第79話 頭悩ませる夜


 20時の鐘が鳴るとセリアは一礼し、部屋を出て行く為にドアを開けた所でこちらを振り返った。


「明日明後日は忙しくなりそうですが、ひとまず今日はゆっくりお休みください。後、これはお節介だとは思うのですが……一言だけよろしいですか?」


 ドア閉める間際に、セリアが口元に手をあてて囁く。人に聞かれたくない話かと思って耳をセリアの口の近くに傾ける。


「アスカ様……ダグラス様に優しく抱かれたいのでしたら、まずアスカ様がダグラス様に優しくしないと……! 恋心が冷え切らぬ間にアスカ様が甘い言葉や可愛い言葉の一つや二つ囁いてお願いすればダグラス様だってすぐ」


 聞くに堪えないセリアの助言を遮る為にドアを静かに閉める。「もう……!」とちょっと呆れてるような声を最後に静寂が漂う。


 一人になった部屋で机と向かい合う。

 自分の身に振りかかるトラブルに対応してたこの2日間の間に、色々な事が起こりすぎて状況が複雑になってしまった気がする。


 だけど悪い事ばかりでもない。セリアがあの人と通じてる訳じゃないと分かってホッとした。

 もし通じていたら自らの危険を顧みずに私に『あの人が盗聴してるかも』なんて言わない。


 それなら何故魔法を使ったのがバレたのかという疑問が残るけど――今は疑問を追いかけるより目の前にある問題を一つずつ処理していった方が良い。

 机の引き出しに収まったノートを取り出して今の状況を整理していく。


 あの人が私とアンナの会話を盗聴した。恐らく私の『この世界の誰とも恋愛する気が無い』という言葉にショックを受けて、私にプレゼントする予定だったと思われる寵愛ドレスを持って帰った。


 ついでに『自分の婚約者が他人の婚約者候補に手を出してる』という噂が近いうちにあの人の耳に入る事になると思われる。


 3日後、皇城を出る際に寵愛ドレスを着ていなければあの人が私に興味を失ったと周囲に思われ、私に敵意を持つ人間が行動を起こす可能性、私が見殺しにされる可能性がある――


(って、セリアは言っていたけれど……)


 あの人の望みを叶えられるのが私しかいない、という事を考えると恐らくあの人が私を見殺しにする事は無いだろう。

 私がいくら気に入らない事をしても、それはそれ、これはこれ、と分別を付けられるだけの理性はあるみたいだし。


 私を見限ってまた別のツインのツヴェルフを、と思っても次の召喚は10年後――そう考えれば婚約破棄なんて、私と子づくりする上で一番都合が良い<婚約者>というポジションを自ら手放すような悪手は取るとは思えない。


 今日の事であの人から私への好意が消え失せても、私の利用価値まで消え失せた訳じゃない。

 以前のようにお互い条件をかなえ合うだけの付かず離れずの関係に戻れるなら――それが一番望ましい展開だ。


(ただ……向こうが変に拗らせる可能性が大いにあるのよね……)


 魔物狩りの時の態度を見ていると、あの人は自分を軽く扱われたり侮られる事を嫌っている。要はプライドが高いのだ。

 そういう意味ではまた私はあの人にとってかなり気に入らない行動を取ってしまった。それは間違いない。


 最悪、また私に『自分の力を知らしめる為』とか言ってドレスも何も用意せずに私に恥をかかせて私が泣いて縋りついてくるのを待とうとする可能性がある。


(この状況、物凄く癪に障るわ……)


 もうこの二日で数えるのが億劫な程の黒歴史を作り、精神的に辱められた事で恥に耐性が出来たのか、あの人に縋りつく位なら赤ッ恥かかされる方がまだマシだわと思う程度にはイラついている自分がいる。


 何で盗聴された側が相手のご機嫌をうかがって奔走しなくてはならないのか? 放置できない問題なのは理解していても、そこが大きく引っ掛かる。

 それに、盗聴して勝手にショックを受けられてもどう声をかければ良いのかわからない。


 セリアに今更『この世界の誰とも恋愛するつもりが無い』とは打ち明けづらい。かといってセリアの誤解に合わせてクラウスの名前を出すと話がおかしくなる。


 セリアの力を借りずに自分の魔力で音石に声を吹き込む事もできるようになったけどあの人に『二度と魔力使うなと警告しましたよね?』とキレられる可能性もある。


 音石を使うなら、どちらが聞いても違和感の無い言葉を考えなければならないんだけど――どうにも言葉が思いつかず、ペンが止まる。


 実際、私の言葉を聞いたあの人が今どんな心境にいるのか分からない。推測に推測を重ねている今の状況であの人の心を打つような言葉が思いつくとも思えない。


 この件に関しては今日はこれ以上の事を考えるのを諦め、先程ノートを取り出したのとはまた別の引き出しから由美さんの日記を取り出す。



『日記……読んでください』



 妄想騒動の際、優里に抱き付かれた時に小声で囁かれた言葉。

 どさくさに紛れて伝えられたその言葉を言う為に優里はどれだけ悩んだだろう? そんな優里の決意に応える為にも、私はちゃんと読まなければならない。


 日記部分を最初から読んでいく。1日の感想を3、4行で綴っているそれは料理のメモだったり、編み物についてだったり、知人の訃報に嘆く物だったり――深く意識せずに読み流していく中、この世界に関する文言はなかなか見つからない。


 読み流してるだけでも徐々に、由美さんの人間関係が見えてくる。

 孫の優里とはそこそこ話してるみたいだけど、娘の美雪さんとの仲はいまいちなようだ。

 優里のお父さんに関する記述が無いから、母子家庭なんだろうか――? と思った時に、気になる記述を見つける。


<美雪とまた衝突。あの子が一人で頑張っているのは分かるけれどもう少し優里と向き合ってあげて欲しい。衝突する度に優人さんがフラりとあの世界から戻ってくるのではないかと夢見てしまう。亡くなった優人さんにその可能性は無いのに>


 ああ、これ、間違いないな――一つ確信を掴むと、読むスピードは自然と早くなる。


<――だんだん視力が衰えていく。今この目であの青白い星を見ても美しいと感じる事ができるだろうか――?>


<――『何一つ不自由しない環境で、たくさんの子どもから愛される事こそ君の幸せなんだ』と説いたあの人の持論も、今なら理解できる。でも私は後悔していない>


(この言葉、どこかで……)


 引っかかった思考は22時を告げる鐘の音に遮られ、顔を上げる。半分程読み終えた日記の中で気になる文言はこの位だろうか?


 一気に読んでしまいたいけど、明日の朝も早い。夜更かししてまた馬車の中で寝入ってしまってはクラウスに申し訳ない。

 明日もこのペースで読めば明後日の密談までには読み切れそうだし、今日はここまでにしよう。


(それにしても……面倒臭い盗聴男のご機嫌取り……どうしよう?)


 気が進まない重い課題に一つため息をついた後日記をしまい、ベッドに横になった。


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