第84話 不穏な空気


 雨足が強まる中、皇城に着いた頃には11時近くになっていた。

 

(城の前を守る兵士の数がいつもより多い……?)


 そんな風に感じていると皇城の前で止まった白馬車に兵士が近づいてきて、窓の下で止まった。


「アスカ様、今セリア様を呼びに行きましたので今しばし馬車の中でお待ちいただけますか!?」


 少し開けた窓の隙間から雨音に負けぬように叫ぶ兵士の声が聞こえ、頷いて答える。

 私が遅いから来たら呼ぶように兵士に言付けしたんだろうか? 後でセリアに謝らないと。


「ちょっと、嫌な感じがするね……」


 窓枠に肘をついて空を見上げながら、クラウスが呟く。


 薄灰の空と雨のせいだろうか? 晴れ晴れとした雰囲気でないのは確かだけど――と思いながらクラウスの顔を見やると、顔が青白くなっている。


「クラウス、大丈夫……?」


 そう言えば、クラウスは呪いのせいで10時を過ぎたら行動に支障が出てくる位には辛いはず、とあの人が言っていた。

 贈り物の事で頭がいっぱいでその事をすっかり忘れてしまっていた。


「まだ大丈夫……明日に備えて帰ったらすぐに休む事にするよ」


 弱々しい微笑みは心配を拭えるほど心強い物じゃなかったけれど、無理せず素直に休もうとしてくれている事にホッとする。


「明日、晴れるといいな……」


 再度窓の向こうに視線を戻して、クラウスが呟く。確かにこの雨が続いたら街の散策も台無しだ。

 つられて私ももう一度空を見上げると、濃灰の空を青い何かが飛んでいるのが見えた。


(何、あれ……?)


 目を凝らすと、紺碧こんぺきの――緑がかった深く濃い青の輝きに包まれた細長い何かが段々小さくなって雲の向こうに消えた。


「……何かあったみたいだね」


 同じ物を見ていたのだろうか? クラウスがそう言った後、小さく私を呼ぶ声が聞こえ城の方を見るとセリアが走ってくるのが見えた。

 この状態のクラウスを置いていく事に罪悪感を感じつつ窓を閉じ、クラウスに別れを告げて馬車を降りる。


「アスカ様、お帰りなさいませ……!」


 息を切らして走ってきたセリアが、私の周囲に雨を避ける為の薄い膜を作り出す。傘使わなくて済むの良いなぁと思いつつ、白馬車が動き出すのを見送る。



 皇城の門をくぐった後、手渡された婚約リボンを受け取ったタイミングで白のリボンを解き、紙袋と共にセリアに手渡した。


「向こうでクッキー作ったの。いつもセリアにお世話になってるからお礼がしたくて」

「アスカ様……私などの事より、ダグラス様に……!」

「あの人の分も作ったんだけどクラウスに止められたのよ。その代わり明日クラウスとあの人への贈り物を買いに行く事になったわ」


 黒の婚約リボンで髪をまとめ直してからもう一度セリアの顔を見ると、何故か厳しい表情をしている。


「買いに……という事は、街に出られるのですか?」

「だ……駄目だった?」


 クッキーを受け取ってもらえた事にはホッとしたけど、街に出る事をセリアに言ったのはマズかっただろうか?

 恐る恐る問いかけるとセリアは自分の口元に手を当てつつ言葉を紡ぎ出す。


「いえ、クラウス様が同行されるなら大丈夫かと思いますが……明日はちょっとタイミングが悪すぎるかもしれません」

「そう言えば、何か兵士達の雰囲気がいつもと違うけど……何かあったの?」


 含みを持った言い方の理由を追及するとセリアが暗い面持ちでうつむきがちに呟く。


「……昨夜、ソフィア様が襲われて負傷されたと報告が入りました」

「えっ……!?」

「幸い、命に別状はないそうですが……その報を受けて今日の授業は中止し、今緊急会議が開かれている所です。会議の結果次第ではしばらく城から出る事自体禁じられる可能性があります」

