第83話 贈り物をめぐって
純白の部屋を出るとやはり白が基調ではあるものの金の装飾、窓の淵の木枠、薄灰の空に緑――彩のある世界が視界に一杯に広がり、懐かしさと安堵を覚える。
この世界自体普通じゃないけどそれ以上にあの白一色の部屋は異常だった。
振り返るとクラウスも部屋を出ている。私と同じような感覚に包まれてるんだろうか? ただ窓の向こうをぼうっと見据えていた。
「……大丈夫?」
「ああ、うん……頭がちょっとクラクラするけど……大丈夫だよ」
こめかみを押さえながら答えたクラウスの言葉は私に気遣わせまいとする優しさを感じる。
色がある世界に戻っては来たけれど、まだ目は完全には馴染まない。
箱の後片付けを放置してしまった心苦しさもあるけど――クラウスを連れて入ってまたどうにかなられるのも怖いし、私自身がどうにかなってしまいそうな気がするのが怖い。
(あの狂気に満ちた部屋には、二度と入りたくないわ……)
こっちから入っておいて勝手な話だけど、と心の中で謝りつつ閉ざされた真っ白なドアを背に窓の外を眺めながらゆっくりと歩き出した。
厨房に戻り、休ませた生地を伸ばして型抜きしていく。それを鉄板に並べオーブンに入れるとトムさんが魔道具に魔力が込めて加熱してくれた。
焼き上がったクッキーはとても良い匂いを周囲に漂わせる。
粗熱を取る為に網台に移し、少し冷めた物を1枚食べてみる。味は良いんだけど柔らかい感触が気になる。
「もう少し冷ませば水分が飛んで固くなってサクサクの触感になりますよ」
私の表情で何を考えているのか見透かされたんだろう。トムさんは笑顔で説明してくれた上で網台に手を伸ばすとその指先に淡い薄黄緑色の小さな魔法陣を出現させた。
「本来ならもう少し時間をかけるのですが……これから昼食の仕込みがありますので、ほんの少しだけお手伝いする事をお許しください」
魔法陣から柔らかい風が網台の上のクッキーに向けて送られる。
「これで完成です。袋を用意していますので好きなようにお詰めください」
数枚の白く小さい紙袋が手渡され、小分けに詰めていく。
長という役職が付くだけあって色々気が利く人だなぁと感動しつつ、3つの袋が作れたところで1つクラウスに手渡す。
「え?」
クラウスは自分がもらえると思ってなかったみたいで、明らかに戸惑っていた。
「色々お世話になってる人に贈り物をしたいって言ったでしょ? この館の材料使って作ってるから、贈り物って言っていいのか分からないけど」
「……ありがとう。すごく嬉しい」
そう言ってクラウスはクッキーを一つ、袋から取り出して口に入れる。
「うん、美味しい……」
嬉しそうなクラウスの表情と声に安心する。先程詰め寄ってきたクラウスとはまるで別人のようだ。
やっぱりさっきの異様な部屋がクラウスの精神に変な影響を及ぼしていたのかもしれない。
そして親の死に気軽に踏み込み過ぎた事を反省する。人の死はそれぞれ受け止め方が違う。
いくら自分が聞かれて何とも思わないからと言っても、誰でもそうだとは限らない。
残りのクッキーを詰め終えて2つの紙袋が出来た所でトムさんにお礼を言って、白馬車の所へ向かった。
皇城に向けて白馬車が動き出した所で小雨が降りだす。
薄灰だった空はその濃度を増し、少し長引きそうな雨に憂鬱な気持ちにさせられながらまだほんのりと温かみを感じる2つの白い紙袋を抱える。
あの人はともかく、もう一人は喜んでくれるだろうか? やはり何でもかんでもしてもらってばかりでは心苦しい。たまにはこちらから何かしてあげたい。
戸惑うかもしれないけど、少しでも喜んでもらえたら――
その姿を想像してつい顔がにやける。クラウスが喜んでくれた時も嬉しかったように、自分が作った物で人に喜ぶ姿は想像するだけでも楽しい。
「アスカ、そのクッキー……誰に贈るの?」
「え?」
無表情で呟いたクラウスの視線が、私が抱える紙袋に向けられている。
「……ダグラスには、渡さないでほしい」
「でも……」
本来の目的を阻害され、つい否定の言葉がこぼれてしまう。
自分の家にある材料や設備を使って、嫌いな人間への贈り物を作る――クラウスにしてみたら面白くない話だろう。これは私の考えが浅はかだった。
名前を出すつもりは無かったけど、見抜かれてしまったら同じ事なのだから。
(仕方ない、あの人の分は皇城で厨房と材料を借りて改めて作るか……)
分かった、と言おうとした言葉はクラウスの続く言葉に遮られる。
「ああ、それじゃあこうしよう……ダグラスにあげる予定だった方のクッキーは僕が買うよ。ダグラスにはそのお金で何か適当に買えばいい」
「買えばいいって言われても、私、街に出られないから……お金をもらっても、使えなければ意味が無いわ」
「じゃあ明日、屋敷についたら2人で街まで出よう?」
クラウスの意外な提案に、思わず立ちあがる。
「いいの……!? せっかく異世界に来たんだし、一度位街を散策したいと思ってたから街に出られるのは嬉しいけど……!」
メアリーに街に出る事をきっぱり断られて残念な思いをした分、ここで街に行ける可能性が出てきたのは純粋に嬉しい。
「僕は構わないよ。そうだ、クッキーのお礼にアスカにも好きな物買ってあげるよ。朝食だって街で済ませてもいいし……」
そう言って微笑むクラウスはいつの間にか機嫌が直ってるようだ。
(前にクラウスに情緒不安定だって言われた事あるけど……クラウスの方がよっぽど情緒不安定なんじゃ……?)
今、この話題にあの人が絡んでなかったら軽い感じでそう言えるんだけど、今それを言うのはかなり怖い。
クラウスが色々助けてくれるお礼にクッキーを渡したつもりなんだけどそのクッキーに対してお礼されるという状況に抵抗感を感じつつ、それを言えばまた不機嫌になられるかもしれないと思うと、何も言えない。
「ありがとう……じゃあ明日、楽しみにしてるわね」
きっとこれがクラウスが望んでる言葉なんだろう。その証拠にクラウスは満足そうに頷いた。私は、心の内を隠して上手く笑えただろうか?
一つでも選択肢を間違えたら割れて粉々になってしまいかねないこの友人関係に少し寂しさを感じながら、私はクラウスに紙袋をもう1つ手渡した。
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