


 私の必死さが伝わったのか、セリアはゆっくりと一歩踏み出した。


「……僭越ですが、公爵様方。この場は本来温かく穏やかな場……この場を冷えきらせた本席の令嬢達や家族達はひとまず別室に隔離し、自省させてはいかがでしょう?」


 セリア、ありがとう――この場の空気を変える救世主の一言に心の底から感謝する。


「おお、それが良かろう。ネーヴェ皇子、何処か空いとる部屋までこの娘達を連れて行ってくれんか?」

「……分かりました」


 カルロス卿の真後ろから、スッと正装のネーヴェが姿を現す。相変わらず感情の籠らない目でこっちを見てきた。


 (余計な騒ぎ起こしやがって)と思ってるんだろうか、(何でこの人が関わると騒ぎが起きるんだろう)と思ってるんだろうか――どちらにせよ本当すみません。


 ネーヴェに小さく頭を下げた後、すぐ近くに人の気配を感じた。振り返ると灰色を基調にしたドレスを纏う貴婦人が立っている。


「セレンディバイト公爵閣下、ダンビュライト侯爵猊下、そしてアスカ様……娘が暴言を吐き連ねた事、誠に申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げて淡々と謝罪する貴婦人はどうやら、クリスティーヌ嬢の母親らしい。

 何と返すべきか言葉に迷っている間に貴婦人はスッと顔をあげ、私達から離れる。どうやら他の公爵達にも頭を下げに行ったようだ。


 同様に他の令嬢の母親らしい貴婦人が私に代わる代わる謝罪していき、席に着いている令嬢達に声をかけて立ち上がらせ、ネーヴェの後について行く。


 生気を失ったような呆然とした様子でフラフラと去っていく令嬢達は内心、どう思っているんだろう?

 母親達が謝りに来ても謝りに来る令嬢が一人もいなかった。自分は悪くないと思っているからか、抜け駆けしたら後が怖いからか――


(……このまま見送るのは、もったいない)


「あ、あの……! さっきも言いましたが、今後私やツヴェルフ達に対してこういう振る舞いをしないと約束してくれるなら……私自身はこの場にいた人達を罪に問うつもりはありません。なので私に謝りたいと思った方はいつでもいいので手紙を送ってください」


 呼び止めに振り返ったのは貴婦人達ばかりで、令嬢達は皆顔を俯けている。


「飛鳥さん……手紙など送らせるより、今ここで謝らせた方が良かったと思うのですが」

「……こういう場所で頭を下げさせたら面倒な事になるって、さっき教えてもらったから」


 ロザリンド嬢からの教えを建前に使いつつ、念話を重ねる。


『……私だったら、大勢の人の前で叱責されて強要される謝罪に、誠意も反省も込められない』


 恥ずかしさや悔しさでいっぱいになって、恨みや殺意の方が湧きそうで。

 本当に自分が悪かったとしても、それをちゃんと認められなくなる気がする。


『だから、自分が悪かったなって反省した時に謝ってほしい』

『……誠意も反省も無い、表面上の謝罪だけが返ってくる可能性もあるのに?』


 それならそれで都合が良い。さっきの言葉はとにかく手紙という『物』に残してもらう事が目的だったから。


 まだ不安や焦燥感は心にうっすら纏わりついてるけど、そのくらいの事は考えられるくらいの余裕が出てきた。


 去っていく母子達を見送る中、ざわめく周囲の声もさっきよりずっとハッキリ聞き取れる。


「ねぇ……アスカ様って、思ってたより優しい方みたいね」

「そう言えば前の歓迎パーティーの時に私達に怒ったのも、元はと言えばアシュレー様がツヴェルフに非礼を働いたからだし……」

「私達が何もしなければ、あまり恐がる必要はなさそうね……」


 何とか穏便に済ませたい意識が功を奏したのか、私に敵意が無い事が伝わったのか、聞こえてくる声はどちらかと言えば好意的なもので。


 これで少しは私の評判も上がったかな――? とちょっと気分が上向きになりかかった時、


「あのツヴェルフ、他の公爵達まで誑かし」

「シッ……! 本当に殺されるわよ……!」


「だから関わるのはやめておいた方が良いって言ったのに……」

「これからこの国、どうなっちゃうのかしら……」


 何処からともなく貴婦人や令嬢達の声が風に乗って聞こえてくる。

 この声をダグラスさん達にまで聞かれてたらヤバい――と思ったけど、どうやらこの風が吹いているのは私だけみたいで。


 風を作り出している主に視線を向けると、小さくなったグリューン様を肩に乗せたシーザー卿から嘲笑交じりの笑顔を向けられる。


「いつの間にか君も随分と公爵達に気に入られたようだねぇ」

「他人事のように言うな! 元はと言えば今回の一件、ダグラスとクラウスで決まっとった公爵枠に女狂いの息子を強引にねじ込んだお前のせいじゃろ!」

「ねじ込んだなんて人聞きの悪い……クラウス君の枠は枠だ。公爵枠は空いてる。それにラリマー家レベルの家の娘ならともかく、それ以外の家の娘と子作りとなると今みたいな醜い争いが起きちゃうのが目に見えてるじゃないか……器が小さくてもにしておこうと思うのは当然の流れだよ」


 言いながらシーザー卿は、令嬢達がいなくなって無人になった卓の一席に座った。


(あれ……? そういえば公爵達、会議してたんじゃなかったっけ?)


 聞き流せない事態になったから会議を中断してここまでやってきたのは分かる。

 だけど一応問題が解決した今、会議室に戻っていいはずなのに。


「シーザー卿? 何処か具合が悪いのですか?」


 私と同じ疑問を抱いたらしいヴィクトール卿の問いかけに、シーザー卿は目を細めて笑う。


「いいや……今日はとても良い天気だし、せっかくここにテーブルがあるんだ。たまにはこういう場所で会議するのもいいんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」


 嵐はまだ、過ぎてくれない。


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銀色の渡り鳥~異世界に召喚されたけど価値観が合わないので帰りたい~ 紺名 音子 @kotorikawa

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