「ちょっと、待って……何が、どうなってるの? ソフィアは大丈夫なの……!?」

「とにかくまずは自室に戻りましょう。そこが一番安全ですので」




 突然の緊急事態に理解が追い付かず、ソフィアの事やこれからの事への不安に包まれた状態で自室に入り、椅子に腰かけて改めてセリアに何があったのか問う。


「まだ一報を受けただけなので詳細は分からないのですが……昨晩コッパー邸でソフィア様が襲われたそうです」


 コッパー家に行って40年前に召喚されたツヴェルフに話を聞く――それは私が言い出した事だ。

 事の発端が私にあると思うと、重苦しい程の後悔に心が押し潰されてテーブルに突っ伏す。


(私が行けたら良かったのに……!!)


 何の心配もせずにソフィアを送り出した訳じゃない。だけど人の良さそうなリチャードがいれば大丈夫だろうと思っていた。

 あの美丈夫はやっぱりまともじゃ無かったの? いや、考えたくないけれどもしかしたら、リチャードの可能性だって否定できない。


「やっぱり……どこの世界でもそれほど仲良くもない、よく知らない男の家へのお泊りは危険なんだわ……!」

「アスカ様、言葉足らずですみません。性的な意味ではなく殺生的な意味での襲われです」


 私の呟きを優しく否定され、恥ずかしくて熱くなった顔を俯ける。


「更に補足させて頂くとソフィア様を襲ったのはコッパー家の人間ではなく、ビアンカです」

「ビアンカ……? ビアンカって確か、ソフィアのメイドの!?」


 続いたセリアの言葉が予想外過ぎて思わず顔を上げる。一度だけ食堂で会話した事がある――気弱な感じでソフィアに従っていた、金髪碧眼の専属メイド。


「何で……? 何でツヴェルフの専属メイドがツヴェルフを襲ったの!?」

「理由はまだ分かりません。今、ソフィア様を皇城に戻す為に青の公爵が迎えに出られましたのでトラブルが無ければ今日の夜には戻って来られる予定です。そこから事情聴取が始まるので、事情がはっきり分かるのはそれからかと……」


 私の率直な疑問にセリアは小さく首を横に振って答える。

 貴族の頂点と言えるはずの公爵自ら迎えに行く程の事態なんだろうか? それにしても――


「コッパー家って馬車で片道でも2日以上かかるんじゃなかった? どうやって今日の夜帰ってくるの?」

「公爵がその身に宿す色神しきがみは人を複数人乗せて空を飛ぶ事が出来ます。馬車よりずっと速く、足場の悪い地域も地形も関係ありませんので通常なら片道数日かかる所でも1日で往復する事が可能なんです」

「へぇ……」


 そう言えば、公爵家って神器の他にそれぞれの色の神の加護があるんだっけ――神とか加護とか言うから何か抽象的な存在かなと思ってたけど、具体的な存在と知ってちょっと興味が湧く。


「……青の公爵の色神って事は、やっぱり青いの?」

「はい。ソフィア様を迎えに行かれた青の公爵が宿す色神は青く輝く光の翼が生えた、紺碧の大蛇のような姿をしています」


 セリアの説明は先ほど見た空を飛ぶ細長い青い何かと重なる。あれがその色神だったんだろうか? 遠くて人が乗ってるかどうかまでは見えなかったけれど。


「アスカ様……本日はツヴェルフに対して自室待機令が出ていますので今日の食事は全てこの部屋に運ばれる手筈になっております。今日はもう部屋から出る事は出来ません」


 セリアは少し強めの口調で言い切った後、お茶を入れ始めた。


(これは……困った事になったわね……)


 これまで割と自由に城内を移動できていたのに。急にそこまでするなんてこの状況は皇家や有力貴族達にとって余程の緊急事態なんだろう。


 こんな状況じゃ今日の夜ソフィアが帰ってきたとしてもすぐに話し合う事は難しいだろう。

 今日はともかく明日以降もしばらく話せないなんて事になったらかなり都合が悪い。


 ル・ターシュへ行くチャンスは1か月後、それを逃したら次のチャンスは3年後――こんな大事な情報を共有できないまま、あの人の家に行く訳にはいかない。


 それにまだ寵愛ドレスやご機嫌取りの問題も解決していない。このまま部屋から出られずに明後日を迎えるなんて状況は避けたい。


「ソフィアがビアンカに攻撃されて急遽迎えに行くのも厳戒態勢になるのも分かるけれど、私達まで自室待機させるのはちょっとやり過ぎじゃない……?」


 セリアが淹れてくれた温かいお茶に口をつけつつ、不満を漏らす。


 あくまで被害を受けたのはソフィアだ。仮にこれがツヴェルフ嫌いの犯行だったとしても、遠く離れた場所にいる私達の行動まで制限されるのは納得できない。


「アスカ様のお気持ちも分かりますが、もしこれがビアンカの単独行動ではなく反公爵派によるツヴェルフの暗殺計画の一端だったとしたら、アスカ様とユーリ様……そしてアンナ様の命も危ういのです」

「反公爵派……?」


 聞き慣れない言葉を繰り返すとセリアは一つ息をついた後、言葉を紡ぎ出した。


「先程申し上げた通り、有力貴族……特に6大公爵家はその色により神器や色神という様々な恩恵を得ています。その恩恵を持たない貴族達の中には特別の恩恵を受ける公爵家を快く思わない者もいると言われています。公爵家が色を引き継がせる為に絶対必要となるツヴェルフを抹殺していけば……」


 今まで聞いた事の無い危険を告げられ、背中に悪寒が走る。


「何それ……怖いのって、ツヴェルフ嫌いだけじゃないの?」

「勿論、単純にビアンカがツヴェルフ嫌いだった、という可能性もあります。しかしツヴェルフ嫌いがわざわざツヴェルフの専属メイドになるでしょうか……? 彼女が置かれていた状況を確認すべく、今、彼女の家や家族にも調査が入っています」


 確かに、ツヴェルフ嫌いがわざわざツヴェルフに尽くさなければならない仕事に就くとは思い難い。

 その手の勢力が送り込んだ暗殺者だったんじゃないか? と思うのは自然だろう。


「……本人に直接聞かないの?」

「残念ながら、ビアンカはその場で……」


 私の問いにセリアはハッとして口を噤む。私にそれを言うつもりは無かったのだろう。

 その優しさに応えてそのままスルーしたかったけれど、明日ソフィアに会う事を考えるとそうも言ってられない。


「自殺? それとも……他殺?」

「それはアスカ様が知らなくていい事です」


 セリアは困ったように微笑む。

 知らなくて良い事――それは私が知ったら都合が悪い事だと言ってるようにしか聞こえない。


「……教えて。明日の夜ソフィアに会った時に妄想で地雷踏みたくないのよ」


 そう追撃するとセリアの眉が僅かにひそまる。昨日の虚言が、まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。


「……手を下したのは、アーサー様だそうです」


 自ら手を伸ばした事実なのだから自業自得なのだけど――一目見た事のある人が知っている人を殺したのだという事実に何とも言えない重苦しい感覚に捉われる。


 ちょっと話した事のある人が亡くなった――それだけなら、心に虚しさが吹きつけるだけで済むのに。

 正当防衛だと、ソフィアを守る為だと分かっていても、ゲームや物語と違って脳はその事実をすんなりと処理してはくれない。


 ただ、ビアンカを殺したのがリチャードじゃなくて良かった。その場で、というからにはきっとその場にはソフィアもいたんだろう。

 ソフィアを想う彼が、ソフィアの目の前で、ソフィアのメイドを手にかけるような事態にならなくて良かったと、心から思う。


(でも……ソフィア、大丈夫かな……)


「……負傷って、何処を怪我したの?」

「分かりません。命に別状はない、とだけ」


 淡々としたセリアの言い方に、氷のような冷たさを感じる。命の別状はないからと言って軽傷とは限らない。後遺症や痕が残るような怪我をしてるかもしれない。


(……もしそういう怪我だったら、クラウスに治してくれるようお願いしよう)


 窓の向こうの濃灰の空を見上げながら、とにかく彼女にこれ以上不幸が訪れないように願った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る